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16.助手になる約束

 いつかどこかの誰かの記憶。

 知らない女性に頭を撫でられている、その感触を味わいながら、エルフィリアは思う。

 もし、もしも。

 もしも今見ているこれがクロムの記憶だとして、もっとずっと深くへ入り込むことができるのなら、クロムの秘密にたどりつくことができるのだろうか。

 この女性がクロムにかけた言葉の真意、そしてクロムがいったい本当は何者なのか。

 そしてそれとはまた別の、かつて起きた七年前の戦争の真実も。

 そう思い、さらに意識を集中させようとした直後のことだった。


「ひゃいっ!?」


 突然のその感触に、エルフィリアは弾かれるように顔を上げた。

 瞬間、夢を見ているようだった気分と感覚が急激に晴れていく。

 一瞬真っ白に染まった視界は、その直後に見慣れたツートンな髪と瞳を持つ少女の姿を映し出した。

 そばに立っていたはずのクロムの母親と思しき女性はどこにもいなくて、場所だって正体不明の白い部屋ではなく、家の地下にある研究室だ。

 そして目の前にいる少女ことクロムの手が、エルフィリアの胸の方に伸びてきていた。

 ……というか、思い切り揉んでいる。


「な……なな、なにしてるのですかぁー!?」


「あ、戻ってきた」


 エルフィリアが叫び声を上げても、クロムはそう呟いくだけで、むしろほっとしているかのようだった。

 ……むにむに。


「んむっ、や、やめろなのですっ!」


 あいかわらず揉んでくるものだから、また変な声が出そうになったエルフィリアは若干乱暴にクロムを突き飛ばした。

 その勢いで後ろに転びそうにたたらを踏みつつも、なんとかバランスを立て直したクロムは、顔を真っ赤にしてぷるぷる震えているエルフィリアに無垢な瞳を向けた。

 そして言い訳のように言う。


「エルちゃん、ずっと放心状態だったから。声かけても反応なかったから。心臓と、肺? さっきエルちゃんが言ってたとこに近いとこ刺激すれば、戻ってくるかなって」


「だ、だからって、む、胸をいきなり揉むとかなに考えてるのですかっ! 頭でもぶっ叩けばよかったじゃないのです!?」


 そうエルフィリアはクロムに詰め寄ったが、まあエルフィリアのことなので、頭をぶっ叩いたらぶっ叩いたで「痛いじゃないですか! なにすんのですクロム!」と怒っていたことだろう。

 だとしたら結果は今と大して変わらない。

 それに、という具合にクロムは言う。


「でも、揉むほどなかったよ。揉むっていうより、摘む感じ? というか……」


「やめろなのですっ! それ以上言うななのですーっ! うぅー!」


 もはや怒りを通り越して涙目ですがりつくエルフィリア。

 さすがのクロムもちょっと罪悪感を覚えてしまったようで、おろおろとしながら「ご、ごめんね?」とエルフィリアの背中を子どもをあやすようにさすっていた。


「うぅ……もうお嫁に行けないのです……」


「えっと……だ、大丈夫、大丈夫だから」


「大丈夫って、なにがなのですかー……」


「その、わ、わたしがいるから? わたしがエルちゃんといるから」


「……それ、意味わかって言ってるのです?」


「う、うん。わかってる。わかってるから」


「…………」


 明らかにわかってなさそうだったが、泣いているエルフィリアをなだめるためか、クロムは必死になってエルフィリアが食いついたそれを肯定していた。


「お前はほんとに……はあ、もういいのです……」


 心底あきれたような顔をしたエルフィリアは大きなため息をつくと、クロムに寄りかかっていた体を離した。

 泣き止んだことにクロムもまた安堵したように息をついていたが、単にクロムのアホさ加減にあきれすぎて急に頭が冷えてきてしまっただけである。


(今の、どう考えてもプロポーズなのですよ。絶対こいつ気づいてないですけど)


 ほっと息をついているクロムに、じとーっとした視線を送る。


「……もう服を着ていいのですよ。散々でしたけど、一応礼は言っとくのです」


「なにかわかったの?」


「んー……わかるというほどのことはわからなかったですね。いくら基礎部分が魔力測定の流用だと言っても、中身はまるっきり別物ですし。まだ魔法の構築が甘いんだと思うのです」


 記憶のことに関しては言わなかった。

 聞けば教えてくれるかもしれない。しかしエルフィリアとしては、藪をつついて蛇を出すような真似はあまりしたくない。

 なにせ初めてクロムに会った時、彼女は昔の記憶がずいぶんと曖昧なようだった。

 それも当然だ。時間の感覚を歪め、精神を保護し続ける効果を持った封印の術式。それは裏を返せば、時間の感覚が歪んでいるがゆえに、彼女にとっての過去の出来事の時系列や記憶までをも歪めてしまうことにほかならない。

