19.だいじょーぶなのです
ハーパーと出会い、魂の融合魔法を教えて貰ってから早数日。
とんとん、と。
授業を軽く聞き流し、ノートをペン先でつつきながら。
エルフィリアは、魂の融合魔法の研究の進み具合が芳しくないことを悩んでいた。
(どうしたものですかね……)
二〇〇年を生きるハーパーでさえ一切を理解できなかった、その魔法。
未知の術式が多すぎるせいで、未だその表面程度しか解き明かせていない。
わずかとは言え解読してみせるだけでも相当凄いのだが、エルフィリアが欲しいのはそんな意味のない客観的評価ではなく、魔法の解読を終えたという結果だ。
今わかっていることと言えば、いくつかあるらしいうちの魔法の発動条件の一つくらいである。
融合させる魂がどちらも肉体を持っている場合、血液などの互いの体液を交換し、契約の術式を交わすことで、魂の融合が可能となる。
肉体を持つ存在と霊魂、つまりはすでに肉体を失い亡くなった魂との融合も可能なようだが、どうにも特別な手順と材料が必要になるようだ。そして今のエルフィリアには、その手順も材料も読み取ることはかなわない。
……このままでは、完全な解読まで長い時間が必要となるだろう。
ましてや魂の融合魔法に手を加え、リスクを最小限まで減らした上で魔力の器を大きくする方法など、今のエルフィリアにはまるで見当もつかない。
エルフィリアとて、自らの悲願がそう簡単に達成できるものではないことはわかっている。
それでも、やっと手に入れたこの手がかり。早く解読し、もっと先へ進みたいと思ってしまうのもしかたがないことだろう。
(そもそもなのです。あの魔法は魔法体系からして私がこれまで学んできたものと根本的に異なるのですよ)
軽く聞き流していた授業を軽くどころか完全に頭の外に追いやって、自分の世界に埋没する。
(魔族の魔法……魔族が独自に創り上げてきたっぽい術式がふんだんに盛り込まれてるのです。人の魔法にかろうじて似てる部分があるので、一応解読できなくはないですけど……深い部分を知ろうとすればするほど、解読に時間がかかるのです)
今のペースで解読を続けていけるなら、五年もあればすべてを理解することができる。
しかし、ことはまずそう簡単にはいかない。
魔法の深奥へ近づくごとに、その術式は人の魔法の歴史から外れていくからだ。
初めは一つの術式を一日で解読できていたものが、やがては一つにつき一週間、一ヶ月と伸びていく。
そうなれば、必要となる時間は数年どころの騒ぎではない。数十年、あるいはもっと……。
エルフィリアは人間だ。ハーパーなどの異種族と違い、その寿命はせいぜいが一〇〇年弱程度でしかない。
魔法で寿命を延ばすことは可能と言えば可能だ。ただ、その魔法に必要となる材料はどれもこれも非常に高価で、今のエルフィリアには一つとて手が出せるものではない。仮にその材料のすべてを揃えるために必要な額というと、一流の魔法使いが何十年という時間をかけて築いた財産で、ようやく揃えられるかというほどの、それほどの金額なのだ。
エルフィリアの悲願は魔力量を増やすこと。しかしそれは真に魔法使いとして認められるため、魔法使いとして生きていくためである。
生のすべてを魔力量を増やす方法の解明に費やすのでは、本末転倒。悲願を達成したとは到底言えない。
無論、不可能とされているそれを成し遂げてみせるだけで、魔法の歴史に名を残すことができることはわかっているが……それはエルフィリアの理想とする魔法使いとしての人生からは程遠い。
(うーむ。魔族の術式を一から学べるのなら、それに越したことはないのですけど……)
専門知識が必要な問題に、予備知識もなしに自力で方法を探しながら挑むのと、きちんと予習してから挑むのとでは、天と地ほども効率や理解度に差がある。
魔族の術式を一から学べるのなら……。
……そうは言うものの、それはまず不可能に近い。
エルフィリアの近くにいる魔族と言うとクロムだが、彼女はエルフィリアに教わるまで魔法の魔の字も知らなかった初心者だ。魔族の術式の仕組みなんて知る由もない。というかそもそも彼女に今回の件を関わらせるわけにはいかない。
