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18.七年前の禁術

 午後の授業も終えて、今は放課後。

 今日も今日とてエルフィリアは図書館に足を運んでいた。

 ただし前回とは違い、今回は一人だ。

 クロムは今、早速と言わんばかりにニーナに手伝ってもらいながら勉強に励んでいる最中である。

 本当は、ニーナに任せてばかりなのも悪いので、エルフィリアも一緒にクロムの勉強を手伝うつもりだった。しかし昨日に引き続き図書館で調べ物をしたいというエルフィリアの内心を察していたニーナから、大丈夫だと気を遣われてしまったのだ。

 まったく、本当に彼女には頭が上がらない。


「さて……」


 先日は案内板に従って三階で本を探していたエルフィリアだったが、今回は違う。

 一般の書物が多く並ぶ一階の本棚の間をくぐり抜けながら、人気のない隅の方を目指す。


「……ここが『北東の角』でいいのですよね?」


 見渡せば、いかにも人気がなさそうなマイナーなジャンルとタイトルの本ばかりが本棚に収まっている。

 人気もまったくなく、近くにはエルフィリア以外の誰もいない。

 エルフィリアがこんなところに来ているのは、図書館で出会ったあの女性が言い残した言葉の真意がなんなのかを確かめるためだった。

 賢者とまで呼ばれるようになった魔法使いが残した、不可解な暗号。

 もしかすれば、悲願につながるなんらかの手がかりがあるかもしれない。


「次は、右手側の四つ目の本棚……下から二段目の、右から十二冊目……これですかね?」


 記憶を頼りに、指定されていた本を手に取ろうとした。


「あれ……抜けないのです。ふん、ぬぐぐ……!」


 どういうわけか、いくら力を入れても、本がまったく動かない。


「はぁ、はぁ……なんなのですこれ。こんなに固いのはおかしいのですよ……」


 肩で息をしながら、試しに両サイドの本を手に取ってみる。

 ぴったり収まっていて、左右の本からの圧迫のせいで少し固かったが、問題なく抜き取ることができた。

 それから今度は、ぽつんと一冊だけになった目的の本を抜こうとする。

 それでもやっぱり、抜けない。全力で引っこ抜こうとしてもぴくりともしない。


「……もしかして、魔法で固定されてるのです?」


 抜こうとするのではなく、そっと手を添えて。魔力の流れを感じ取るべく両目を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。


「……むぅ。なんらかの魔法が働いてるのはわかるですけど……初めて感じる魔力の波長なのです。よくわかんないのですよ……」


 ただ、わかったこともある。

 それは、別に本が固定されているわけではないということだ。

 本が固定されているのではなく、この本は元々本棚の一部で、最初から取れないようになっている。


「うーん、合言葉は『りんごの木』とか言ってたですけど……」


 試しに口にしてみたが、なにかが変わる様子はなさそうだ。

 わけがわからないまま、本棚に収まったままの本の背の、タイトルの部分を見てみる。

 そこに書かれていたのは、『E・P・T・A・L・R』、なんて意味のわからない六文字のアルファベット。

 そのまま読もうとしても不可能で、単語としての意味をまったく成していない。

 だとすれば、


「りんごの木……」


 このアルファベットと合言葉。その二つになにか関連性があるはずだと、エルフィリアは思考を巡らせた。


「…………もしかして、『Apple Tree(りんごの木)』なのです?」


 試しに、その順番でアルファベットを押してみることにした。

 指に魔力を纏わせ、A、P、P、L、E、T、R、E、E――。

 最後の一文字を指で押した瞬間、がこんっ! と本棚の向こうでなにかが作動する音がした。

 同時に、魔力の流れも変わっていた。本棚に元々仕掛けられていた魔法が作動したのだ。


「わわっ!?」


 ずずず、と本棚が床の下に沈んでいく。

 どうやら本棚の下に元々空洞があったようで、今の魔法の仕掛けは、この本棚を下側へと移動させるためのものだったようだ。

 そして、本棚の向こう側に現れたのは、地下へと続く薄暗い階段。


(うーむ……旧魔王城での反魔法での仕掛けと言い、よく隠し階段に出会うのです……)