 クロムは魔王になるためにうまれたのだと、クロムの記憶の中にいた女性は言っていた。

 ここでクロムにその意義を質問してしまえば、せっかく魔王としての責務を忘れて無害に生きている今の彼女が、あるいは本来の存在を取り戻そうと動き出してしまうかもしれない。それだけは絶対に避ける必要がある。

 そんなことを考えているエルフィリアをよそに、クロムは少しだけ落ち込んだ申しわけなさそうな顔で、言う。


「わたしも、なにかエルちゃんの力になれれば……」


「力にって、どういうことなのです?」


「わたし、魔法のこと、まだなんにもわからないから。エルちゃんがいろいろやってても、横で見てるくらいしかできない」


 魔法に関するクロムの筋は悪くない。むしろエルフィリアから見て、彼女は天才的な素質を備えていると言ってもいい。

 今のクロムは元の魔力量や自身の素質、そしてエルフィリアの指導もあって、驚異的なスピードで知識や力を蓄え続けている。

 しかしいかんせん魔法に打ち込んだ時間が短すぎる。熟練の魔法使いでさえ見惚れるほどの流麗な術式を操ってみせるエルフィリアがそばにいることもあって、あまり自分に自信が持てないようだ。


「魔法の実験体になってくれるだけでも大助かりなのですよ。これはクロム以外にはできない役割なのです」


「でも……」


 エルフィリアからしてみれば、クロムという存在そのものに意味がある。

 力になれていない、とかなんとか言われても「なに言ってんだこいつ」って感じだ。

 それでもクロムは落ち込んだ様子を崩さない。


「でも、わたしの『秘密』を調べ終わったら……もうわたしは、エルちゃんのただのお荷物になっちゃう。エルちゃんに……いらないって、捨てられちゃう……」


「はぁあああーっ!? ふざけてんのですか?」


「ひっ!?」


 ものすごい深刻な顔でそんなことをのたまったクロムに、エルフィリアは思いっ切り抗議の声を上げた。

 なぐさめようとか元気を出させようとか、そんな気持ちが湧き上がるよりも先に、わけのわからないことで勝手にネガティブになっているクロムにエルフィリアはただただ腹が立った。


「なんで私がそんな鬼畜みたいなことしないといけないのですか。いらないって言われて捨てるって、お前、今までずっと私をそんな目で見てたのです? だったら失礼にもほどがあるのですよ」


「で、でも」


「でもじゃないのです。確かにお前の存在はめんどくさくてしかたないですけど、そんな使い捨てるような真似なんて絶対しないのです」


 エルフィリアはここで一度言葉を切ると、まっすぐクロムの目を見据えた。


「クロム、私は魔法が好きなのです。大好きなのですよ。クロムはどうなのです?」


 クロムは少し戸惑った風ながらも、確かな口調で答える。


「……最初は、好きじゃなかった……かもしれない。でも、エルちゃんが魔法を使ってるところを初めて見た時……綺麗だって思った。わたしもあんな魔法、使ってみたいって思った」


「なら、これからクロムには魔法をもっともっと好きになってもらうのです。ましてやこの私に魔法を教わってるのですからね。絶対に上達するのです。そうしたらいつか私の助手でもやってもらうのですよ」


「わたしが、助手?」


「嫌なら嫌でいいですけど?」


 そう言って、そっぽを向く。

 一見怒っているようにも、突っぱねているようにも見えるが……。

 普段そっけない態度ばかり取るエルフィリアが、「助手でもやってもらう」と、自分からクロムを受け入れるような発言をした。

 それがクロムにとっては一番の驚きだった。

 ふと、蘇る。ずっと忘れていたかつての記憶が、かつてかけられた言葉が。


 ――あなたは失敗作だった。せっかく大切に育ててきてあげたのに、たった一つ与えられた自分の役割も果たせないなんて。

 ――こんなことなら、あなたを愛すんじゃなかった。


 その言葉はいったい、誰にかけられたものだったのか。

 どうしてか痛み出した胸を抑えながら、クロムはエルフィリアを見た。

 そっけなさそうにしながらも、その実、本当はいつも気にかけてくれている優しい彼女を。


「……わたし、頑張る。エルちゃんに……あなたに認めてもらえるよう、頑張るから」


「そーですか。ま、頑張れと言っておくのですよ。応援してやるのです」


 クロムが立ち直ったことを確認すると、エルフィリアはさきほどクロムに使った解析魔法の見直しに取りかかった。

 魔力量が極端に少ないエルフィリアは魔法の連発が難しい。なので魔力の回復を待つ意味も込めて、魔法の合間その調整をした方が効率がいい。

 クロムも最後まで協力的で、その日の研究はなかなかに有意義な時間を過ごすことができたエルフィリアだった。

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