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まじめにふざける

 僕から見たら、多くの人が真面目に見える。

  

 最近、多くの人と一緒に講師の話を聞くことが多い。みんなが真面目にみえる。話者の会話の合間に相槌を細かく入れたり、話の内容を丁寧にノートに書き写している者もいる。僕からみれば、「素直に肯定できない話だ」「そんなに重要なことを言っていたかな」と感じることもあるが、みんなはそうは思わないらしい。少なくとも、表にはそのような感情を出さない。


 真面目というのは、一つに集中していることだ。あることをずっと行ってくれば、「真面目な人だね」と人は言う。たとえば、正しいと思うことを、いつも行い続ける人がいれば、その人を「真面目」と言う。


 しかし、周囲を見ている限り、多くの人は「先輩・先生に対して真面目」である。彼らは誠意をもって話を聞き、その内容を受け取り自らのなかに取り込む。そのこと自体は、悪いことではない。ただ、「真面目」を優先して、歯向かうことを忘れているように思える。


 どんなな先輩であっても間違うことはありうるし、「それはおかしいのではないか?」と思うこともある。しかし、あまりに真面目に生きると、歯向いがなくなる。そのときに出る理由が、「私は教えてもらっている身分なので・・」「上の人間に歯向かってはいけないので・・・」。


 そういう人に限って自分が先輩の立場になると、途端に偉そうになる。不思議な現象である。まるで「自分はあなたより長く生きている。その分だけ、私は偉いのだ」と後輩に言いたげである。時間が人間に与えるとすれば、老いだけである。


 僕は、みんながもう少し「ふざけても」良いのではないかと考える。相手の主張内容を真面目に聞きつつ、「でも、本当にそれが正しいのか?」と疑う。先生が理由のない主張を展開すれば、「それに理由はありますか?」と聞いてみる。つまり、真面目にふざけるわけだ。


 質問をするときは真面目に行う。そうしないと相手に失礼だ。ただ、質問や疑問をなげかけようとする動機は、少々の遊び心、つまり「ふざける」ことに起因する。反論、質問、疑問などの歯向いは、「真面目」だけでは生み出せない。あえて「ふざける」ことで生まれる。歯向かうことで、あるいは冗談を言うぐらいにふざけることで、真面目さにはなかった柔軟性が生まれる。


 特に重要と思えるのが、自分に対して「ふざける」ことだ。「自分も人間で、大したことない存在だ。だから間違えるし、自分の主張が絶対に正しいなんと思わない」と、自分に対してふざけよう。そうすることで謙虚でいられるし、自分が誰かの先輩になっても偉そうになることはない。なぜなら、自分に対して真面目でない人間は、ほんとうに自分が偉くなったと思っていないからだ。


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