4.魔王飼います
(――前言撤回なのです。こいつは超悪なド畜生なのです)
旧魔王城の地下でクロムの封印を解いてから、すでに数時間の時が経過していた。
太陽も沈み切って、今はもう完全に夜中だ。
クロムはあれからというもの、名付けてくれたエルフィリアにべったりだった。
それはもう本当にべったりだ。
特に理由もなく「よしよし」とエルフィリアの頭を撫でたり、こっそり逃げ出そうとしたエルフィリアの真後ろにぴったりついて行ったり。
事あるごとに「あれはなに?」「これはなに?」と、子どもでも知っているようなはずのことも含めて目に映るものについて片っ端から質問したり。
あまりに鬱陶しくてエルフィリアは一度無視をしてしまったのだが、その際は「エルちゃん……」と瞳をうるうるとさせて見つめられた。
正直に言えば、別にクロムがどれだけ悲しもうがエルフィリアの知ったことではない。
しかし、これではまるでこちらが悪者のようではないか。
そんな客観的事実に納得がいかず、しかたなく相手にし続けてしまっていた。
あと一応魔王だし。万が一怒らせちゃうとなにされるかわかんないし……。
そんなこんなでクロムに構い続けた中で、エルフィリアはこんなことを質問した。
『クロムはこれからどうするつもりなのです?』
相手は魔王なので最初はクロムさまとでも呼ぼうとしたのだが、「クロムでいい」の一点張りプラス呼んでほしそうな物欲しげな視線をじーっと向けられたため、クロムと呼び捨てで呼ぶことになった。
『どうするって?』
『ずっと封印されてたのですよね? 行く宛があるのです?』
ないなら素直に封印され直してくれないですかね?
あってもやっぱり封印され直してくれないですかね?
なんて思うけども、そんな都合よく思い通りに事が運ぶはずもない。
クロムは少し頭を捻って、こくりと首を縦に振った。
『ある』
『あるのですか。ちなみに興味本位で聞いてみるですが、それはどの辺りなのです?』
すっ。
クロムは静かにエルフィリアを指差す。
『……はい?』
『エルちゃんのとこ。わたしもエルちゃんと一緒に住む』
(は? なに言ってるのですこいつ。頭おかしいのです?)
『わたしの封印を解いたのはエルちゃん。そしてそのエルちゃんはわたしに名前をくれた。つまり、エルちゃんはわたしの飼い主ということ。違う?』
(違うのです)
『違わないよね』
(違うって言ってんのです)
『だからこれからどうかよろしくお願いするのです』
(口癖ぱくるんじゃねーのですよ)
『……ちなみに返品は』
『受け付けない』
そんなこんなでエルフィリアはクロムを引き取ることになってしまった。
クロムが目覚めたのは、元々エルフィリアが好奇心に負けて安易に封印を解いてしまったのが原因であることは彼女も認知している。
こんなんでも一応は過去に大陸を焼き払おうとした実績がある魔王なので、野放しにしておくのは危険だという理屈もわかる。
しかし、だからと言って家に押しかけられるのは違うと思うのだ。
例えばこう、もっとちゃんと力がある、クロムがいざ暴れても封印し直せるような賢者クラスの魔法使いに預けるのが一番正しい判断だろうとエルフィリアは思う。
もちろんそうなるとエルフィリアが旧魔王城に勝手に立ち入ったこともばれるが……。
そのことを何度言い聞かせたところでクロムが了承する気配はない。
エルちゃんと一緒にいる、の一点張りだ。
どうしてここまで懐かれてしまっているのか。エルフィリアは甚だ疑問かつ不本意だった。
結局断り切ることができず、クロムを家に連れてきてしまい、そのクロムはきゃっきゃと廊下を走り回ってはしゃいでいる。
そして冒頭の「前言撤回なのです。こいつは超悪なド畜生なのです」に繋がるわけだ。
まぁ、超悪とか畜生とかはさすがにちょっと言い過ぎだった気がしなくもない。
だけどどうせクロムには聞こえないのだから心の中でくらい好きに愚痴を吐かせてくれ。そうエルフィリアは主張する。
(はぁ……なんともめんどくさいやつを拾ってしまったのです。っていうか拾わされたのです)
今日だけで何度ため息を吐いたかわからない。
(まあ、魔王を復活させてしまった割に当事者たる私の命が全然無事という事実は、運がいいと捉えるべきなのでしょうかね……)
クロムが封印から目覚めたあの時、エルフィリアは「命と尊厳と杖と服と貞操と魂以外なら上げますからぁあああーっ!」と叫んだ。
クロムを引き取るという行為はそのいずれにも当てはまっていない。まさしくエルフィリアの望みが叶ったと言えなくもない、のではなかろうか?
