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20.きれいね



「ねぇ、ヴォルぅ。今夜のお夕飯はさっき獲ってきたアオウオの塩焼きでいいかなぁ。丸々してて美味しそうだよねぇ。あ! それともミラベル(スモモ)と一緒に煮てもいいかも! ……え。えぇっ、どうしたの、ヴォル。また足とか手が痛いの?」


 久しぶりに川に仕掛けた罠に掛かっていた大きなアオウオをどう美味しく食べようか、相談しにきただけのつもりだったのに。


 ベッドにいたヴォルは、その端正な顔を涙で汚していた。


 思わず駆け寄り、左腕や足に残る傷をみたけれど、相変わらず捻じれて盛り上がってはいるものの、腫れたり熱を持っている様子はなかった。


 見上げれば、目を伏せたままのヴォルも、ちいさく顔を横に振っていた。


「きれい……」


 ぱらぱらと、レーネの目の前に、ヴォルの瞳から溢れた涙の粒が降ってくる。


 黒曜石のような瞳から、ぽろりぽろりと溢れては落ちてくる宝石のような涙を、レーネはてのひらで受け止めた。


 丸く輝き周囲を映りこませた透明の珠が、レーネのてのひらの上で、じわっと広がって、染み入ってくる。


 冷たくみえるのに、てのひらに溜まっていくそれは温かくて、レーネの心の奥底に消えない熱を齎していく。


 大人の、というか男の人自体、レーネは行商人のヨハン以外にはヴォルの事しか知らないが、ヨハンさんの流す涙は、たぶんきっとこれほど綺麗ではないと思う。


 春の始まりに必ず姿を現していた行商人のヨハンは、今年になってまだ一度もレーネの元へやってきていない。


 母親が亡くなってから段々と間遠くなっていて、小麦粉もトウモロコシ粉も砂糖も、ヨハンが届けてくれていたなにもかもが、とっくに底を尽いていた。


 ヴォルが、レーネの元へやってきていなかったらどうなっていただろう。


 森で手に入るものだけを頼りにひとり寂しく母の墓を守って死ぬまで暮らしていただろうか。


 ヴォルがいなくても森の動物たちとの交流は始まっていたかもしれないけれど、ヴォルが来るまではそんな交流はなかった。

 だから、ヴォルがこなければ、もしかしたら森の動物たちとも今のような関係にはなってなかったかもしれない。


 けれど。動物たちがいてもいなくても。


 異国人でありながらレーネと同じ言葉を母国語のように話せるヴォルが相手でなければ、レーネはその日に食べる食事の相談をすることもできなかった。


 美味しいねぇ、と笑い合うことも。

 これ、すっごく不味いよ、と笑い合うこともなく。


 黙々と、家事をして、漁に出て、森の恵みを拾い集めて回り、ただ生きていただろう。



 涙をたっぷりと貯め込んだレーネのてのひらに、またひとつ、ヴォルの瞳から零れ落ちた涙の粒が、ぴちょんと跳ねた。


 きらきらと飛び散る水滴に、見惚れる。


「ヴォル、きれいね」


「馬鹿レーネ。こんな大男を捕まえて、綺麗とか」


 ぷはっと噴き出したヴォルの顔を、レーネは見上げた。


 溢れる涙で、まるでヴォルの瞳が溶けだしているようだ。


 甘い甘い飴玉のようなヴォルの瞳が、レーネにあまく微笑みかける。



「大男だって、悲しい時は泣いていいと思うもの。辛いなら、泣いていいと思うの」


 そっと頬へ手を伸ばし、涙で濡れたそこを指で拭った。


「くすぐったいよ、レーネ」


 じゃれつくように、顔をレーネのてのひらの中へと隠すように、ヴォルが鼻先を擦りつけた。


 刹那、何かがそこに生まれ、レーネの四肢の隅々まで奔ってまわる。


 形のいい鼻先が、レーネのてのひらの中で形を変えた。


 ぞくり。ぞくり。ちいさな火花のようなそれが、何度もレーネの中を、奔っていく。


 柔らかな唇の持つ熱が、てのひらへ移る。


 瞳からまだ溢れてくる涙の温かさと、ヴォルの肌の熱さと。


 てのひらに溜まる熱に煽られるように、レーネはヴォルの頭を胸に抱き寄せた。





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