(導入)重い話とは?
最初に簡単な本書の紹介をしておく。これはエッセイ第二弾になる。前回と同様に、1ページに一つのエッセイを投稿していく。1ページ読み切りなので、通勤・通学などで読みやすいはず・・。
で、「重い話」とはなんでしょうか。「話」に重さはない。話は実際に存在するような物体ではないから、話はあくまで情報だといえる。そこにあるのは、やりとりであって、強いて言えば、ものすごく軽いような気がする。
きっと「話が重い」というのは、「軽い話」から来たのだろう。深刻なことでなく、テンポよく、冗談交じりの話を「軽快な話」と言ったりする。その逆といえるのが、深刻で、笑って話を聞くことができないような話、つまりそれが「重い話」である。
重い話は、知り合いの会話のなかでは話にくいものだ。相手に気を使わせるし、どう返答すればよいか相手も困るだろう。人生の話、生死の話、政治の話、将来の話、善悪の話などが挙げられる。しかし、そういう重い話と分類されるものが、往々にして個人にとって大切である。
エッセイにおいては、一般的に「重い」と言われている話を中心に、50個は書きたいと考えている。ただ僕としては、「重い話」をしているわけではない。たんに、普段からこうなのかなぁって思うことを、述べたもので、絶対に正しいとは思っていない。「こういうふうに考えている人もいます」あるいは「こういう風に考えてみてもいいいですか?」という具合だ。
それでは、どうぞ。




