心の読めるアタシ。心の読めないキミ
あたしの名前は、神田 光。
平成二十年、三月四日生まれ。十五歳。魚座。AB型。
身長百五十七。体重、ちょっと何言ってるかワカラナイ。
家族構成。お父さん、お母さん、お婆ちゃん、お兄ちゃん。
県立中学を卒業後、地元の県立高校に合格。見事、女子高生となる。
好きなものは新商品。嫌いなものは、お肉のあぶらみ。ほんとダメ。おいしくない。
特技、指の関節パキパキ。趣味、本を読んで泣く。
休日の過ごし方は、冷房か床暖房の効いた部屋で新商品のお菓子を食べながら本を読んでゴロゴロ。そのまま一日を堪能する。週の終わりに一度、人の重さを量るという悪魔の機械に身を委ねては思い悩んでいる。悪魔め。
髪はセミロング。染めてない。色を入れてみたいけど、ちょっと怖い。周りの反応とか、先生とか。
座右の銘、あるわけない。
彼氏! 無し!
あたしを言い表すとしたら精々がこんなもんかな?
あ。
そうそう、あともう一つ。
備考、人の心が読める。
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仮にテレパシー、というかテレパシーなんだけど。
テレパシーとしよう。
このテレパシー、受信のみ。送信を行えない。
つまり相手の考えを受け取るだけで、あたしの考えを伝えることはできない。
言い方を悪くすると、無許可で心を覗くだけだ。しかも一方的に。
物心つく前から使えた能力なので、クレームは受け付けておりません。ていうか止め方とか、わかんない。教えてほしいくらいだ。
子供の頃に、ウソつき、ウソじゃない、からの言い合いで問題になってからは他人に話したことがないので、コントロールの仕方なんて聞けるわけないけど。
ちなみに家族は全員が知ってる。
そして全員が『だから?』と考えていた。愛してる。うちの子で良かった。
そんなこんなで、波乱に富んでるけど幸せに暮らしてきた、あたし。
でも無いなら無い方がいいなあ、と考えていたテレパシー。しかしこれもあたしの人生なのだから仕方ないと受け入れつつあった。
そこに!
ちょっとした光明が見えた。
まあ、ほんとにちょっとというか。実は何でもない可能性の方が高いんだけど。
クラスメイトの田処くん。
彼の心が読めないのだ!
これは、今まで生きてきた中で初めてのこと。
あたしのテレパシーは想いの大きさや強さで聞こえ方が変わってくる。強ければ強いほど、遠くにいても聞こえてしまうが、逆に弱いと、手の届く距離ぐらいまで近付かなければ聞こえてこない。
おかげで精神が壊れるとかの、この手のものに有りがちな事態には陥っていない。
それに、ぶっちゃけ強い想いを抱く人間って少ない。授業中なんか特に静かだし、あっても近くの席の男子なんかは『あー、腹へったー』ぐらいしか考えていない。
思春期男子に有りがちな妄想も、周りにギャラリーがいるところでは控えられるので、そうそう被害に合うこともない。例外はいるけど。
なので田処くんも、最初は聞こえないぐらいの強さや大きさの想いしか発してないのだろうと思っていた。
しかし。
どんなに弱く小さな思考や想いでも、手の届く範囲では聞こえる……聞こえてくる筈なんだけど。
田処くんの周りは一貫して静かだ。
これは何が原因なのだろう?
もしかして、それが分かればテレパシーのコントロールができるようになるのでは?!
