意図的は、捏造
ドキュメンタリーの視聴率が高まっているそうだ。
今年になってテレビを家に置かなくなった僕が聞いた話だから、もう古い情報かもしれない。ドキュメンタリー番組が人気あるのに対して、コント番組はほとんどなくなってきているらしい。具体的な番組名は挙げないが、コント番組は見かけなくなった。数年前までは毎週ようにコントをするバラエティ番組があった。しかし、いまはもうない。
半年前にテレビを見ていて感じたのは、昔に比べて「意図的な笑い」というのがなくなったことだ。意図的というのは、脚本家がいて、台本もあって作られる笑いである。数年前まで、バラエティ番組はほとんどがコントだったといえる。パターンが決まっていて、しっかりとオチがある。偶然起きた出来事を装うが、もちろん仕組まれている。サクラはいるし、番組内の笑い声も編集されたものだ。かつては、それでよかった。それが面白いとされていた。
いまはどうだろうか。かつては許容されてきた脚色もいまではおそらく「ヤラセ」と言われる。時代がかわり、意図的につくられた笑いは、すべて「ヤラセ」とみなされるようになった。つまり、バラエティ番組は、「これはフィクションです」と明示しないかぎり、どこまでいってもうそ偽りの話とみなされる。
その煽りを受けてか、バラエティ番組はコント的な要素を減らしてきた。VTRを流して、それにコメントをする形式が増えた。あるいは、VTRを編集サイドで面白い形に変える場合もある。意図的なものを先に明らかにする場合もある。ドッキリ番組がその代表である。
バラエティ番組と比べて、ドキュメンタリー番組はそうではない。ドキュメンタリーは、あくまでも事実とみなされている。台本が決まっているわけではないし、サクラがいるわけでもない。そこで起こる感動や笑いはつくられたもの、捏造されたものではない。そこに人々は安心と満足感を見出す(僕は、ドキュメンタリーもコントに近いと感じるが・・)。
これからバラティ番組はどうなるのだろうか。もしかしたら、ゲストを招いて、楽しい会話をするのがバラティ番組となるかもしれない。自然とした会話の中に、笑いが生み出されるとすれば、人々は見ていて騙された気分にならないだろう。そうだとすれば、お笑い芸人さんはギャグではなく、より一層のトーク力が求められることになる。
VTRを見てコメントする形式は、もう少しすれば飽きられるかもしれない。なぜなら、VTR内での出来事からは、嘘のにおいがするからだ。編集でおもしろくするパターンもそうである。
つい先日、数ヶ月ぶりにバラエティ番組をじっくりと見た。見ていて気づいたのが、やはりこの「胡散臭さ」「わざとらしさ」であった。毎日のようにテレビを見ていると、そのあざとさに気づかなかったが、いまの僕には違和感しかなかった。
この違和感のようなものが、これからは影をひそめていくだろう。ただ、どこまでいっても「胡散臭さ」はひそめるだけで、なくなるわけではない。なぜなら、笑いは、そこら中で自然発生するものでもないし、意図しなければ欲しいときに生じないからだ。




