第七話 -謎の男と謎の美女-
一足先に龍士の部屋へ戻った零士は、入口の引き戸を開けようとしてふと手を止めた。
引き戸に填められた擦りガラスの奥に、ぼんやりと人影のようなものが見えた気がしたのだ。
―龍士の妖怪……じゃなさそうだな……―
おかしい……
自分達が実家へワープして来てから今現在まで、来客があった様子は無い。
家族は両親と自分、そして弟の龍士の4人。それ以外の人物は昨夜拾った少年だけ……
―今ならガキは龍士と一緒だし、何かあっても恐らく大丈夫だな……―
零士はそっと廊下を引き返し、階段の下に置かれている箒を手に取る。我ながらちゃっちぃ武器だと思うが、無いよりマシだ。本当は床の間に飾られている模造刀でも持って来たいところではあるが、取りに行くには台所の前を通らなければならない。一体何事かと問い詰められるのも面倒であるし、床の間の模造刀は父のコレクションだ。持ち出しているのを見られでもすればこっ酷く叱られるのが目に見える。
足音を立てぬよう、細心の注意を払いながら龍士の部屋へ引き返す零士。緊張に汗ばむ手で箒の柄を握り直し、引き戸の横の壁に背を預けると、彼は中に居るであろう人物を少しでも怯ませようと勢いよく戸を開けた。
スパァン!という音が廊下に鳴り響くと同時に、箒を振りかぶって部屋に踏み込む。
……が、中には誰も居ない……
「あれ?……」
気のせいだったのだろうか?と思いながら、振りかぶっていた箒をそろっと下ろした時だった。
「動くな。」
ゴリッと、こめかみに冷たい何かを突き付けられた。
思わず零士は箒を手放し、そっと両手を上げる……
こめかみから伝わる感触は、生まれて初めてでも容易に想像が付く程饒舌に、それが何かを物語っていたからだ。
「えっと……それ本物……」
突き付けられているモノを横目で見て、彼は上ずった声でそう訊ねた。
室内に居たのはSATのような服装に身を包んだ男だった。顔は案の定ヘルメットと覆面で分からないが、男の握るオートマチック拳銃が自分のこめかみに突き付けられているのはハッキリとわかる……しかも質問に対する返事は無く、代わりに銃口がより一層強くこめかみへ食い込んだ。
「ガキは何処だ?」
こういう声色を『殺気の籠った声』というのだろうか?……と、どこか他人事のようにそう考える一方で、背筋がサァッと冷たくなっていく。
―これはヤバい。つーかマズい……どうする?どうすれば……―
必死で考えを巡らせながら部屋の中をせわしなく見渡す彼の目が、ふと、視界の端に何かを捉える。
冷たい黄色。青白い光沢を纏った蛍光イエローが、自分へ銃を突き付けている男の体をみるみる覆っていく。その広がり方はまるで電流に包まれていくようで、その色が次第に……
―これってまさか……―
見覚えのあるその色に焦りが広がる。そんな時だった
「どーしたんだよ兄貴。部屋の入り口で突っ立って。」
最悪のタイミングで龍士と少年が部屋へ戻って来てしまった。
「お前ら逃げろ!!」
振り返って叫ぶ零士の声。
彼の動きに襲撃者の握る拳銃が放った銃声。
倒れる零士。
まるで落雷が落ちたかのような激しい轟音……
その全てが一瞬の出来事であった。
「いってぇぇぇ……」
銃弾が掠めた頬を抑え、零士がのそっと起き上がる。血が出ているがそれ程深い傷ではなさそうなのが唯一の救いだ。
「ごめんなさい。来るのが遅れたわ。」
突然聞こえたのは女性の声だった。
その声が聞こえた方向へ視線を向けると、先程まで拳銃を突き付けていた男が湯気を立てて倒れており、傍らに女性が一人立っていた。
癖の無い黒いロングヘアに、キリッとした目付きの大きな瞳。服装はパンツスタイルの黒スーツに黒いハイヒールを履いている。
「ちょっと何?!今の音!!」
「お前ら一体何した?!」
両親が部屋へ駆けつけた時、言葉を失ったのは言うまでもないだろう。
少年は龍士に抱き着いて怯えているし、その龍士は目を見開いて唖然と自室を見つめているし、零士は傷を負った頬を抑え畳の上にへたり込んでいる……室内にはSATのような服装の見知らぬ男が拳銃を握ったまま湯気を立てて倒れており、その隣には涼しい顔で立っているスーツの女性……室内の畳は男が倒れている範囲を中心に薄っすら焦げており、零士の背後の壁には銃弾が開けた穴がある。
「ちょ、え……こ、これ、えと、け、警察。警察に通報……」
父、啓士が混乱したまま譫言のように呟いた横で、母、千尋は畳にへたり込んだままの零士へ恐る恐る歩み寄り、そっと息子の目の前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫?怪我……ほっぺただけ?他には??」
「あ、うん。大丈夫。ほっぺただけ……」
彼の言葉を聞いた瞬間、千尋は零士の両肩に手を置き、深い安堵の溜息を吐きながら同じように畳へへたり込んだ。
「ところで、そこのお姉さん誰?」
龍士がやっと口を開く。
女性は彼の言葉でスーツのポケットから身分証らしきものを取り出した。それを手に龍士へと歩み寄ろうとして、彼女がふと足を止める。自分が土足のままである事を今まさに思い出したような顔で申し訳なさそうにハイヒールを脱ぎ、手にぶらさげると、彼女は改めて龍士へ歩み寄り、身分証を呈示した。