……なんて思っていた時期が、あたしにも在りました。
高校に入学して二ヶ月。田処くんの観察を始めて一ヶ月。
…………彼、なんにも考えてないだけなんじゃ? って思い始めた。
いや、そんな人間がいる筈ない。
……いない、筈。と、思う……たぶん。
それぐらい彼ってボーっとしてる。
田処 景文。
名前以外のことを知らない隣の席の彼。
あたしのクラスの机の並べ方は一列が男子と女子に分けられた並びで、男女男女の六列だ。あたしは窓際の最後尾。心が読めることも偶には役に立つ。へっへっへ。ちなみに前の席は小学校から付き合いのある友人、あーちゃんだ。
そして隣の席に座るのが田処くん。
いっつも寝癖をつけている髪は、まるでファッションのように後ろ髪だったり横髪だったりがハネている。前髪が瞳に掛かって判別しづらいけど、半眼無表情で毎日がツマラなさそうだ。
彼は……陰キャ? なのか陽キャなのかよくわからない。
口数は少ないが、口調そのものは乱暴な感じで、クラス内の男子の力関係上位の相手にも物怖じしない。
少なくとも表面上はそう見える。
男子に比べて女子はカーストというか、やや緩い感じの力関係に纏まっている。目立つ女子がいないからだろう。いやー、ラッキーだね。見た目が華やかだろうと、あの水面下ではドロドロでグログロの関係なんて聞いてて良く思えるわけないんだから。
あたしの中学での癒しは、あーちゃんしかいなかったんだから。
それがない女子カーストなんて最高かよとしか言いようがない。最高かよ!
しかしそれはあくまであたしにとって。
これが男子となるとまた違ってくる。
まず男子の学年カースト。これが最上位。
バスケにおいて全国区レベルで有名な選手らしい甘い顔のイケメンや、サッカー部に入ったスポーツ万能のイケメンや、入試満点の将来有望なイケメンなんかがいるからだ。その各々のグループも容姿や能力のレベルが高く、学校全体で見てもトップに食い込むレベルだ。
そのため他のクラスの女子が遊びにくることもザラだ。
そして他のクラスに来ても堂々とできるなんてカースト上位女子だ。このクラスで文句が言える女子はいない。そして話している男子はカースト最上位だ。
まさに無双。
それが例え自分の席を許可なく陣取ってても、誰も文句は言えない。
「おい、どけ」
……って思ってたのは、田処くんに会うまでだ。
楽しそうに喋っていたカースト上位グループは一転して静かになった。
静かになったのはそのグループだけじゃなくクラス内もだけど。
えー?! 田処くん何考えてんのー?! って初めて思ったのはこの時。ちなみにあたしはテレパス。
あーちゃんとお弁当をつついていた昼休みのことだった。
思わずポカンと口を開いたあたしの前の席から思考が流れてくる。
『おお、いいぞ。やれやれ』
いや、あーちゃんに思ったわけじゃないから。確かに『マジうるさい』って少しイライラしてたけど。
田処くんの前の席の男子は、バスケ部期待の新人くんだ。お昼を同じクラスの男子三人に他のクラスから来た派手な感じの女子二人と過ごしていた。
でも六人となると当然、椅子もそうだけど、お弁当を広げる面積が一つの机じゃ足りない。
そこで近くの空いている席を接収したのだ。
それ自体は、そんなに悪くないと思う。もし席の主が帰ってきたんなら退けばいいんだし。いないのに許可を貰うのとか無理だし。
ただそれはカースト中位以下の発想と言いますか、上位の方々の一部には気にしない方もいるというか……。
ぶっちゃけ退かない。
中には席の近くまで来た、その席の主を「なに?」とか言って威圧して追い返しちゃう人もいる。『邪魔すんなし、マジうぜー』とか思ってたりもする。
今回も六人中五人がそうだったってだけで。
いつもなら事なかれを胸に生きてきたあたしが、途中で主を誘導したりするんだけど……田処くんの心って読めないから。「あ、ごめんねー?」って言って退いてくれるパターンなら余計な手出しはしないんだけど。それ以外は傷ついちゃうパターンが大体。
というか空気読もうよおー?!
いや、正しいのは田処くんなんだけど。往々にして正しいだけじゃ渡っていけないのが学生生活でして。
今やクラスの中は、この空気の行き着く先を見届けるモードに入っている。
『そこの声のデカい女と、机に座っている勘違い男子を優先的にぶっ飛ばして』
ちょっとあーちゃん黙ってて。
どうしよう。もうここで出ていくのは「いやあんた関係ねーし」って言われること間違いなしだ。両者が声を掛ける前になんでもない感じで足止めすれば、平和なパターンにしかならなかったのに。
特に男子三人の方の思考が過激。『こいつナメてね?』ってナメてないと思うよー?! いやわかんないけど?!
