かつて幼女に負けた俺は最強になって求婚す
━━この世は、なんてつまらないんだ
ロージクサス王国宰相の嫡子ウィリアム・ジークスは、俗にいう神童であった。
十歳で博識者が舌を巻く程の知識を身につけ、剣術においては同世代で並ぶ者がいないとまで言われた。
━━人はよく、『天は二物を与えず』と言うが、僕を見て、そんなこと言えるのか愚問だ。僕には、なんでもあるのに………
顔も眉目秀麗で、貴族の令嬢たちからアプローチされた数は、底を知らない。
美しい令嬢はもちろん、身分がつりあう女性だって沢山いた。だがウィリアムは、家の力と巧みな言葉で全て婚約を潰してきた。
━━好きでもないのにどうして、退屈で馬鹿で阿保な人間と僕が結婚しなくちゃいけないんだ?
ウィリアムは子供ながら、相当捻くれていた。
同じ歳の男の子は、可愛い女の子を見たり一緒に話したりすれば、興味もったり好印象を抱いたりするが、ウィリアムは、『学識がないやつだ。そんな事も分からないか?』と相手を馬鹿にしていた。
令嬢たちが、理想、幼稚な考え、我儘を自分に押し付けてくるのは、とても苦痛だった。
━━僕と同じ目線で話せる子はここにはいないんだ。あぁ、一人になりたい。一人でいた方がこんな奴らの相手をしなくていいし、楽だ。
将軍の娘が五歳となって、社交界に初めて出る日、十五歳だったウィリアムはそのパーティに参加していた。
今日のパーティだって、彼の横を争い癇癪を起こす大勢の令嬢が煩わしくて堪らなかった。
出なくていいパーティや夜会には基本出席しないため、彼が珍しく出席すれば令嬢たちは目の色を変えて争うのだ。
━━醜い………必死に争ったところで僕が惚れるなんてないのに
令嬢たちに気付かれないように溜息をつくと、父のクラウドが離れた場所でニヤニヤと楽しんでいるのが見えてしまった。
顔には出さないが、令嬢たちの相手をするのが嫌いなのを分かっているのだろう。
「将軍への挨拶をまだしていないんだ。失礼するよ」
笑われるのは気に食わないので、ウィリアムは顔に笑顔を貼りつけ、令嬢たちの中から抜け出した。
不機嫌な息子を愉しむ父の元に、なんとか辿り着いて、ウィリアムはついつい不満を言った。
「父上、そんなに面白さそうにしないで下さい。困っている人間を愉快そうに見るなんて不謹慎ですよ」
「ククク、すまない。おまえが嫌そうにしながら、相手をするのが面白くてな」
睨んでいるのに、笑いを堪え切れないのか、父の肩が小刻みに震えている。
ウィリアムが冷めた目をすると、父の震えが一層酷くなった。
咳をするふりをして口に手を当てて、声を漏らすまいとしているのがわかる。
「………ふっ、ふぅ、なんとか収まったぞ。さて、挨拶に行くか」
「………遊ばないで、はじめからそうして下さい」
口の端が痙攣している父の後に続いて、ウィリアムは将軍のいる場所にいく。
将軍の隣には淡い色のドレスを着た金髪の美幼女がいて、きっと彼女が娘なのだろう。
光り輝く金髪が太陽みたいキラキラしてて、爛々とした水色の瞳がこちらを見たとき、不意にドキッとしてしまった。
━━美貌に見慣れてないわけではないのに、なんでこんなに胸が高鳴る? 彼女だって周りの女性と同じのはずなのに……!
噂では、優秀な令嬢だと聞くけど、所詮は噂だと、必死に言い聞かせる。
かつて、優秀だと噂されてきた令嬢に会ってきたが、全部嘘だったではないか、と。
━━見た目は可愛い。でも、この子もそのうち、馬鹿みたいな子になるんだ! 着飾ってばかりいる無能な子に!
