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21.おねがい、ぜんぶ



 腕の中に閉じ込めたヴォルの吐く息が熱くて、まるで触れる傍から火傷が広がっていくようだった。


 熱に浸食されていくようで、怖い。


 いいや。今この腕を離したら、ヴォルがどこか遠くへ行ってしまいそうで、もっと怖い。


 それに抗うようにレーネはくしゃりと手の中で黒い髪を掻き寄せた。


 介護だと思って触れていた時には気付かなかった、指の間を擽るその髪の柔らかさ。

 汗の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


「ヴォルの、においだね」


「……レーネ、だめだ」


 レーネの胸元からくぐもった声で拒否の言葉が聴こえる。


 ぎゅっと腕に力を入れることで、その言葉を否定した。



「だめなんて、言っちゃ、やです」


 腕の中に閉じ込めているヴォルには見えないことは分かっていたけれど、いやいやをするように首を横に振った。


「れー、ね」


 宥めるように。今のヴォルに動かせる右手が、レーネの腰のあたりをぽんぽんと軽く叩く。


 大きくて筋張っていて、温かい手だった。

 母がいなくなって久しく、この手だけが、レーネに触れてくれる唯一だ。


 思わずヴォルの言葉に従ってしまいたくなったけれど、どうしても心がぎゅっと塞いで、腕の中から放したくなかったから。


 ふるふると顔を何度も横に振った。


「だめだ、離れろ」


「い、や」


「れーね」



 拒否される言葉が胸に痛くて、名前を呼ばれる度に、ぎゅっとより強く抱きついた。


 頬に感じる髪の柔らかさも、体温も。抱き寄せた腕に感じるヴォルの熱い吐息も。


 全身に感じるヴォルの体温も。


 そのすべてが、手を放したらそのまま消えてしまいそうな気がするのは何故なんだろう。


 失いたくなくて、精一杯の力を籠めて抱き締め、もっともっとヴォルを感じたくて、その黒髪に頬を擦り寄せた。



「れー……くっ、くるしい。放して、くれ」


 バンバンと背中を叩かれて、焦る。


「ヴォル?! きゃあ、ごめんなさいっ」


 あまりに必死になって抱き着き過ぎて、鼻と口を塞いじゃっていたみたいだ。


「だいじょうぶ? ごめんね、ヴォル。殺そうとした訳じゃないんだよぅ」


 思わず涙目になって謝罪の言葉を繰り返した。


「ぶはっ。そうか、いま俺は、レーネに殺されかけたのか」


「違うけどぉ。でも殺しちゃうところだったんだよね? うわぁあぁん、死なないで、ヴォルぅ」


「はぁ、はぁっ。あははははぁはぁ、あぁ空気がうまい。ぷくく。レーネの胸で殺されるところだった」


 笑い転げながら、まるで全力疾走した後のように、顔を赤らめ息を荒くするヴォルに縋りついて謝る。


「ううう。ごめんなさいぃ。そんなつもりじゃなかったのぉ」


 揶揄われているのは分かっていたけど、でももしその気もないのにヴォルを殺していたらと想像しただけで、涙が出てきた。

 ヴォルが死んでしまったら、私はまた此処でひとりの生活を送らなくちゃいけないんだ。


 元の生活になんか、戻れるんだろうか。


「うん、知ってる。レーネに俺が、殺せる訳がない」


「うん。うん、そうだよ。もう、ヴォルのいない生活になんか、戻れないよぅ」


 だからいなくならないで、と続けたかった言葉は、ヴォルに、食まれた。


 少しだけ唇が離れては、すぐに角度を変えて重ね合う。

 それを何度もいつまでも繰り返した。


 唇が少しはれぼったく感じるほど、つよく重ね合った後。

 ヴォルの瞳が、まっすぐにレーネを見つめる。


「レーネ。俺に、キミの全部を、くれ」


「いいの? わたしのぜんぶを貰ってくれるのなら、うれしい。ヴォルのぜんぶも、わたしに頂戴?」


 その言葉が嬉しくて。歓びで身体の奥が震えた。

 震えながら、自分の心をそのままに伝える。


「あぁ。俺の全部をレーネに。だから、レーネを、すべてくれ」


「うん。うん、もらって。ぜんぶ」


 差し出した心を受け取って貰えた歓喜に、震える。


 もう一瞬たりとも離れたくないと、涙と一緒に想いのすべて言葉へと紡ぎながら、最初はおずおずと触れ合うだけだったのが、手指をぎゅっと握りしめ、足を絡め合った。


 お互いの間にどんなちいさな隙間もできないほど、近くへ。


「レーネ。君の瞳には、銀色の星が飛んでいるんだな。綺麗だ」

「そうなの? でも、おかあさまからも、そんな事を言われたことはなかったわ」

「あぁ。ここまで近付いて、ようやくわかる。ちいさいけれど、美しい銀の星だ」


 不思議そうな顔をしたレーネの意識が母親との過去に連れ戻されてしまいそうになる。それをヴォルが、深いくちづけで強引に引き戻した。


「お願いだ。今は、俺のことだけを、見て。考えていて」


 愛おしいと思う心に突き動かされ熱に浮かされたように、レーネとヴォルは、お互いがお互いの物だということを、確かめ合った。








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