田処くんの表情は変わらず、楽しそうでも怒ってるわけでもない、無表情。ほんとに『帰ってきたらいた、どけ』とか思ってそうだ。この空気にも気づいてない……とかありえる? どちらかと言えば、気にしてない、って感じ?
ああ、テレパシーに頼ってきた弊害が! 相手の表情から何を考えているのかが読み取れない!
『いけ! 油断してる今殺れ!』
無表情ながらワクワクしている親友の心の内しか読み取れない!
しかしここで、このグループの中心人物であるバスケ部期待の新人くんが片手を上げて謝罪した。
「あ、わりー。借りてた。おい、返すぞ。そっち空けろ」
おお! イケメンは心の中までイケメン! 惚れそう! 名前なんだっけ!
中心人物なのに直ぐに出張ってこなかったのは、実は話をよく聞いていなかったからだ。というか、その前のグループ内での会話から参加していなかった。昨日見たテレビの話は、彼的に興味の無い内容だったんだろう。
頭の中ではずっと『マンツーからの』『外を厚く』『制空権を』なんてことを考えていた。バスケのことかな?
なんで聞こえてきたかって? 彼のその声が一番大きかったからだ。二番目はイライラしていたあーちゃんだ。
しかし教室が静かなことに気付いて、意識が戻ってきたところに田処くんが帰ってきていたので席を返そうと純粋に考えている。彼だけ他意はない。
……まあ、他の人は心を読まずとも態度で他意があるのがわかるけど……。
机を離すために、お弁当や飲み物をどけている最中に「おい、どけ」って田処くんの口真似をしたり、あからさまな舌打ちをしたりしているから。
そういうのはイケメンバスケ部くんが嫌いなのか、彼にわからないような角度でやってたりするのがまた……。
『ちっちぇ』
ほんとそうだね、あーちゃん。だからってそんな冷めた視線をあっちに向けないで。
せっかく収まりそうな気配なのに。
それを察したクラスの騒がしさも戻ってきた。ちなみに田処くんは終始ボケッと立って待っている。その表情には焦りも戸惑いもない。
席を離して再び輪を作り始めたイケメンバスケ部くんグループ。ちょっとホッとした瞬間に。
それが起こった。
グループの内の一人の男子……一番イラついていた男子が、最後に嫌がらせしようとストローで吸いきったパックを、肩越しに後ろへとポイっと放ったのだ。
後ろには確認せずとも田処くん。
放物線を描きながら飛ぶ空のパックは、間違いなく田処くんを目掛けて投げられたものだ。しかしそれが当たったところで「ああ、悪い悪い、見てなかったわ。捨てといて」とでも言うつもりなのだろう。てか漏れ出た思考がそう言っていた。
でも、そうはならなかった。
飛び散る雫ごと避ける田処くん。何者ですか?
そして指先で引っ掛けるように受け止め、反動のままに投げ返す田処くん。
軌道は直線的で、速度は田処くんに飛んできた時とは比べものにならないくらい速かった。まあ、投げ返した相手は後ろを向いてるから避けようがないんだけど。
なにしてんの?!
「てっ」
パコンと相手の頭に当たる空のパック。痛みは大したことないだろうけど……うわ、凄い怒ってる。こんなんテレパシーとか関係なくわかるよね。
バウンドする空のパックを見つめるイラつき男子。しかし視線は直ぐに田処くんへ。
田処くんは、椅子を引いて席に座り買ってきたパンを取り出しながら、言った。
「ちゃんとゴミ箱に捨てとけよ」
それで話は終わったとばかりにパンの包装紙を左右に引っ張って開ける田処くん。バカなの?
「は? なに調子のってんだ、お前」
うわわわわわ?! これは無理! 止まるレベルにないよ!