 きょろきょろと辺りを見渡して、誰も見ていないことを確認した後、地下へ続く階段へと足を踏み入れる。

 五段目くらいに来た段階で、背後でまたなにかが動く音がした。

 振り返ると、どうやら床下に沈んだ本棚が元に戻っていっているようだ。

 仕掛けが完全に元に戻ると、差し込んでいた光も消えてしまって、辺りは完全に真っ暗になる。しかたがないので光源を作るべく光の魔法を行使し、頭上に電球ほどの明かりを生み出す。

 見た限り、本棚の仕掛けは裏側からなら容易に解除できるようになっているようなので、帰りの心配はない。


「さてさて、なにが隠されてるのですかね?」


 今回は旧魔王城の時と違い、学園の創設者たる賢者の許可を得ているようなものなので、遠慮なくずんずんと通路の先へ進んでいく。

 そして大体地下二階分くらいまで降りたところで、取っ手のない木の扉がエルフィリアの行く手を阻んだ。

 代わりに、淡い青色の光を放つ魔法陣が扉の中央に描かれている。

 害のある魔法には見えなかったので、その構造を解析すべく、魔法陣の上にそっと手を置いた。

 すると魔法陣からエルフィリアのものではない別の誰かの魔力が流れ込んできて、直後、頭の中に直接声が響く。


『あー? 誰? リーゼ? ちょうどよかったー』


「あ、いえ、違うのです」


 リーゼとは賢者であるリーゼロッテのことだろう。

 否定したが、聞こえていないのか聞いていないのか、声の主の会話は止まらない。


『前に話してた太陽光を魔力に変換させる魔法だけど、C1の途中のとことTH2の最後のとこを直接繋げるのが難しくてさ。どうしても波長が同調させられないのが原因なんだけど、なんかいい媒介術式ってないかなぁ』


「だから私はリーゼロッテじゃないのです」


『まーとりあえず入って魔法陣見てよ。リーゼならなんかわかるでしょ?』


(…………話を聞かないやつなのです)


 がちゃり。木の扉がわずかに開いたので、その隙間を押し広げて、エルフィリアはその先の空間へと足を進めた。

 そこはどうやら、誰かの魔法の研究室のようだった。

 エルフィリアの家の地下にあるものよりも、はるかに大きい。資料も材料も、エルフィリアの家のそれとは桁違いに多く、質も高い。

 そして、部屋の奥にいる小さな人影。あれがこの研究室の主だろう。

 こちらを向かず、なにかに熱中しているようだったので、エルフィリアの方から近づいていく。

 本当に、本当に小さな人影だ。定規で測れる程度の、せいぜいが一五センチメートルくらいしかない少女。

 背にはトンボのような翅を生やしており、その翅からは魔力の粒子がひらひらと舞い落ちては、ほんの数秒で儚く消える。


(妖精族……初めて見たのです)


