弱兵行進曲
「む、おぉ、そこだ……そこを重点的にもっと強く」
「こうかな? ふふ」
「おぉ、そうだ。いい、とてもいいぞ……!!」
とある日の昼下がり、私は詰所にてソルティに耳かきをしてもらっていた。
最初は自分でしていたのだが、ソルティがやってくれるというので甘えたのだ。
ソルティはこう見えて長女である。兄弟がたくさんいるので耳かきも慣れているのだろう。その妙技に思わず私の顔もだらけてしまう。
この姿を見れば人は我等の事を税金泥棒と呼ぶだろうが、我等が動いてないという事はそれだけで嘘偽り無く平和の象徴なのだ。多分誰も文句を言わないし、実際詰所に詰めている他の小隊も、誰も彼もが我等の姿ににっこり笑顔である。
「……」
「どうした、ハイド?」
そして気が付けば目の前には厄介事の使者であるハイドがいた。周囲の連中も思わず渋い顔である。
先ほどまでは確かにいなかったのだが、いつの間にか忍び寄っていたようだ。『気が付けばそこにいた!』などという事態は、ことハイドに関しては日常茶飯事で誰も驚かない。事実としてソルティも気にもせず耳かきを続けている。
「いや、なんでもない。……君が幸せそうなだけで僕は救われるよ」
「なんだ、変な奴だな」
常とは違い、なにやら複雑な表情をしている彼を訝しげに見る。
彼も耳かきをして欲しいのだろうか?
「ところで、ロージェンは来月の闘技会は楽しみにしてるのかな?」
「それは無論のことだ。今年も近衛騎士殿達の雄姿を見れると思えば今から心が高鳴る」
なにやら強引に話題を変えられたが、私はそれに食いついた。
簡単に言えば、私は近衛騎士団のファンなのだ。
彼等は我が小隊員達ほど理解不能な特性は持っていない。
しかし、その一人一人が万夫不当。正に勇者と呼ぶに相応しい実力を備えているのだ。
仮に私が我が小隊員の舵取りを誤り、王国に害を為す存在と成り果てたなら、その時にまず動くのは近衛騎士団だろう。
そしてその正義の刃を前にして、我等は為す術も無く討伐される。と言いたいところだが、実際はそうなったならばイーロン一人に蹴散らされるだろうなぉ……他の面子も相当なものだが、彼に関してはなんというか、存在がバグっているのだ。
ただし、そうなった場合にイーロンが我が指揮下に留まるかは疑問だが。元々は旅の剣士であった彼がなぜこんな小国に留まっているのか分からないが、率直に考えれば理由はこの国にあるのだろう。国に反旗を翻した時点で彼は恐らく国に付く。その他の面子は私に付いてきてくれそうな気はするのだが。
まあ有り得ない過程話はこれくらいにして話を戻し、その近衛騎士団の雄姿を間近で見られるのが一月後に行われる年に一度の王国統合闘技会である。
闘技会はその名の通り武の祭典。一般人を含めた六種の武器別および武器無差別による一対一の闘技を競う会である。
それらも無論楽しみにしているが、しかし主演目であり誰もが一番楽しみにしているのが、闘技会の締めに行われる第一騎士団と近衛騎士団による戦力比10:1のハンデキャップ戦だ。当然の事ながら、近衛騎士団側が1の方である。
城攻めでさえ戦力比が10倍あれば勝負は確実といわれているが、平地で行われるこの演習で近衛騎士団で一度として第一騎士団に負けたことが無い。
無論、第一騎士団とて第三まである騎士団の優秀者のみが集う精兵達なのだが、それだけ実力が隔絶しているということである。
最近は指揮官の真似事しかしていないが、これでも私は武の道に生きる軍人の端くれだ。強き益荒男の競闘はただ素直に胸躍る。
「残念だけど、今年は楽しめないかもね」
「どういうことだ?」
ハイドはすっと私の耳元に口を近づけた。
耳には耳かきが刺さっているのでちょっと怖い。
「今の近衛騎士団なんだけどね」
「ふむ」
「弱いんだ」
