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死を迷惑と捉える

 人の死をたんに迷惑なものとみなす場面に遭遇した。


 「人の死を迷惑なものとして扱う」と述べると、問題含みの発言に聞こえる。僕自身、そのような状況は問題があると思っている。実際にそういう場面に遭遇した。


 それが通学の電車内で起きた。僕は、いつものように急行の車内で座っていた。すると、電車が急停車した。隣の中年男性が僕にぶつかり、「あっ、すみません」と言ったのを覚えている。

 しばらくすると、「人身事故が発生しました」という車内アナウンス。どうやら、急行の通過駅で人身事故が発生した模様。しかも、僕が乗っていた電車自体が、人身事故を引き起こしていた。もちろん、どのような事故が生じたのかは不明だった。ただ、次の駅ですぐに降りてくれということだった。もちろん、これは時間通りに電車が運行できないことを意味する。


 アナウンスで「人身事故」という言葉が使われた。人身事故ということは、接触事故かもしれないが、もしかしたら人が死んだのかもしれない。その人は自ら線路に飛び出したのかもしれないが、誰かに突き落とされた不幸な被害者かもしれない(実際にそれは死亡事故であった)。そう思うと、僕は車内で、妙な物寂しさが襲ってきた。「あ、誰かが死んだのかもしれない。そして僕はその電車に乗っているのかもしれない」と。


 アナウンスとともに、そのことを理解した多くの乗客はどのようなリアクションをとったのか。答えはシンプルである。すなわち、「いらだち、ため息」である。そのリアクションのあと、人々は携帯を取り出し、電話を始めた。聞こえてくる会話内容から、それが会社への連絡であることがわかる。


 僕はたまたまこのような状況に遭遇した。

 そして感じたのは、ぞっとするほどの違和感である。


 その人たちからすれば、死は迷惑なものであった。

 僕は、別にそれが悪いとは言わない。ただ、誰かが亡くなったかもしれないということ、そのことをすっ飛ばして、すぐさま人身事故を迷惑と感じるこの反射的感覚。僕は、このことにぞっとしたのだ。

 

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