3.よしよし
自分がいい子に過ごしてきたか? と聞かれると、「当然なのです!」と胸を張って言い切れないのが辛いところだ。
心の中じゃいつだって他人を見下してるし、悪態ばっか吐いてるし。
今は天国にいる父や母が生きていた頃は「健やかに育ってくれればそれでいい」とよく言われていたものだ。
だけどそんなものはガン無視で毎晩夜更かしとかしまくってる。魔法の研究に夢中で食事を抜いたり偏った食事しかしないことだってしょっちゅうだ。
今だって、立ち入り禁止の旧魔王城に堂々と立ち入るなんて真似もしてしまっている。
良い子か悪い子かで言えば、間違いなく悪い子の分類だろう。
しかし、しかしである。
だからと言って、こんな仕打ちはあんまりだと思うのだ。
(き、きっとこのまま食べられちゃうのです……下の方からゆっくり美味しく食べられちゃうのです……)
ぷるぷる。
背後に感じる視線が恐ろしすぎて震えが止まらない。
(痛いのは嫌なのですー! せ、せめて一思いに……うわぁあああん! 死ぬのも嫌なのですよぉお!? まだ死にたくない、死にたくないのですぅ! なんでもはしないけど助けてほしいのですよーっ!)
ひたり。
背後にいる何者かが、一歩踏み出した音がした。
「わ、わわ、わわわ私は全然これっぽっちも美味しくなんてないのですよっ!? 食べるなら牛さんとか豚さんとかちゃんとしたお肉を食べた方がいいと思うのです! そっちの方が健康的なのですよ!?」
ひたひた。近づいてくる足音が止まらない。
「あ、謝りますっ、謝りますから許してくださいぃぃいい! い、命っ、命と尊厳と杖と服と貞操と魂以外なら上げますからぁあああーっ!」
命乞いなのにずいぶんと欲張りである。
ひたひたひた……。
どんなことを叫んでも近寄ってくる足音は止まず、ついにすぐ真後ろまでそれがやってきてしまう。
ようやくぴたりと音が途切れてくれたが、それは復活した何者かがすぐ真後ろまでたどりついて、それ以上進む理由がないからに他ならない。
すぅー、と手かなにかが伸びてくる気配がする。
(も、もうおしまいなのです……私もお父さんとお母さんと同じところに行かなきゃいけない日が来たみたいなのです……短い人生でした……)
せめて痛みを感じずに逝けますように……。
そんな、死刑直前の死刑囚のような儚い気分でうずくまる。
すると、ぽんっ――なんて。
不意に、頭の上に手を置かれた。
「よしよし」
「………………はい?」
なでなでされている。
封印を解いた際に帽子は風で飛んでいってしまっていたので、じかに撫でられている。
いや、そうじゃなくて。
(な、なんなのです……? なんで私、頭撫でられてるのです? え? 魔王は?)
黒白の球体に亀裂が入り始めた辺りで反射的に部屋の隅に逃げ出していた。なので、実はそこに現れたものがなにかを見ていなかった。
頭を撫でられている感触からすると……人間と同じ五指のある手だ。それもこの小ささから察するに、自分と同じくらいの年頃のものだろう。
これが、魔王?
魔王の手? こんなものが?
わけがわからない。
「怖くない、怖くない」
「…………あ、あのー」
とりあえず、今すぐ食べられるような展開にはならないことだけは理解できた。
一安心ではある。
しかし、まだ確認しなければならないことがある。
「あ、あなたさまは……魔王……なのですよね?」
ぴたり。頭を撫でていた手が止まる。
あっやばいこれしちゃいけない質問だったの死ぬ食べられる――。
本気でびびりかけたが、その心配は杞憂だったようだ。
「魔王……魔王……」
昔のことを思い出すかのように、おぼろげな声音で繰り返す。
「ま、まま、魔王じゃない……のです?」
ふるふる。首が左右に振られたような気配がした。
「……魔王、だと思う。たぶん……おそらく……」
どっちなのですか。
そんな文句を言ってやりたかったが、魔王である可能性が高い相手の機嫌を損ねるとまずいので、口をつぐむ。
(と、とりあえずですけど……ひとまずは大丈夫そうですね。顔を上げてみるです……?)