「ふむ?」
§
「ガチで弱えぇ……」
「弱いでしょ?」
「酷いものだな」
例によって第六王子殿下にアポを取ってもらい、何故か王ではなく第一王子ベリリウム殿下の許可を取り近衛騎士団の演習場を視察した私は、そこに映る光景に頭を抱えた。それほどまでに、見るも無残な光景だったのだ。
演習場で訓練を行う近衛騎士達は、控えめに言ってもお粗末だった。控えめに言わなければ新兵以下のゴミクズだ。
これが栄えある近衛騎士団かという怒りが沸々と湧くが、それよりも先に私の口からはツッコミの言葉が出た。
「というか彼等は何者だ!! 私が知っている近衛騎士団員が一人もいないではないか!」
そう、私の知っている近衛騎士団員達は脂の乗りが乗り切って全盛期よりもやや下降傾向にある歴戦の勇士達であったのだが、演習場でお遊戯を行っているのは私と同じかそれ以下の、年若いモヤシどもだったのだ。
「彼等は前近衛騎士団員の子息だよ」
視察に同行した第一王子殿下が、私の様子に苦笑しながらそう答えた。
「ご子息……で、ありますか」
なるほど。言われてみればどの面も見覚えがある顔に似ている。
「しかし、なぜご子息殿たちがこの場に?」
「それについては私からお話させていただきます」
疑問を浮かべる私の前にすっと出てきたのは執事のサルファだった。やはりいつものパターンのようだ。
サルファはコホンと喉を整えると、ニコニコと語り始めた。
「事の起こりは早二月ほど前のことでございます……」
サルファの言葉回しはまだるっこしいのでここでは要約する。
事の始まりは近衛騎士団長が引退するので国王陛下が慰安旅行をプレゼントした事らしい。しかし近衛騎士団長殿は妻と死別しており一人で行くのは味気ないと零したところ、団結力がMAXな近衛騎士団員達は同行したがり、そこでサルファが「皆様もご一緒に如何でしょう?」と提案したのだそうな。
しかし、近衛騎士団員が全て出払うのは流石に問題である。そこで、ロバ耳騒動で自分のうっかりに懲りた国王陛下が数年後には第一王子殿下に王の座を譲る予定である事もあり、どうせならこれを機会に団員全員が代替わりしてはどうかという話になったらしい。
偶然にも近衛騎士団の子息達は全員適齢期で、代替わりするには問題が無い。まだ働けるものも他の騎士団に編入すれば戦力的には問題ないだろうということで話はまとまり、前近衛騎士団員達は現在旅の空とのことだ。
「旅行先の手配についてはわたくしが全力で手配させていただきました。旅行先の皆様からも楽しそうなお手紙が届いております」
「そうか、それはなによりだね」
微笑み合う第一王子殿下と執事。
「心配か? ロージェン」
憂い顔の私に声をかけたのは第六王子殿下だった。
「なに、心配はいらぬ。今はこうだが、彼らは数年もすれば彼等の父と同等、いやむしろそれ以上の勇士となろう。これは私の予言だ」
我等が直属の上司である第六王子殿下がそう言うならば、今は酷くとも将来的には問題は無いのだろう。
第六王子殿下は……言葉を飾らずありのままの事実を言えば、その人格以外は大体が無能であり、むしろ致命的な事態を量産する諸悪の根源そのもののお人なのだが、唯一人を見る目だけは確かなのだ。
現に今や王国の人事はすべて第六王子殿下が執り行っており、その結果として昨今の王国の盛栄は目を見張るばかりのものである。
その第六王子殿下が仰るなら、数年の後には確かに前近衛騎士団を超える近衛騎士団が誕生するのであろう。その点について、私には疑問が無くなった。
……なお、執事サルファを見てその能力を疑問視する者もいるだろうが、アレは仕事については有能そのものであり、その点については疑いようが無いものなのだ。
