感情が悪者をつくる
好きと嫌いについてこれまでにも幾度か言及してきたが、今回は「嫌い」と「悪」の関係について触れたい。
「嫌い」は、感情の一種である。感情は、理屈や論理を必要としない。嫌いは、動物的反射のように、「なんかいや」と感じることだけに起因する。嫌いな食べ物というのが、一番わかりやすい。嫌いな食べ物というのは、どうしても食べられないものである。「なぜ嫌いなの?」と言われても、「この味が嫌い」としかいえない。そこには理屈はない。嫌いは感情的なものの一種といえる。
そのレベルで話が終われば、嫌いというのは問題とならない。しかし、ときに「嫌い」は、ゆるやかにスライドして、無意識のうちに「悪」に変換される。それはしばしば人間関係のなかで見受けられる。
たとえば、あなたがAさんを嫌いだとしよう。Aさんは、言葉遣いが悪く、少々トゲのある物言いをしてしまう。あなたは、Aさんの言葉にしばしば傷つき、「そんな言い方をしなくても・・」とAさんに不満を抱いている。Aさんのことをどう思うか、と尋ねられるとすれば、間違いなく「嫌いだ」と考えている。
そういうあなたは、どういう行為をとるだろうか。嫌いな人が学校、職場にいるときに人間は、どういう行為をとるだろうか。人間というのは、群れる生き物である。あなたは、この法則に従い、自分と同じような感情をAさんに抱いている人間を探すのではないだろうか。
「Aさんって、口が悪くない?」。最初は、友達に自分の悩み事を打ち明けるのように話し始める。しかし、友達から共感が得られると、途端にあなたは心が落ち着き、少し勇気が湧くのを感じる。「Aさんを嫌いに思っているのは、わたしだけじゃないんだ」と。
もう一度、強調のために言いたい。人間は群れる生き物だ。一度、共感を得られると、他の人も自分と同じように感じているのではないかと思えてくる。そこで、他の友達にも「Aさんって、なぜあんな言い方しかできないのかな」と自分の不満を打ち明け、再び相手が共感を示すとあなたはこう思うだろう。「Aさんの被害を受けているのは、わたしだけではない。Aさんは、多くの人に迷惑をかけている悪い奴だ」。
この段階にまでくると、すでに「嫌い」という感情が「悪」という概念に変化していることがわかる。当初の「Aさんは、嫌い」から、「Aさんは、悪者だ」にあなたの考えは変わっている。そして、あなたは、同じ被害者と思われる者と集団になって、Aさんを攻撃し始める。「Aさんは、悪」。それに対して「私たちは、正しい。正義だ」と言わんばかりに。
自分たちが正しいと思い込んだ人ほど、救い用の無い者はいない。なぜなら、彼らは、自分たちを止めるものを敵とみなすからだ。「なぜ悪を退治することが悪いのか。それを止めるお前も悪だ」と。その物言いは、Aさんよりも強い語調となってくる。
もし、あなたがいま冷静に物事を考える立場にいれば気づくはずだ。Aさん以上に悪者に思えるのが、群れたあなたであるということを。
桃太郎は、正義のヒーロではない。なぜなら彼は、鬼を退治しているから。アンパンマンは、正義のヒーローではない。なぜなら、彼はアンパンチという暴力を何度も行ってきたから。たとえどんなに鬼が悪事を働いてきたとしても、たとえどんなにバイキンマンが悪さをしたとしても、たとえどんなにAさんが周囲を傷つけたとしても、悪をこらしめること、それ自体は悪である。そういう意味では、桃太郎も鬼と同じように悪いのである。
「悪」は感情によって生み出されるものではない。「悪」は理屈で説明しようと試みるべきものだ。「悪」は「〜すべきでない」という価値に関わり、学問でいえば倫理学の領域である。それを忘れて、感情から「悪」を生み出すこと、それ自体は危険である。いじめにも、これに似た傾向があるだろう(調べてはいないが)。




