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24.魔族の悲願のために

 少女が学園の試験を受けたのは、初めはただ、賢者に近づくためだけだった。

 賢者に近づいて、暗殺するために。

 あの賢者がいなければ、七年前の戦争は魔族の勝利で終わったはずだ。

 長い長い雌伏の時を経て、魔族たちは七年前、ようやく戦争を引き起こした。

 だというのに、すべてはあの賢者のせいで台無しになってしまって、生き残っていた同胞たちもほとんどが死に絶えてしまった。

 また一からのやり直し。何年や何十年どころじゃない。何百年とかけて、計画の練り直し。

 だけど計画を練り直す前に、あの賢者だけは絶対に殺しておかなければならない。

 歴代の賢者の中でも随一とされ、それを超える魔法使いなど未来永劫現れないだろうと言われるほどの、最高の魔法使い。

 生かしておけば必ず邪魔になる。そう思って学園の試験を受けた。

 そしてそこで『それ』に出会った。

 七年前に失ったはずの、魔族の悲願の結晶。

 あれを取り戻すことさえできれば、何百年と時間をかける必要はなくなる。

 絶対に取り戻さなくては。

 賢者に悟られないよう、警戒などされないよう。

 人の良い笑みに見える表情を常に貼り付け、内心では常に煮えたぎる黒い激情を抱えながら、少女は――。




「ん……あれ……? ここ、は……?」


 目を覚ました時、エルフィリアは一瞬、そこが夢の中なのではないかと錯覚した。

 見たことがある天井だった。

 だけど間違いなくエルフィリアの部屋どころか、家の中ですらない。

 そこは旧魔王城。一ヶ月近く前、貴重な魔導書なんかがまだ残っていないかと忍び込んだ、七年前の戦争における魔族の陣地だ。


「あら、気がついた?」


 その声は、最近よく聞くようになった声音のもの。

 思わず顔を向ければ、そこにはやはりいつものように人の良い微笑みを浮かべた、見知った少女が立っていた。


「ニーナ、なのです……? なんでこんなところに……というか私、どうしてこんな……?」


「まだ混乱しているみたいね。大丈夫。ゆっくり深呼吸して、自分の状態を確認しましょう?」


 いつもと変わらない優しい声で、ニーナが言う。

 この状況で少しも慌てていない彼女に一瞬だけ疑問を覚えたものの、ニーナの言う通り、エルフィリアは一旦心の状況を整理することにした。

 大きく息を吸って、はく。そしてとりあえず起き上がろうとして。

 エルフィリアは、自分が縄で縛られていることに気がついた。


「こ、これはっ……?」


 どんなに力を入れてもびくともしない。

 当たり前だ。エルフィリアは魔法を使えることを除けば、その体はただのか弱い少女に過ぎないのだから。

 だからその、非凡である力の象徴の魔法を使おうとして。

 でも、すぐに気づく。

 この縄には、付与の魔法がかけられている。捕縛者の魔力の波長を乱し、魔法を使えなくする魔法が。


「どうかしら。自分の状況、把握できた?」


「……どういう、ことなのです? これは……ニーナがやったのですか?」


 エルフィリアが混乱している一方、やはりニーナはひどく冷静で、貼り付けている笑みが消えることはない。

 いつもと変わらない優しい声。人の良い笑み。

 さきほどはそれに安心感を覚えたというのに、今はなぜか、それらが薄ら寒いものに見えてしかたがなかった。


「エルフィリアちゃんは結構頭がいい方だと思っていたけれど、案外そうでもないのかしらね。そんなわかりきったことを聞くなんて」


「っ、それはつまりニーナがやったってことなのですよねっ? なんでこんなことをするのです!」


「そうねぇ。一から説明すると長くなるから、簡潔に言えば……私が魔族だから、かしらね?」


「なっ……」


 思いもしない告白に、絶句する。


(ニーナが、魔族? でもクロムみたいに角なんて生えてないのですよ……?)


 エルフィリアの視線に気がついたのだろう。

 ニーナは自分の頭に手をやりながら、言う。


「魔族の特徴はなにも角だけじゃないの。人間とは違う特徴が体のどこかにある。それだけ。クロムちゃんの場合は角なのよね? いつも帽子をかぶっているもの。すごくわかりやすい」


「ニーナは……角以外のなにかってことなのですか」


「ええ。私は尻尾。青くて先端が尖った、悪魔の尻尾」


 そう言われてニーナの腰の辺りに視線を送るものの、やはり尻尾などない。

 隠しているというわけでもないだろう。今、ニーナが着ているのは学園の制服だ。尻尾が生えているとして、それが隠せる場所などない。


(どういうことなのです……?)