確かに今までも幾十を通り越し、百を超えて問題は起こしているが、しかしその致命的な事態を量産する欠点については、第六王子殿下によって選ばれた後始末を行う我等が小隊が完備されているので、実質的には得がたいまでの適材なのだ。
第六王子殿下が仰るのであれば将来的には問題が無いのだろう。
だが、問題は非常に近い今である。
具体的には一ヵ月後だ。
「恐れながらベリリウム殿下」
「どうしたんだい?」
片膝を付き具申する私に第一王子殿下は柔らかい笑みを向ける。なんかもう、この殿下は王子様過ぎて本当に素敵な方なのだが、いかんせんやはり我が国の王族特有の抜けたところがある。
「一月後には王国統合闘技会がございます」
「そうだね、それが……ああそうか。今回は皆にがっかりさせてしまうね」
このへなちょこ新生近衛騎士団が第一騎士団と演習を行えば、鎧袖一触で蹴散らされるだろう。
その事に、確かに民衆はがっかりするだろうが、事はそれだけではないのだ。
「恐れながら王国統合闘技会は自国の祭事というだけでなく、他国への示威行為も兼ねております。
我等が王国は小国なれども周辺国に恐れられ、長年に渡り他国と争わず平和を謳歌していますが、それも類まれなる近衛騎士団の精強さがあってこそ。
前近衛騎士団は文字通りに全ての隊員が万の兵士と相対しようともすべてを蹴散らす万夫不当の力を持っておりました。
なればこそ周辺国はその猛威に晒される事を恐れ、戦わず脅威を退けていたのです。
その近衛騎士団が見るも無残な現状を晒せば……」
「……晒せば?」
「我等が王国は恐れるに足らずと、周辺国は我等が王国に攻め込むでしょう。
つまり、近衛騎士団の現状は国家存亡に関わる重大事にございます」
突如、空を切り裂く音がして、稲光が窓から差した。
空は晴れているので、きっとテルメル姉弟辺りがなんかしたのだろう。
「た、確かにその通りだ。それが当たり前過ぎて忘れていたよ」
「わたくしもで御座います。あぁ、わたくしはなんて事をしてしまったのでしょうか」
おろおろとする第一王子殿下と執事。この国の人々はうっかりが多すぎる。
「兄上、お任せを」
狼狽える第一王子殿下の前に毅然としてボロン殿下が足を踏み出す。
いつも通りの展開だが、本当にこういう時のこの人は見た目だけは頼もしい。
「ロージェン少尉、至急対策を考えよ!」
そしていつもの丸投げである。
「はっ! これより任務を遂行いたします」
片膝立ちから立ち上がり、敬礼する。
さて、今日も今日とて殿下の後始末が始まったわけだが……
「とりあえず我が部隊を呼びます」
§
問題点を改めてまとめよう。
わが国の威信のために近衛騎士団は強く在らねばならない。
しかし代替わりした新生近衛騎士団は、将来はともかく今はただのモヤシである。
今回だけは前近衛騎士団員達に代わってもらうことも考えたが、旅先は割りと遠く、一月で帰還するには少し不安があるらしい。
つまり闘技会はこのこのモヤシどもが出る他無く、わずか一月でこの近衛騎士団員達はこの国の兵士の誰よりも強くなる必要がある。
強くなるのに近道などほんの少ししかない。まあそのほんのも少し行うが、何より必要なのは実戦に準じた訓練である。
というわけで彼等に赴いていただいたのは我が小隊の科学師であるメルクのラボである。
メルクのラボは黄泉比良坂もかくやと言わんばかりの王都の地下へと続く細く長い階段を降りた先にある。非常に長い階段が続いているのだが、階段自体が移動するカラクリが設置されており、移動は至極楽である。
ラボは王都全土へと広がる規模があり、何時の間に、どうやって作ったのだとツッコミたいところだが、姉テルルの魔術により無限の物資を得て、得た物資から自作したカラクリにより割と製作は楽だったらしい。そのカラクリ、地上でも使えば我等民衆の暮らしが楽になるのではないだろうか?
