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俺は坂下健二。株式会社○○の主力商品の事業部で部長をやっている。

このところ部下の三浦君の様子がおかしい。彼女の父親が先日他界したが、その後からミスが多い。また以前は常に緊張感を(まと)っていたが、今はときおり動揺して嬉しげな表情や悲しげな表情を見せている。

彼女のことは娘のように思っており、不安を抱えているなら助けてやりたい。またこのまま続けば業務に支障が出てくるだろう。業績が悪くなれば異動は避けられない。俺は今の部署で次の事業部長に内定している。彼女を他の部署に送れば、以降は見守ってやることもできない。



彼女が入社したとき、俺は課長だった。


「三浦望美(のぞみ)です。本日よりお世話になります。ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願いします。」


彼女の姿を見て衝撃を受けた。彼女が娘に似ているからだ。彼女の経歴書を見る。三浦望美(のぞみ)。娘の(のぞみ)と音が一緒、年齢も同じ。ますます娘のように見えてくる。

娘は半年前に交通事故で他界した。成人式を迎える20歳。着物などの準備は出来ていた。仲の良い父娘では無かったが、嫌われてはいなかったと思う。着物を試着したときの、微笑んで「ありがとう、お父さん」と言う娘の姿を思い出す。

家で妻に彼女の話をしたところ、彼女は妻の従姉妹の娘と判る。また彼女には婚約者がいるとも聞いた。その話を聞いて、俺は彼女を見守ることにした。実の娘の代わりだったのかもしれない。


彼女は物静かで頭が良く、見た目も良い方で、かなりモテる。「婚約者が居ますから」と断る姿を何度も見た。

彼女が参加する飲み会には参加するようにした。不祥事から守るためだ。


今の事業部に異動(うつ)る時に彼女を主任とし、秘書として一緒の事業部付けとした。彼女はこのとき29歳。婚約者がいるためいつ結婚退職するかわからないと反対されたが、当時の事業部長と今の事業部長に彼女が親戚であることを打ち明け、必ず成果を出すことを約束して助力をいただいた。


新事業部で彼女は頭角を現し、業績が急上昇して僅か4年で課長に昇進する。



彼女に不調の理由を聞いたが、大丈夫ですと言う。しかしそうは思えないため、過保護とは思ったが行動することにした。


妻を伝手(つて)に彼女の母親の珠恵(たまえ)さんと連絡を取り、妻と一緒に面会をする。

妻と珠恵さんは、ひさしぶり、どうしてた と話を弾ませる。頃合いと思ったところで本題に入る。


「妻から聞いていると思いますが、望美さんのことです。望美さんはうちの会社に勤めてまして、俺は上司になります。最近、望美さんの様子がおかしくて、できることなら助けてやりたいと思っています。

なぜかと言いますと、望美さんが入社する前、娘を事故で亡くしました。娘と望美さんは姿が似ていて年齢も名前も同じ。娘が帰って来たと思いました。それから一緒に仕事をして14年になります。ずっと彼女を娘と思って見守ってきました。

お父さんがお亡くなりになり動揺しているものと思っていたのですが、今週からさらに悪化しまして、他にも原因があるのではないかと考えています。理由を知っていればお聞かせ頂きたい。」


珠恵さんは少し考えてから話しだす。


「あの子はお父さんが大好きで、お父さんの言うことを良く聞いて育ちました。気丈ですのであまり泣かないのですが、あの人が亡くなった時に泣きまして、とても悲しかったのだと思います。

お葬式のときにも泣くものと思っていたのですが、元婚約者が来まして、安心したのでしょう、ずっと一緒にいて、とても落ち着いていました。」

「婚約者ではなく、元ですか?」

「はい」

「会社では婚約者がいると言ってますが。」

「あの子は婚約解消した後も彼のことを想っていて、彼を待っているのだと思います。」


一息ついて、話を続ける。


「先日あの子はその彼と食事に行きました。翌日に彼が来まして、あの子に渡して欲しいと家のカギを置いて行きました。カギを渡すほど仲が良いのでしょうけど、あの子は連絡先を教えなかったので、何かあったのかなと思います。」