 困惑しているエルフィリアを眺めて、ニーナはくすくすと笑った。


「ふふ、言い方が悪かったかしら。私の特徴は尻尾。でもそれは尻尾があるってことじゃないの。尻尾があった(・・・)、なんて言い換えればわかるかしら」


「あった……?」


「そう。実を言うとね、切り落としたの。学園に入る時、自分で」


「は……?」


「だって人間のふりをするには邪魔だったから」


 エルフィリアは唖然とした。

 尻尾。人間にはない、だけどニーナにとっては、生まれた時からあったはずの自分の体の一部。

 それを自分で切り落とした、と。

 なんでもないことのように。


「な、なんでそんな……」


「だから人間のふりをするためって言ったじゃない。人間のふりをして、学園に忍び込んで、優秀な成績を残して、賢者に近づいて、賢者を殺すため……だったんだけど」


 そこで言葉を止めたニーナは、一転して笑みを浮かべた。

 いや、笑みならいつも浮かべている。だけどその笑みはいつものその人の良い笑みとはまるで違った。

 人を欺き、あざ笑い、恍惚の感情を覚えているかのような、歪んだ激情を表す壮絶な笑顔。


「本当に驚いたわ。七年前、お母様たちが実行した計画の実験体の生き残りが、まさか学園に入学しようとしてるなんて」


「それは……クロムのこと、なのですか?」


「クロム、クロム。そうね。あなたはそう呼ぶけれど、でも、あれに本当は名前なんてないのよ?」


「名前がない……?」


「ええ。あれはただの器なの。かつて存在した七人の魔王、その中でも最強とされた憤怒の魔王の依代にするためだけにつくられた容れ物」


 かつて見たクロムの記憶の一部が、エルフィリアの頭をよぎる。

 ――そう。あなたは魔王様になる。かつて強大な力を世界に示した、私たちの偉大なるご先祖さま、七人の王の一人に。あなたは、そのためにつくられたの。


(まさかクロムは……)


 その時エルフィリアは、ようやくクロムという存在の正体に気がついた。

 魂の融合魔法は、二つの魂を掛け合わせることで一つの魂を作り出す魔法だ。魔力の総量は統合され、新たな存在に生まれ変わる。

 それを繰り返せば、究極の魔力を持った存在が出来上がるだろう。

 でもその魔法には、まだ先があったのだ。

 魂の融合魔法は霊魂、つまりはすでに亡くなった者の魂をも掛け合わせることを可能とする。そして融合する魂のうち、片方の心が空っぽである時、もう片方の心は自意識を保ったまま新たな力を手に入れることができる。

 究極の魔力を持った、魂が空っぽの存在。それにかつて魔王と呼ばれた者の魂を放り込む。

 そうすることで、真の意味で魔王がこの世に復活するのである。


(クロムは、その魔王の器……)


 初め、クロムは魔法の使い方をまるで知らなかった。魔王だと呼ばれていたはずなのに。

 でもそれは当たり前のことだったのだ。

 クロムは魔王ではなく、魔王――の、器。

 そして、クロムは空っぽであることを望まれて生まれた存在なのだから。


「これは全部七年前の戦争で生き残った同胞から聞いた話なのだけどね。私のお母様は七年前、仲間たちと一緒に、ずっと準備していた魔王を再誕させる計画を実行に移したの」


 黙り込んだエルフィリアに、ニーナが語り始める。

 エルフィリアを捕まえるに至った理由。そして、七年前の真実を。


「でもね、その計画は失敗してしまった。理由は簡単。計画の要である実験体がね、『心』を持ってしまっていたの。余計なことを考えないようにって、大切に保管(・・)してきたはずなのにね」


 実験体はクロムのことだろう。まるで物のような言い方に、エルフィリアは眉をひそめる。


「新しく魂を創り直す時間はなかったわ。賢者に計画を感づかれてしまったのよ。だからお母様たちはしかたなく、器を器のまま使うことにした。太陽の熱を何百倍にも増幅して大陸を焼き払う大魔法、イクリプス。それを器の大量の魔力を使って起動したの。そして、戦争が始まった」