地下とはいえ王都は王家の所有地であり、そんなものを勝手に作るのは大いに問題があるのだが、ラボは王都の防衛施設にもなるらしく、王家には黙認されている。
近衛騎士団総勢31名に集まってもらったのは、王城の真下に作られた王城と同じ広さを持つただっ広い広間である。高さもゆうに王城の三階程度の高さがあり、それだけで圧倒される感のある空間である。
我々はそんな彼らが立つ広間から階を一つ上がった位置にある部屋から、透明な壁越しに彼らを見下ろしていた。そんな場所では彼らと会話ができないと思われたが、なにやら音を集め、音を拡大して離れた位置から放つカラクリが設置されているらしく、問題ないとのことだ。
近衛騎士団員達を睥睨し、一歩前に出る。
「近衛騎士団の皆様方。私が今回皆様方の強化訓練の責任者を任されましたロージェン少尉であります。階級としては皆様方より下ですが、強化訓練の間は私の方が権限が上となりますのでご了承ください」
コホン。と喉を整える。責任者の立場として、ガツンと一席打つ必要があるのだ。
「さて、新兵以下のゴミクズ諸君!! 貴様等には僅か一月で貴様等の父を超えてこの国の最強になる義務がある。
そんな事が可能かと言えば、無論それは可能である。私が可能であると言ったからには、貴様等がそれを実行するからだ。
心配も不安も不満もあるだろう。
だが、そんな感情を諸君が抱く必要は無い。
その感情を抱くのは貴様等ではなく私の仕事だが、しかし私がその感情を抱くことは無い。なぜならそんな感情を抱く必要も無く、私は諸君が任務を達成することを知っているからだ。
貴様等はただ、我等の作戦を淡々とこなせば良い。
無論、訓練は過酷であり、『死ぬ気』などという境地すら生ぬるい。
貴様等はこの訓練により確実に死ぬ。死ぬが、死によりこの訓練から抜け出せるとは思わぬように。
諸君等には死してもなお立ち上がり、この訓練を完遂してもらう。
繰り返す。諸君等には死してもなお立ち上がり、この訓練を完遂してもらう。
以上!」
一息に述べた後に私は彼等を見回した。
彼等の顔は、悲壮感を漂わせながらもやる気に満ちている。
20歳にも足りない若造が大言壮語を吐いたところで、通常ならば何を言っているのかと思われるだろう。仮に私が同期の同僚に同じ事を言われたら「こいつは何を偉そうな事を言ってやがる」とせせら笑う可能性のほうが高い。
だが、自慢ではないが、私の声には力がある。私は常に真実しか語らぬことを信条としているが、その覚悟ゆえか、私は人に自分の言葉を信じさせる能力に長けているらしいのだ。
私は今回の訓練内容を知っている。まず無茶であるが、しかしやり遂げればこの国で最強の部隊が誕生することを確信している。
故にその言葉を率直に理解した彼等は、訓練は過酷を通り越して狂気の沙汰と理解したが、しかしそれを自身が乗り越えられない事はないという事も理解した事を態度で示していた。
まあこの国最強といってもイーロンは例外枠だが。あれは地上の存在と比べて良いものではないし、部隊単位で連携を取らない方が真価を発揮する単独戦力として考えるべきだ。故に私は嘘はついていない。
「メルク。訓練内容の説明を頼む」
近衛騎士団諸君の態度に満足した私は一歩下がり訓練内容を丸投げしたメルクに説明を促す。
この場で9歳児が説明者とはシュールだが、気にしないでいただこう。こう見えてメルクは色々とやらかしており、その事実を知っている近衛騎士団員達は特に気にしていないようだ。
「はい。えー、今回の強化訓練内容を企画立案したメルク二等兵です。僕から訓練内容の説明をさせていただきます。
