6.本物の鳥
(――――退屈ね)
ここはミスラテイル学園、後衛の実技試験の場。
多くの後衛実技試験希望者を引き連れて、きびきびとしっかり者な雰囲気を出して歩きつつ。
内心ではつまらなそうに愚痴を漏らしている女性が一人いた。
彼女の名はミレイア・ネ・アルモール。
金糸のように光を反射する美しく艷やかな髪と綺麗な顔立ちは、それだけで人目を引く。
極めつけは人間ではありえない、少し尖った長い耳だ。
ミレイアは人間ではなく、エルフである。
エルフは人間と比べて身体能力が低い傾向にあるが、代わりに寿命が人間の何倍もある種族だ。
(はぁ……この時期は憂鬱だわ。あいつの頼みだからしかたなく試験官なんてやってあげているけれど、どうせ有象無象。私たちに匹敵する魔法の才能の持ち主なんているはずもないのに)
試験場に集まった受験者たちにテキパキと試験の説明をしている裏で、その実、彼らをここまで見下しているとは誰も思いはしないだろう。
(もちろん、いずれまたあるかもしれない魔王の復活に備えなくちゃいけないって言い分はわかるのだけど……だからって、たかが入学試験程度に私ほどの魔法使いを駆り出さなくてもいいじゃない。私じゃなくても果たせる役割を、わざわざ私がこなす必要なんてない)
ミレイアは優秀な魔法使いだ。しかしだからこそ、無駄なことで魔法を研究する時間が取られるのが我慢ならなかった。
内心では愚痴を漏らしつつも試験の説明を終え、受験者を一人一人並ばせて後衛の実技試験を開始する。
試験の内容は至って簡単だ。
もっとも得意な魔法を的に向けてぶっ放す。それだけである。
本来であれば、こんな雑な測定方法で魔法の才など測れるはずもない。もっと事細かに分析を重ねなければならない。しかしミレイアに限ってはそんな余分な検証は必要なかった。
ミレイアの持ち得る類稀なる魔法技術、そして産まれ持った「魔力の流れを見る」魔眼にかかれば、魔法が発動する過程を一目観るだけですべてを判別できるのである。
ミレイアは次々と魔法を放つ受験者の魔法を瞬時に点数化して記録に残していく。
受験者を見下しているという点は決して褒められたものではないが、良く言えば全員を公平に判断しているということでもある。
試験官としてはかなり優秀な部類であろう。
(早く帰りたい……帰って研究所に入り浸りたい。もう少しで新しい魔法術式を作り出せそうなのに。なんで私はこんなことで時間を無駄にしているのかしら。未熟な魔法術式なんて観てもちっとも楽しくないわ……)
はい次。はい次。はい次ー。
次々と受験者をさばいていく。
ほぼ無感情でそれを続けていたのだが、実はこんなミレイアにも、一人だけ気になっている人物がいた。
「はい、次はあなたよ。なんでもいいから得意な魔法をあの的に撃ち込んでちょうだい。私がそれを観て点数をつけるから」
「うん」
「点数は非公開だからよろしくね。はい、それじゃあ初め」
黒と白。その二色をあわせ持つ髪と瞳を持つ少女。
頭にかぶったキャスケット帽がチャーミングポイントだ。
今は魔法技術を観るための試験であるが、これの前にすでに魔力量の測定が行われている。
ミレイアはそちらは担当していないので資料しかもらっていない。しかしその資料に一人だけ驚くべき結果が記された少女がいたのだ。
(さて、この子が触れただけで測定用の水晶が粉々に砕け散ったって話だけれど……本当なのかしら)
じっ。
今日これまで観てきた中で一番真剣に、資料にはクロムと名前が書かれている少女を観察する。
(私やあいつでも測定可能範囲くらいなら普通に越えるけれど、せいぜいヒビが入るくらいが限界。さわった瞬間に砕け散るだなんて、いったいどれだけ魔力があればできるのって話よ)
測定用の水晶の不具合かとも思われたが、二度三度試しても同じ結果だったと資料には記されていた。
結果が結果だけに疑わしいが、事実としてそれが繰り返されている以上、頭ごなしに否定することはできない。
クロムが魔法を描いていく。他の者たちには宙で指をさまよわせているだけにしか見えないだろうけれど、ミレイアにとっては違う。
クロムの指先に灯った魔力の光、その軌跡が『ファイアボルト』の魔法陣を書き記していく。
(……つたない術式ね。今日見た中で一番下手な術式。こんなんで本当に魔法が発動できるのかしら。やっぱり水晶が砕けただなんてもっと別の要因――が? え、は?)