「イクリプス……? 魔王が発動した魔法じゃなかったのですか」


「魔王の魔法と言えばそうなのかも。イクリプスはかつて魔王が残したって言い伝えられている古代魔法だから。でも、あの魔法には一つだけ重大な欠陥がある」


「欠陥なのです?」


「完全な発動までに約一週間の時間がかかることよ。そして、その時間が致命的だった」


 ニーナは憎々しげにため息をついて、続ける。


「たったの一週間……でもその間、人間の軍は死力を尽くしてお母様たちが籠城していたこの城に攻め込んできて、結局、お母様たちは敗北した。『イクリプス』も止められたわ。まあ、はるか昔の闘争で私たち魔族はずいぶんと数が減っていたもの。それにあちらには賢者がいるのに、こちらには魔王がいない。当然と言えば当然かしら」


 そこでニーナはわずかに口の端を吊り上げる。


「もちろん、魔王さまの器にするべくして創った実験体も破棄された……そう思っていたわ。今はあなたの隣にいる、あの器を見つけるまでは」


「どうしてそんな……クロムだって同じ魔族じゃないのです? なんでそんな道具みたいに扱うのです……」


 エルフィリアの力ない主張に、ニーナは不思議そうに首を傾げた。


「もちろん同じ魔族よ。それに私たちは人間と違って仲間は大切にするの。だから言ったじゃない。大切に保管してきた、って」


「クロムは物じゃないのです」


「あら……? ふふ、ふふふ……物、物ね。そう、あなたにはそう見えるの。でもね、それはクロムちゃんに対してだけじゃないのよ?」


「どういう意味なのです……?」


「私たちは皆一緒なの。お互いをお互い、同じように思ってる。たとえクロムちゃんじゃなくて、そうね、私のお母様だったとしても、私は同じように保管って表現を使ったわよ? 母がクロムちゃんと同じ存在だったとしたら、だけどね。だから、なにもクロムちゃんだけが特別ってわけじゃないの」


「な、なにを言ってるのです?」


「ねぇ、エルフィリアちゃんは私たち魔族の悲願がなにか、知ってる?」


 悲願。その二文字は、エルフィリアにとっても馴染みが深いものだ。

 魔族の悲願はなにかと言われて、思いつくのは一つだけだった。


「人類の殲滅……なのです」


「正解。さすがエルフィリアちゃん、聡明ね」


「それと仲間を道具みたいに扱うことが、どう関係あるって言うのです」


「人間を滅ぼすことはね、私たち魔族共通の悲願なの。なら、それはこうとも捉えられないかしら。私たちの誰がどんな目に遭おうと、私たちのうちの誰かが目的を達成してくれるなら、それですべては丸く収まる」


「は……?」


「私たちは一人一人の個ではなく、魔族という一つの個の一部。その魔族が掲げる大いなる悲願のためなら、個なんていくらでも捨てられる」


「なにを……言っているのです……?」


「私のこの体も、心も、すべてはあの悲願のためにある。それを達成するためなら、たとえ誇り高い魔族の証である自分の尻尾だって、一切迷わず切り落とせる」


 エルフィリアは、ニーナが語る理屈がなに一つとして理解できなかった。

 悲願。渇望。なにがなんでも達成しなければならない望み。

 エルフィリアも掲げていたはずのそれが生易しく思える。

 個ではなく、群としての悲願。

 理解できない。理解、したくない。


「あの魔王の器だってね、本当にたくさんの同胞たちの霊魂をかけ合わせて作った物なのよ? ふふ、きっと同胞たちも喜んでくれたでしょうね。死んでもなお悲願のために尽くすことができたんだから」


 なんて、笑う。


「でもその同胞たちの無念を、あの器は裏切っている。だからもう一度、あの器に私たちのもとへ戻ってきてもらうの。もう一度、人間どもを滅ぼすために力を尽くしてもらう。エルフィリアちゃんを捕まえたのはそのためよ。器をおびき出すため」


 そう言って、笑う。

 ついこの前までお人好しの同級生だったはずの微笑みが、今はただ狂気に染まっている。

 いや、初めから狂っていたのだ。ただ、エルフィリアが気がつくことができなかっただけで。


「結構大変だったのよ? 学園の中じゃいつ見られてるかわからないから派手な行動は起こせないし、クロムちゃんに直接手を出すのはリスクが高いし……特に、エルフィリアちゃんが賢者と会ったって聞いた時は肝が冷えたわ。まさか正体がばれたのかと思っちゃった。本当はあの日にあなたを攫う予定だったのに……」


