生きる為の歯車
この世は悪意に満ちている。
一方の善行も、他方にとっては悪行となる。
正義と体裁の為に犠牲となったのは、
果たして本当に悪だったのだろうか。
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ボクのおばあちゃんは異世界に行ったことがある。
両親も誰も信じていないけれど、ボクはおばあちゃんの話が嘘だなんて思えない。
おばあちゃんは勇者パーティーの一員のヒーラーの役割で、魔術師だったみたいだ。
作物を食い荒らすオークを倒したり、人々を誘惑して海にひきづりこむマーピープルを倒したり、異世界を滅ぼそうとする黒く恐ろしいドラゴンを封じたり。
今日はようやく最終決戦の話を聞かせてくれるというから、ボクはウキウキ気分でおばあちゃんの家に向かっていた。
いっそのことおばあちゃんもボクの家に住めばいいのに。
そう言ったこともあるけれど、おばあちゃんは2年前に亡くなったおじいちゃんとの思い出の場所にいたいんだって言う。
おばあちゃん1人じゃ広すぎる家だけど、おばあちゃんにとって大切で、離れたくないなら、ボクはおばあちゃんを無理矢理そこから離すことなんてできない。
だからボクはこうしてほぼ毎日のようにおばあちゃんの家に遊びに行く。
……異世界の話をし始めたのが一年前くらいからだか両親はばあちゃんがおじいちゃんが亡くなって、おかしくなったんだって言うけれど、ボクは、
ボクは、あんなにキラキラした瞳でボクに話をしてくれるおばあちゃんが、おかしいなんて思えない。
「いっそのことこの目で見てこれたならいいのになぁ」
そんなことを呟きながら小石をけると、丁度蹴った方向に座っていた黒猫にぶつかってしまった。
わざとじゃないんだ!ごめんよ。
悪気なんてない、本当に偶然だったのに。
その石に驚いて跳ねるように車道へ飛び出した猫。
それを目で追うと、もうすぐ迫っていた大きなトラック。トラックの運転手は猫になんて気づいてすらいない。
狭い道路で、40キロ走行の標識もあったのに、車はそこそこのスピードで走っていた。
けれど、実際はそんなことと考えてなんていやしなかった。
「危ない!!!」
それだけが原動力で、身体が瞬間的に猫に向かって走り出していた。
トタン、トタン、トタン。
自分の走る音なのに、そんな風にゆっくり耳に届いた。
けたましいブレーキの音と、ガンッ!という鈍い音。
どちらが先だっただろう。
ドクドクドクドク、早鐘する心臓と、比例する悪寒。
腕の中に黒猫はまだいるようだった。
腕の中でもがき苦しんでいるようだったから、ボクはそっと腕の拘束を緩め、猫を解放してやる。
「ごめんね、びっくりさせて。」
それがボクの最期の言葉だった。
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「ッッ!………あ、あれ?、どこも痛くない」
あれだけ身体の至る所が痛かったというのに、ボクは平然とその場に立っていた。
しかし、その平然と立っていた場所はあきらかにさっきボクが事故を起こして……し、死んだ。はず。の場所ではなかった。
青い薔薇が咲き乱れる丘。
サラサラサラとどこかで川の流れのような音も聞こえる。
もしかしなくともここが天国なのだろうか。
「あ、あのぉ……すみませーーん。誰かーー、誰かいませんかー?」
死んじゃったみたいなので、受付とかそうゆうのお願いします。
悲しいとか辛いとか、そうゆう気持ちを通り越して、この途方もない世界から離脱させてほしかった。
得体の知れない場所に延々とほっとかれる方が地獄だ。早く成仏させてください。
あんなに痛かったんだから、ほぼ確実に死んじゃってるだろうし。
……未練がないわけではないけれど。
最後に猫を助けられたからよかったとしたい。
「愚かね。」
そんなボクの脳内の独り言を聞いていたかのようなタイミングで、鈴のような涼やかな声がした。
ぱちり。瞬きの間に、目の前に今まで見たどんな人より美しい、青く長い髪の女の人がいた。
緩やかな笑みと、冷ややかな目。
アンバランスなのに、それさえ美しかった。
「あなたのせいで、一人の人生が狂ったのよ。」
ゾクリ。背筋を冷たい指が触れたような感覚。
その言葉で、さっきボクが命をかけてした善行が、無謀な自殺へと変換されてしまった。
「で、でも、ボクは、猫を」
「猫?猫の命一つで、二つの人生が救えるのよ?……少しの罪悪感は、時期に癒えるものなの。わかる?」
「……あ、あなたは、神様なんですか?