『すげー』
あーちゃん!
怒りで真っ赤だ。握られた右拳から殴り掛かるそうです。せ、せんせー! せんせー! ケンカ、ケンカです!
あたしにテレパシーを送る能力はなかった。
全力で職員室まで走っていって、田処くんの骨を拾ってあげよう。
ちなみに田処くんは、ビニール袋からペットボトルを取り出してキャップを捻ってる。バカかよ?!
あたしが腰を浮かし掛けたところで、一歩目を踏み出したイラつき男子をイケメンバスケ部くんが止めた。速い。流石のフットワークだ。しかも殴りかかろうとしていた右手首を押さえるという好プレー。グッドプレイヤーだよもう! 惚れる! 名前覚えるよ!
「……離せよ」
「なにキレてんだよ。見てたぞ。お前から投げてたじゃん。ふざけんなよ」
「はあ?! そりゃあいつが……」
「あいつが? なんだよ。言えよ」
……い、いやー、それは無理でしょ? だって田処くん、普通に自分の席でご飯食べたかっただけだもん。パックも投げてきたの投げ返しただけだし。
しかしイラつき男子の反論を封じたのは、正論ではなくイケメンバスケ部くんの威圧だろう。本人が気づいたかどうかは知れないが、あたしにはその心に畏怖が混じったのがわかった。
ビビっちゃったのだ。
普通なら自分のグループの奴の肩を持ちそうなところなのに、イケメンバスケ部くんは心の底からそう思ってる。
『すげー』
すげー。
やがて根負けしたイラつき男子が、イケメンバスケ部くんを振り払い、近くの机を蹴って教室から出ていく。
それを残ったイケメンバスケ部くんが、クラスにいる生徒に謝り、先にご飯を食べていいからとグループの残りの生徒に断り、空のパックを拾ってゴミ箱に入れてから、イラつき男子を追っていった。
おお~。
この頃には、田処くんの言動より、今のイケメンバスケ部くんのイケメンっぷりのが話題になった。
イケメンバスケ部くんは天邑くん、イラつき男子は後藤田くんと言うらしい。
漏れ出てきた心の声で知った。
ホッとしながらも、このクラスで唯一心の声が聞こえてこない彼を盗み見る。
二個目のパンに取り掛かるところのようだ。
……ほーんと、何考えてんだろ?
まさか『あー、腹へったー』 とかじゃないよね?
……違うよね?
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そんないざこざは有ったけど、概ねは平和なあたしのクラス。
続くスニーキングミッション。
挫けそう。
というか、あれだ。田処くん、絶対なんにも考えてないとかで心が読めないんだよ。それか人の心がないんだよ。この人でなし!
そんな考えが湧いてくるほど、収穫がない。
彼の心が響いてこない。
もう、なに考えてるんだよぉ……。あたしがテレパスを超えるテレパスなら、キミのこと絶対に見逃さないよ? わかってる? わかって。わかれ!
届かないこの想い。なんで日本人は総テレパスじゃないのか。
なので人類最大の発明に頼ることにした。
つまり言葉、トーク。
あたしは、会話する!
次の授業までの空き時間。次が自習になったのでガヤガヤとうるさい教室で、田処くんにファーストコンタクトを試みる。そう最初。なんか彼って話し掛けんなオーラが凄いのだ。初期のあわやケンカ事件もあってクラスで浮いてるし。
ノートや教科書を机の上に準備して、机に隠して漫画を読んでる田処くん。
拒絶感パない。
ええい、ままよ! あたしのトークスキルを見せてあげる! テレパシーで培った、当たり障りのなさに関しては右に出る者はいないと思ってるトークスキルを!