 人間や魔族、エルフなどのさまざまな種族のうちの一つ、妖精族。

 妖精族は総じて全長がほんの一〇センチほどしかなく、見た目通り非常に非力だ。加えて生まれ持っての魔力量もそう多くない。

 しかし代わりにその小さな体躯は大気中の魔力との親和性が異常なまでに高いらしく、すべての種族の中で唯一、自然の内に存在する拡散した魔力を操る能力を持つ。

 自然の魔力には一度の出力に限度があるようで強大な魔法を扱うことは苦手だが、持続的な魔法に関して妖精族の右に出るものはいない。


「あ、リーゼ? ここなんだ、けど……?」


 そんな妖精族の少女が振り返り、エルフィリアを見る。そこでようやく彼女は訪れた者が見知った人物ではないことに気がついたようだった。

 翠色のツインテールを揺らし、ぎょっとして体をそらす。


「え、だ、誰っ!? なんでいるの!? っていうかどうやって入ってきたのっ!?」


「なんか勝手に開けてくれたのです」


「いやそこの扉のことじゃなくて!」


 妖精族の少女が言っているのは本棚の仕掛けの方だろう。


「リーゼって賢者のリーゼロッテのことですよね? あいつにここへの入り方を教えてもらったのですよ。りんごの木が合言葉とかなんだとか、って」


「えぇ、なにやってんのリーゼ……ここあたしの研究室なのに、なんで勝手にパスワード教えてんのさ……せめてそういうことは先にあたしに連絡してよ……」


 未だ少しビクつきながらも、知り合いが許可した人物、つまりは危険人物ではないとわかったからか、少しずつ冷静さを取り戻していく妖精族の少女。

 入り方を教えたくせに話は通していなかったらしいリーゼロッテ。そんな彼女に内心で文句をつけているのは、きっとエルフィリアも妖精族の少女も同じだ。

 そう考えると、同じく振り回された者同士として、少しだけ仲良くなれるような気もしてきた。


「はぁ、まあいいや……あー、とりあえず自己紹介でもしとく? あたしはハーパーって言うんだけど、あなたは?」


「エルフィリアなのです。エルフィリア・ジェイド・ヴァイスィードハーツ」


「じゃあエルちゃんね」


「いやそれはやめろなのです」


 クロムの時は状況的にしかたなく了承したが、相手が小さいからか、今回のエルフィリアは強気だ。


「えー、じゃあフィーちゃんで」


「略すななのです」


「だって長いじゃん。あたしのこともハーちゃんって呼んでいいからさ」


「別に呼ばないのですよ」


「で、フィーちゃんはなんかリーゼから聞いてないの? あたしはなんも聞いてないんだけど」


(……はあ……)


 いつまでも呼び方にこだわっていたら話が進みそうにないので、さっさと諦めることにした。


「残念ながら、私もここへの行き方以外はなんにも聞いてないのですよ」


「あー、やっぱりかー。リーゼはそういうやつだもんなぁ……」


 なにやらいろいろと苦労しているようで、ため息をつく姿に哀愁が漂っている。


「まあ、ご愁傷さまなのです」


「ありがとー。にしても、じゃあどうしようかなぁ……」


 ハーパーはエルフィリアの扱いに困っているようで、腕を組んで考え込み始める。

 それならば、と。エルフィリアはエルフィリアで、少し気になっていることを聞いてみることにした。


「さっき言ってた太陽光がどうとかの魔法ですけど、ちょっと見せてもらうことってできるです?」


「あー……」


「無理にとは言わないですけど」


「んー……ま、いっか。でも、あたしの魔法だからね。パクらないでよ」


「そんな狡いことはしないのです」


「じゃ、はい。これね」


 と言うと、妖精族に合わせてつくられたらしい小さな本を、ハーパーが開く。

 すると本から漏れ出した光が空中で形をつくり、数秒のうちに、それが魔法陣を形作る。

 それも、ただの魔法陣ではない。

 通常の魔法は紙の上に書き記すことができる、二次元の術式を使う。

 しかし今目の前に展開されたそれは、上下左右、それから前後。三次元に構成された術式が繋がり合い、一つの魔法を構成している。

 立体魔法陣。それが、今目の前にある魔法陣の総称だった。


「あー、っていうか構造わかる? 見たところここの学園の新入生みたいだけど……」


 立体魔法陣は一流の魔法使いたちの目下の研究対象の一つとされている、最先端の技術だ。

 普通は一生徒程度に読み解けるものではない。


「正直に言うと、見るのは初めてなのです」


「じゃあわかんないかなぁ」


「確かに三次元の術式のことはよく知らないですけど……なんか二次元術式からの流用が多くないです? いろいろとばらばらで効率悪そうなのです」


「ん、まあねぇ。立体魔法陣自体が難しすぎてあんま研究されてないし……それにまだ試作段階だからね。しかも作りかけ」


 見た限り、どうやら太陽光から魔力を作り出すのが目的のようだが、これでは完成させても魔力の生成より消費の方が圧倒的に大きくなる。

 いや、それはハーパーも留意していることだろう。一度そうして魔法を試作して、幾度となく改良を重ねながら、真に魔法を完成させる。それが魔法研究の基本だ。


「ここのC1とここのTH2を繋げたいんだけどね、どうも波長が合わなくて……言ってもわかんないだろうけど」


 ハーパーが指で指し示した部分を見て、エルフィリアは顎に手を添えて考え込む。


「……媒介術式は魔力消費が多くなるのでやめた方がいいと思うのです。術式同士が接触する危険も高まって、後々の改良の幅も狭まってしまうのですよ」


「それはそうなんだけど、これ繋げないと魔法そのものが発動できないし」


「ここの術式をTH2の最後の方に移して……えぇっと、たぶんE7zですかね。このE7zを螺旋状の増幅術式形式にして、中央に同調術式を置くのはどうなのです? そうすればTH2の最後に移した魔法陣が活性化して、直列で影響されたTH2の波長がC1と限りなく同じになるはずなのです」


