完全な嘘は、存在しない
完全な嘘は存在しない。完全な嘘というのは、その嘘が誰にもバレなかった嘘のことだ。
僕は、泣き虫である。でも周囲の人は、僕のことを泣き虫だと思っていない。なぜなら、人の前で泣くことがないように最新の注意を払っているからだ。泣くときは一人である、だからバレていない。(ただ、こうやって「自分は実は泣き虫である」ということで、嘘がバレてしまった。)
泣くところを見られないように尽力すれば、嘘は守ることができる。これは、嘘を突き通す姿勢ともいえる。つまり、嘘は100回言っても嘘であるが、嘘を一生貫き通せば真実となる。なぜなら、それは誰にでもバレていない完全な嘘だからだ。
嘘を貫けば、「僕は泣き虫」ではなくなる。そのとき、もはや僕は泣き虫ではないのである。だとすれば、僕は自分に「僕は泣き虫だ」と嘘をついていたことになるのか。しかし、自分に嘘をつくことはできるのだろうか。そのとき騙したのはだれなのか。
完全犯罪もこれまでと同じように言うことができる。完全犯罪は想像物である。完全犯罪は、それが犯罪だと認知されないものである。だとすれば、誰も犯罪が起きたことを知らないのである。それを「完全犯罪」だと言うことができれば、それは犯罪と認知されたことを意味し、完全犯罪ではなくなってしまう。完全犯罪は犯罪と認知されないもの、つまり犯罪としては存在しないのである。
しかし、「嘘」も「完全犯罪」も行なった本人は知っているはずだから、存在はしていると思う人がいるかもしれない。だけどよく考えてほしい。それは存在しているといえるのだろうか。存在は、一人の人間が主張することで成立するのだろうか。ある人が「宇宙人を見た」と言い出したとする。それだけで「宇宙人は存在する」となるのだろうか。
畢竟、「嘘」「完全犯罪」は、論理的に実現不可能なものだといえる。定義を変えれば、もちろんこれを避けることができる。