ポジティブ。そう、できるだけポジティブに考えよう。
クロムをこのままエルフィリアが制御していれば、魔王を誤って復活させてしまったことが世間にばれることはない。
非難されることも罰を受けることもないということだ。
七年前の戦争では多くの死者が出た。
その原因と思われるクロムを復活させてしまったとなると、どんな仕打ちを受けることになるかわかったものではない。
その対価としてクロムの世話をする。
クロムは魔王だが、大人しくしている限りはそこまで危険でもないことはこの数時間で理解できた。
(それに、クロムは尋常じゃない量の魔力を持ってるですからね。調べてみれば、念願の魔法が……長年探し求めてきた、生まれ持った魔力量を増やす方法が見つかるかもしれないのです)
エルフィリアは一流という言葉すら生温い、それこそ魔王の封印を容易く解いてしまえるほどの魔法技術をを有しているが、実はさほど有名な魔法使いではない。むしろ魔法使いとしての世間的な評価は凡庸以下だ。
なぜなら、その魂に内包される魔力量があまりに少なすぎるから。
魔力の量は生まれ持った素質で決まる。そして、どんな強力な魔法も魔力がなければ具現化させることができない。
どんなに速く走れる車だってガソリンが空っぽなら走ることはできない。それと同じだ。
どれだけ卓越した魔法技術があろうとも、それに魔力量が伴っていなければ意味がない。
だからこそ、その魔力量を増やすことができる新たな魔法を探し出すことこそがエルフィリアの悲願だった。
クロムとともに過ごすことはその悲願に近づく一歩になるかもしれない。
そう考えれば、そこまで悪い条件ではないような気がしてきた。
……まあだからと言って、クロムを歓迎できるかどうかはまったく話が別なのだが。
「クロム、こっちなのです」
「こっち?」
「だからこっち、ってなに勝手に食料庫漁ってるのですっ! それは非常食だから食べちゃダメなのですよー!」
「もぐもぐ……あんまり美味しくない」
「あぁ、食べやがったのですこいつ……話を聞かないやつなのです。しかも無駄にグルメなのです……」
まだ食糧を漁ろうとしていたので、クロムの襟を掴んで引き剥がし、そのまま引きずっていく。
出会ったばかりの頃であれば「怒らせるかも」という感情が先行してこんなことはできなかったが、短い時間ながらクロムの性格も大体掴めてきた。この程度のことではまず怒らない。
「ここなのです。今日からここがクロムの部屋なのですよ」
「わっ、広い。エルちゃんの部屋はどこ?」
「私はあそこなのです」
「エルちゃんの部屋も同じくらい広いの?」
「この辺の部屋は大体同じ広さなのですよ」
エルフィリアの家には使っていない部屋がかなりの数ある。クロムにあてがったのはそのうちの一つだ。
「……エルちゃんは一人暮らしなの?」
「そうなのですよ?」
今日からは甚だ不本意ながら二人暮らしになるが。
「それにしては家が広い」
「あー、まあ、元は両親も一緒に暮らしてたですからね。住み込みの使用人なんかも雇ってたのです。両親が天国に旅立って、使用人にお金を払う余裕もなくなってしまったので、私一人になったのです」
「……ひとり?」
「別に寂しくなんてないのですよ。もう何年も前の話ですし、お父さんもお母さんも冒険者っていう、いつ死んでもおかしくない職業だったですからね。そういう時が来ることはとっくに覚悟して――」
ぽんっ。
最初に会った時のように、クロムが頭の上に手を乗せてくる。
「よしよし」
「…………」
(だから寂しくない大丈夫って言ってるじゃねーですか。鬱陶しいのです……)
頭の上の手を振り払う。クロムは「あぁー……」と若干名残惜しそうだった。
もしかしてクロムが撫でたかっただけじゃないのです?