「む……」


「まあ魔力消費はやっぱり多めですけど、媒介術式よりは少ないと思うのです」


 ハーパーは黙ったまま、じっと魔法陣を観察している。エルフィリアの提案を頭の中で試行しているのだろう。


「……なるほどね。うん、それいいかも! 採用! なになに、案外やるじゃんフィーちゃん! もしかして有名な魔法使いだったりっ?」


「その逆なのです。普通の人の五分の一くらいしか魔力がない、無名の魔法使いなのですよ」


「えぇっ、少なっ! あー、ってことは助手にすると優秀なタイプかー。たまにいるよねぇ、そういう魔法使う才能はすっごくあるのに魔力が少ないの。その特徴、妖精族だったら引く手数多なのになぁ」


 魔力が少ない者は、それだけで魔法を練習できる機会が極端に減ってしまう。しかもほとんどの魔法が使えないせいで研究もろくに進められない。だから魔力が少ない者は自然に魔法を扱う技術も乏しくなってしまう。

 しかし稀にエルフィリアのように、魔力がなくとも魔法を扱う才能に秀でた者が存在する。

 そういう存在は、魔力を多く持つ他の魔法使いの研究をサポートする意味では非常に優秀だ。

 先日エルフィリアは自分の研究室でクロムを助手にするつもりだというような発言をしたが、本来ならその立場は逆の方がよかったりする。


「んじゃ、フィーちゃんあたしの助手になる気はない? 一目見ただけの立体魔法陣に改良を加えられるとかやばいもん。絶対助手の才能あるって! 手伝ってもらえたら研究すごい捗りそうー」


「あいにく、私の夢は魔法使いなのです。その助手じゃないので遠慮するのですよ」


「うーん、そっかぁ。でも五分の一は魔法使い目指すにはさすがに厳しすぎると思うんだけど……ま、いっか。じゃあちょくちょくでいいからさ、たまに研究手伝ってよ。バイト代上げるからさ。それくらいならいいでしょ?」