「私は政府直属の非公開組織、超能力者研究管理機関「曼陀羅」の一級超能力者、春日部杏美と申します。緊急事態であった為、突然の不法侵入どうかご容赦下さい。器物損壊及び犯罪者の死体処理の件につきましては、後程担当の者達を派遣致しますのでご安心を。」
「いやいやいや!!安心出来るかよ!!なんだそりゃ!!」
顔色一つ変えず淡々と喋る彼女に龍士がキレる。
「お前人の部屋で何やらかしてくれてんだ!俺毎日ここで寝てんだぞ!!死体処理ってお前!何か出たらどうしてくれんだよ!!」
「何かしらの霊的被害がございましたら、そちらに関しても担当の者を派遣致します。」
「そういう問題じゃねぇぇぇ!!!」
が、そんな龍士を静止し、啓士が春日部と名乗った女性へ訪ねた。
「とりあえず、詳しい話を聞かせてもらえませんか?こちらとしては何がなんだか……」
そこでようやく彼等の様子を察したのか、春日部はゆっくりと頷いた。
「分かりました。一からご説明させて頂きます。ですが私が話す事、及び今しがたこの家で起きた事の全てに守秘義務が生まれますのでご了承ください。」
「……わかりました。千尋、ちょっと茶ぁ煎れて来い。」
「え、ええ。」
そそくさと台所へ向かう千尋と、春日部を客間へ案内する啓士を見送った後、零士はやっと立ち上がった。
「兄貴!大丈夫か?!」
「あ、ああ。一応。死ぬかと思ったけど……」
そう言ってそっと頬の傷口から手を離す。ずっと抑えていたお陰で多少なり血が止まり始めているようだが、サッサと手当てしたくてたまらない。
「うわぁ……いったそ~……」
「痛ぇよ。当たり前だろ。」
「まぁ、だよな…… しょうがねぇ、疾風起きてっか??」
次の瞬間、龍士の肩の上に大きなイタチが現れる。
イタチはオドオドとした様子で龍士の顔を見上げた。
「あ、あの、ご用事ですか??」
「あぁうん。悪ぃんだけどさ、兄貴の怪我に薬塗ってやってくんね?」
優しい声でそう言いながら、龍士が頭を撫でてやると、疾風と呼ばれたそのイタチはスゥッと零士の顔の前へ宙を滑るように近寄った。
「あの、染みない薬ですけど、その、もし痛かったら、あの、すいません……」
「大丈夫大丈夫。お前の薬が染みない上によく効くのは俺もよく知ってっから。」
「は、はい。すいません。ありがとうございます。勿体ないお言葉です……」
零士がへらっと笑ってみせると、疾風はぺこぺこと頭を下げ、その後、両の前足で地面でも掘るかのように宙を三度掻いた。すると、疾風の目の前に壺と水の入った手桶、そして手ぬぐいが現れた。壺はよく梅干しやぬか漬けが入っているような、赤茶けたお馴染みの陶器の壺だった。
疾風は手ぬぐいを濡らし、零士の頬をひたひたと優しく拭くと、右の前足で壺の蓋を開け、左の前足でちょいちょいと薬を適量手に取る。薬は透き通った青緑色をしていた。その薬を零士の頬の傷へぺたぺたと塗ると、傷はスゥッと薄くなり、針の先でちょっぴり引っ搔いた程度になった。
「お~、これならもう大丈夫だ。サンキュ。疾風。」
零士が頭を撫でてやると、疾風は恥ずかしそうにいそいそと先程取り出した壺や桶を何処へともなく仕舞い込んで、ぽんっと消えてしまった。
「……さっきの動物も妖怪?」
少年がやっと口を開いた。
龍士は少年の頭をぽんぽんと撫でながら口を開く。
「鎌鼬って妖怪さ。疾風は三兄弟の末っ子で、一番上の兄貴が人間を転ばせて、真ん中の兄貴が人間に切り傷を作るから、その切り傷に薬を塗る仕事してんだ。アイツの薬ってよく効くんだよ。」
「怪我させるのに薬塗ってくれるの?」
「自分達の住処に近づく人間に、これ以上近づくなって警告する為にやってる事だからな。別に人間殺したくて怪我させてる訳じゃねーのさ。」
「ふーん……」
少年はいまいち不思議そうな顔をしていたが、零士の方へ駆け寄り、彼を見上げた。
「ごめんなさい。俺のせいで怪我……」
「気にすんなよ。俺もお前も被害者なんだ。悪いのはそこに転がってる不審者の方だしな。」
そう言って零士は親指でくいっと倒れている男を指差す。
龍士が至極嫌そうな顔をして男を見つめた。
「なぁ、さっきの春日部とかいう姉ちゃん、死体処理がどうのこうのって……こいつマジで死んでんの?」
「ああ。感電死だな……」
零士が目を伏せる。
「あの女の人が現れる直前、この男の色が見えたんだ。青白い光沢の蛍光イエロー……井沢のおじさんの時と同じ色だった。」
「あー、そういえばあったな。そんな事。」
龍士も納得したように頷く。
井沢のおじさんとは母である千尋の従弟で、電気工事士をしている男性だ。零士と龍士が中学生の頃、工事中に感電事故に遭い入院騒動になったものの、命に別状はなく現在も元気に仕事を続けている。
「井沢のおじさんの時に見たのはその蛍光イエローだけだったけど、コイツはその後で色が黒に変色した……死んでるよ。俺にはもう真っ黒にしか見えない……」
「じゃぁ確定だな……俺ヤダなぁ……人死にのあった部屋でこれから寝るの……」
龍士が滅入った声を上げた時、廊下の向こうから声が聞こえて来た。
「おーぃ。大事な話があるからお前らもこっち来いよー。」
啓士の呼びかけに三人は互いに顔を見合わせ、共に客間へと向かった。