ビジネス書をいくつか読んできたが・・
これまでに幾冊かのビジネス書を読んできた。
ビジネス書というのはシンプルだ。何がシンプルかというと、その話の展開がシンプルだ。一つの主張内容があって、それをはじめに提示しその具体例を出す(なぜかビジネスシーンでは具体例が説得力を持ち出す。僕はそれを就職活動のときに知った)。そこからやや抽象的に話をまとめて、その節を締めくくる。
よく見かけるのは、「人間関係はあいさつから」「会話でのうなずきを大切にしょう」「内容よりも早さ」「メモをとれ」など。有名とされているビジネス書を10冊も読めば、おおよそ重要とされていることがわかる。そして、多くの人が同じことを言っていたりする。
それらを読んで、たしかにビジネス書に書いてある通り、「あいさつは重要だなぁ」「うなずきは大切だ」「会話はすぐに否定せずにまずは耳を傾けてみよう」と僕は思う。しかし、ビジネス書を読むほどにしばしば感じるのは、「これは大切だ。だから、そうしよう」で人は動くのだろうか。
そういう人がいないと思わない。実際、ビジネス書を書いている人間は、ビジネス書の力を信じているし、著者自身がビジネス書から多くのことを学んでいる。しかし、なぜビジネス書で学んだことをその人は実行しようと思ったのか。そこが僕は気になる。
これは動機付けの問題だ。ビジネスで成功したい。出世したい。人から気に入られたい。だから、ビジネスで成功した人間から学ぶ。これがまっとうな動機である。僕は、そういう動機を否定するつもりはまったくない。ただ、僕はそう思えない人間だ。「なぜ、この人はそんなに頑張るのだろう」「そんなに働いて、どうしたいの?」とビジネス書を読みながら考えてしまう。
そうやって悶々と考えながら、ビジネス書を読んで感じたことは、つまり最も重要なことは「好きなことをする」ということではないだろうか。そして、その好きなこと、楽しいことが仕事のなかで行うことができるのであれば、それに必死になれる。ビジネスで成功した人間というのは、自分が行なっている仕事が好きであったり楽しいと思って働いている(もちろん、嫌なこともあるだろう。しかし、それを忘れさせるほどの楽しさがある)。
俗に言う「やりがい」と言える。やりがいのある仕事であれば、より重要な仕事を行えるように出世したいと思うだろう。職場関係も良好でいたいと思う。そういう人間であれば、ビジネス書の内容はすんなりと受け入れられる。しかし、そこまで仕事に面白みを感じていない人間であればそうはいかない。「なぜ、そこまでして人間関係を良好に保つ必要があるのか」「なぜ若いときに頑張る必要があるのか」と疑問に感じることだろう。ビジネス書とその人に温度差が生まれ、そういう人からすればビジネス書の内容にノレない。
では、仕事が楽しいと思えるにはどうしたらよいか。これに関しては、ビジネス書は多くを語らない。「人のためになるとうれしいでしょ?」「人の笑顔が見れたら、やりがいを感じるでしょ?」とビジネス書は言いたげなときがある。しかし、そうかなぁと思う人間がいる(これは僕の場合だけかな)。
やりがいの観点は、人それぞれだから、「こうすれば仕事が楽しくなる」と法則として提示するのは困難だ。強いて言えば、「とりあえずやってみてから考えてみては」としか言えない。子供のとき、好きなものがあったはずだ。それが楽しいと気づけたのは、とりあえずそれをやってみたからではないか。あるいは、それをしている人を見て、やってみたいと思ったからではないか。やってみてわかる場合は、しばしばある。楽しさは、その代表である。
要するに、ビジネス書のようなビジネスで成功する人間というのは、多くが自分が関わる仕事に積極的だ。プロ意識と言ってもいい。なぜ、そこまでの意識に達するかといえば、それが楽しいからだ。だから、その仕事を極めたいと思う。では、楽しいとはどこからやってくるのか。これがわからない。食べ物の好みを論理的に説明するのに近い。だから、とりあえず仕事をやってみるしかない。食べ物は食べてみてはじめて好きか嫌いか、どちらでもないかわかる。楽しいも、やってみるしかない。「自分のいままでの傾向であれば、きっとこういう分野が好きかもしれない」ぐらいの検討はつけれるかもしれない。でも、最終的にはやってみるしかない。外れたら、違うことを始めたらいい。そう気楽に考えてみれば、少しは人生が楽になるかもしれない。誰の人生が楽になる?仕事で悩み苦しんでいる人が。