まず、訓練期間ですが、三ヶ月を予定しています」
先頭に立つ近衛騎士団員が挙手をした。質問があるらしい。彼は前近衛騎士団長の息子、新生近衛騎士団長のカリウム将軍である。新兵以下のモヤシが将軍とは違和感があるが、まあ世襲制ならそんなものである。
「カリウム将軍。質問を許す」
「はっ。訓練期間は三ヶ月との事ですが、王国統合闘技会は一月後であります。訓練機関が三ヶ月とは小官の聞き間違えでありましょうか」
もっともな質問である。だが、一見最大に矛盾してそうな事柄も、我等が部隊の前には常識そのものなのだ。
「あ、いえ。聞き間違えじゃないですよ。
現在、この僕のラボはお姉ちゃん……ではなくテルル二等兵の魔法により時間が加速しています。今は三倍の速さなので、ラボの外の一ヶ月はここでの三ヶ月になります。
最大で一日を一年まで加速できますので、訓練期間の延長については気にしなくて良いですが、僕の見積もりでは三ヶ月で十分と認識してます」
近衛騎士団員達の間から僅かにどよめきが上がる。時間操作魔法など神代の魔法らしいのでその反応も当然なのだが、予想より動揺が小さいことから、見た目は貧弱でも一般人とは異なる教育を受けた優秀な人材なのだろうと推測できる。これは案外、早く仕上がるかもしれない。
「疑問は無いようだな。ではメルク。続きを頼む」
「はい。強化の前提として、まずは強化後の身体能力に慣れてもらいます。強化後の能力についてはお姉……テルル二等兵に付与してもらいます」
そう言ってメルクが合図を送ると、テルルが気怠げに軽く手を振った。
近衛騎士団達の見た目は変わらぬが、しかし彼等は自身の見に起きた変化に気が付いたらしく、はっとした顔で身体を確認する。
そこに天井から一振りの鉄の棒が落ちてきた。その意図に気が付いたカリウム将軍が鉄棒を拾うとまるで飴細工のように鉄棒をひしゃげた。あんな力、私も欲しいなぁ。
ひしゃげた鉄棒をまっすぐに伸ばすと、彼は部下にそれを渡し、頷いて見せた。
それに頷き返した部下は渾身の力でカリウム将軍の肩口に鉄棒を打ち落とす。
しかし、鉄棒が将軍にダメージを与えた気配は無く、鉄棒は無残に折れて宙を舞った。
「それが予定している強化後の身体能力です。今は魔法で強化していますが、三ヵ月後には魔法に頼ることなく同等の身体能力を手に入れていただきます」
その言葉に手を上げようとした奴がいたが、すっと手を引っ込めた。
大方、闘技会の時にこの強化魔法を行使すれば良いと思ったのだろうが、身技を競う闘技会でそんな小手先の誤魔化しを行うのは、口にすら出すべきでない騎士の恥である。それに気が付き手を引っ込めたのは想像に難くない。
「身体強化の方法になりますが、食事によるドーピングになります。こちらで用意した食事を三ヶ月間続けていただければ同等の肉体を手に入れられます。
でも、サルファさんと相談して献立を作成しましたが、どうしても不味くなってしまいましたので我慢してくださいね」
その言葉にカリウム将軍の手が伸びた。
「カリウム将軍。質問を許す」
「はっ! この力が食事だけで得られるとは考え難くあります。なにか代償があるのではないでしょうか?」
「はい。副作用はあります。副作用で毛が抜けます」
一斉に近衛騎士団員達の口がすぼむ。実害はないものの、男としては残酷な副作用の内容に、内容を知っていた私すらもスキンヘッドとなった自身の未来を思い浮かべて無意識に口をすぼませる。
「けど恒久的なものじゃありませんので安心してください。投与を止めたら鍛え続けないと肉体も元に戻っていきますが、髪の毛も戻りますので」
その言葉に一斉に安堵の息が漏れた。隔絶した力は欲しいものの、誰だってハゲになるのは嫌なのだ。