初めは落胆の感情を抱いていたミレイアだったが、いざ魔法が発動するという最後の瞬間にとんでもない量の魔力が魔法陣に注ぎ込まれる光景を目にし、呆然と口を開けた。
「ちょ、ちょっと待っ――」
「ファイアボルト」
ぼっ――。
それは間違いなく下級の攻撃魔法だった。他の誰よりも時間をかけて、他の誰よりも汚い術式で。
だけれど生み出された火の球の大きさも、熱量も、なにもかもが群を抜いて高い。
ファイアボルト。それは本来、拳ほどの大きさの火の球を勢いよく射出する魔法だ。
しかしクロムの今放ったそれは、人一人程度なら容易く飲み込んであまりある。
「くっ、障壁よ!」
撃ち出された火球が的に直撃し、大爆発を巻き起こした。
爆風が大地を剥がし、火花が飛び散り、溢れ出した熱が土を溶かしていく。
普通のファイアボルトでは絶対にありえない規模の破壊だ。
「あ、危なかったわ……」
もしもミレイアがとっさに障壁の魔法を受験者たちを守るように展開していなければ、激しすぎた爆破の衝撃で怪我をしていた者がいただろう。
どうにか実害を出さずに済んだことに、ミレイアはほっと息をつく。
「……ちょっと魔力込めすぎた?」
「ちょっとどころじゃないわよ……」
普通、あんな粗雑な術式で魔法を発動させることなんてできない。
術式における、魔力を魔法陣全体に通わせるための管が真っ二つに切れていた状態だった。片方の管から魔力が流れてきても、管が切れているから、もう片方の管に魔力が通っていけるはずもない。
だけどこの少女は発動の瞬間に膨大な魔力を一気に流し込むことで綻びを繋げ、無理矢理それを魔法として発現させた。魔力が漏れてしまうのなら、もっともっとたくさんの量を、もっともっと激しい勢いで噴射し続ければいい。そうすれば途切れた先にあるもう一つの管にも魔力が届くはずだと。
通常のファイアボルトの数千倍にも及ぶ、多大なる魔力を消耗したはずだ。
だというのにクロムは、あの程度造作もないとでも言わんばかりに平然としている。
わけがわからない。それがミレイアが抱いた感想だった。
ファイアボルトを、鳥を象った紙であると仮定しよう。
紙の形、翼の向き、風の捉え方。さまざまな要素を計算し、綺麗に飛んでいくように理詰めで紙の鳥を作り、飛ばすのがファイアボルトだ。
クロムが使った魔法はファイアボルトを元にしたものではあったが、完成したあれはまかり間違ってもファイアボルトなどと呼んでいいものではない。
あれは打ち上げ花火だ。
形だけ鳥に似せて、その実、風に乗せて飛ばすことなどまったく考えていない。
羽に当たる部分から推力となるエネルギーをこれでもかというほどに噴射し、力任せに爆発させ、結果として空を駆け抜けることとなった様子こそがクロムのファイアボルトである。
(なんて子よ……あの魔法一発にいったいどれだけの魔力を込めたの? 普通の人の何千倍は魔力を持ってるはずの私ですら、あんなのやったら息切れくらいしそうだっていうのに……)
攻撃魔法で高威力を出すためには、高威力を出すことに秀でた専用の術式がある。
それを無視して下級魔法で、しかもあんな粗雑な術式でこれほどの威力を叩き出すなど、非常識極まるというものだ。
「……もう一回やった方がいい?」
「やらない方がいいわね」
ミレイアが苦い顔をしていたからか、クロムは少し不安そうだった。
本当にもう一回やられたらかなり困るのでちゃんと却下しておく。
ミレイアの返事にクロムは少々しょんぼりとした。
たぶん、彼女的に今の魔法は失敗だったのだろう。ミレイアから見ても、お世辞にも綺麗な魔法だったとは言えなかった。
しかしミレイアと違って他の受験生たちは、
「い、今のファイアボルトか……?」
「ファイアボルトっ? 上級魔法のサンフレアじゃないの?」
