「私、あなたに伝えましたよね?」
数年前まで、「今どきの若者はメールばかりしている」と言われていた。最近になると、「メールやチャットの普及で、電話でうまく話せない、人と直接話せない」という趣旨をしばしば聞くようになった。しかし、僕が思うにビジネスマンも高校生に負けないぐらいメールをする。僕は、最近それを知って驚いた。
様々な仕事があるように、様々な会社がある。会社のなかでは、しばしば「責任の押し付け合い」が行われる。とくに、「言った言ってない」の押し付け合いは凄まじい。
たとえば、「明日までにAという仕事しておいてね、って言ったよね」という指摘に対して、「いや、私は聞いてません」という返しによって亀裂が生じる。それは同じ会社内でも当然の起こることで、社員同士で責任の押し付けが行われる。
そこで行われる対策が、メールである。口頭で伝えただけではな、証拠が残らない。だから、メールで仕事を相手に任せる。普通は、口頭で伝えて証拠のためにメールを送るという、二重の方法をとる。しかし、口頭がそもそも証拠として認められないと考え出すと、一部の人間はメールの文面だけタスクを課そうとする。
もちろん、職場環境によって異なるが十分にありえることだと僕は思う。実際に僕が経験したのは、向かいの席に座っている上司が、口頭ではなにも言わずにメールだけで仕事を与えてくるのだ。さらに、仕事を与えたことを上司の上司にも一応伝えておくために、同時送信(CC)で送信したりもする。これはなかなか不思議な光景である。
たとえば、親が自分の子供に、「あなたが友達とメールするとき、CCを私宛てにしといて」と言えば、過保護の親だと思うだろう。それは実質、親が子供の友達とのやりとりをすべて見るのと同じだからだ。ビジネスシーンでは、そういうことをすることで、「私は言いましたよ!!!」という証拠をつくる。1対1のやりとりであって、同時送信(CC)をすることで、「こういうメールを送りましたよ」という情報を流し、後になって「そんなメールを送ったとは知らなかった」と言わせないようにする。
その結果、どういうことが起きるのか。それは簡単である。「私は〜と言いましたよ」という情報が多く行き交い、その数がある種のノイズとなり、受け手の印象に残らなくなる。それでも、メールが送りつけられたかぎり、「そんなこと言ってましたっけ」とは反論できない。
しかし、「私は〜と言いましたよ」メールをした人間は、相手の記憶に残るように工夫する責任を負わないのだろうか。口頭で伝えたり、メモ書きで私たちする責任はないのか。いや、もしかしたら、「基本メールだけで情報を伝えると言いました」メールがあるのかもしれない。




