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なぜ政治の話は、重たくなるのか。

 これは日本に限られた話らしい。そもそも日本人は、政治に対して関心が低い。ご存知のように、日本は投票率も低い。ただ下には下があって、たしかデータによると日本よりもドイツのほうが投票率は低かった(国連が発表したものかと)。


 で、テレビを見てみると、アナウンサーさんが「投票に行きましょう」と言っている。多くの人は、きっと「一票を投じても変わらない」「誰が当選しても変わらない」と感じて行かないのだろう。投票することは権利であって、義務ではないから、もちろん強制することはできない。何よりも、テレビが投票を促すのは、政治に関する番組の視聴率を上げるための準備のように思えてならない。


 その話は一旦置くとして、日本では、政治に熱く語りずらい雰囲気もあれば、「政治に関心がない」と言いずらい雰囲気もある。前者であれば鬱陶しいものと見なされる。後者であれば、誰かがお説教をし始めそうだ。ということで、「政治については語らない方がよい」となる。政治について考えないほうが身のためであると。おまけに政治については個々人の見解がズレやすく、議論になりがちである。議論が苦手な人からすれば、「政治は厄介なもの」となり重い話に分類される。やっぱり、まつりごとは重い。


 もちろん、これは私の考察で、正確なデータに基づいているわけではない。ただ、「政治に関心がない」というのは、豊かな国だからなせることともいえる。政治家が腐敗し、国民が虐げられ困窮していれば、もっと政治に関心をもつだろう。なぜなら、自分の命に関わるのだから。

 そう思うと、みんなが政治に関心ある国ではないほうがいい。どの政党や立候補者を支持するかだけで、自分の敵なのか味方なのかと区別される社会よりも、「投票には行きましたよ」で済む方がよい国だと思う。政治は、軽い方がいい。


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