それなら、命に重さは無いと思いますけど。」
「あら、面白いことを言うのね。
命を天秤にかけないということね。ということは生命は等しく無価値だと言うことかしら。」
「そうゆうことじゃないです、けど。」
「ふふふっ、まぁでも。あなたが助けた猫は、あなたに感謝しているみたいよ?よかったわね。あなたの命はこれで価値があるものになったわね」
この美しい女の人は、人の神経を逆撫でするのがうまいらしい。
けれど、それと同時に、彼女の言い分に対して、ボクは反論はできても、納得のいく終着点にたどり着くことはできなかった。
ボクがあの猫を助けたのは、ボクが原因で目の前で轢かれてしまうのが嫌だったから。
きっとそれがあの一瞬の動きには組み込まれていたはずだ。
それを、良いこととしてしまうと、ボクが飛び出したことで、殺人者になってしまった運転手のおじさん。
運転手のおじさんが脇見をしていたのを知っているのはボクだけだった。
ボクのせいで、おじさんは人を殺すことになってしまったんだ。
ずしり。ボクの肩に恐ろしいほど重たいナニカがのしかかっった。
「そう落ち込まないで。結果的にあなたは悪ではないのだから。なんにせよ、自分の命を投げ打ってでも命を救うなんて、そう簡単にできることではないものね。」
「今更なんですか?さっきはあんなに貶したくせに」
「だから、チャンスをあげる。あなたが生き返れば、猫の命も、人二人の人生も救える。これが一番いい方法でしょう?」
「なに言ってるんですか?ボクもう死んでますよね」
「あなたこそなにを言っているの?死んだなんて誰が決めたのよ。」
確かに。
それを言われて、そう言えば誰もボクを「死んだ」なんて決めてはいない。今まではボク自身が死んだと思っていただけだ。
「チャンスってなんですか?!」
「それはこの世界で生き残ること。」
は???
言葉にならなかった。意味がわからなすぎて。
まずこの世界とはどの世界で、生き残るってどうゆうこと?
ボクが鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていただろうに、そんなこと御構い無しに、ボクに向かって外側に青い薔薇の装飾が施された手鏡を渡してきた。
「それとこれ。」
そう言ってボクの両目に手を当てる。
じんわりと熱いなにかが流れ込んできたと思うと、両目が解放され、次に彼女を見たとき、彼女のことなんて一切知らなかったはずなのに、彼女のことが頭の中に流れ込んできた。
「青薔薇……?」
「それは真実の義眼。この世にあなたしか持たない特別なスキル。そしてその鏡はあなたをきっと助けてくれる。あともう一つは……」
彼女、もとい青薔薇がぶんと投げた黒い塊は、シュルシュルと回転して、青い薔薇の丘に鍵尻尾の黒猫はしなやかに降り立った。
「さっきはどうもありがとう。あなたに忠義を尽くしますわ。」
恭しくお辞儀をしたと思うと、しゅっと二本の足で立ち上がった。
「うわぁっ!!ね、猫が喋って立って!」
驚いたのも一瞬だった。
自分の目がカチカチと歯車を回すように動くと、すぐにその猫が、さっき助けた黒猫で、名前がセイラン。ということもわかった。
セイランるは青薔薇の魔法のようなもので、二本足で立ったり話したり、後は少しの魔法も使えるらしい。
「うぅん。便利だけど覗きみたいで気持ち悪い」
目をこすっていると、青薔薇は指をクリクリと宙で回してみせた。
「これで、あなたが意図しない時は発動しないようにしてあげたわ。」
それはありがたいけれど、意図しなくてはいけない瞬間はあるのだろうか?