「た、田処くん」
教室の騒がしさで近くの席以外には届かないような声量だった。ちょっとひよった。
「あ? なに?」
なんでそんなツマんなそうなの? その漫画面白くないの? 面白くないなら読まなきゃいいのに。ていうか怖い。もっと優しい声を心掛けて。最初の「あ?」ってなに? 五十音最初の文字? 小心者は会話の最初に「あ」ってつけることが多いんだって。田処くんが会話の最初に「あ?」ってつけたらこっちが傷心だよ。その漫画があたしも読んでる。最新刊じゃん。お兄ちゃんに買ったかどうか聞かなきゃ。あと目も怖い。雰囲気と、空気も怖い。消えて。そこから話そうよ。うん。
こっちは笑顔なのにあっちは無表情だ。中途半端に口を開いた状態でフリーズ。
会話……会話しなきゃ。でも何を喋ったら乗ってくれるかな? ああ、田処くん! なんで心が読めないのよ意味わかんない!
なんてことだ。あたしの会話はテレパシーに頼った答えありきのものだったからか、心の読めない相手になんて話しかけていいかがわからない。これを日常でこなすんだから人類はパない。駅前辺りで日本語日常会話とかやってないだろうか。ちくせう。
普通だ普通。
普通でいいのだ。
「きょ……今日は、いい、天気、だね……」
「……そうか」
言葉尻に近づくに連れ小さくなっていくあたしの声を、田処くんは拾ってくれた。余計だよ?!
しかもこれ見よがしに視線は窓を突き抜けて空を差している。
めっちゃ曇ってる。
そろそろ梅雨に入りそうな今日この頃。湿度が高くジメジメしてるのは、太陽が顔を出さないせいでもある。
そんな天気をいいと言う女、あたし。
田処くんはどう思っただろうか……。
続く言葉を待っている田処くんを無視して、あたしは席から立ち上がった。みんな席を移動してお喋りしてるから、目立つことはない。
そそっと、会話を無表情ながら面白げに聞いていた親友に近づくと、椅子の半分を割譲して貰いながら抱きついた。
「あーちゃん……! 愛してる……大好き」
「あー、はいはい」
『面白い娘ね』
うるさいし!
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「あー、ダメだ。やってらんない。死のう」
その日の昼休み。
あーちゃんとお弁当を持って中庭に出ていた。雨が降りそうな雲行きなので割と空いてる。ベンチの一つを二人で占領してお昼ご飯中だ。
「なによ。あんなんで死にたくなってたら、ネットサークルのオフ会とかできないよ」
「しないし」
「またまた」
「ないよ、ない」
「うんうん。本音は」
『やってあげても?』
「いいとも、って、いやよくないし」
凄い引っかけもあったもんだ。
あーちゃんはあたしがテレパシーを使えることを知らない。……気づいてもない、と思う。かなり怪しいが。意外と考え方は常識的なのだ。
それでもたまに、こういう遊びを仕掛けてくる。またそれが嬉しそうで。
あーちゃん的には、あたしが心を読んでるというより、互いの理解が深いという考えのようだ。ごめんね、カンニングなの。
そんな機嫌良さげのあーちゃんに、あたしは頬を膨らませる。
こっちとしてはドキッとするから止めてほしい。恋かよ。
「それでー? なんで人見知りのあんたが、あんな危なそうな奴に絡んでいったの?」
「え? 危なそう? 田処くん、危なそうかな?」
ストローで飲み物を吸いつつコクコクと頷くあーちゃん。
「……どこが?」
本当に、どこだろう? 危ないかどうかなんて田処くん以外なら一発でわかるけど?
……その田処くんが危ないって困るなあ。根拠はなんだね根拠は?
