第五話 -それぞれの能力-
「うわぁ?!」
開口一番、零士が情けない声を上げた。
敷きっぱなしの布団が目の前に……いや、真下に見えた瞬間、自分が天井から逆さまに生えている事に気付いたのだ。
―やべ!落ちる!―
少年が怪我をしないようにと抱き締める。自分が下になって落ちれば怪我はしない筈……と思ったものの、そんなアクション映画のワンシーンのような真似が素人に出来る筈もなく、中途半端に捻った体は左肩から布団の上に落ち、更に頭は布団からはみ出して畳へ盛大にぶつける羽目になった。
「いってぇぇぇ……」
呻く零士の腕の中で少年がもぞっと身じろぐ。
「あの、お兄さん大丈夫?」
「ああ。お前は??」
「平気……」
そう答えた直後、少年がパッと零士の腕から抜け出し、畳へ逃げた。
「兄貴どけ!!」
……直後、零士が上から降って来た龍士の下敷きになったのは言うまでもないだろう。
「馬鹿!ボサッと寝転がってんじゃねぇ!!」
「うるせぇ!!天井なんかに出口作る方が悪ぃんだろうが!危ねーだろ馬鹿!」
兄弟が口論になるのも勿論無理も無い。
「いやぁ、すんませんね。零兄さん。慌てて繋いだもんでつい……」
そう言って龍士の背後にすぅっと姿を現したのは、無精髭を生やした30代くらいの男性だ。裾がボロボロになった着物に、薄汚れた袈裟。髪はぼさぼさで好き勝手な方向へ跳ねている。
「ねぇ。この人は?……」
「あぁ、さっきの抜け道作ってくれた奴だよ。」
少年の言葉に、龍士が今しがた現れた男性を指さして苦笑する。
「どうも。夜道怪の御帷と言います。」
へらっと暢気な顔で笑う御帷に、少年もぎこちなく笑い返すが、すぐに不安そうな顔に戻って龍士へ問うた。
「ねぇ、ここ何処?」
「え?俺等の家だよ。香川のド田舎の。」
龍士のその言葉に、少年が目を丸くした。
「香川って……俺達がさっきまで居た場所……」
「東京だな。」
今度は零士が何でもなさそうにそう言うと、少年の目は更に丸くなった。
「って事は……」
「はい。ワープっすね。」
にっこりと答えた御帷の一言で、少年はついに大声を上げた。
「えぇぇぇぇぇぇ?!」
「まぁ。そりゃ驚くわな。」
零士が苦笑しながら龍士と顔を見合わせる。
そう。彼らは先程、東京の大学に通っている零士の下宿先から、実家……四国、香川の田舎へとワープして来たのだ。にっこりと笑顔を浮かべているこの妖怪、夜道怪の御帷の力によって。
「御帷は夜道怪っていう『子供を攫う神隠しのプロ』妖怪でさ。離れた場所に通じる抜け道を作ってワープする事が出来るんだ。」
「いやぁ、昔はこの能力で子供攫いまくって人間の親達から死ぬ程恨まれましたねぇ。」
龍士の説明を補足するかのように御帷はそう付け加えて「あっはっは」と笑い飛ばしたが、こちらとしては全く笑えない話である……
「大丈夫なの?どさくさに紛れて攫われたりしない?……」
「あぁ、それは問題ねーよ。」
少年が心配そうな声で遠慮がちに訊ねたが、零士がそう答えた。
「龍士はさ、やけに妖怪と相性が良くて、自分の体の中に百鬼夜行飼ってるんだ。天翔さんや御帷にとって、龍士は宿主であり主人だから、誰も龍士の命令には逆らわない。っつーか、逆らえない。」
そう言って彼は実の弟へ視線を向ける。その視線の先では天井に抜け穴を繋げた事に対する不満をつらつらと並べる龍士と、困ったように笑いながらぺこぺこと頭を下げる御帷の姿があった。
「それが、このお兄さんの能力……」
