2.魔王復活?
「……うーむ……どこにも増して埃くさいところなのです。ちゃんと掃除しろってんですよ」
人がまず通らない隠し通路にぶつくさと無理難題の毒を吐きつつ、足を進める。
松明もなにもないので魔法の光源だけが頼りだ。
なぜ、旧魔王城にこんな隠し通路があるのだろうか。
あの反魔法の術式は他者がこの先へたどりつけないよう、誰かが意図的に仕組んだものだった。
反魔法を反魔法で打ち消した時の感覚からして、この階段の通路全体を覆うようにして反魔法が展開されていた。
しかもあの術式の練度。
反魔法の術式と干渉し合わないよう、三次元的に物質強化の術式が刻まれていた。
普通の術式同士を組み合わせるならばともかく、魔法をかき消す反魔法の術式と別の魔法を組み合わせることなど容易にはできない。
しかもその上で、そのどちらもが最上級の完成度を誇っていたように感じた。
つまるところ、ここは本来なら常人には立ち入れるはずがない空間なのである。
(ま、怪しいってことはそれだけ貴重な物があるかもしれないってことなのです。ふふふ、期待しちゃってもいいのです?)
明らかに怪しいが、少女は一切臆さない。元気に鼻歌を歌いながら上機嫌に進んでいく。
やがて、階段の終わりが見えてきた。
たどりついたそこは、ある一点を除いてなにもない空間だった。
家具など一つもなく、装飾品の一つだって置いていない。当然、魔導書も研究資料も見当たらない。
唯一ある一点と言えば、青白く、そして淡く光っている魔法陣である。
大理石のような白い床の上に、部屋の中央を中心として、直径五メートルほどもある不可思議な円形の魔法陣が描かれている。
「これは……? 初めて見るタイプの魔法陣なのです。えっと、術式系統は……」
いろんな魔導書を読み漁ってきたが、それらに載っていたどの魔法よりも精密に、綿密に、緻密に術式が編まれている。
さきほどの反魔法だって相当高度な代物だった。
だけどこれはあれよりもさらに一段階、いや、三段階は上の超難易度術式だ。
それこそ、世界最高ともされる賢者レベルの魔法使いが何年、何十年の時をかけてようやく完成させられるような……それほどの術式である。
「……封印、ですかね? なにか大事なものを隠している……そんな感じがするのです」
それでも、そんな魔法陣の構成さえも少女は読み取ってみせる。
「……うぅーん。これ……ど、どうしましょうかね……」
立入禁止となっている旧魔王城の地下深く、反魔法の仕掛けの奥に隠された封印の魔法陣。
いかにも。いかにも、怪しい。
なにせこの魔法陣の中には、あんな仕掛けを施してまで秘匿し続けたいなにかが隠されているということにほかならない。
「封印……解いちゃいます……?」
今更ながら、ちょっとビビってきてしまっていた。
堂々と立入禁止区域に立ち入る傲岸不遜さはあれど、それはここが安全だという確信があったからだ。
けれど、この魔法陣は違う。
得体の知れないなにかが封じられている危険性が秘められている。これを解放することは、自らの身を危険にさらす結果になるかもしれない。
封印の魔法陣には本当に様々な物を封印することができる。
本のような道具から猫のような生き物、果ては物質だけでなく、人の記憶や魔法そのものだって封印することだってできる。
だからたとえば、そう。
もしもこの魔法陣の奥に、あの魔法が、かつて大陸を焼き払わんとした大魔法が封じられたりなんてしていたら……。
「……で、でも」
だけれど、それはあくまで可能性の話。そして可能性で語るのならば、少女が望むような魔導書が隠されている確率もゼロではない。
七年前に復活した魔王。その魔王が愛読した魔導書が封じられている、そんな可能性もないわけではないはずなのだ。
そしてその魔導書ならば、ずっとずっと探してきた、自らの悲願を叶える方法も見つかるかも知れない。
「……よし! 毒を食らわば皿まで! ここまで来たからには解いてやるのですっ!」
魔法陣に手をかざし、封印を解除するための反魔法を起動する。
魔法陣を直接壊すことでも封印の解除は可能と言えば可能だが、それでは中にあるものを傷つけてしまう危険性がある。
魔導書が封じられているのなら魔導書をずたずたに引き裂いてしまうし、魔法が封じられているのならそれの暴走を誘発してしまう。
なので少女は反魔法での解除を選択した。
……複雑な封印だ。
並の魔法使い、否。たとえ一流とされる魔法使いであろうと、一生をかけて解明しきれるかどうかというほどの。
そして解明できたところで、解除することができるかどうかは話が別だ。これもまた賢者レベルの実力がなければ施すことも解除することもできない。
だが、この少女にとって術式の難易度なんてものは大した意味をなさない。
少女は魔法というパズルの組み方を知っている。パズルを組むコツを誰よりも知っている。
パズルのピースを手に取れば、それをどこに収めるべきかが感覚的にわかるのだ。
ピースの数が十であろうと、百であろうと、千であろうと。
そのすべての置く場所が始めからわかっているのなら、しょせん作業量が増えるだけ。
これは、この少女が持ち得る天性の才能である。
「もう少し……」
しょせんは答えがわかりきったパズルだ。
それを完成させることにそこまで長い時間はかからない。
「はぁ……はぁ……ふぅ。よし、反魔法術式完成なのです」
魔力が枯渇しかけているせいで体力が低下し、息が切れる。
反魔法はあまり魔力を使わずに行使できる。しかしこれほどまでに高度な魔法の打ち消しともなれば話は別だ。
少女が持ち得る魔力はその魔法技術と反比例するように、異様と言ってもいいほどに少なかった。
度重なる超高度魔法の打ち消しで、もう魔力がかつかつである。
この魔法を使ったら、もうしばらくは魔法を使えなくなる。
「……いざ!」
ごくり、と生唾を飲み込み。
少女は、封印に反魔法を叩きつける。
――――ピキ。
魔法陣の中心にヒビが入り、一瞬にしてそれが魔法陣全体に広がった。
「ま、まぶし――」
眩い光が部屋中を覆い尽くす。
術式が巻き戻り、崩壊し、魔法陣が粉々になって宙を舞って、封印が解き放たれた。
初めに少女を襲ったのは凄まじい量の魔力の嵐だった。
何十、何百、何千――?