次に頼れる相手となると、二〇〇年の時を生き、魂の融合魔法を教えてくれたハーパーだろうか。
しかし、そもそもこれはハーパーが解読できなかった魔法だ。彼女が魔族の術式の解読方法なぞ知るはずもない。
唯一知っている可能性があると言えば、図書館で一度出会った賢者であるあの胡散臭い女だけれど……胡散臭かろうとなんだろうと、彼女は賢者。
そう簡単に出会えるはずもなく、ましてやエルフィリアなどという、無名の魔法使いに構う時間を作る義理もない。
結局のところ、今のまま研究を続けていくしかないのが現状だ。
今までまるでわからなかった悲願への手がかりや方法を、やっと見つけることができたというのに。それを達成するためには気が遠くなるほどの長い時間と努力が必要で、仮に達成できたところで、きっとその時にはもうすでに寿命は幾ばくもなく……。
(どうにかしないといけないのです。どうにか……)
はやる気持ちがエルフィリアの思考を加速する。
しかし結局良い方法などまるで思いつかず、無常にも、ただただ時間だけが過ぎていった。
朝起きてご飯を作って食べて身だしなみを整え制服に着替え、決まった時間に家を出る。
初めは少しぎこちなかったその繰り返しの作業も今では大分慣れて、学生生活がなかなか板に着いてきた。
「エルちゃん、大丈夫?」
そんないつも通りの登校中の朝。唐突に、クロムがそんなことを聞いてくる。
なにやら心配してくれているようだったけれども、あいかわらずと言うべきかなんと言うべきか。言葉が少なすぎて、いまいち言いたいことがわからない。
そんなエルフィリアの内心を察したのか、クロムはさらに言葉を続けた。
「最近、よく夜遅くまで起きてるみたいだから」
「あー、そのことですか」
ここ最近、エルフィリアは空いている時間を見つけては地下の研究室に籠もり、あの魔法の解読を続けている。
真剣なエルフィリアの内心が知らず知らず伝わっていたのだろうか。毎日のように気を張り詰めるような作業を夜遅くまで毎日続けているエルフィリアを、クロムは心配しているようだった。
エルフィリアは少し考えて、答えた。
「あれくらい全然平気なのですよ。元々、クロムが来る前は結構不健康な生活リズムとか食事とかも多かったのです。あのくらいはいつものことなのです」
「でも目の下、ちょっと隈できてる」
「だからこれくらい大丈夫ですって。クロムは心配しすぎなのです」
「でも……」
「あんまり構ってやれなかったお詫びに今夜は久しぶりにハンバーグでも作ってやるので、元気出すのです」
「……エルちゃん。わたしにもなにかできることがあったら、言ってね」
「ん。覚えておくのです」
クロムはまだなにか言い足りなさそうだったが、エルフィリアの対応がいつもと変わらないものだったからか、それ以上の追及をやめたようだ。
クロムはエルフィリアの力になりたいと考えているようだったが……残念ながらそれは無理な話だ。
なにせ、あの魔法は禁術である。迂闊に他人に見せられたものではない。
もっとも、今のクロムが見たところで欠片すら理解などできないだろう。まだ魔法を習い始めたばかりの彼女では、新たな魔法の解明なんてまだまだ先の話だ。
しかし研究を手伝ってもらうともなれば、やがては嫌でもその構造を理解することになる。
そしてそれを知った彼女はいずれ、自分の正体とはなんなのかを深く悩み始めるかもしれない。
(クロムにだけは、あの魔法は絶対に見せられないのです)
クロムが何者なのか、エルフィリアはまだその本当のことを知らない。
おそらく、クロムもそれを正しくは理解していないだろうと思う。
けれど、それがあまり良くないものであることは、断片的な情報からでも容易に判断ができる。
それを知ったクロムが自分をどう思うようになるか……。
それを思えば、やはりクロムをあの魂の融合魔法に関わらせるべきではない。
(……って、これってつまり私もクロムのことを心配してるってことになるのでは……?)