「それはいつの話ですか。」

「x月x日です。」


彼女が忌引き休暇明けで出勤した日だ。彼女はとても嬉しそうにしていた。


「その日の彼女はとても嬉しそうでした。その翌日から様子が少しおかしく見えました。」

「その日のうちにカギを娘に渡しました。実際には合わずに電話で受けとったのを確認しただけですが。その後は娘とは会っていませんし連絡もしていません。」

「なるほど、そうすると鍵を受け取った後、何かあったと考えられますね。」

「はい。」


俺は少し考える。


「珠恵さんから彼女に気持ちを聞くのはどうでしょう。」

「そうですね、いま電話してみます。」

「私が来たことは言わないでください。私が見守っていることを彼女は知りませんので。」

「分かりました。」


珠恵さんが電話をしている間、お茶を飲みながら待つ。しばらくすると珠恵さんが戻ってきた。


「彼とはどうなのか、悩みは無いのかを聞いたのですが、何も言いませんでした。ただ、悩んでいるのは確かでしょう。母親の勘ですが。」

「わかりました。ありがとうございました。」


俺は今一度考えた。


「婚約者に会わせていただくことは出来ますか。」

「私からは何も言えません。」


まあそれはそうだと思う。


「彼はどのような仕事をしていますか。」

「漫画家です。」

「漫画の作者名かタイトルを教えていただくことは?」

「教えた後、どうしますか?」

「仕事の依頼を持ちかけます。その打ち合わせの中で、彼の気持ちを聞き出します。」

「それで?」

「私から彼に直接言っても意味がないでしょう。彼女にどうすべきか気がつかせる必要がある。」

「娘を理解しているのですね。」

「長い付き合いですから。」


珠恵さんが少し考えている。


「分かりました。ヤマモトマサシです。快傑クッキング侍の作者の。」


俺は驚いた。大ヒットしている漫画だ。連載は終了したが、まだアニメが続いている。俺でも決めセリフを知っているほどだ。「心血注いだ包丁に、斬れぬ食材(もの)なし!」


「大物ですね・・・。ありがとうございます。結果は連絡します。」

「こちらこそ。娘を気にしていただきありがとうございます。」



出版社に来ている。受付でヤマモトマサシさんに仕事を頼みたいので担当の方を紹介していただきたいと話す。担当だという稲葉という女性とその上司が来て、打ち合わせ場所に案内される。

俺は名刺を渡して依頼内容を伝える。この上司は信用できると察し、なぜ彼を指名するかの理由を正直に伝えた。


「作家に仕事を頼むということは、いまの仕事に影響があるということだ。ヤマモト君はしっかりしているが、説明いただいた内容から、彼がこの仕事を優先する可能性が高い。稲葉君、彼の仕事は何日止めても大丈夫か?」

「え~と、月刊1本は余裕が無いので待てて1週間です。他は2週間は止められます。」

「稲葉君、彼がこの仕事を受けた場合は、月刊を1本休載すること。」

「了解です。」


「坂下さん、聞いてのとおり連載を少なくとも1本止めることになる。彼は人気作家だ。これによる我社の損害は大きい。あなたの立場ならどういうことか分かるはずだ。」

「はい」

「だが、このままでは彼は潰れてしまうかもしれない。メンタルを維持するのも編集者の仕事だ。協力することにする。それから坂下さん、彼に会わせるには条件があります。彼を指名する本当の理由は話さないでください。それから、会話を録音させていただきます。」

「わかりました。ありがとうございます。」


俺は深く頭を下げた。



稲葉さんに指定された日時に待ち合わせる。待ち合わせ場所は勤め先の最寄り駅だった。稲葉さんが到着して勤め先のほうに向かう。


「私の勤め先はすぐそこなんですよ。」

「へえ、ヤマモト先生の家から近いですね。」


勤め先を通り過ぎてさらに奥に進む。先日の懇親会の場所も通り過ぎた。懇親会の後、三浦君が駅とは逆方向に歩いて行ったのを見ている。彼のところに向かったのか。合点がいった。


「ここのレストランで先生と待ち合わせです。」


中に入る。クラッシックな雰囲気が心地よい。


「もう少ししたら先生が来るので待っていてください。私は迎えに行ってきますね。」


しばらくすると稲葉さんが男性を連れてきた。清潔感のある姿で、人の良さそうな30歳くらいの若者。

俺は立ち上がり、深く頭を下げる。


「坂下といいます。先生に仕事を依頼したくて伺いました。」

「先生に絵の依頼をしたいと、うちに来たんだ。仕事内容から先生の画風では難しいかと思ったんだけど、どうしてもってことなので、連れてきたよ。」

「はい、まあ、まずは話を聞かせてください。」


彼は俺の前に座り、稲葉さんは彼の隣に座った。


「では、坂下さんどうぞ。」

「うちの商品の宣伝用ポスターのため、絵を描いていただける人を探しています。報酬は相場通りで前金で全額支払います。さらに売れ行き次第でボーナスがあります。掲載期間は1年。ポスターのほかにもTV番組、CM、雑誌、広告に載ります。