そんな低次元の話ではない。
何万、何億。もっと、それ以上。
常人の幾兆倍にも匹敵する尋常ではない量の魔力の波が空気を震わせ、空間を歪ませ、それ自体が物質的現象として具現していた。
(な、なんて魔力……なんだかとてつもなくやばいのですっ!?)
すぐに逃げ出そうとしたのだが、足がすくんで動くことができなかった。
魔力とは、それ単体で物理現象を引き起こすことはない。魔法へと昇華することで初めて現世に干渉ができる。本来であれば……。
だというのに、風が吹いている。空気に色がついて見えている。
魔力の密度が高すぎるがゆえに、魔力そのものが術式もなしに魔法と同等のものと化し、実際の物理現象として発現しているのだ。
どす黒く、けれどもそれがこの世のなによりも美しく。
美しき白銀が、他のどんなものよりも禍々しく。
解き放たれた魔力の波が渦を巻き、黒と白の二つの帯が絡み合うようにして魔法陣の中心に集っていく。
(ま、まま、マジでやばいですってこれ! こんな魔力……絶対これ魔王なのですよぉっ!? 実は倒されてなくて密かに封印されてたパターンなのですー!)
今更封印されていたものの正体に気づいた少女だったが、時すでに遅しである。
すでに封印の魔法陣は粉々に破壊してしまった。魔王の再誕を避けることはできない。
やがてすべての魔力が一つに収束し切ると、そこに半径一メートルほどの球体が生まれた。
さきほどまでは魔力の風が吹き荒れていた。しかしこれは、魔力そのものが固体として具現している。
いったいどれほどの魔力があれば、そんなことが可能なのだろう。少なくとも、人間には不可能であることは確かである。
その球体に、小さな卵の殻が割れるようにして亀裂が生じていく。
――ぱき、ぱき……ぱきぱきぱき。
殻が剥がれ落ち、今ここに、封印されていた魔王が七年の時を経て蘇る――。
「――――ぷはっ」
部屋に木霊したのは、可愛らしい女の子の声だった。
感情があまりこもっていないような、少し低めの声である。
雛のごとく球体の中から顔を出したのは、やはり声音と違わぬ幼い少女。
苦しかったー。
そう言わんばかりに、すーはーと息を吸ったり吐いたりを繰り返している。
……この少女が魔王なのだろうか?
その動作の一つ一つに威厳は欠片すらなく、無邪気さと可愛らしさしか存在していない。
まかり間違っても「人類の天敵」などとまで言われている魔王のイメージとは程遠かった。
容姿は黒と白のツートンカラーな髪と、右と左でそれぞれ白黒の色合いをしたオッドアイが特徴的だ。
年の頃は魔法使いの少女と同じくらいだろう。くりくりとした無垢な瞳は愛らしく、ぷっくりとした桜色の唇は非常に柔らかそうである。
ずっと封印されていたからか、眠気を払うように目元をごしごしと拭う。
ツートンな少女は目元にやっていた手を下ろすと、ぺしぺしと魔力の殻を叩いて壊して外に出た。
その肢体を包み込んでいるのは、髪と同様に黒と白のツートンなデザインのワンピースだ。
そうして少女にとっては久方ぶりな地上で初めに見たものは……とにかく、非常に彼女を困惑させるものだったことに間違いはないだろう。
「ゆ、ゆゆ、許してくださいぃ! 出来心だったんですぅ! ごめんなさいぃ! お願いだから食べないでぇえー!」
「…………え、っと……?」
魔力の殻から外に出て、早々に足を止める。
ツートン少女が最初に見たもの。
それは……部屋の隅で頭を抱えてうずくまり、ぷるぷると情けなく震えている挙動不審な少女だった。