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夢に向かって


正史の視点



彼女と別れてから数日後。思い悩む僕に、出版社の担当の稲葉さんが、気晴らしになればと仕事を持ちかけてきた。

事務所から近いレストランに打ち合わせに来ている。担当の稲葉さんのほかにもう一人来ていた。渋い感じの初老の男性。


「坂下といいます。先生に仕事を依頼したくて伺いました。」


稲葉さんが補足する。


「先生に絵の依頼をしたいと、うちに来たんだ。仕事内容から先生の画風では難しいかと思ったんだけど、どうしてもってことなので、連れてきたよ。」

「はい、まあ、まずは話を聞かせてください。」





イラストの仕事を受けた。

稲葉さんの言うとおり、少年漫画の僕の画風では難しいように思う。しかし、坂下さんの熱意が僕に嫌と言わせなかった。


打ち合わせでラフ画での意識合わせをしたが、構図を含めて任せると言われている。新商品のポスターに使う目的で、題目は世界一の笑顔の30代女性。僕の感性で描いてよい。全てお任せで、途中の摺り合わせは無しの完成原稿でよい。報酬は前金で貰った。さらに売れ行き次第でボーナスがあるそうだ。繰り返して指示があった。「君が納得した絵を頼む。」


割の良い仕事と思えた。仕事場でさらさらと描き、色を乗せていく。ある程度描いたところで、これは違うと感じる。任されたんだから適当でもいいのではないかと、邪な思いが過ぎるが、僕は書き続けた。