黒酢とかいう味覚を疑うようなパックを飲み干したあーちゃんが、ストローを噛み潰したまま答えてくる。
「目がヤバいでしょ」
「めぇ~?」
『羊か』
いいえ、テレパスです。
「うん。目。田処ってさ、なんか人殺してそうな目してない? 光彩消えてるっていうかさ」
「……ええー? それだけぇ?」
「それだけ」
なんだそれは。酷い。まるで田処くんが人でなしのような言い草じゃないか。それは間違いないけど。
考えこみながら玉子焼きを頬張る。うーん。
しかし本当に田処くんが危なそうな相手なら、積極的に関わりたくはない。実際、危なそうな奴というのはその見た目からはわからないからだ。
ニコニコしたイケメンだけど悪い相手と繋がりがあったり、いい感じになった彼女を仲間の溜まり場に連れ込もうと画策してたり、その子が好きな男子に録画したDVDを売り付けようとしたりという奴もいるのだ。見た目は爽やかくんなのに。
もちろん、危なそうなタイミングで通報余裕でした。
他にも、小動物をイジメ殺すことに快感を覚える人。
嘘をつくことが日常になっている人。
欲しい物は盗んでも手に入れる人。
色んな人がいた。
それは大人とも限らない。
できるだけのことはやってきたけど……基本的には近づかず、関わらずのスタンスでやってきた。
田処くんがそうでないというのは……あたしにはわからない。
考えこむあたしに、あーちゃんが仕方なさそうな表情で話しかけてくる。その箸があたしのお弁当に伸びていたことにも言及しておこう。あげないよ!
「ま、あたしの印象はね? あたしの印象は。そんで? なんで田処なの? なに? 好きになっちゃった?」
「それはない」
むしろちょっと嫌いだ。
「じゃあ、なんでよ? ……あー、いいじゃん。エビフライちょーだいよー」
「それもない」
……なんで、なんでと言われたら……。もしかしてテレパシーに関わる何かを掴めるんじゃないかと思ったからだ。あたしだって、田処くんを調べれば直ぐにテレパシーのコントロールができるようになるとは考えていない。そのヒントぐらいはあると思ったけど。
でもこれで例えば、田処くんの心がないだけとかいう結果だったらどうするのだ? あたしと話す時は心をなくすようにしてくださいとでも言うのか。
ありえない。
つまるところ益などないのだ。
十五年の人生で初めて、心の読めない人間が出て来て浮かれてしまったのだろうか。
「……んー。なんか、田処くんいつも一人だし。話しかけた方がいいかなって」
適当に誤魔化しで答えておいた。
「ほーん。なにそれ同情? あんた相変わらず甘いというか、なんというか」
そう言いつつも、あーちゃんとしてはあまり興味がないのか、その思考はあたしのエビフライをどう奪おうかというものに集約されていた。
よし。諦めよう。
もちろん。
エビフライではなく、田処くんをだ。
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お昼ご飯を食べ終えて教室に戻る途中で、あーちゃんが知り合いに捕まってしまった。あたしの知らない人だ!
相手はあーちゃんとの話を強く望んでいたので、あたしは気をつかうことにした。あーちゃんのお弁当箱を預り、先に教室に戻ると告げた。
ふっふっふ、さっきのエビフライの恨みだよ、あーちゃん。
まあ、相手は真剣にあーちゃんのこと好きなんだし、面倒くさがらず真面目に相手したげなよ。
……結果は見えてるんだけど。
大丈夫! 人間顔じゃないから! いやほんと!
きっといい人見つかるよ!
期待を込めてあーちゃんの肩を叩いてから先に教室へ帰る。渡り廊下を渡って階段を上がる。少し滑り易くなってるから慎重に。例えテレパスといえど滑る時は滑る。今日の天気の行方もわからない。
この滑り止めに意味はあるんだろうか?
