軽いよりも重たい方がよい?
僕のエッセイに限った話であるが、この「重たい」エッセイの閲覧数が他よりも多い。他のエッセイに「軽妙な」という形容詞がついたエッセイもある。しかし、「軽い」エッセイの閲覧数はこのエッセイに比べてそこそこで、これは意外である。
一般的に軽いイメージの方がメジャーである。軽いは、楽しい、明るい、単純を想起させる。たとえば、音楽で言えば軽く聞けるものの方が主流である。特に、直接的な言葉を使ったメッセージソングは、わかりやすく好かれやすい。それに対して、クラシック音楽が人気があるイメージはない。ドラマもすっきりするエンディングのものが好かれやすい。殺人が発生する話でも、しっかりと犯人が誰なのかわかることで、視聴者は納得する。漫画も、友情を押し出したものがメジャーであったりする。
それに対してどんよりした「重い話」は人気がない。重いは、暗くて、陰鬱で、複雑なイメージを想起させる。世の中にある悲惨さを語った話、人間の醜いところを描いた作品、グロテスクな描写などは、万人ウケをするものではない。つまり「重いもの」はマイナーなものである。特に「死」をテーマにすると、途端に話は「重い」ものとなる。ただ、重たい話を話しすぎると、なんだか賢ぶった大学生みたいになってしまうから注意が必要だ。
で、重たい話に関心がある人とはどんな人か。個人的に今落ち込んだ状態の人だろうか。それとも、軽い話に馴染めない人か。重たい話をしたいけれど話し相手がいない人か。それとも単なる一瞬の関心か。
ただ、世の中に「単純で、明るくて、軽いもの」が増えている(と思う)。多くの人もそこに染まっている。それでもやはり、そこに染まれないような人間や、拒否感を抱く人間がいて、彼らには「重い話」はウケる。
しかし「重い話」についての話をしていると、エッセイ自体が軽くなってきたように感じる。話が宙に浮く前に、エッセイを終えておこう。




