22.しっくりくる言葉
(エルちゃん、大丈夫かな……)
学校に向かう途中も、授業を受けている最中も、そんなことばかり考えてしまっていた。
全然授業に集中できていない。その自覚はあったので何度も何度も集中しようとするのだが、どうしても思考が家で寝ているであろうエルフィリアの方へ行ってしまう。
信じていないわけではないけれど……こればかりは自分ではどうしようもない。
(エルちゃん……)
エルフィリアのことを考えていると、昨日の出来事が頭をよぎった。
昨日、彼女はクロムの前で初めて涙を流した。
もう一度だけでいいから、母親がくれた温もりが欲しかった。愛情が欲しかった。
幼くして、予期せずして、大切な人を亡くして独りになってしまった子どもの、渇くほどの強い願い。
あの時エルフィリアが語ったその思いに、どういうわけかクロムは『共感』していたように記憶している。
(わたしにも……以前、誰か大切だった人がいたのかな……)
クロムは封印の影響で記憶の大部分を失ってしまっていた。
思い出そうとしても、靄がかかったように霞んでいて、どうしようもない。
だけど日々をエルフィリアとともに過ごしていくうちに、ほんの少しずつ、記憶が戻ってきていることを感じている。
戻っていると言ってもごくわずかで、なんの意味もなさそうな平坦な記憶ばかりだ。
なんてことはない日常の一部と言い換えてもいい。
その日常で、クロムはいつもなにもない部屋にいた。
なにもない部屋。誰もいない部屋。白くて狭い、清潔感だけはある部屋。
そんな部屋で一日中、ご飯などの必要なこと以外なにもしないで過ごして、一日を終える。
ただそれだけを当たり前のように繰り返している。
エルフィリアと一緒に騒がしく過ごしている今からは考えられない退屈な日常だった。
(わたしは……本当は誰なんだろう? なんのために……エルちゃんはもしかしたら、そのことを知ってるのかな)
魔王と呼ばれていたこと、そしてそれが自分の果たすべき役割だったということは、なんとなくだが覚えていた。
だが、その時のクロムはまだ魔王という存在がどういうものなのかわかっていなかった。ただの呼び名、その程度にしか考えていなかった。
ただ、こうして勉強をしているうちに、鈍いクロムもその意味に気づき始めた。
魔王とは、魔族の王。
――いや、正確には違う。
魔族の中でも特筆した力を持つ、ただただ強大な個こそが、魔王。
群を従える本来の王とは違う。
他と一線を画す逸脱した能力を保持した、人間で言うところの英雄のような存在の魔族。それが魔王。
(わたしは魔王……)
かつてはそう呼ばれていた、はずだ。
だけど、クロムは魔法の使い方をまるで知らなかった。
魔王と呼ばれるほどの魔法の腕があったとしたら、記憶がなくとも体が勝手に覚えているはずなのに。
確かに尋常でない魔力はある。しかしクロムは未だ、ファイアボルトのようなごくごく簡単な魔法しか使えない。
そんな程度で魔王と呼べるのだろうか。
自分はいったい……。
(……うーん。ちょっと気になるけど……昔のことなんて、別にいいかな。今のわたしは、クロム。エルちゃんの……)
エルちゃんの、というところでクロムは言葉を詰まらせてしまった。
今まで深く考えたことはなかったが……自分はエルフィリアにとってのなんなのだろう?
(知り合い? それとも、居候? ……友達?)
どれもなんだかしっくりこない。
もっとぴったりな言葉があるはずなのに。
うんうんと唸っていると、ふいに視界に影が差した。
「どうかしたの? クロムちゃん」
「ニーナ」
「もうお昼休みよ? 授業中もずっとそうしてぼーっとしていたし……もしかして熱でもある?」
「熱があるのはエルちゃん。わたしは平気」
「えっ。エルフィリアちゃん、もしかしてなにか病気……? だから昨日も今日も休んでるのね……」
「疲れが溜まってただけ、だと思う。最近エルちゃん、ずっと頑張ってたから」
「確かになんだか無理してる感じはあったかしら。安静にしているといいけど……」
弁当を取り出して、同じ机の上に並べる。
クロムの弁当はいつも通り、エルフィリアが作ったものだ。
それを見て、エルフィリアの様態が今はそこまで悪くないことを察したのだろう。ニーナはほっと息をついていた。
「……ニーナは」
「うん?」
「わたしの友達?」
「ええ。友達だと思うわ」
「ニーナにとってのエルちゃんも、友達」
「そうね。二人とも大切なお友達よ」
「じゃあ、わたしにとってのエルちゃんってなんだろう」
「え? うーん……」
ニーナは少し考え込むように顎に手を添えた。
クロムは食事の手も止めて、そんなニーナをじっと見つめていた。
「たぶん、家族じゃないかしら」
「家族?」
「ええ。たぶんエルフィリアちゃんの方も、クロムちゃんのことをそう思ってると思う。なんだかんだクロムちゃんのこと、いっつも気にかけてるしね」
「家族……」
ただ一緒に過ごしている、というだけの意味ではないだろう。それなら居候と、その家の主というだけでいい。
「そっか。家族、家族。わたしとエルちゃんは家族なんだ」
それは他のなによりもしっくりくる言葉だった。
どうしてか胸がぽかぽかと温かい。
「ところでクロムちゃん。最近、お勉強の調子はどう? うまくいってる?」
「そこそこ」
「今日も学校に残って勉強していくかしら」
「今日は帰る。もうほとんど治ってるみたいだけど、エルちゃんが家で寝てるはずだから」
「そっか。わかったわ。実は私もちょうど用事があったところなの。だからクロムちゃんのお勉強を見て上げられないなーって思ってたけれど、それなら大丈夫かしら」
「うん。ニーナ、いつもありがとう」
「いいのよこれくらい。だって私たちは友達なんでしょう?」
仏頂面が多いエルフィリアと違って、ニーナはいつも笑顔だ。
初めて会った時は少し警戒していたはずなのに、今はすっかり心を許してしまっている。
(それに……なんだろう? 不思議な『親近感』みたいなものが、あるような……ないような……)
じっ、とニーナを見つめる。
視線に気づいたニーナは、どうかした? なんて、こてんと首を傾げている。
(……うーん。よくわからない。少し、懐かしい? ような感じもするけど……)
「……ニーナとわたしは、ずっと昔にも会ったことがある?」
「え? そんなことはないと思うけど……昔の知り合いに私に似た人でもいたの?」
「ううん。わたし、昔のことはよく覚えてない」
「……そうなの。ごめんなさい、なにか失礼なことを聞いちゃったかしら」
「別に。昔のことは昔のこと。今のわたしにはエルちゃんがいるから」
「…………そう」
ほんの一瞬、ニーナの顔が歪な負の感情を表したように見えた。
初めて見るニーナの表情に、目をぱちぱちとさせる。
だけどその時にはもうすでにいつもの笑みが張り付けられていて、気のせいだったのかな、と首を傾げた。
(それにしても……エルちゃん、大丈夫かな。ちゃんと寝てるかな……)
なんだかんだ、結局思考は同じところに戻ってくる。
結局午後の授業が終わるまでずっと同じようなことをぐるぐると心配し続けてしまって、授業には集中できなかった。




