類-RUI-
例えば全て目に見えるもの全てが間違っていたとすれば人はどうするのだろうか?
否、楽に生きようと動く
そう……小さく働き者の蟻のように。
時には楽をしようと冬眠の準備をしなかったキリギリスのように。
季節は梅雨。
雨のポツポツとした音に不思議を抱きながら目に見える胴の次から生えた脚でトボオボと左右前後に一歩、また一歩と足を進める。
歩きながら目では無く耳に集中をかけると、当たり前の事が当たり前に聴こえなくなり、何とも不思議な気持ちになる。
これはきっとそうだな……ふと見ると運がいい事に幸せの四葉のクローバーを見つけた時のようなそうな気持ちに近いだろうか。
まぁ、実際に四葉のクローバーを探して見た事などないのだが。あったとすればお土産に貰った四葉のクローバーのストラップだったか、
はて、あれは何処にやったっけな……。
しかし、ずっとこうして耳を傾けていると何とも音は正直だ。
そして人は今や当たり前なのだろうが、雨をザーザーやポツポツと言う様に言葉を作りたがりなのだなと感じる。
例えば目に見えない言葉を擬音に例え表現する。
根本的に考えると何故、人は雨の音や風の音を例えたのだろう……
それは詩にのせたかったから?
それとも、自然災害を予知し身の危険から守るために音を擬音に例え身の危険を案じたから?
それを考えるとキリが無いな。
そんな当たり前の事を露野瑠依は電車に揺らされながら音を考えていた。
露野瑠依は色素薄い系のショートカットサバサバ女子である。
RPGゲームで例えると踊り子よりもグローブを付けた格闘家か短剣を持ち合わせた盗賊と言ったところだろうか。
しかし、時には長剣を使う長髪でおしとやか且つ格好良さを持った剣士になりたい時もあれば体力を戻し仲間を支えながら遠距離から仲間の力を底上げする魔道士のよつにもなりたいと思う時もあるので可愛いや綺麗でまとめると言った綺麗事はここでは無意味に等しいのだ。
最近、よく思うのが『何故、ここにいるんだろう』と不思議に思うようになった。
別に今の環境が嫌いって言う訳では無い。喧嘩もしたしたくさん嫌われたこともあった。
しかし、親は選べないにせよ大切に育ててもらった長期冷戦状態の祖父にさえ昔はよくして貰って与えてもらうばかりだった。
貰って与えてもらい芸を覚えた小猿のように笑われる代償を支払う。
何も周りは思ってないだろう事が自分にはチクチクと痛み何故ここにいるのだろうと思うようによくなった。
考えなければいいことを考えてしまう
考えない事をやめない学士のように。
逆に考える事をやめると何が残るだろう。考える事をやめると何もしないでいい。そこらに生えている雑草のように時には太陽の光を浴び雨と風を受け狩られるまでゆっくりまったりと生き続ける雑草のように。
だが、それは『人間らしくない』と世は言う。
ならば人間らしいとは何だ?
人間らしくないならどうすればいいのか?
不屈な思いをしながら生きるのが正しいのか、
否、それはきっと間違えている。
生きるために動き働く。
生きるために知識を蓄わ得る。
生きるとはなんだろう
生きてるってなんだろう……
生きるって意味はなんだ?
生命とは?命とは?心ってなんだ?
永遠の問いを見出しながら今日も自分の世界観でたってる僕は
きっと僕の存在の問いがあるこの段階ではきっと普通ではないのかもしれない。
女であるよりも男の方がしっくりくる。性別なんて要らない。RPGでよくいるスライムのようにヘナっとへにょーっとまったり過ごしていたい。
髪もロングよりショートが好きだし
勉強なんて嫌いだけど運動は好きだし
この普通でない事が当たり前になる事はきっとずっと先の話になるのだろう。
しかし、無性の僕を人は人でないかのように見、
馬鹿を演じていることも知らず自分の気分が良くなるよう自分より下を見下す。
いえ、バレてる……知ってますから。
もし、僕が実は頭が良かったらどんな顔をするのだろう?
苦虫を噛み潰したような顔を見せられるのだろうか?
そんな悪趣味なことはしたくない
無性だってなんだっていいのかもしれない
気にしない方がいいのかもしれない
しかし、気にしない方が負けだ
気にする人は相手を思う人。痛みがわかる素晴らしい人。
そんな何色にも染まらないバカを演じてるかもしれない何を考えてるか不思議なかの子を
人はこう呼ぶ。
なぜ、ここにいるか分からない。
どの種にもおさまらない
無の『類』と……