21.こういうのも悪くない
「あぁー……死にたいのです。絶対熱のせいなのです。なんで私はあんな恥ずかしい真似を……」
翌日の早朝。すっかり熱も収まったエルフィリアは、先日の出来事を思い出して悶絶していた。
熱のせいでクロムに弱音を漏らしてしまったばかりか、熱のせいでクロムと母を重ねてしまい、熱のせいで泣いてしまった。
全部熱のせい。
(そうなのです。私は悪くないのです。悪いのは全部熱っ! おのれ熱……! 絶対許さないのです……!)
いつもなら布団の中にクロムが潜り込んでいるところだが、前日まで熱を出していた今回はさすがにいない。
久しぶりの一人で迎える朝。
なのだが、エルフィリアの機嫌はすこぶる悪かった。
「はぁ……朝ご飯でも作るのです」
一人で憤慨していたところで体力の無駄だということを早々に悟り、脱力してベッドから下りる。
まだ少し体はだるいが、昨日とは比べるべくもない。昨日は本当にひどかった。
部屋を出て台所へ向かう。
そしていつも通りご飯を作っていたところで、ぱたぱたと急ぎ足で近づいてくる音が廊下から響き渡った。
「え、エルちゃん! もう大丈夫なの……?」
部屋にエルフィリアがいないことを確認して、慌てて来たのだろう。
クロムはエルフィリアを見つけると、ほっと息をついて、その後すぐにエルフィリアの体を労ってくる。
――よしよし。
――よく頑張ったね。
昨日の記憶が頭の中を駆け巡り、恥ずかしさで頭が沸騰しかける。
だけどなんとか平常心を装いながら、答えた。
「問題ないのです。ほら、今日はパスタなのですよ」
なんて、差し出したのはハンバーグ。
「……エルちゃんベッド行こ?」
「ま、間違えたのです。ちゃんとハンバーグに見えてるのですよ」
平常心を装っただけなので内心普通にテンパりまくりである。
慌てて取り繕いながら、これも証拠なのです、と、すでに回復魔法で治してしまっている、包帯のない指を見せた。
「むぅ……ほんとに大丈夫なの……?」
「大丈夫、大丈夫なのです……あ、クロム。ちょっと手を見せるのです」
「……? うん」
クロムが差し出した、これまた包帯が巻かれた手。それに回復魔法をさっとかけた。
「これで痛くないはずなのです」
「……気づいてたの?」
「むしろ気づかない方がおかしいのです」
朝食をテーブルに並べて、クロムと席につく。
実は今日の朝食をクロムが好きなハンバーグにしたのは、昨日のお礼の意もあるのだが……エルフィリアがそんな恥ずかしいことを自分から言うはずもない。
エルフィリアがツンデレなことを知っているクロムもこういう時ばかりは鈍感で、なにも考えていなさそうに、もきゅもきゅと料理を頬張っている。
「クロム。昨日はちゃんと勉強やったのです?」
「んむ? もぐもぐ……うん。エルちゃんが寝た後、一人でやってた」
「ならいいのです。昨日は、その、迷惑かけたのです」
「迷惑じゃない。エルちゃんのことだもん。それに、迷惑ならいつもわたしの方がかけてる」
「まあ確かに」
ここで迷いなく肯定する辺りがエルフィリアである。
「思えばこうして朝食を作ることになったのもクロムが言って聞かないからなのです。そんなにおいしいのです?」
「おいしい」
「ほんとにハンバーグが好きなのです、クロムは」
「エルちゃんが作ってくれたものだからおいしい」
「あーはいはい。ありがとうなのですよー」
「本当なのに……」
クロムは少し不満そうに頬を膨らませたが、中断していた食事を再開すると、すぐに機嫌を元に戻していた。
一足早く食べ終わったエルフィリアは、そんなクロムを、机に肘をついて眺める。
(思えば、クロムと出会ってから、もうすぐ一ヶ月なのです)
……いや、まだ一月も経っていないと言うべきか。
朝、少し早く起きてご飯を作って、クロムと一緒にそれを食べる。