 出会ったばかりなのにここまで信頼されていることに、エルフィリアは少し驚いていた。

 知り合いであるリーゼロッテの紹介、という事実が彼女の警戒心を解いている要素の一つなのはわかる。

 しかし普通、魔法使いはそう気軽に研究室に人を招いたり、魔法研究を手伝わせたりしないものだ。


「……まあ、気が向いたらでいいのならやるのです」


「やったー! フィーちゃんっていい子だね!」


「子って、ハーパーの方が小さいのですよ」


「や、そりゃ妖精族だからね。でもあたしこれでも二〇〇歳超えてるし」


「……マジなのです?」


「マジマジ。ま、妖精族の中じゃそれなりに生きてるってわけ。へっへー」


 その翅で宙に浮き、くるくるとエルフィリアの周りを嬉しそうに飛び回りながら、「どう? すごいでしょ!」とばかりに自慢げに胸を張る。

 そういう仕草が子どもっぽく感じる原因なのだが……。

 まあ、こういう素直で無邪気なところがハーパーという妖精族の少女の魅力の一つなのだろう。


「やー、ほんと助かったよフィーちゃん。お礼になにかしたいんだけど……あ、お金とかほしい? それか新しい魔導書とか」


 少し考えて、エルフィリアは首を横に振った。


「お金も魔導書もいいので、ちょっと聞きたいことがあるのです」


「聞きたいこと? なになに?」


「……生まれ持った魔力量を増やす方法って、ハーパーは知らないのです?」


 立体魔法陣を研究している時点で、ハーパーは間違いなく一流の魔法使いだ。しかも二〇〇年という長い時を生きてきている。

 もしかすれば彼女なら、どんな魔導書にも載っていなかったそれを知っているかもしれない。

 事前にエルフィリアの魔力量について話を聞かされていたハーパーは、納得したように頷いた後、記憶を探るように目を閉じた。


「んー…………」


「……やっぱりないのです?」


「ない……こともない、けど……」


「あるのですかっ!?」


「わっ!? ちょ、お、落ちついて……」


「あ、ご、ごめんなさいなのです」


 これまで欠片も方法がわからなかったそれを、ないこともない、と。

 思わず身を乗り出してしまったが、なんとか心を平静に戻す。


「そ、それで、ないこともないってどういうことなのです? どんな方法なのですか?」


「えぇっと……言っていいのかな、これ。でもリーゼがわざわざこの子をあたしのとこまで連れてきたってことは、つまりそういうことなんだよね……?」


 エルフィリアとクロムの名前、そしてその秘密を知っていたリーゼロッテは、きっとエルフィリアの悲願のことも知っていた。

 いや、それはエルフィリアの少なすぎる魔力量と、それでも魔法使いになろうとしている様子から、誰にでも容易に推測がつくことだ。

 そのエルフィリアを、ハーパーのもとへ導いた。その時点で、リーゼロッテから黙認されていることと同義だ。

 ハーパーはリーゼロッテがエルフィリアとなにを話したのかは知らないが、それでも彼女がここにエルフィリアを誘導した意味はわかっているつもりだ。

 ハーパーは意を決して、期待を隠し切れていないエルフィリアの目を見返した。


「七年前、この近くで復活した魔王との戦いがあったのは知ってるよね? 空にでっかい魔法陣が展開されて、大陸を焼き払おうとした……」


「もちろん知ってるのです」


「それはその魔王城で見つかったらしい魔法でね。正直、知らない術式が複雑に絡み合っててあたしには読み解けなかったんだけど」


 ハーパーが、ぱちんと指を鳴らす。

 すると、遠くの棚に並べられていた折り紙でつくられた鶴のうちの一体が、ハーパーのもとへ飛んでくる。

 ハーパーはその折り鶴を開く。

 元の折り紙に戻ったそれの中に書かれていたのは、中に物を隠す封印の魔法陣だ。


「この魔法陣の中に封印されてるのは、『記憶の情報』。リーゼの記憶をコピーして情報化したもの。だからこれの中身を読み解いたとしても、その先にある魔法のすべてを解明できるわけじゃない。ただ、魔法の存在を知ることができるだけ。それは理解して」


 エルフィリアが頷くと、「じゃ、上に手を置いて」とハーパーが言う。

 言われた通りに手を置くと、さらにその上からハーパーが自分の手を重ねて、魔力を流し込む。

 それをトリガーにして、魔法陣の封印が解けた。

 そして解き放たれた情報が、かつてリーゼロッテが見たその魔法陣が、自分自身が見たことがあるかのように、エルフィリアの脳に刻まれる。


(これは……いったいなんなのです……?)


 ほとんどわからないながらも一目見た立体魔法陣の研究にアドバイスしてみせたエルフィリアでさえ、まるで理解不能。

 それは、立体魔法陣の構成の多くが既存の術式の組み合わせだったことに対し、今見せられた魔法陣は未知の術式を大量にかけ合わせたものだったから。

 少なくとも、それは人間の歴史が生み出した魔法ではない。旧魔王城から見つかったという情報通り、これはおそらく魔族が秘密裏に蓄え、培い、そして編み出してみせた最高峰の魔法だ。


「リーゼによると、これは魂を混じり合わせる契約の術式なんだって。二つの魂を融合させて、一つにする。そうすることで、元の二つが持つ生まれ持った魔力の器が掛け合わさって、新たにさらに大きな『魔力の器』を持つ存在が誕生する」


「……明らかになんかやばそうなのですが」


「まあうん。やばいよ」


 ハーパーが情報を封印し直したことを察し、エルフィリアは折り紙から手を離す。


「魂を混じり合わせるってことは、その二つの魂を……つまりは二人の人の心を壊し、侵し、殺すってこと。仮にフィーちゃんとあたし、二つの魂を融合させたとする。でも完成する一つの魂は、決してフィーちゃんでもあたしでもない。もっと別の、見知らぬ誰か。誰も知らない存在……」