そんなことを考えながら階段を上がっていたからか、近づいてくる相手に気づかなかった。
「神田?」
「っ! ……あ、ああ。奥村くん……」
声をかけてきたのは、同じ中学出身だという奥村くん。高校に入ってから染めた明るめの髪に、先生がいないところでするピアス。胸元を開いてチェーンが見える制服の着くずし方もそうだけど、とてもスポーツマンに見えない。同じ中学といっても、一度も同じクラスになったことはないし、友達の友達レベルの繋がりもない。
話すようになったのも最近だ。
……苦手なんだよなあ、奥村くん。
というのも、
『やっぱり可愛いな。マジタイプ』
……あたしのことが好きらしく。
しかしあたしには全然その気がない。奥村くん風に言うなら、ごめんマジタイプじゃない、という感じだ。ほんとごめん。マジ勘弁。
……奥村くんなぁー、自尊心が強いタイプのオラオラ系で、彼氏にするとちょっと怖いタイプだ。あたし所有されたい欲は強くないんだよお~、他の娘にいってよお~。
しかもちょいちょい彼女にした時の妄想が入って……本当に無理。絶対に無理。ガチ無理。
そんな奥村くんに呼び止められて話に乗っているのには、理由がある。
まず告られてもないのに「ごめんなさい」するのがオカシいっていうのもあるけど……。
奥村くんはイケメンサッカー部くんのグループに属しているのだ。しかもかなり仲がいい。
うちの中学でもレギュラーだったという奥村くんとイケメンサッカー部くんは、予想通りにサッカー部に入部。本来なら弱小サッカー部だったうちの中学のレギュラーだから何? というものなのだが……。
うちの高校のサッカー部も弱小だった。
だからあっさりと二人ともレギュラーになって意気投合、奥村くんの高校デビューとなったわけだ。奥村くんは別にサッカーに情熱を傾けているわけじゃないけど……実はイケメンサッカー部くんもサッカーに対する拘りはなく、適当にやりたいと思っていて……。似たような性格で、しかも同じクラスだというのならそれはしょうがない流れだった。
でもこれに奥村くんが増長というか、幅を利かせだしたというか。
……調子にのっちゃった。
あたしに初めて話しかけてきた時も突然だったし。女子が寄ってきてるからって、自分が話しかけてやってるって意識はやめてほしい。
話題はお昼をどこで過ごしたとか、とりとめのないもの。結構テキトーにうんうんと頷いてるだけなんだけど、奥村くんは気にしない。奥村くんにとっては今のポーズ……女子と二人で階段で話しているという状況の方が大事なのだ。
すれ違う男子なんかに対して『勝ってるわー』とか思ってるから。
……ほんと、やだな。早く終わんないかな。
奥村くんの話には終わりがない。奥村くんにとってこれはアピールだそうだからだ。
告られるための。迷惑です。
可能性はないと言えれば、どんなに楽か……。あー、もう……。
「だからさ、今度一緒に行かない?」
「あー……え?」
なに? どこに?
逃避してたせいか話の内容を聞き逃してしまった。
奥村くんの心の声は『ワンチャン、ワンチャン』と自分に酔ったもので、どこに誘われたのかの手掛かりにはならなかった。断れるとかも思っていない。そんなに犬が好きなら一人で犬カフェにでもいってほしい。
「い、いや。あたしはちょっと……」
「えー、なんで? いいじゃん、行こうぜ」
ちょっと奥村くんが近づく。後ろが壁なのでこれ以上は下がれない。なんてことだ。助けてあーちゃん! あたしが悪かった!
そこで奥村くんが閃く。
『あ、これ壁ドンいけんじゃね?』
ぎゃあああああすっ?!
そんなんやられて嬉しいのは推しのアイドルぐらいだよ! クラスメイトからとか、罰ゲームでしかないよ?!
奥村くんの右手がさりげなくポケットから出される。ひぃ。
と、そこで。
「おい、神田」
階段の上から声が掛かった。
田処くんだ。
その表情は眠そうというかダルそうというか、いつものもので、態度も特別意識した感じのない普通なものだった。さっきすれ違った男子が『あいつらキスすんじゃね?』と思って動揺していたのとは違う。
『なんだよ。マジ空気読めよ』
ちょー読んでるよ! なに? その『流れでイケんじゃね?』って。いけないよ! 普通にセクハラだよ!
階段を降りてきた田処くんは、奥村くんを気にせずあたしに話しかけてくる。
「神田、日直だよな? 担任がプリント取り来いってさ」
「あ、うん。……うんうん! いくいく!」
「あ、じゃあ俺、手伝っちゃうよ?」
ちょっとほんと勘弁してくれない奥村くん。
正直、一秒でも早く奥村くんから離れたかった。理由? さぶいぼだよ!