何枚も何日も描く。納得出来ない。

坂下さんの熱意に当てられたのもあるが、そうではない。

彼女の最後の言葉、姿。

「わたしはもう、あなたを好きではないわ。」

彼女は泣いていた。


なぜ会いに行かなかったのか。描きながら考え、そして気がついた。

僕は彼女を忘れていたんだ。そしてこの前、久しぶりに彼女に会って、懐かしくて、好きだと思い込んだだけ。


自分が許せなかった。

この仕事は納得するまでやる。彼女への想いを絵に重ねていく。





思い出す。



離別の前、大学生のころ。

彼女は仕事をしており、疲れているのに僕に付き合ってくれる。何処かの喫茶店で彼女は微笑む。


「まーくん、好きよ。」


微笑みながら、どこか儚げに僕を見ている。


大学生になった頃、初めての夜。

長いキスのあと、上気した彼女が僕を見つめる。僕が想いを告げる。


「好きだよ、誰よりも君が好きだ。」


彼女がとろけるような笑みを見せる。


高校三年生のころ、受験勉強をしている。

彼女が難しい顔で僕を叱咤する。僕はやってみせると意気込む。答え合わせの後に激励してくれた。


「これなら合格できそうね。だけど油断しないで。毎日続けることが大事よ。明日も頑張ってね。」


彼女が真剣な表情から笑顔を見せる。



絵を描きながら思い出の中を彷徨う。僕の中に確かに存在する漠然とした彼女の笑顔。最高の笑顔はどこかにある。再び思い出の中を彷徨う。



高校二年生のころ。

遊園地での観覧車の中。彼女からキスをされた。僕は突然の出来事に驚き、赤面して彼女を見る。


「頑張ったご褒美よ。」


照れている彼女の横顔が、愛おしいと思った。


高校一年生のとき。

彼女は大学受験を控えているが、毎日のようにうちに来る。彼女と僕は並んで勉強をしている。勉強が終わり、ふたりで伸びをした後に彼女が笑顔を向ける。


「勉強が終わったから、お茶でもしましょ?」


笑顔の彼女を可愛いと思った。


中学ニ年生のとき、家庭教師として彼女がうちに来た。彼女が僕を見て言う。


「まーくん、大きくなったわね。これから一緒に勉強しましょう。」


年上の女性である彼女の微笑みが、思春期の僕には眩しかった。



もっとあるはずだ。僕が忘れていた彼女との思い出。



小学四年生の僕は、絵が上手くならず、諦めようとしていた。

不意に言葉を掛けられ、見ると笑顔の彼女が見ている。僕は心のうちを言う。


「上手くならないんだ。やめようと思ってる」

「夢なのよね? 諦めちゃ駄目、わたしが応援するから!」


彼女の真剣な言葉に僕は驚く。


「わかった、諦めないよ。」


彼女がとびきりの笑顔になり、僕の頭を撫でる。


幼稚園だろうか、幼い頃の僕が地面に絵を書いている。彼女が駆けてくる。


「まーくん、遊ぼ~?・・・何書いてるの?」

「ヒーローだよ。僕はヒーローになる!」

「格好いいね!」


屈託のない笑顔の彼女が、僕に手を伸ばす。



彼女が好きなんだ。心から。

絵を描く。ただひたすらに。





絵が出来上がった。細かいところを直したいとも思ったが、その粗さを含めて完成なんだと思う。何より、完成したと感じたんだ。もう手を入れてはいけない。

カレンダーを見る。気がつけば締切が過ぎていた。

原稿の電子ファイルをメールで坂下さんと稲葉さんに送る。送信のメータが進んでいく。送信が完了して、仕事が終わった。


お気に入りの紅茶を飲み、ひと息つく。体も頭も疲れていたが心の中は澄んでいる。

彼女がいまどうしているのか気になった。あれから1ヶ月も経っている。それから、休載していた連載をどうするかも気になる。稲葉さんに連絡しないと。アシスタントにも迷惑をかけた。忙しくなりそうだ。


だが今回は間違えない。彼女を愛している、彼女に会うんだ。そう決める。

各々に謝罪のメールを送る。イラストの仕事は片づいたがもう少し待っていてほしいと。

みんなからメールがくる。彼らには事情を話してある。彼らのメールは温かかった。背を押された気がした。


彼女へのメールを書こうとするが、何を書いていいのか分からない。書いては消してを繰り返していると、メールの受信音が鳴る。坂下さんからの返信が来た。


---


今度の日曜(日付)は自宅にいてくれ。

君の婚約者の望美君を連れて行く。


---


え?

目を疑った。


彼女の関係者なのか。坂下さんのことは非開示のため何も知らない。必要がないから聞いていない。


情報がないので悩みようがない。あの熱意の人だ、信用しよう。

坂下さんを信じて待つことにする。





日曜日。

彼女が駆けてきて、僕に抱きついた。僕たちは互いに想いを並べ、気持ちを確かめ合った。その後、伯父さんに報告するために墓前に来ている。僕の隣には望美がいる。


「伯父さん。いや、お義父さん。お待たせしました。僕たち結婚します。」


「お父さん、漫画家の妻になります。私たち幸せになりますから、見守っていてください。」


彼女の腰に腕を回して引き寄せ、ふたり身を寄せ合った。





彼女は、新商品の大ヒットにより忙しく仕事をしている。

テレビ番組での商品紹介にも出演し、それを僕は事務所のテレビで見た。新商品の紹介の後、彼女が登場して商品の詳細を説明する。ポスターとの関連を聞かれて、わたしがモデルです結婚しましたと左手の指輪を見せる。商品のCMが流れる。

僕が食いついて見ていると、アシスタントから結婚おめでとうございますと祝福された。


僕は、休載していた連載を再開して、ストックが無いため事務所に籠もる。感覚を取り戻してきたあたりで、あのとき彼女を待っている時間で書いた読切が雑誌に掲載され、ヒロインの笑顔があのポスターに似ていると噂になった。


紆余曲折の後、ふたりで某新婚番組に出演し、司会者から馴れ初めを聞かれた。


「僕たちは10年間離れていたのですけど、お義父さんがまたふたりを会わせてくれたんです。その後いろいろあって、また別れそうになったのですが、絵を描く依頼があって、描いていて気がついたんです。彼女が好きなんだって。」

「わたしがその絵を見て、彼の絵だと気がついて、彼の思いが伝わってきて。わたしも好きなんだって。」


ポスターが出てくる。よく見ると商品名が無く、何か書かれている。


「これがその時の絵ですね。」

「はい、そうです。ですけど何か書かれていますが、、、」


近づいて見る。彼女も隣にくる。

そこにはみんなからの祝福の言葉が手書きで書かれている。その中で心に惹かれた言葉がある。


「お父さん・・・」


彼女の涙が溢れた。

僕は彼女を抱き寄せ、ありがとうと呟く。





望美が子供と遊んでいる。僕はそれを見ながらネームを書く。


アシスタントは独り立ちし、いま僕は一人で漫画を書いている。連載は二本に減らしたが収入は十分にある。時々だが忙しいときは彼女が手伝ってくれる。


いま書いているのは新連載のネームだ。

スーパーヒーローが活躍する物語。サラリーマンが変身して、悪の怪人を懲らしめる。彼が守るのは幼馴染の女性の笑顔。


ありふれた設定のため、人気を取るのは難しいだろう。それでも僕は挑戦する。幼いころに憧れたヒーロー。僕の夢だ。そして、愛する妻の笑顔を守るために、僕は戦う。



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