腕組みして首を傾げていると。
青薔薇は「それじゃあこれから頑張って頂戴ね。大切な私のシェル」と言った。
シェル?なにそれ。貝殻のこと?
___
ウェレド村。
女神ウェレドの生誕の地で、その象徴である女神ウェレドの像は、村の中心で慈愛に満ちた表情で街に幸福が降り注ぐように祈りを捧げている。
ボクが何故そんなことを知っているかというと、知らない世界に急に連れてこられ、言葉も見た目も全然違うことに怖気付き、使わないようにと決めたあの目を使ったからだ。
セイランには二足歩行されると目立ちそうだったので、猫のように歩いてくれと頼んだ。おかしな話だけど。
そして今ボクはギルドにやってきた。
この世界で生きていくにはお金がいるけれど、今のボクにはなにをしたらいいかわからないから、雇ってもらうのではなく、自分で仕事を取りに行った方が良いと考えたからだ。
「初めての方は登録用紙に必要事項を記入して提出してくださいね。」
そこそこゲームはやってきたけれど、ボクは生まれて初めてゴリゴリのマッチョの受付のお兄さんに出会った。ゲームといったら美人な受付嬢を期待するだろっ!
ボクはあの笑顔を一生忘れないだろう。
ちびるかと思ったくらい残忍な笑みだった。
震える手でどうにか必要な箇所は埋めたけれど、名前の欄がどうも埋まらなかった。
こうゆうのは本名で書かなくてもいいんではないか?人生を取り戻すためなのだし。
くるくるとペンを回しながら自分の新しい名前を考えていたが、ふと最後に青薔薇に言われたことが頭をよぎった。
「シェル……か。」
貝殻ってことだったのかな。まさかガソリンスタンドってことではないだろうし。
「牡蠣好きだし、これにしよっかなー」
牡蠣鍋、生牡蠣、牡蠣のコキール。
ふんふんと鼻歌まじりに名前を書いて、受付のお兄さんに渡しに行く。
お兄さんは「いい名前ですね。」と笑いかけてくれた。
ボクはその時始めの印象を撤回しなければならないと思ったのだった。
「セイラン。ボクってこの世界で生き残らなきゃならないんだよね?」
「そうですよ。主人様」
「主人様は、ちょっとあれじゃないかなぁ?シェルでいーよ。」
「かしこまりました。シェル様。」
「生き残らなきゃならないなら、適当に死なないようなことをしていればいいってこと?目的とかミッションみたいなのはあるのかな?」
「そうですね。ならいっそ魔王でも倒しに行かれたらいかがでしょう?」
「ねぇ、話聞いてた?死ねってことかな。」
セイランは冗談です。と言ったけど、猫の顔で冗談と言われても本当か嘘かよくわからない。
ボクははぁ、とため息をつき今日生きられるだけの金貨を稼げればいいかと、この世界の物価を見て回ることにした。
―――
この村は至る所に花が咲いていて、甘かったり爽やかだったり、色々な香りがしていた。そして村というには余りに華やかで、都市的だった。なんでもウェレド村を中心に後から継ぎ足されるように村ができ、一つの大都市のようになっていったらしい。
知りたかった物価の差だが日本と大差はなく、寧ろ少し安いくらいだった。
それに円がジェリーという通貨に変わっただけなので、難しく考えることがないのが幸いだ。
もっと嬉しいことに、ポケットの中に1605ジェリーが巾着の中に入っていた。これはボクの記憶が正しければ、ボクの生きていた時の所持金だった。
こんなことならもう少し持っていればよかった。なんて後悔は先に立たないものだ。
「これならとりあえず目につけていた仕事で今日の宿代と飯代くらいにはなりそうだよ。にしても、本当にこんな穏やかな世界で生きていればいいだけなの?簡単すぎないかな」
目に付いた店で買った菓子パンを食べながら、隣をテコテコと歩くセイランに話を振る。セイランは可愛らしい口をピクリとも動かさなかった。
え?シカト?忠義尽くすとかなんとか言ってて蓋を開けたら超ツンデレですか。さすがお猫様です。
まぁ、ボク猫好きだから全然いいんだけどね。
「ん?なんだ、この絵本」
道端に拾ってくださいと言わんばかりに【継ぎ接ぎの国のアリス】という絵本が落ちていた。ボクは誰かの落し物だと思って拾わないでスルーしようと思ったが、セイランが「拾わないんですか?」というような眼差しを向けてきたので、仕方なく拾うことにした。