「説明は最後です。皆様にはただひたすら実戦を経験してもらいます。
最初の訓練相手はアレです」
メルクがそう言うと、少し離れた地面が割れ、下から地面が競り上がって来た。
競り上がって来た地面の上に立つ獣に、近衛騎士団員達の体が硬直する。
それは、まさに恐怖の権化である。鷹の上半身と翼を持ち、獅子の下半身を持つ、身の丈が人の二倍はある巨獣。人の身とはまさに次元の違う上位生命体を前にして、近衛騎士団員達の身体が戦慄に震える。
だが、これはまだほんの序の口である。この程度なら先代殿達も数名で当たれば対処できたし、最終的な仕上がりとしては、この巨獣を一人で相手をして、なおも余裕がある程度の実力者になってもらう予定である。
正直そこまでする必要は無いのだが、そこは趣味である。近衛騎士団には常に高みにいて欲しいのだ。
なお、メルクが科学で作り上げたアレは、見た目は怖い巨獣だが、実は食事すら必要としない、大人しい生物らしい。
光合成とやらを行うらしく、アレは光があれば生きていけるので、今は命令により猛っているものの、本来は闘争心すらないらしい。事実として普段は光を浴びてぐーたら寝ており、その様は猫を思い出させるものであり、ほのぼの感すら感じるものだ。
「諸君。怖いか?」
震え上がる彼等に私は語りかける。
すっと合図を送ると、私の後ろ控えていていただいた人物が神聖術を行使した。
途端に近衛騎士団員達の身体から震えが消えた。
後ろに控えていただいていたのは外部から応援に来てもらった戦神の巫女様方である。
行使していただいた神聖術は、戦う勇気を与える術だ。
「怖いのは当然だろう。戦いに赴くにあたり、誰でも、私でも、諸君等の先代殿達ですらも、常に恐怖は感じているのだ。
だが、怖いのと立ち向かわないのは別の話だ。
今、諸君はその事実を学んだ。
怖くて震え、立ち尽くしてしまいそうになっても、それでも立ち向かえる勇気が諸君の心中には確かに存在する。それを今、感じたはずだ。
諸君は目の前の獣を相手に命を落とすだろう。
しかし、死を厭う必要はこの場においては存在しない。
諸君に戦う力を与えた魔女はこの場においてのみ、死をも無効にする魔術を行使している。
また、戦いに疲れ、倒れようとも、戦う気力を蘇らせる魔術を行使しているのだ。
諸君。諸君等は闘争以外に何も考える必要はない。
死が訪れようとも、我等は死から諸君等を引き戻す。
体力が尽きようとも、我等は活力を諸君に宿す。
心が折れようとも、我等は諸君に勇気を与える。
闘争の他に何をも必要としない戦の園に立ちし諸君。
我等が諸君等に求めるのは唯一つだ。
即ち、この訓練を蹂躙し、鼻歌混じりに最強へと至れ」
彼等の前の地面が割れ、下から近衛騎士標準装備の鎧兜と剣盾が競り上がって来た。
彼等は無言でそれらを身に纏う。
「皆の者、構え」
私の合図に彼等が構える。
「突撃!!」
そして私の合図で彼等は微塵の躊躇も無く巨獣へと突撃した。
§
……当たり前だが、身体能力が強化されても所詮は素人だ。痛撃は与えるものの、鉄をも引き裂く巨獣の爪撃や蹴撃が容赦なく近衛騎士団員を引き裂いていく。
引き裂かれた団員達は一度地に墜ちるも、逆戻しするかのように傷口が癒え、再度突撃する。
「……グロいな」
視察に来ていた第六王子殿下が漏らす。いや本当に恐ろしく酷い光景なのだ。
「グロいですね。メルクはあまり見ないように。良く考えたら9歳の子供にこんな光景を見せるなんて、本当にすまんな……」
「慣れてるから大丈夫ですよ。あの子達を作る時も内臓や筋肉は剥き出しでしたからね」
