表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/48

ラクになるらしい

 「死んでラクになりたい」と言って、自殺するらしい。

 これは、ドラマの影響で実際はそうではないかもしれない。すごく嫌なことがあって、そこから逃れるために死ぬ。いじめから逃れるために、暴力から逃れるために。

 

 「自殺をしてはいけないのか?」と聞かれたら、僕は困る。ダメと言える理由が見当たらないからだ。だからといって、「自殺をしてよい」にはならない。

 しかし、「死ぬとラクになる」のだろうか。というのも、誰も死ぬとどうなるかはわからない。死人に口無しである、死んだ人間は話さない。だから、死ぬとどうなるかもわからない。


 つまり、死は不明なもので、わからないものではないか。それなのに、どうしてラクになるといえるのだろうか。きっと、いまの状況があまりにも苦しくて、これ以上苦しい状況なんて考えられない気持ちから、死んだ方がまだましだと考えるのかもしれない。しかし、もっともっと苦しい状況があるかもしれない。死んだほうがもっともっとツライかもしれない。そう考えてみると死ぬのはやめよっとなるのでは(いや、ならないか・・・)。

 

 もしてかしたら「死んだら無になる」と誰かが言うかもしれない。そうだとすると、死について悩む人はいなくなる。なぜなら、死んだら自分も無になる。自分が無になれば、死を感じている自分はいなくなる。死の先に天国があろうと、地獄があろうと、それすべて無であれば、それらを認識する人がいない。つまり、死ぬと僕がいないことになる。死んでラクになることはない。なぜなら、自分がいないのだから。ないものはないのである(パルメニデス)。


 しかし、「死ぬと無になる」もまた死生観の一つである。みんな死んだことない。なのにどうして無だとわかるのか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