「それは、確かに魔力量は増えるかもですけど……」


 自分が自分でなくなるのなら、意味がない。

 でも、と。そんなエルフィリアに、ハーパーは言う。エルフィリアの落胆を少しだけ軽くするかのように、言葉を続ける。


「一つだけ、記憶も感情も維持したまま魔力量を増やす方法がある……みたい。リーゼがそう言ってただけだから、あたしはよくわかんないんだけどね」


「そんな都合がいい方法があるものなのです?」


「うん。二つの魂を掛け合わせる時、片方の魂の『心』が空っぽであればいいんだって。そうすれば、片方の心が完全に維持されたまま、魔力の器だけが生まれ変わる」


「片方の心が空っぽ、ですか……うーむむ」


「片方の魂を殺しちゃうことには、変わりないんだけどね」


 あたしがリーゼから聞いた話はここまで。

 そうハーパーは話を締めくくった。


「あなたが知ったその魔法をどう扱うかはあなた次第。でも、どうか悪用はしないで。リーゼと、それからこのあたしが信用した人間だから大丈夫だとは思うけど」


「ありがとうなのです。こんなの、普通じゃ手に入らないのですよ。間違いなく禁術なのです」


「そうそう、禁術禁術。だからあんまり言いふらしたりしないでねー。いやマジで。国でもなんでも、どっかの力のある組織の上の方とかに知られたらマジでやばいんだから」


 魔族が秘密裏に培ってきた未知の魔法理論。不可能とされた魔力量を増やす術式。

 生体兵器の開発か、はたまた新たな魔法を求め、魂を弄ぶ実験を重ねるか。

 ただ一つ言えることは、その過程では間違いなく多大なる犠牲を払い、完成したその果てでさえ、数え切れない悲劇を生む。

 エルフィリアもその危険性くらいはわかっているつもりだ。


(それにしても……魔力の器の融合ですか。これ、もし同じことをずっと繰り返し続けたら……)


 融合し、誕生した魂をさらに別の魂と融合させる。そしてその魂をさらに別の……。

 そうして幾度となく繰り返していけば、最後に生まれるのはきっと、ただ生命の歴史を重ねるだけでは決して生まれ得ない、尋常でない魔力量を備えた究極の怪物――。


(……これ、旧魔王城で見つかった魔法なのですよね?)


 頭をよぎるのは、モノクロな髪と瞳が特徴的な見知った少女の姿。

 常人の何兆倍以上という、凄まじい魔力量を持った彼女はまさか……。

 ……しかしそうなると、一つだけ釈然としないことがある。

 魔王の存在だ。

 七年前の戦争は、封印から蘇った魔王が仕掛けたものだとされている。仮にクロムが魂の融合によってつくられた存在なのだとすれば、クロムは魔王ではない。

 いや、そもそもの話……七年前の戦争において、魔王は本当に復活していたのだろうか?


「……ハーパーは、七年前の戦争について詳しいのです?」


「や、全然。その頃はあたし、仲間と一緒に必死こいて別の大陸に逃げようとしてたし。逃げる前に戦争終わっちゃったけどね」


「そうですか……」


「リーゼなら詳しいと思うよ。なんたって戦争の勝利の立役者の一人だもん」


「あれでも賢者なのですよね?」


「そーそー、あれでもね。でも、あいつ神出鬼没だからなー……会えたらラッキーみたいなとこある。メタルなスライムみたいな? 狙って会うのは難しいと思うよ」


「むぅ……わかったのです。教えてくれてありがとうなのですよ」


「どーいたしましてー!」


 七年前、本当はいったいなにがあったのか。

 今までは単純にかつての魔王が復活し、人類を滅ぼそうとしたのだと。世間に出回っているその情報をただ鵜呑みにしてきた。

 けれどクロムの封印を解いてしまったあの日から、エルフィリアの中のその真実に揺らぎが生じている。


(……知ったところでどうにもならないのですけどね)


 たとえ事実がまるで違うものだったとしても、それは七年前のあの時、もうすでに終わっていることだ。

 もちろん気にはなる。しかし、早急に知るべき事柄というわけでもないだろう。

 もしもまたあの胡散臭い賢者に出会う機会があれば、その時に本当のことを聞いてみればいいくらいのことだ。

 エルフィリアは結論をそう締めくくり、それよりも今はこの魂の融合魔法をどう暴いていくかの方が重要だろうと、ようやく見つけた自らの悲願を達成するための第一歩に思いを馳せた。

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