はっとしたような顔で、ぴたりと足を止める。
(いや、いやいや! 別にクロムのことなんてどうでもいいのです! ただ、クロムが魔王としてまた世界を敵に回したりなんてしたら私がやばいので、その可能性を潰してるだけなのです。それだけなのですよ)
第一、クロムには家に押しかけられたり強引に居候されたりといろいろな面倒をかけられてきたのだ。
否、今もなおかけられ続けていると言っても過言ではない。そんな彼女を心配するなんてありえない話だ。
「え、エルちゃん。大丈夫……?」
ぶんぶんと首を横に振って、さきほどまでの思考を否定する。
エルフィリアが急にそんな奇行を路上でし始めたからか、さきほどよりも三倍増しの心配そうな瞳で、クロムがエルフィリアの顔を覗き込む。
「な、なんでもないのです! 早く行くのですよ!」
「あ。ま、待ってエルちゃん」
走り出したエルフィリアを追ってクロムも駆け出す。
なお、学園につくよりも息が切れる方が早かった。
異変が起こったのは、それからさらに数日後のことだった。
朝起きて、いつものように隣に寝ていたクロムを押しのけて、台所に向かう最中。
その時点で、すでにエルフィリアはその異常に気づいていた。
(……なんだか、体がだるいような……)
足取りもふらふらと定まらない。
ことあるごとに壁や扉に体をぶつけたり。
朝ご飯を作る時も、些細なことでミスをして、包丁で手を切ってしまったり。
治療で魔法を使う時も、術式がめちゃくちゃで逆に痛みを誘発してしまったり。
それに、なんだか妙に頭が熱っぽい。
心がぽやぽやとその辺に浮いているかのように、気がつくと、ぼーっと置き物のようになってしまっている。
そんなエルフィリアの異常ははたから見ても一目瞭然だったようで、
「え、エルちゃん。大丈夫……?」
開口一番。起きてきたクロムが挨拶ではなく心配の言葉を口にして小走りで近寄ってきた辺り、その具合が窺える。
とは言えしかし、意地っ張りなエルフィリアがそれを素直に認めるはずもなく。
「だいじょーぶなのですよ。ほら、バカは風邪引かないって言うのです。そしてバカと天才は紙一重なのです。つまり、天才である私も風邪を引かないってことなのですよ。ふふふ、さすが私……」
「言ってることがすごいバカっぽい……」
「バカとはなんですか。私はてんさいなのです。てんさいまほーつかいえるふぃりあなのです。すごい魔法をいっぱいどっかんと使えるのです」
「え、エルちゃん。今日は学園休もう……? 明らかに調子悪そう……」
「だからだいじょーぶって言ってるじゃないですか。ほら、今日の朝食なのです。クロムの好きなはんばーぐなのですよ」
「どう見てもパスタだけど……」
「はんばーぐなのです。さあ、早く食べて支度をするのです。きょーもがくえんいかないと……いけない、んですから……」
「え、エルちゃんっ!?」
ぱたん。
歩こうとした途端、いきなり顔から床に突っ伏したエルフィリアにクロムが慌てて駆け寄った。
「ね、熱すごい……」
少し触っただけで異常だとわかるくらい、エルフィリアの額は熱かった。
「べ、ベッド! ベッド、連れてかないと……あと、氷とタオルと、水と……えっと、えっと……」
病人の介護などしたことがないクロムはたじたじで、とにかくまずはベッドに連れて行くべきだろうと、必死でエルフィリアを背負って台所をあとにする。
その時のエルフィリアにはまだ、ぼんやりとだが意識があった。
いつも無表情なクロムが珍しく涙目で、これでもかというくらい心配そうな声で、何度も何度もエルフィリアの名前を呼ぶ。
(大げさ、なのです。ちょっと熱が出て……倒れちゃった、だけなのです)
朦朧と、今にも途切れそうな意識。
(別、に……クロム、なんかに……心配、されなくても……)
こんな時でさえ意地ばかり張ろうとする。
心の奥底で、少しだけそんな自分に呆れてしまう。
だけど最後はクロムの背に預けるようにして、エルフィリアは意識を手放した。




