8.入学式
(あー……眠いのです……)
入学式。
エルフィリアは学園の講堂で、うつらうつらと意識が飛びそうになるのを必死に我慢し、あくびを噛み殺しながら、新入生のために並べられたイスにもたれるように座っていた。
部屋の前の方では、学園創設の理由だとか教育方針だとか、よそ者ならばともかく、学園がつくられる以前から街に住んでいたエルフィリアにとっては既知の事柄を、壇上に立つ教頭が説明している。
学園長ではないのは、学園長が「今代の賢者」だからだ。
賢者とは、すべての人間の魔法使いの頂点に立つ者の称号。学園長はその賢者としての責務が忙しいため、この学園では重要事項以外のほとんどを教頭が担当しているという。
「エル、ちゃん……そこ、くすぐったい……」
(……鬱陶しいのです)
隣に座るクロムが「やぁー」と身を捩って寄りかかってくる。しかし、別にエルフィリアはクロムになにもしてはいない。
クロムの瞼は閉じられていて、口の端からわずかによだれが垂れている。
くすぐったいだとかなんだとか、それらはすべて単なる寝言である。
エルフィリアと違って学園の歴史等を聞くのは初めてだろうに、式が開始して五分もしないうちにクロムは居眠りを始めていた。
初めの方はエルフィリアも「寝るんじゃないのです」と注意をしていたが、何度注意しても寝ようとするので面倒になってそのうちやめた。
「ま、ほ……れんしゅ、しなきゃ……」
入学試験前も入学試験後も、ここしばらく魔法の練習ばかりさせていたので、夢にまで出ているようだ。
いい気味なのです。エルフィリアは口元を歪ませる。
こっちが眠気に耐えて頑張って話を聞いているのに、クロムばかり夢の世界で楽しい思いをしているなんて不公平だ。クロムはクロムで苦労してもらわなければ割に合わないというものである。
「い、つか……わたし、も……エルちゃ、みた……に、きれーな、まほー……つかぃ、た……」
「……はぁ」
エルフィリアは小さくため息をつくと、クロムの裾をぐいぐいと引っ張った。
「……? ……エル、ちゃん?」
「起きるのですよ。私が頑張って起きてるんですからクロムも起きているのです」
「ん……」
クロムはかすかに瞼を上げてエルフィリアを見上げた後、ごしごしと口元を拭った。
制服で拭くなです。誰が洗うと思ってるのです。
心の中でいつもの悪態をつきながら、視線をクロムから壇上へと戻す。
「次は新入生代表の言葉です。ニーナベルティ・レインベリアさん、お願いします」
「はい!」
がたっ。立ち上がった女子生徒が一人、壇上へ上がっていく。
「ん……新入生代表、って?」
クロムがエルフィリアの裾を引いて、小声で問いかけてきた。
「試験で一番の成績優秀者ってことなのです」
「あの人、後衛の試験の時に見かけたような……? あの中で一番ってことは、エルちゃんより筆記ができて魔法の扱いもうまくて、わたしより魔力も多いってこと?」
「そんな化け物いるわけないのです。試験一つ一つに点数の上限があって、それらすべての点数を合計した数値が一番高いのがあのニーナベルティってやつってことなのです」
エルフィリアは筆記と魔法技術はそれなりの成績を残せたつもりはあるが、いかんせん魔力量が壊滅的だ。首席合格者にはまずなれない。
クロムだって魔力量はずば抜けていると言えど、筆記も魔法技術も下から数えた方が圧倒的に早い。どれだけ一つの事柄が際立って優れていようとも、点数の上限が決まっている以上、総合的に見てしまえば、やはり下から数えた方が早い。
新入生代表、ニーナベルティ・レインベリア。
つまるところ彼女は、高い頭脳と他人より優れた魔力量、そして魔法技術を兼ね備えた、いわゆる天才であるということである。
そんなとてつもない少女が壇上で新入生の挨拶をしている光景を見て、クロムは「ふむ」と納得するかのように頷いた。
「つまり、わたしより魔力が低くてエルちゃんより魔法が下手な普通の人ってこと?」
「……いや……その通りではあるのですけど……」
クロムより魔力が高いやつなんて世界中のどこを探してもいるわけないだとか、同年代でエルフィリア以上に魔法の扱いがうまい人なんているわけがないだとか……。
比較対象が悪すぎる。
クロムのあんまりな評価の仕方にエルフィリアはいろいろと物申したいことはあったが、とりあえず普通の人ではない。
(――あれ? 今、こっちを見てたのです……?)
クロムとの会話に意識を移していた一瞬、壇上からニーナベルティがこちらを眺めてきていたような気がした。
壇上からは講堂全体を見渡すことができるので、その広い視界にたまたま入っていただけかもしれない。むしろその可能性の方がはるかに高いだろう。
しかしなんとなく、なんとなくだけれど。
エルフィリアは、彼女がなんらかの明確な意思をもってこちらを観察してきていたように感じた。
(……んー。クロムでも見てたのですかね)
同じ試験を受けていたのなら誰しもが注目せざるを得ない。それほどまでに試験の時のクロムは目立っていた。
エルフィリアだって、もしもクロムが知り合いでなかったのならば少なからず興味の念を抱いていたはずである。
(それにしても……眠いのですよ……)
どこの世界も入学式や始業式というものは長く、そして退屈だ。
せっかく起こしてあげたのにもう再び居眠りを始めているクロムを横目に、エルフィリアは性懲りもなく何度もやってくるあくびを噛み殺した。
挨拶を終え、壇上を去る途中に、その少女は。
そんな彼たちに再び視線を送り、歪んだ笑みを浮かべていた。