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「世界の主人公」と「自分という主人公」

 自分の主人公は、自分である。これは至極当然だと言える。というのも、あれこれのことをするのは、自分であって、自分ができることは自分を通してしかなされない。学校に行く自分、会社に行く自分、友達と遊んでいる自分。すべて自分であって、自分の世界にとって主人公は「自分」以外にありえない。


 もし、あなたが現代の奴隷だとしても(たとえば、働いて寝るだけの人生や他人に尽くすだけの人生)、それを行なっているのは自分である。どんなに強制されたものであっても、強制されて行なっているのは自分である。


 「自分が主人公だ」と、多くの人が思っている。ドラマやアニメの主人公のように、僕がストーリの主人公である。もし自分という存在は、脇役で通行役Bにすぎないと言うのなら、それでもかまわない。ただ、主体性に欠ける人生のように思える。


 では、世界の主人公はいるのだろうか。正義のヒーロのように、一人の人間(ヒーロはしばしば人間ではないが・・)が世界の人々の命運を分けるようなことがあるのだろうか。私が見る限り、世界の主人公は不在である。一人の人間が、世界を救うこともないだろうし、一人の人間が世界を破滅に追い込むこともできない。世界には、善や悪の主人公はいない。


 核のスイッチを押せる人間が、世界の主人公か?いや、押して発射するには多くの人の協力が必要である(常に発射を可能にする研究者や設計者、押す人、押すことを命令する人など)。多くの人々を救う薬を発見した人も、その薬の発明は、最初の一人がきっかけであったとしても、その薬の製造に着手し、販売するには多くの人々の助けが必要である。また、その薬を使用したことがない人からすれば、偉大な薬を発明した者は、世界の脇役にすぎない。


 世界の主人公は、いない。しかし、時折、自分こそが世界の中心であると思う者(あるいは組織)がいる。そういう人が、「わがままな人」「自己中心的な人」だと言われたり、良きようにいえば「自信家」である。主人公は、絶対的に正しい。だから主人公は間違えない。最後は、ハッピーエンドに終わる。それゆえ世界の主人公は、自分の正しさを疑わない。そこが、自分を世界の主人公と考える者のおそろしさ。

 


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