「ああ。体の中に妖怪を飼って、その飼ってる妖怪を好きなだけこき使う能力。ってとこかな。」
苦笑を浮かべながら零士がそう口にしたが、次の瞬間、龍士がキッと彼を睨み付けた。
「人聞きの悪い言い方するんじゃねーよ。大体、説明端折り過ぎだっつの。」
龍士は布団の上に胡坐をかいて座り直し、語り出す。
「俺の超能力は、自分の中に……つってもまぁ、別に俺の体内って訳じゃねーんだけど、とにかくなんつーか、俺の内側にある異空間の中に妖怪を受け入れる事が出来るっていう能力なんだよ。だから妖怪達とは、住処として俺の異空間を提供してやる代わりに力貸せっつったら無条件に従えよ!っていう賃貸契約を結んでるワケ。たまに言う事聞くだけでOKとか破格の家賃だろうが。」
―まぁ、物は言い様って奴だな。―
ドヤ顔で力説する龍士へ呆れた眼差しを向けながら、零士はひっそりと心の中でそう呟いた。
「ちょっと!こんな朝早くから何騒いでるの!起きてるならサッサと顔洗って着替えといで!」
そう言って部屋に入って来たのは零士と龍士の母、千尋である。
だが次の瞬間、千尋の視線は東京に居る筈の長男と、見知らぬ少年へと釘付けになっていた。
「あら。零士お帰り。その子誰??」
「事情の複雑な名無しの坊や君。」
適当過ぎるにも程がある零士のその一言は、説明はおろか紹介にすらなっていない筈なのだが……
「あぁ、龍士の専門分野なら大丈夫そうだね。」
千尋はどうやらそれで普通に納得したらしい。
「ごめんね。何もない田舎だけど、ゆっくりして行って頂戴ね。」
少年へにこやかにそう声を掛けると、彼女は台所へと戻って行ってしまった。
あまりの呆気なさにぽかんとしている少年の傍で、零士は苦笑を浮かべ、御帷は笑いをこらえ、龍士は不機嫌そうに顔をしかめている。
「だから、なんで俺を何でも屋みてーに……」
龍士がボソッと呟くと、天翔が再びにょろりと姿を現した。
「お前さんが何でも屋なのは事実であろうが。」
「馬鹿言え。俺はただのしがないうどん屋の店員だぞ。勝手に何でも屋にすんな。」
そう言って大袈裟な溜息を吐いて見せる龍士を見つめた後、少年は零士へ視線を移した。
「お兄さんも、何か能力あるの?」
「ん?ん~……俺のは自分の意志で自在に使えるような力じゃないからなぁ……説明もめんど……難しいし……」
「兄貴、今『面倒』って言おうとしてなかったか?」
「ヤダナァ。ソンナコトナイデスヨー。」
龍士からのツッコミにわざとらしい片言で答えた後、不意に難しそうな顔をして零士は説明を始めた。
「俺の持ってる超能力ってさ、普段はよく当たるっていうだけのただの勘なんだよ。今日は雨が降るな。とか、このアイスは当たりだ。とか、そういうどうでも良いような事ばっかり当たる、便利なようで意外と使い道が無い地味な力なんだけど……特定の場合にだけその勘が滅茶苦茶研ぎ澄まされるっていうか、ピッタリとアンテナが合うみたいにハッキリと『見える』事があるんだよ。」
「見えるって……何が?」
少年の問いに、零士は少し迷うような素振りを見せてから口を開いた。
「人の運命……」
まるで囁くような、それでいてハッキリと聞き取れる一言だった。
だが零士はそのまま俯き、黙りこくってそれ以上説明しようとしない……そんな彼の様子を見た龍士が説明を引き継いだ。
「兄貴はな、24時間以内に人生の山場っつーか、なんかとんでもない事が起こる奴を見た時、そいつに一体何が起こるのかが『色』で見えるんだ。」