にっこりととんでもない発言をするメルク。
発言が割とサイコだ。ラボの内部はテルメル姉弟の領域なので関与してなかったのだが、ろくでもない事になっているらしい。これは早急にラボ内部の状況確認を行わなくては。
あまり歪まず育ってくれれば良いのだが……監督不行き届きで人格が歪んでしまっては、メルクを預けてくださった親御様に申し訳が立たない。
ともあれ、これで後は経過を見守るばかりである。
兵士を鍛える環境をメルクが用意し、
兵士を育て守る術をテルルが用意し、
さらには今後、戦闘技術はイーロンが叩き込む。
これで後は彼等の心が修復しないほどに折れないように私が監督するだけであるが、私は先ほどの演説のとおり、不測の事態が発生することを微塵も想定していない。
運命の女神であるソルティが信じる私が信じている限り、それは約束された事実なのだ。
故に、私の仕事は唯ひたすらに彼等と隊員達を信じることだけである。
「ところで、あの巨獣の名前は何というのだ?」
「獣を合成したので僕は単に合成獣と呼んでいます」
「合成獣。古の言葉を当てはめれば『キメラ』か……」
どうやら我等が上司はキメラ(命名:ボロン王子殿下)に興味を示したらしい。人事の鬼たる我等が第六王子殿下が興味を示したなら、次の言葉を想像するのは難く無い。
「ところであれ、労力として雇えないか?」
§
「私の予言は当たったなあ」
目の前の光景にボロン殿下が言葉を漏らす。
さて後日。彼等は見事に規定の時間内で我等が企画した訓練を踏破した。
それどころか我等の用意した工程を大幅に凌駕して飛躍的な成長を遂げた。
今は闘技会の最終日。目の前では、10:1どころか100:1のハンデキャップ戦が行われている。
総勢3100人の兵士がわずか31人の孤立した近衛騎士団員に対して突撃する様は、数の暴力という世の理不尽を感じさせる絵面だ。
しかし、それらを端から蹴散らしていく様は、生物としての格の差という理不尽を想念させる光景である。
正に罪人に対して無慈悲に刑を執行する地獄の獄卒である鬼を想起させるその理不尽な戦闘力は、民衆の口に「無角鬼人」という言葉を吐き出させ、
地獄の一道である修羅道を経験して体現するその様は人々に「人修羅」といううめき声を漏らさせている。
さらには見事にハゲた彼等の頭は日の光を反射させ、その身から後光が差しているようにも見えるため、観客には「後光騎士団」と呼ばれて手を合わせ崇め奉られた。
ともあれ、その光景を目の当たりにした国外からの外賓連中は青い顔である。
新生近衛騎士団が現役な限り、我が国に戦争の危機は無いだろう。
兵が弱いなら鍛えれば良い。
我等は救国救世軍。
本日の救国完了!!
§
非常にどうでも良い余談だが、「後光騎士団」という名称を気に入った近衛騎士団員達はスキンヘッドを伝統に加えようとしたのだが、それは王族によって却下された。誰だってむさ苦しいハゲに囲まれた生活などしたくないものだろうし、後に続くものが困るというものだ。
なお、私には「地獄の鬼の軍団長」という二つ名が新たに追加されたが、それはいつもの事過ぎて本当にどうでも良いことである。
2019/02/26:本文修正
正:「運命の女神であるソルティが信じる私が信じている限り」
誤:「運命の女神であるサルファが信じる私が信じている限り」
元ネタ提供友人の指摘により修正。コメディとしては誤の方が面白いとツボにはまりましたが、流石に無いわぁと修正。┌(┌^o^)┐
正:「カリウム将軍」
誤:「カリウム准将」
元々准将でしたが「小国でそんなに細かく分けなくて良いやろ」と将軍に直したものの、修正漏れがありました。