今のところ危害を加えてくる様子はない。
ならば必要以上に怯え続けている必要もないだろう、と顔を上げてみる。
「……女の子、なのです?」
そこにいたのは、拍子抜けするくらい恐ろしさの欠片もない、同い年くらいの可愛らしい女の子だった。
黒と白。二色の色合いが印象的な髪とオッドアイを持っている。
そのツートン少女は「どうかなー?」とでも言わんばかりに指を一本立てた。
「もしかしたら男の子かもしれない」
「え、男の子だったのです?」
「違うのです」
「違うの」
(……口癖ぱくられたのです……)
魔力の色は個々人によって異なり、強すぎる魔力は髪や瞳の色彩に影響を及ぼすという。
封印の解除によって解き放たれた常人の何億、何兆倍にも匹敵する量の魔力は、黒と白の二つの帯となって中心へと集っていた。
それの持ち主であることを如実に表すかのように、目の前にいる少女は黒と白が合わさった髪色と、それぞれの色のオッドアイを持っている。
「……もう大丈夫?」
「え、あ、はい。なのです」
エルフィリアがある程度冷静さを取り戻したからだろう。ツートン少女は頭を撫でていた手を満足気に下ろした。
(うーむ、調子が狂うのです……)
あいかわらずこの少女が敵意を向けてくる様子はない。
それどころか、怯えているこちらをなぐさめてくれていたではないか。
七年前の戦争で、復活した魔王は人類に宣戦布告をした。しかしその魔王とは本当にこの少女のことだったのだろうか?
……いや、間違いないはずだ。
あれほどの魔力をただの人間が持ち得るはずがない。
それに魔王でもなければ、同じ城の地下に隠すようにして封印されているはずがないだろう。
しかし……。
「あの……人類滅ぼそうとか考えてるです……?」
考えてたってわからないことは直接聞いてみるべきだ。当たって砕けろの精神。
それにしては、ずいぶん物騒な質問になってしまったけれど。
エルフィリアの質問に、ツートン少女はこてん、と小首を傾げる。
「なんで?」
「や、なんでもなにも……」
「滅ぼしたいなら滅ぼせばいいんじゃないかな。応援してる。頑張って」
(なんで私が滅ぼしたいと思ってるみたいな話になってるのですか)
……どうやら、今のところこの少女に人類を滅ぼそうという心づもりはないようだ。
もっとも、人類に対する興味の念も一切ないみたいだが。
(七年前に大陸を焼け払わんと天空に魔法陣を展開した、とかいう話はなんだったのです? 全然そんなことしそうにないじゃないですか)
一番始めに一番物騒なことを聞いて、特に問題がなかった。
ならばもうこの際なので、別の気になっていることも聞いてみることにする。
「あなたはどうしてこんなところに封印されてたのです?」
「どうしてって?」
「どういう経緯で封印されることになったかってことなのです」
「うーん……? どうしてだろう」
「それを聞いているのですが……」
「そもそも封印ってなに?」
「そっからなのですかっ? 封印っていうのは、肉体とか精神とかそんな感じのものを一箇所に閉じ込めておくことなのです。こう、ぎゅうぎゅうっと。あなたはその封印をされていたのですよ」
「そうだったんだ」
「そうだったんだって……」
「ずっと暗いところにひとりでいたから。自分から動くことなんてなかったから」
ツートン少女は謎が解けてすっきりとでも言いたげに「うんうん」と頷いている。
「そっか。封印っていうのをされてたんだ。どうりでちょっと息苦しいなって思った。納得」
(……本当になんなのです? こいつ)
目の前の少女は、今封印されていたことに気づいた、という反応を大真面目にしていた。
封印をされていたことに気づかない……そんなことがありえるのだろうか。
しかし、ツートン少女が嘘を言っているようには見えない。