「最初からずっと、騙してたのですか……」


「騙してたなんて。まるで私を責めるみたいに言うのね。人間はどの時代、どんな場所であろうと私たち魔族を排斥してきたじゃない。それを棚に上げるの?」


「私はそんなこと……!」


「仮にあなたはしてなくても、あなたと同じ人間はそれをしている。あなたの先祖はそれをしている。そのすべてが本当にあなたの罪じゃないと言い切れる? 同じ人間である、あなたが」


「それは……」


「いえ、罪じゃないのかしら? 人間にとって魔族を殺すことなんて、正義であって罪じゃない。私たちは悪、あなたたちは正義。それが今のこの人間が支配する世界の真理。まぁ、唾を付けたくなるようなくだらない正義と真理だけれどね」


 ずっと貼り付けていた人の良い笑み。それを崩し、人と魔族について語るニーナの瞳の奥には、ぐつぐつと煮えたぎる確かな怒りが窺えた。

 個ではなく群。群としての悲願を達成するためなら、個なんて、それこそ自分自身すら捨てられる。

 ニーナはそんな風なことを主張していた。だけど、それはきっと違う……。

 初めはニーナだって、ただの個だったはずなのだ。

 今、彼女の瞳の奥にある怒り。あれはニーナベルティ・レインベリアという個人が人間に対して抱いている恨みそのものだ。

 人に孤絶され、虐げられ、排斥され。自分だけではない。多くの仲間たちが同じ目に遭って、苦しんでいく。

 本当に耐えられない苦しみを味わった時、人は縋る対象を求める。

 でも、人が支配する世界で魔族を助けてくれるような存在は誰も存在しなくて。

 だからきっと魔族たちは、お互いを縋った。

 お互いの苦しみを分かち合い、お互いの恨みを分かち合い。

 そして信仰する対象として、神ではなく、魔王と悲願を掲げた。

 魔王を蘇らせ、人類を滅ぼすこと。

 そうすることでこそ、魔族という忌み嫌われる存在が自由になれるのだと。


「ふふ。それに私、知っているのよ?」


 黙り込んでしまったエルフィリアに近づいて、ニーナがその顔を覗き込んでくる。


「あなたが器にずっと秘密にしている、『本当のこと』」


「……本当の、こと?」


「そう。ずっと不思議だったのよ。どうしてよりにもよってあなたが器と一緒にいるのか。他でもないあなたが、あの器の存在を許容しているのか」


 ――エルフィリア・ジェイド・ヴァイスィードハーツ。あなたはなぜ、あの子の隣にいるの?

 ――なぜ他でもない、あなたが。あなたならわかっているはずでしょう? あの子の危険性、そのすべて。ヴァイスィードハーツの名を継ぐあなたなら……。

 それはいつか、賢者リーゼロッテにも投げられた問い。

 エルフィリア自身でさえ結局答えが見つからず、ただただ立ち尽くしているしかなかった質問だ。


「ねぇ、教えてちょうだい? 器のそばにいるあなたを調べて、あなたを知った時から、ずっと気になっていたの。あなたは本当に心の底からあの器のことを受け入れているの? それとも私があなたたちにそうしていたように、ただ騙しているだけ?」


「……なにを言っているのかわからないのです」


「とぼけるの? だったら言い逃れできないよう、真実を口にするだけよ。あなたは、エルフィリア・ジェイド・ヴァイスィードハーツは、かつて――」


 そこで言葉を区切るとニーナは即座にエルフィリアを抱え、その場を後方へ大きく跳躍した。

 直後、ニーナがさきほどまでいた空間を火の魔法が通過する。

 下級魔法ファイアボルト。魔法使いなら誰でも当たり前のように使える、初歩の魔法。

 その魔法からは、ここ一ヶ月でずいぶんと感じ慣れた魔力を感じた。


「エルちゃんを返して。ニーナ」


「ふふ、怖い顔。いつもは無表情なのに、そんな顔もできるのね」


 これでもかというほどにその莫大な魔力を滾らせたクロムが、旧魔王城の入り口に立ってニーナを睨みつけている。

 ようやく釣れた。そう言わんばかりに、ニーナは嬉しそうに目を細めた。

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