賑わった街から少し離れ、深い森へと続く道。さすがに地理もないのに森はあぶないか。と引き返そうかなと思ったが、少し疲れたので丁度いい切株を見つけて腰をかけた。
そんなに疲れていないと思っていたけれど、知らない土地を歩いていたからかどっと疲れが押し寄せてきた。
休憩がてらボクは青薔薇に貰った鏡を取り出し、後ろの装飾を指でなぞった後鏡面を見て驚愕した。
「なっ、なんじゃーこれーーー!!」
薄い水色の髪に驚き、ヘーゼル色の目に驚いた。
髪が短かったから気づかなかったけれど、こんなことになってたのか。こんな見た目ならこの世界でも浮いてはいなそうだけど!
「まじかぁ、こんなことってある?えーー……」
鏡の中の自分の見た目を食い入るように見ていると、右耳に青い薔薇のピアスが目に入った。
「ん?……なんだこれ…」
外そうとキャッチに触れようとした時「危ない!!」とセイランがボクに体当たりしてきた。
ベシャッとその場でスライディングするようになにかから守られ、顔中泥まみれにされるボク。
「いたた……いきなりなに?」
顔を上げて驚いた。矢が目の前の土に突き刺さっていた。
「………ひぃっ!!!」
「ここは危険です。下がっていてください。」
「さ、下がる?ど、どど、どこに??どこまで?!」
「………ビーストフォーム、コンバート」
セイランはボクの事が見えていないのか、ボクの言葉が聞こえていないのか、はたまた無視をしたのか、そのままなにかブツブツと発したと思ったら、セイランからシューーーと煙が発生しだした。ギョッとしたのもつかの間で煙が晴れると、そこには黒い豹がのしりと唸り声をあげながら立っていた。
多分、いや、絶対セイランだろうけど。ボクは安易にも「ど、ドナタデスカ?」とどもりながらも尋ねてみた。案の定答えは返ってはこなかった。
そしてそんなことをしている場合ではないらしく、のどかな原っぱが急に戦場に変わった。
ずんぐりむっくりとした身長の低いおじさんなのか、男の人なのかわからない、5、6人の人達が、二人の男女に向けて弓やら、斧やら、様々なものをぶん投げていた。
その流れ弾がボクに当たらないように、セイランは口から青い火を吹いたり、吠えるだけで落としたり、手で払いのけたりとしてくれた。
安心感がありすぎたので、ボクはその何故か危険物を投げつけられている二人に注目してみることにした。
女の人の方は光沢のある白く長いふわふわの髪と、大きなお胸が特徴的な魔術師のような見た目だった。
男の人は目が覚めるような赤毛に、背中に剣を指していて、ゲームでいう勇者のようなポジション。主人公臭がすごくした。
ボクは嫌でもこの後なにかとんでもないことに巻き込まれるのではないかと、確信めいたことを考えてしまった。
「ったく、お前がちんたらしてるからこんなことになっちまったんだぞ!なんとかしろよ!」
「そ、そんなこと言われましても、私
だって困ってしまいますぅ。ぐすん」
「ちっ、使えねぇ聖女様だなぁ!とりあえず、お前は危ねぇからオレの後ろにいろよ!」
「すみませぇん。」
「いくぞ!!」
「あの、すみませんけど、ボク人質になっちゃったんで、攻撃するのやめてもらえますか?」
ボクがなぜこんなことになったかというと、
ボクはセイランに守ってもらっていたが、最初に突き飛ばされた時に鏡を放り投げてしまっていたことに気がついて、今ならいける、なんて無謀なことを思いつき、セイランにも何も言わず鏡を取りに行った。
そして案の定捕まった。
セイランの恐ろしいほどの殺気立ったあの目をボクは直視することはできそうもない。
そして捕まったボクは双方の言い分を聞くことにした。
「ふんふん。なるほど、勇者さんはドワーフさん達の集落が新しい街の建設に被っていて、立ち退いてもらうために話し合いに来たと。」
「依頼主からの命令だからな!」
「おでたちは、むがぁしから、あど場所で、物作りしでんだぞ?!どげなして、おでたちが、おんだされなくっちゃ、いかんのげ?」
ちょっと色々な方言が混じっていてよく聞き取れなかったけれど、きっと昔から自分たちは住んでるのに、なんで追い出されなきゃいけないんだと言っているのかな?
