第六話 -とりあえず飯を食おう-
零士と少年は、台所のテーブルに着いていた。
目の前には湯気を立てている艶やかな炊き立てご飯に、豆腐とわかめの味噌汁。食卓の中央には器に盛られた生卵と、だし醤油の紙パック。そして納豆のパックが置かれている。甲斐崎家の定番朝食だ。
「えっと……」
戸惑った様子の少年が、目の前に置かれた朝食を凝視している。
「あぁ、そこに置いてある卵で玉子ご飯にするのも良いし、納豆食ったんでも良いし、いっそ両方でも良いし、まぁ好きなように食えば良いから。」
零士がそう言いながら生卵へ手を伸ばす。ご飯の中央を窪ませ、生卵を割り、窪みの中へ投入。だし醤油を適量掛けたら箸を持ち、一思いにかき混ぜる。だし醤油の香りが熱々のご飯の湯気に乗って鼻に届くのがたまらない。
が、少年は少し申し訳なさそうな顔でポツリと呟いた。
「俺、お兄さんとこでカップ麺食べたから……お腹空いてない……」
「あ。」
玉子かけご飯の最初の一口を頬張ろうとした手がピタリと止まる。一拍置いて、箸の上に乗った玉子かけご飯はぼたぼたと茶碗の中へ戻っていった。
そうだ。腹が減ったとせがまれカップ麺を食わせてから、まだ一時間も経っていない。
「そういえば俺が行った時カップ麺食ってたな。」
龍士が苦笑する。その手は納豆を練っていた。
「あら。朝ご飯食べた後だったの?ごめんね。おばちゃん知らなくて。」
まだ台所に姿を現していない父、啓士の分のご飯を茶碗へ盛りながら千尋が少年を振り返る。
「食べるだけ食べて残しちゃっても良いし、ラップ掛けて後から食べたんでも良いし、手を付けてないなら戻しちゃっても良いから。」
そう言ってにっこり笑った後、白飯をたっぷりと盛った茶碗を食卓へ置き、千尋は少年の頭を優しくよしよしと撫でてから台所を出て行った。恐らく啓士を叩き起こしに行ったのだろう。
「何?親父まだ起きてねーの?」
零士が呆れた表情を浮かべると、龍士が納豆ご飯を頬張りながら眉根に皺を寄せる。
「俺達がこの家に生を受けてこのかた、親父が一発で起きて来た事があるか?」
「……ねーな。」
「だろ?」
呆れ顔でそう言うと、龍士はズズズッと味噌汁を啜った。
「どうする?要らないなら炊飯器に飯戻そうか?」
零士がそう訊ねたが、少年は少し考え込んでから
「……せっかく準備してくれたから、食べれるとこまで食べる。」
と言って箸を手に取った。
「そっか。無理して全部食べなくて良いからな。」
零士がそう声を掛けたが、ほかほかと湯気を立てるご飯を一口食べた瞬間、少年の顔がパァッと明るくなった。当然だ。手作りの朝食の美味しさがカップ麺に敵うワケが無い。
おまけにこの朝食を作ったのは料理達者な千尋だ。味は保証出来る。
「美味しい……」
「だろだろ?うちの母上料理スキルカンストしてっから。」
そう言いながら、早速空になった茶碗を手に龍士がいそいそと炊飯器の方へ向かう。妖怪が大量に住み着いている為か、龍士はかなりの大飯食らいだ。しかも、ばかすか食べる癖に体型は零士と大して変わらない。
「大食いなんだね……このお兄さん……」
見た目とのギャップに驚いたのか、少年が味噌汁の椀を手に持ったまま零士に訊ねると、彼は呆れたような溜息を吐いてからこう言った。
「コイツの燃費の悪さは異常だからな。燃費ワーストランキング4年連続1位の某スーパーカーも真っ青レベル。」
「ムルシェラゴ以下って言いてぇのか。張り合うつもりもねーわ。」
そう言って白飯をたっぷりとよそった茶碗を手にテーブルへ戻って来た龍士であったが、席には着かず、今度は空になっている自分の汁椀を手に味噌汁の鍋の方へと向かう。
「俺だって苦労してるんだぜ?食っても食ってもすぐ腹減っちまうんだから。」
そうぼやきながら、味噌汁をなみなみと注いだ汁椀を手に龍士はようやく席に戻って来た。椅子へ腰かけながら、彼の空いた方の手が今度は卵を手に取る。
そんな弟をぼんやりと眺めた後、ふと、零士は少年へ訪ねた。
「そういえば、お前は能力使い過ぎて腹減ったりとかしねーの?」
あれだけ強力な力を扱えるのなら、それ相応のリスクか対価がある筈だ。
だが、少年は少し考え込んだ後でゆっくりと首を横に振った。
「俺は特に大食いって訳じゃない。でも、能力使い過ぎると気を失っちゃう。」
「あ。じゃぁ兄貴が駐車場で拾ったってのはもしかして!」
「うん……使い過ぎで倒れた。」
卵も納豆もかけていない白飯を噛み締めるかのようにゆっくり咀嚼しながら、少年はポツリとそう答える。
あんな人気の無い駐車場で何故、気を失うまで超能力を使わなければならなかったのか……もう此処まで来たら聞かずとも容易に想像が付いた。
「あの時言ってた『あいつ等』って奴等のせいか?」
「うん……」
少年の動作がしょんぼりと止まる。
玉子かけご飯の最後の一口を、残りの味噌汁で流し込み、零士は食器を置きながら少年へ向き直った。
「なぁ。詳しく聞かせてくれないか?お前を追って来た、その『あいつ等』って奴等の事……」
「え……えっと……」
少年がそう口籠った時だった
「おはよぉ……」
パジャマ姿の父、啓士が目を擦りながら台所へと入って来た。頭には立派な寝癖が立っている。
「あれ?零士どうした?休みでもないのに帰って来てるなんて珍しいな。」
「あ~……ちょっと色々あって……」
眠そうな顔の啓士へ愛想笑いを浮かべると、零士は少年と龍士へ交互に目配せして席を立った。
「ま、食った奴から龍士の部屋集合な。そこで詳しく話そうぜ。」
「あ。う、うん……」
「おー。すぐ行くわ。」
返事を返した二人を残し、零士は一足先に台所を出て行く。
「あれ?おーい零士!この子は??」
後ろから聞こえた父の声に、零士は振り返らずに答えた。
「龍士の専門分野。」
「あーもー。そういう事で良いよ!説明めんどいから!」
諦めた様な声で投げ遣りに言い捨てる龍士の声を背中で聞きながら、零士は廊下を歩いて行った。