とも思ったが、クロムの真意なんてエルフィリアは心底どうでもいいので問いただすことはしない。
ふと、クロムが「いいこと思いついた!」みたいに顔を上げた。
「エルちゃんも撫でる?」
「は?」
「私の頭、撫でる?」
エルフィリアに向けられるクロムの瞳はきらきらと輝いていた。
(……どう見ても自分が撫でられたいだけじゃねーですか)
無視無視。構ってあげる義理なんてない。エルフィリアはそっぽを向いて気づかないふりをした。
じーっ。まだ視線を感じる。
じとー。ほんとは気づいてるんでしょ? みたいな視線を感じる。
じーぃ……。少しずつ、視線から覇気がなくなってくる。
……うるうる。視界の端で、どことなくクロムの目元に雫がたまり始めたような……。
「だぁーっ! もう、わかったのですっ、わかったのですよ! 撫でてやればいいのですよねっ! まったく……!」
悪態もつく。毒も吐く。
だけど罪悪感が存在しないわけではない。
自分が善人だとは欠片も思っていないが、だからと言って悪者扱いされるのは我慢ならないのだ。
クロムの頭の上に手を乗せて、その手を左右に動かしてやる。
大分乱暴にやっているはずなのだが、クロムは「えへへ」とご満悦な様子だ。
(ほんっとにめんどくさいやつなのです……寝てる間にこっそり路上に捨ててでもしてやりたいくらいめんどくさいのです)
そんなことをしたらさしものクロムも怒ると思うので、無論、実行に移すことはできないのだが。
(……ん? これは……角、なのですか?)
クロムの頭を撫でていると、こつん、と指になにかがぶつかった。
さわさわと髪をかき分けて視覚でも確認してみる。
紛れもなく角だ。髪にまぎれていたせいで今まで気づけなかったが、クロムの頭には二本の小さな角が生えている。
(そういえば、魔族は人にはない特徴が体のどこかにあるって聞いたことがあるのです。これがそうなのです?)
興味本位で感触を確かめたりしていると、クロムがこそばゆそうな声を漏らした。
「んっ……エルちゃん。それ、くすぐったい……」
「そうなのですか」
(めっちゃくすぐってやるのです)
急に押しかけられた恨みを晴らすチャンス到来である。
エルフィリアは一切躊躇せず全力でくすぐりにかかった。
つんつん、さわさわ。つーっ。きゅっきゅっ。
今までの恨みつらみのすべてを込めて、いろんな触り方を試していく。
「んぅ……はぅ、ん……んぁ、や、みゃぁー……ひゃんっ」
(ここをこうしたらもうちょっと嫌がってくれないですかね)
「んむっ……あっ、え、エルちゃん……」
「わわっ!? 寄りかかってくるななのです!?」
角をいじり続けていると、頬を紅潮させたクロムが寄りかかってきた。
息が荒い。
どうやら、少しやりすぎてしまったらしい。
クロムはエルフィリアの胸の中から、恨めしげにエルフィリアを見上げた。
「くすぐったいって、言ったのに……」
「わ、悪かったのですよ……」
立っているのも辛そうなレベルだったので、そのままクロムの部屋のベッドまで引きずっていく。
クロムを寝かせて自分も部屋に戻りたかったのだが、クロムはエルフィリアの服を掴んで離してくれそうになかった。
しかたなくクロムと一緒にベッドの端に腰を下ろす。
(はぁー……一人だった頃のマイフリーダムライフが遠い夢のようなのです……)
いったいどれくらいになるかはわからないけれど、これからしばらくクロムと付き合っていかなければ未来を想像すると肩が重い。げんなりしてきてしまう。
(今のところ危険はなさそうですけど、とんでもなくめんどくさいやつなのです。なんでこいつは私に懐いたのですかね……もっと別のどうでもいい誰かに懐いてほしかったのです)
もしもあの時、旧魔王城に立ち入りさえしなかったなら。
もしも隠し通路を見つけさえしなかったなら。
もしも隠し通路の先にあったあの部屋で、好奇心に負けて封印を解いたりなんてしなかったら。
もしも、もしも。
かもしれない、なんて妄想をしてもしかたがないことはわかっている。
わかってはいるけれども……。
「……ふぅー」
「わひゃぁっ!?」
突然耳に息を吹きかけられたせいで変な声が漏れた。
顔を真っ赤にしてクロムの方を見やれば、彼女はイタズラが成功した子どものようにくすくすと笑っていた。
「さっきの仕返し」
(こいつ……! 許さないのです……絶対いつかひどい目に合わせてやるのです……!)
固く胸に誓うエルフィリア。エルフィリアの反応が気に入ったのか、再度息を吹きかけようとするクロム。
魔王が復活した一日。
だけれど世界には何事もなく、しかして二人にとっては騒がしい。そんな夜が平和に更けていった。