「何言ってるのかわかんねぇーんだって!オレたちは依頼主の命令で来たんだって言ってんだろ!文句言われたって、オレ達だって困るんだよ!大体、別の場所に移る為の資金も新しい工場だって用意されるんだぞ?こんないい話ねぇだろ!」
「この方達だってそこにいたい理由があるのかもしれませんよ。」
「お前はどっちの味方ついてんだよ!黙ってろよ!!」
「す、すみませんっ!」
全身真っ白魔術師さんは完全に勇者さんに萎縮してしまっていて、大きなおっぱいだけ残してどんどんと小さく小さくなっていってしまった。
ボクはふぅと息を吐いて真っ白魔術師おっぱいお姉
さんの意見に賛同した。
「一方的に出て行けっていうのは、ひどいと思いますよ。」
そんなボクの無責任な発言が、この世界においてボクという存在が大きな歯車の一部になるキーポイントだったなんて、この時のボクは知る由もなかった。
それなので、ボクは饒舌に雄弁に解決策を語り始める。
「依頼主の方の都市改革も、まだ机上なだけということだし、いっそのことドワーフの方達にお力添えしてもらって、退去しなくても改革できるように提案するのはどうです?」
ドワーフって物作りの天才なんだし。
それに、労働者として雇えるなんて一石二鳥じゃないか?
「じゃあお前がそれを依頼主に伝えてくれるんだな」
「ふぁ??!」
セイランの哀れみの目が背中に突き刺さる。
こんな流れになるとは思わなかったんだって。
「そ、れはぁ、そのぉ、ボクはただの、庶民でぇ、」
「お前猛獣使いだろ?オレのパーティーに組んでやるから、一緒に依頼主のとこ行こうぜ!な!それならオレもその案に乗ってやるよ」
「言い出しっぺの法則だろ」という笑顔の圧力に、ボクはひたすら冷や汗をかきまくるしかなく、頼みの綱のセイランには目を合わせてもらえず、藁にもすがる思いで真っ白魔術師さんを見ると、キラキラした目を向けられた。それもそれでどうしたらいいかわからず、ドワーフの方達を見ると、もう解決したかのように盛り上がっていた。
「わがりまじだっ!!」
下唇を噛みながら了承の返事をする他道は残されていなかった。
森を歩いて3時間も経ったところで日が暮れ始めたので野営をすることにした。
勇者みたいな人は、ゼンと言って本当に勇者だった。あんなに強気なのに、なんと自分の出身地やらの記憶がないらしい。
普通記憶喪失だったら、もっと怖がったりすると思うのだが、彼は違うらしく「とりあえずなんとかなってるから」と笑っていた。
そしてもう一人のおっぱいお姉さんは、リタと言って神殿に仕える巫女だそう。
魔術師というより神官なのかな?