手を上げた嬉しそうな奥村くんに、どう断りを入れようかと考えた一瞬に、田処くんが割って入ってきた。
「ああ、じゃあクラスの奴らに体育は第二でやるって伝えてきてくれ」
「……は? いや俺が手伝うって言ってんのは神田なんだけど?」
『んだこいつ。ウゼー』
「だから、伝言も日直の仕事なんだって」
「……そんなんお前が行けよ。俺は神田のプリント運ぶの手伝うからさ」
「そりゃ無理だ」
そう言って田処くんはポケットから取り出した鍵を掲げて見せる。
「俺も体育の松尾に第二の鍵開けろって言われてっから。適当に一人捕まえようと思ってたんだけど、やってくれんなら良かったわ」
そう言って鍵をポケットに戻し、階段を降りていく田処くん。
ここを逃してはならない!
「あ、奥村くん、ありがと。じゃあ伝言お願いするね?」
「お、おう」
そう奥村くんに営業スマイルをかましつつ田処くんの後を追うように階段を降りた。
びっくりしたことに、田処くんが渡り廊下の前で待ってた。
あれ? 第二体育館に行くなら下駄箱の方じゃないの?
「なんか困ってっぽかったから嘘ついたんだけど、もしかして邪魔した?」
…………。
「えええええええ?! うそぉ?! ウソついたの! このウソつきめ!」
「……おう」
生まれて初めて騙されたよ?! あっさり終わってしまったあたしの初体験。責任とってよね!
「はあぁぁぁ……。ウソね、ウソ。どこからがウソ? ていうか全部ウソ? あ、でも鍵」
「ん」
あたしの疑問に応えるように田処くんが鍵をポケットから取り出す。
「これは俺ん家の鍵だな」
「ペテン師め」
「よし。奥村呼んでくっか」
「ああ! うそうそ! あたしもうそだよ! やったね共犯!」
手をバタバタとするあたしに、奥村くんが珍しく笑顔を見せた。……まあ、笑顔っていうか、軽く吹き出しただけなんだけど。
「じゃあ体育は?」
「ああ。それはほんとに第二だわ。でも伝言もなんもねーけどな。あとで松尾が言いに行くんじゃね?」
「え、じゃあ鍵開けなきゃじゃん」
「いや、それも松尾がするだろ」
あ、そか。
田処くんが職員室の方に歩き出したので、なんとなく釣られるようにあたしも隣を歩く。
「じゃあ最後、プリントは?」
「半分は本当かなあ……ただ頼まれたのが俺で、日直の仕事でもなんでもねえけど」
「は、うそつきだ!」
「適当な奴捕まえてやらせるつもりだった」
「詐欺だ!」
「今は後悔している」
「犯罪者だ?!」
そこでちょっと笑ってしまった。
田処くん、結構面白いな。
田処くん。田処 景文くん。
いつも何考えてるのかわからなくて、口調が荒くて、ボーっとしてて、ちょっと優しい? テレパスのあたしが唯一心を読めない男の子。
……今、何考えてるのかな?
聞いてみよう。
「ねえ」
「あ?」
ああ、わかった。多分それって口癖でしょ?
「田処くん、今さ。何考えてる?」
「……なんだそれ」
うん。全くだね。
面倒くさそうな彼だけど、なんか答えてくれそうな気がした。そういえば、天気の話も続きを待ってくれてったっけ?
少し考えるような間を空けて、彼は答えを口にした。
「『あー、腹へったー』かな?」
男子って。
「お昼食べてないの」
「食べた」
「じゃあなんで?」
その質問に、田処くんは答えてくれなかった。ええ?! なんで? 気になるじゃん!
もういいよ! ってぐらい人の心の声を聞いてきたあたしだけど……何を想ってるんだろうと気になったのは初めてだ。
心の読めるあたしが、覗いてみたいと初めて思った相手は、心が読めない奴でした。
絶え間なく飛び交う心の音も、彼の周りは唯一静かで。
「ねえ、田処くん。田処くんってば!」
「……うるせえな」
そんなことないよ?