「いや、確かにファイアボルトって言ってたぜ」
「すげぇ……」
他の受験生たちは、たかが下級魔法だというのにあれほどの威力を出してみせたクロムに沸き立っている。
確かにあの威力はすごい。だがミレイアとしては、魔力の流れが観えない彼らに声を大きくしてこう言ってやりたい気分だった。
あれはファイアボルトじゃない! ファイアボルトって叫んでるだけの、ただの爆発するでっかい火球よ! と。
(正直、個人的にはこんな力押しの魔法なんて認めたくないけれど……)
触れただけで測定用の水晶を粉々に破壊し、あんなつたない術式さえ強引かつ容易に成功させるほどの魔力量。
凄まじいの一言に尽きる。
(……この子は合格、と。落とす理由がないというか、落としちゃいけない理由しかないし。筆記試験の結果を見るまでもないわね)
不完全とは言え魔法を使える素質は一応ある。
今は未熟も未熟だが、育てば必ずや将来を担う立派な魔法使いになれるはずだ。
書類に点数と結果を記入して、ミレイアはクロムを下がらせた。
「じゃあ次。あら、次で最後ね」
最後の受験者の名前はエルフィリア・ジェイド・ヴァイスィードハーツ。
長い名前ね、なんてミレイアは思う。
(資料を見る限り、魔力量は下の下もいいとこ。普通の人間の五分の一もないんじゃないかしら。こんな魔力じゃ使える魔法なんて数えるくらいしかないだろうし……本気で魔法使い目指してるのかしら? 正直観るまでもないと思うんだけど、まあ一応仕事だもの。ちゃんと観ておかないとね)
ミレイアに内心で厳しい評価を下されているエルフィリアは、なにやら顔を伏せてぷるぷると肩を震わせている。
なんだか、どこか怒っているようにも見えた。
例えるなら、そう。
彼女自身がもっとも認めたくない魔法の形を目の前でまざまざと見せつけられて、あまつさえそれが称賛されている現状に苛立っているかのような。
エルフィリアはばっと顔を上げると、掲げた右腕で瞬きほどの一瞬にして魔法を描き上げた。
「――ファイアボルト」
エルフィリアが放ったそれは、直前にクロムが使った魔法と同じものだった。
下級魔法、ファイアボルト。
普通の精神であれば、あれほどの威力を見せつけたクロムの後に同じ魔法を使おうだなんて思わないはずだ。なにせ必ずそちらと比べられる。
たとえそれが彼女自身の得意魔法であったのだとしても、それに近しい別の魔法を選ぶはずである。
だけどエルフィリアは敢えてファイアボルトを選んだ。
それはまるで、その魔法を見ている誰かに「ファイアボルトとはこうやるのですよっ!」と必死に教え込もうとしているかのようだった。
放たれた魔法は、本当にただのファイアボルトに過ぎない。
拳ほどの大きさの火球がエルフィリアの手のひらから撃ち出され、的の中心に命中し、小さな爆発を引き起こす。
それで終わり。
爆風が大地を抉ることも、火花がばちばちとそこら中に飛び散ることも、過剰な熱が周囲の土を溶かすこともない。
「――――」
だというのに、ミレイアはそれを見て、言葉を失ってしまった。
きっと、ここにいる他の誰にもわからない。この眼を持っている自分にしかわからなかっただろう。
あれは、『本物』の魔法だ。
ただの数式じゃない。
紙の鳥なんて作り物じゃない。本物の鳥だった。
空を自由に飛び回る、小鳥の姿そのもの。
(綺麗……)
自然と、追いかけるように手が伸びていた。
ずっと魔法を、魔力の流れを見続けてきた。だけれど、あんなにも美しい魔法をミレイアは生まれてこの方一度だって見たことがなかった。
常人の何分の一という、限りなく魔法使いとしての素養が低い少女。
しかしそんな少女の、しかもたかが下級魔法に過ぎないファイアボルトの術式に、熟練の魔法使いであるミレイアが、いつの間にか見惚れてしまっていたのだ。