勇者に仕えるよう神の御告げがあったとのことで、二人で旅を始めたらしい。
二人の旅の目的は果ての地で闇の軍勢を率いる魔王カーホールを打ち破ること。
最早テンプレ的なんだな。勇者が魔王倒すのは。
二人はボクのことを完全に猛獣使いかなんかと思っているらしく、あれこれ聞いてくるけれど、実際のボクはただの人であってなんの取り柄もない。
けれど、信じ切ってるところに「実は違います」と言いにくくて、ボクはセイランを自分の片割れかのように語り、話を合わせた。セイランは猫の姿で丸まって眠っていた。
【継ぎ接ぎの国のアリス】
夕暮れ時のある日。
「どこに行ったの?」
アリスは何度も問いかける。
ビリビリ、ビリビリ、
アリスの服は枝や蔓で破けていく。
アリスは森の中でお茶会を楽しんでいる、イカレ帽子屋、三月兎、眠りネズミに出会う。
「ねぇねぇ、___知らない?」
「今日が何の日か?何でもない日!さぁパーティーしよう!」
「アリスもこっちへおいで!」
「むにゃ、むにゃ、おい、で、」
いつのまにか継ぎ接ぎされていたアリスの服。
アリスは楽しいパーティーに参加することになる。
「___ならあっちだよ」
「でも今はやめといたほうがいい」
「むにゃむにゃ、気が、立って、いるから、ね」
アリスは言われた方角に走り出す。
***
そこから先は本がビリビリに破れていて読めなかった。
アリスの類の話はとことん訳がわからないけれど、これも例外ではなく訳がわからなかった。
誰を探しているのか、塗りつぶされていてわからないし。それにハードカバーのちゃんとした本にしては、絵が拙い。まるで子供が描いたみたいな…
「あなたの未来を描いてあげる」
「っ!!?」
鈴の音のような声。真横には絵本の中の継ぎ接ぎのエプロンドレスのアリスが腰掛けていた。膝に肘をついて顎を乗せながら「クスクス」と無邪気に笑っている。
「偽物の薔薇園で醜い蛙に出会う。嫉妬に狂った偽りの女王に処刑される。」
そう言いながら、さっきの絵本の絵と同じタッチで、薔薇によく似た花に囲まれながらボクと蛙が出会う絵と、真っ赤なドレスに身を包んだ女王に首を刎ねられるボクが描かれていた。
ゾクリと背筋が凍るような感覚。子供の書いたような絵だからか、余計に恐怖が湧いてくる。
「ねぇ、こわい?もっともっと怖がって?私は恐怖を食べたいの。そしたら怖くなくなるでしょう?」
クスクスクスクス。と無邪気に笑うアリス。
ボクはようやく自分の能力をこうゆう時に使うんだと思い、真実の義眼を発動させた。
名称_伏見エリカ
この世界上では継ぎ接ぎの国のアリス。実名を呼ぶ場合は注意しなければ精神が崩壊する恐れがある。
能力_
幻惑。視覚や聴覚に作用する特殊能力を持つ。
伏見、エリカ??
まさかボクと同じ世界の人間?
ボクの他にもこの世界に導かれた人がいるってこと?
さっき二人と自己紹介した時に試してみるんだった。
それに、二人とセイランがいないのもおかしい。
ということは、もうボクは彼女の術の中にいるってこと?
まずいよ。ボクはこの目以外なんの取り柄もないっていうのに。
ぎゅうっと目を瞑っていると
「シェルちゃん?」
と、リタさんがボクを揺すり起こしているところだった。
「っっ!!?あ、れ?、アリスは?!」
「アリス?お前何言ってんだ。そんな本読んでたから変な夢でも見たんじゃねーの?」
「そんなはずは……なく、ない?のか…」
ゼンさんがボクが飛び起きたことで滑り落ちていた絵本を指差してケタケタとからかうように笑った。
そう言われると、だんだんとさっきの記憶が現実なのか、夢なのか定かではなくなってしまい、ボクは妙な違和感だけを残し夢であったのだろう。そう思い込むようにした。
「すごい汗ですよ?こわい夢だったのですね。」
優しくボクの頰に伝う汗を白いハンカチで拭ってくれるリタさん。
ハンカチまで白いなんて、そしてその対応が天使のような優しさで、ボクは嬉しい反面そのハンカチでボクの冷や汗を拭わせてしまったことに申し訳なさを感じた。
セイランは赤茶色の瞳でじっとシェルのことを見つめていた。
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