無論、嘘を見抜く魔法を展開しているわけではないので100%の証明ができるわけではないのだけれど……。
そもそもとして、この少女は嘘をつけるほど器用な性格をしていない。なんとなくそう感じる。
「ところで、あなたは誰?」
ずいっ。ツートン少女が唐突に顔を覗き込んできた。
そういえば自己紹介がまだだった。
「エルフィリアなのです。エルフィリア・ジェイド・ヴァイスィードハーツなのですよ」
ツートン少女は、ふむ、と頷くと、
「長い」
ばっさり。
自分で決めたわけでもないので、エルフィリアとしては「そんなこと言われても」って感じだ。
「だからエルちゃんって呼ぶね」
「……別にいいですけど」
ぶっちゃけ嫌だ。
が、一応は魔王であると思われる相手の機嫌を損ねるのもまずいので、しかたなく了承する。
「それで、あなたの方はなんて言うのです?」
「わたし? なにが?」
「もちろん名前なのですよ」
「名前……うーん、なんだっけ?」
「はぁ?」
「あったような、なかったような。あったとしても、もうずいぶん長いこと呼ばれてないから、忘れちゃった」
そりゃあまあ、七年前に人類と魔物との戦争があったのだから、もしもその時からずっと封印されていただとすれば長いこと呼ばれていないのも当然だ。
しかしそれでも自分の名前を忘れるだなんて相当だ。あるいは封印される前から、名前を呼ばれること自体があまりなかったのかもしれない。
しかしエルフィリアはそんな目に見えている地雷に自ら突っ込むようなことはしない。
「なら、適当に魔王さまとでも呼べばいいです?」
「うーん。せっかくだから名前で呼ばれたい」
「でも名前覚えてないのですよね」
「うん、忘れた。だからつけて?」
「は?」
「名前。つけて?」
(なに意味わかんないこと言ってんのです? こいつ)
エルフィリアの中でのこの少女へのイメージはすでに「不思議ちゃん」で固定されてしまった。
口調は妙に親しげなのに、大した感情がこもっていない声音。言動はまるで子どもっぽいくせして、常に無表情で感情の変化が読み取れない。
それに加え、会ったばかりの見ず知らずの相手に名前をつけるよう要求するなど、まったくもって理解不能だ。
しかも妙に期待が込められた視線を感じる。
わくわく。そんな擬音が頭上に浮かんで見えるようだ。
正直めんどくさかったが、魔王呼びはどことなくあまり好きではないように感じる。
呼び名がないのはこちらとしても不便なので考えてやることにした。
(まあ、てきとーでいいですよね。そんな深い意味を考えてやる義理もないのです)
少し悩んで、ぽんっとその場で思いついた名前を口にする。
「クロムなんてどうなのです?」
「クロム?」
この少女の特徴と言えば、黒と白の二色で織りなされる髪色とオッドアイだ。
黒白と言えばモノクローム。モノクロームを人名っぽくして、クロム。ただそれだけである。
あまり女の子らしい名前とは言えそうにない。それでも、この呼び名をツートン少女は気に入ったらしい。
「クロム。わたしは、クロム……」
胸に手を当てて、何度も呟く。
「……とてもいい名前。ありがとう、エルちゃん」
「はあ。どういたしまして、なのです」
ツートン少女ことクロムは心底嬉しそうに頬を緩めている。
笑顔、と呼ぶには少々不器用だ。それでも確かに彼女は嬉しそうにしてくれていて、これまでずっと無表情だったからこそ、その小さな微笑みが映える。
(……魔王とは言っても、あんまり悪いやつじゃないのかもしれないですね)
喜びが治まらないらしく、子どものように言動が弾んでいる。
そんなクロムの姿に、内心では毒を吐きまくっていたエルフィリアも、少しくらいなら信用してもいいかもしれないと思い始めていた。