「色で?」
首を傾げた少年を見つめた後、龍士はチラッと零士を見てから説明を続けた。
「例えば、24時間以内に死ぬ人間は、黒いクレヨンでぐしゃぐしゃに塗りつぶしたように見える……らしい。」
そう……
それが零士の持つ超能力だった。
「兄貴のこの能力ってさ、その人に起こる『良い事』は見える事が殆どねぇんだ。大抵『悪い事』ばっかで……おまけに自分の意志で見る見ないを制御出来ねぇから24時間以内に何かが起こる人間はどいつもこいつも勝手にそう見えちまう。そのせいで色々あったもんだから、、兄貴は自分の能力あんまり好きじゃねぇっつーか、寧ろ嫌ってるっつーか……」
「大丈夫。俺も自分の能力好きじゃないし……」
少年がまたぎこちない笑みを浮かべる。
零士はそんな少年を見つめた後、そっと訊ねた。
「天翔さんは、お前の能力サイコキネシスだっつってたけど……一体どんな力なんだ?物を浮かせるとか?」
「そんなんじゃないよ……」
少年が無表情な顔で俯いた。
「俺の能力は、壊す事しか出来ないから……好きじゃない……」
「壊す?」
零士が怪訝そうな表情を浮かべた隣で、龍士が部屋の中をキョロキョロと見渡し始める。
彼はテーブルの上に置きっぱなしにしていたコーヒーの空き缶を手に取ると、少年の前にずいっと差し出した。
「言葉だけじゃなんかよくわかんねーから。試しにこの空き缶壊してみ?」
「お前なぁ……本人が好きじゃないって言ってる能力だぞ。デリカシーねーのか。」
零士が呆れた顔で龍士を睨んだが、少年は差し出された空き缶を大人しく受け取って頷いた。
「よく見ててね。」
掌の上に空き缶を立て、少年が空き缶を見つめる……一瞬、彼の目がキラリと不自然に光ったように見えた次の瞬間の出来事だった。パキュッ!と音を立てた空き缶は、限界まで握り潰した紙くずのような密度の金属の塊へ姿を変えていた。
「……兄貴、何が起きたのか見えた?」
「いや……全然……」
兄弟揃って唖然とした表情を浮かべる中、天翔が口を開いた。
「ほう……己が思念を圧力として対象に加えるか。思った以上の威力じゃな。」
「は?!スチール缶が一瞬でこんなになったのが圧力?!マジで?!」
龍士が少年の手の平に乗ったままの金属の塊を指差し、天翔に問う。
スチール缶を質量の限界まで圧縮する驚異的な圧力……しかも圧縮に掛かる時間はほんの一瞬。少年は顔色一つ変わっていないし、呼吸一つ乱れてもいない。確かににわかには信じ難い力だ。
「この威力ならば恐らく、車であろうと建物であろうと大抵のものは一瞬で圧縮してしまえるじゃろうの。」
すっかり感心した様子の天翔とは打って変わって、当の本人は悲しそうな顔をしていた。
「俺、加減が出来ないんだ。ほんの少しだけ潰すとか、ゆっくり潰すとか出来なくて……だから俺……」
そこまで言って黙り込んだ少年の様子を察したのか、天翔が憐れむような眼差しを少年へ向けた。
「そうか……お主も辛いな……」
「え?何々?」
不思議そうに少年と天翔を交互に見つめる龍士の頭を、零士は無言で静かにしばいた。
加減の出来ない圧倒的能力……それは本当に何でも潰せてしまうのだろう……それは恐らく、人でさえも……少年の悲し気な顔を見れば何となくだが察しは付く。
この少年は恐らく、自分の能力で人を×してしまっている……
「そっか。お前、俺と同じなんだな。」
ぽんっ。と少年の頭に手を置きながら、零士も少年と同じように、悲しい顔をしていた。