商品はこのようなものです。」


商品の説明をした。


「なるほど、そうするとイラストは幸せな女性ですか。構図に指定はありますか。」


さらさらとラフ画を描いて見せてくれる。マンガ家が絵を描くところを初めて見たが、すごい。


「流石ですね。30代の女性をターゲットにしています。幸せな夫婦もしくは恋人同士。世界一の笑顔を描いていただきたい。構図の指定はありません、お任せします。」

「30代ですか・・・。」


別のラフ画を描いてくれた。


「僕が普段描いている絵はこんな感じです。少年漫画ではよくありますが、スタイルの良い母親を描くと若く見えます。僕の漫画を見ていただければ分かると思いますが、ぽっちゃりにしたり、地味な服にしたりして、母親や学校の先生を描いています。年齢の描き分けが苦手のため、そうやって表現するのが楽だからです。」

「楽だから、ですよね。描けないわけではない。問題ありません。それに、できれば30代の絵を描いて欲しいですが、若く見えてもかまいません。女性は若く見せたいと思っていますから。」

「なるほど、分かりました。では、女性の容姿にもいろいろありますが、どうしますか?」

「お任せしますが、質問させてください。」

「はい、どうぞ。」

「先生は32歳だとネットで調べました。結婚されている、もしくはお付き合いされている方がいますか。」

「それを聞いてどのような意味がありますか?」

「愛する人があなたを愛し、あなたに笑顔を向ける。あなたにとってそれが最高の笑顔ではありませんか。そういう場面、そういう笑顔を描いてほしい。そうすると自然にあなたが愛する人に似てくる。そういう意味でお任せになります。」


彼は考えている。


「僕は愛したいと思った女性がいます。だけど先日、好きではないと言われてしまいました。だから僕には恋人がいません。」

「だけど愛したい女性がいる。その彼女が笑顔を向ける。あなたが好きになった笑顔、思い出せますか?」

「・・・わかりません」

「あなたは彼女を諦めるのですか?」

「え?」

「好きではないと1度言われただけで諦めるのですか、そのような軽い気持ちですか?」


「僕は、、、諦めたくはない。」


彼は顔を歪めている。その顔は真実を言っているように見える。

彼は物腰が柔らかく誠実な若者のようだ。頭も良い。のぞみと彼を並べてみる。似合いのカップルではないか。俺の中の気持ち、娘を守りたい気持ちが、娘の幸せを後押ししたい気持ちに切り替わった。


「想像でもいい。君に対して彼女が最高の笑顔を向ける。その笑顔を描いてください。」

「ええ。」

「彼女は君を待っている。だが、好きではないと言ってしまうほど、気持ちがはっきりしていない。このポスターは日本中に貼られるから、テレビCMでも流れるから、彼女は必ず見る。君の絵で彼女を振り向かせてはどうですか。君が本気で描いた、君が心から納得した絵ならば彼女を振り向かせる力があるはずだ。」


彼は目を見開き俺を見ているが、焦点が合っていない。考えているのだろう。

少しして彼の目に力がはいるのを感じた。

彼は絵を描き始める。先程までと異なり長い時間がかかった。稲葉さんは慣れているのか静かに見守っている。熟練の夫婦のようだと思えた。

それに気がついたのか、稲葉さんが補足する。わたしは先生に異性としての興味はないですよ。先生も同じです。以前はちょっとだけ期待したんですけどね。と笑って話す。


絵を描き終わり、見せてくる。


「構図はこんな感じにします。女性が走っていて後ろを振り返る途中。男性は追いかけます。女性はワンピースを着ていて、男性はワイシャツ姿。」

「イメージに合います。素晴らしい。」


任せて大丈夫だと確信した。


「ヤマモトさん、この仕事は君に頼みたい。君自身が納得した絵を頼みます。」


彼はうなずく。


「稲葉さん、詳細はこちらに書いてあります。よろしくお願いします。」

「受けるかどうかは先生と相談して決めるのでご承知ください。結果は明日連絡します。」

「わかりました。」


俺は深く頭を下げ、失礼すると言ってレストランから出た。



翌日、受託の連絡があった。





彼と彼女は再び出会い、結婚することが決まった。


望美君に、彼を紹介したいからと呼び出され、俺は妻と共に待ち合わせ場所に向かう。彼と彼女は腕を組んでいる。想像していた通りにお似合いの二人だ。妻を見ると涙を流している。娘を見たのだろう。


「やあ、幸せそうで何よりだ。」

「その節はお世話になりました。僕たちが一緒になれたのは、あなたのお陰です。」


望美君は不思議そうな顔をしている。俺たちが知り合いとは思っていなかったようだ。


「食事をしながら、あのときの話をしよう。」



妻が笑っている。俺も笑う。何年ぶりだろうか。

そして彼と彼女を送り出す。娘を頼む。任せてください。彼の頼もしい姿と彼女の嬉しそうな笑顔を見る。


「あなた、行ってしまいましたね。」

「ああ。」

「娘を見ているようでした。」

「そうだな。」


「帰ろう、娘のところへ。そして、俺たちのもうひとりの娘が嫁に行ったことを報告しようか。」

「そうですね。」


久しぶりに妻と腕を組んで歩いた。




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