クロムのせいで……あるいはクロムのおかげで始まったこのサイクルは、もはやエルフィリアにとって日常と化してしまっていた。
初めの頃は、クロムという厄介事をどう排除しようかと悩んでいたものだ。
だけどこうして一緒に過ごしているうちに、次第に、こんな日々も悪くないと思うようになってきてしまっている。
しかもなんでもない口約束とは言え、助手にする約束まで交わしてしまった。
明日も。一週間後も。一ヶ月後も。一年後も。あるいは、もっと先まで。
その時もまだ、こうしてクロムと一緒に暮らし続けているのだろうか。
(……クロムのことなのです。どうせ定期的に面倒事を持ってきやがるのですよ。そう思うと、少し気が滅入るのです)
小さくため息をついて。
(……でもまあ……そういうのも、案外悪くない、のかもしれないのです)
出会ったばかりの頃と違って、今はそう思える。
少なくとも、絶対に叶わないとわかっている夢をたった一人で追い続けるよりは、ずっとマシだ。
たとえこれがもしも届かない夢だとしても、二人ならきっと、寂しくはない。
「エルちゃん、ちょっといい?」
「ん? どうしたのです?」
食べ終わった後、エルフィリアがクロムの手招きに応じると、クロムはエルフィリアの額に手を当てた。
「…………まだちょっと熱がある気がする」
「気にしすぎじゃないのです?」
「今回のことで学んだ。エルちゃんは気にしすぎなくらいがいい」
「はあ……そうなのですか」
「だからエルちゃん、大事を取って今日も学校は休もう」
「いや別に普通に動けるのですけど」
「大事を取って、休もう」
ずいっ。顔を近づけて、至近距離でクロムが言う。
心配をかけてしまったのはエルフィリアの方なので、あまり強く言い返せない。
「む、むぅ……わかったのです。でもクロム、だったらお前だけでも学校に行くのです。もう看病はなくても大丈夫なのです」
「わたしだけ?」
「私はもう動けるのです。その私をお前のわがままで家に置くのですから、クロム、お前も私のわがままを聞くのです」
「む、むぅ」
エルフィリアと同じ唸り声を上げ、クロムが言葉を詰まらせる。
「……エルちゃん、無理しないよね……?」
「おとなしく寝てるのです」
「本当に? 嘘ついて地下の部屋で研究とかしたりしない?」
「しないのです。ちゃんと約束するのです」
二日前までのエルフィリアなら、間違いなく魂の融合魔法の解読を再開していた。
だけど今はそんな気はまったく起きない。
叶わなかったはずの本当の願い。母がくれたあの時の温もりがもう一度欲しいというその望みは、図らずもクロムに叶えられてしまった。
胸にぽっかりと空いていた穴が、今はすっかり埋まってしまっている感覚がある。
だけど、魔法使いになりたいという、その思い。
これまでは母がくれた温もりへの渇望で歪んでしまっていたけれど、元を辿ればその根源は、エルフィリア自身が魔法のことが好きだったからだ。
エルフィリアには魔力がほとんどと言っていいほどない。だけれど魔法使いになりたいというこの思いが間違っているとは思わない。
いつか必ず魔力を増やして、立派な魔法使いになる。
それが今の、そして昔からのエルフィリアの、本当の夢。
「……わかった。エルちゃんのこと、信じる」
「ん。じゃあ早く支度をするのです。もう結構な時間なのですよ」
「うん」
クロムに朝食と一緒に用意していた弁当を渡す。
そして支度を終えてクロムが家を出て行ったことを確認すると、エルフィリアは自室に戻って床についた。
(……クロムは、一人でも大丈夫ですかね?)
少し前まではクロムを心配することをあんなに嫌がっていたのに、今はごく自然にそんな考えが出てしまっていた。
(まあ……大丈夫なのです。ニーナがいるのですよ。いざとなったらニーナが……なん、とか……)
やはり疲れがまだ残っていたのだろう。
やってきた眠気に身を任せ、うとうととし始めた意識を早々に手放した。




