1.お塩を採りに行きましょう
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「ふう。お洗濯も終わったし、次はどうしようかしら。ひさしぶりにちゃんとしたパンでも焼こうかしら。たまには贅沢してもいいわよね。でもやっぱり今日もポレンタにしておこうかしら」
レーネのその言葉に返事をする者はいない。
それもその筈だ。ここは暗い森の奥深く。国境近くの辺境にある深い森の中なのだから。
こんな場所に、レーネはひとりで住んでいた。
ただし行商人が年に数回やってきて、レーネに必要な物を届けてくれるのだ。
これはまだレーネの母親が生きていた頃からずっと続けられている事で、レーネにとっては森での生活以外を知るたったひとつの縁であった。
「行商人さん達はまだ来る予定じゃないし。あんまり贅沢しているとまた食べる物が無くなってしまうものね」
母がいた頃はそれでももう少しマメに立ち寄ってくれていた気がする。
「しょうがないよね。ヨハンさん達も歳取って来たなーって感じだし」
いつか、ここにヨハンさんが来なくなる日がくるかもしれない。
そう考えるだけで怖い。その日が来るまでの間に、自分でできることを増やしていくしかない。
庭に畑を作るようにもなった。
森で見つけた食べられる野草を植え替えたり、ヨハンさんにお願いして持ってきてもらった種から育てた野菜たち。まだ収穫は少ないけれど何もしないで泣いているよりずっといい。
今夜のメインは少し離れた場所にある川で今朝獲れたカワマスだ。
川の浅瀬に木の杭を並べるように打ち込んで作ってある常設罠。入口には返しがついていて、中央に餌を仕掛けて置く。餌に釣られて寄ってきた魚は、罠に入ると出ていけなくなる。
魚が入った後は入口に蓋をして、はしたなくはあるが川に入っていって布で包むようにして抱きかかえて捕まえるのだ。
残念ながら、毎日必ず魚が掛かるという訳ではない。しかしそれでも二、三日に一度は獲れる。
「私ひとりが食べる分が獲れれば十分ですからね」
塩漬けにして囲炉裏端で燻蒸しておけば日持ちもする。
「そうだった。今日は、お塩を採りに行かないといけなかったんだわ」
森の西側に岩塩でできた洞窟がある。
山という程はないが地面がなだらかに隆起している場所があって、そこの端にポッコリと空いているのだった。
レーネの住んでいる家からまっすぐ歩いていけば洞窟の入り口が見えるが、反対側からだとわかりにくいかもしれない。
知っていなければ通り過ぎてしまうような小さな洞窟なので、中に入って作業ができるのは人ひとりが精一杯だ。だからだろうか、ここに塩を採りにくるのはレーネくらいのようだ。他に誰かを見かけたことはない。
狭くて作業がちょっぴり大変だけれど、レーネが使う分程度を採るだけなら大したことはない。
戸締りをして、背中に採取用の道具を詰めたちいさなリュックを背負い、レーネは洞窟を目指して歩き始めた。
「えぇっと。食べられもしない赤い実をつけた木があるから、そろそろね」
まだ夏の草が生い茂っている中を慎重に踏み分けつつ進んでいくと、ようやく目的地へと辿り着いた。
長く伸びた草の葉に隠れ、よほど慣れた人以外は通り過ぎてしまうだろう。
近付いて気が付いた。
「あら。ここだけ草が倒されているわ」
洞窟のある丘陵地を反対側から歩いて何者かが踏み外したのかもしれない。洞窟の前だけ、突然降ってわいたように草が倒されていた。
そうして視線を動かしてみれば、そこに見慣れないものが目に入った。
「靴。いいえ、片足だけ靴を履いている、足ね」
汚れていたが、長くて大きな靴がこちらを向いていた。足が。
視線で辿ればどうやら上半身は洞窟の中に入り込んでいる。
「大変だわ。どうしましょう」
私にもお塩を採らせて貰えるかしら。