ウィリアムの顔は笑っているが、心で目の前の少女が、お馬鹿な令嬢になるのを想像する。
そうすれば、早まっていた鼓動もいつも通りになった。
「将軍、この度はおめでとうございます。こちら、我が息子のウィリアムです」
「ウィリアム・ジークスです。今日はお招きいただきありがとうございます」
「ジークス宰相! 来てくれたのか? 礼を言うぞ。………それと、噂の息子か? なかなか良い跡継ぎに恵まれたな。おっと、紹介が遅れた、娘のクリスティーヌだ」
将軍が幼女を前に出す。顔がよく見えるようになって、やはり将来美女になりそうな顔をしてるな、とだけは素直に思った。
「クリスティーヌ・サンドリアです。この度はお越しいただいてありがとうございます」
「なんと、礼儀正しいし、可愛らしいお嬢さんだ」
「あぁ、クリスティーヌは可愛くて仕方がない」
「デレデレですね、将軍。………あぁ、ウィリアム、わたしは将軍と話をしたいから、おまえは好きなことをするといい」
「はい、父上。お言葉に甘えさせていただきます」
これから、大人の話でもするのだろう。父に言われて、ウィリアムはその場から離れる。
といっても、令嬢たちに捕まるのは嫌なのでテラスの方に出る。
人気が少ないところを探していると、テラスに階段があって庭園に行くための道があった。
「確かこの先は庭園だったよな?」
将軍の家の庭園は広大な敷地に、花が咲き誇ることで有名である。
もともと気になっていたし、時間潰しにも丁度良いとウィリアムは足を進めた。
「うわぁ、想像以上にすごいな」
訪れた庭園は美しさは、ウィリアムが想像していたものよりもずっと凄かった。
角度、花の種類の統一感が緻密に計算されていて、幻想的過ぎて違う世界にいるような感覚に陥いる。
敷地も広大だし、一回りするだけでも時間がかかった。
珍しい薔薇の花も咲いていて、ウィリアムの知識欲が駆りたてられていたとき、突如少女の声が聞こえた。
「やぁっ! やぁっ!」
「?」
折角静かに楽しんでいたのに邪魔されてイラッとしたが、気なって声がする方に行った。
開けた場所にでると、とても大きい金木犀の木があった。
そしてその木のもとで、一人の幼女が剣を振るっていた。
「ク、クリスティーヌ嬢?!」
予想外の人間がいて、ウィリアムは衝撃を受け、思わず声を出してしまった。それに気付いたのかクリスティーヌはこちらを振り返った。
「あら、ウィリアム様? どうしてここに」
クリスティーヌはコテンと首を傾げてウィリアムを見ているが、こっちが質問したい気分だった。
「時間潰しに庭園を散策していたのです。それより、クリスティーヌ嬢はどうしてここで剣など振るっているのですか?」
それに今回のパーティの主役であるのに、抜け出して、こんなところで剣を振るっていいのかと思った。
「えぇと、実は、パーティがつまらなかったのです。ウィリアム様には、飽きられしまうかもしれませんが、わたしは剣を振っている方が好きなんです!」
「は、はぁ」
将軍の娘さんだし、剣を振るうのが好きという性格を継いだのかもしれない。
━━しかし、まだ五歳の子だろ? 剣など与えて危険じゃないだろうか? まぁ、あの様子じゃあ、将軍は娘に甘そうだ
もしここでクリスティーヌが怪我などしたら、見ている自分は面倒なことに巻き込まれるかもしれないと気づく。そんなの、堪ったもんじゃない。
面倒事から逃げるべく、ウィリアムは会場へ戻ることを伝えようと口を開いたとき、クリスティーヌの言葉に阻まれた。
「ウ、ウィリアム様! いきなりで申し訳無いのですが、わたしの、剣の相手をして頂けませんか? 刃は潰してありますし、打ち合っても大丈夫だと思いますの。一人でやるのは、どうしてもつまらなくて………」
「?!」
━━な、なんて迷惑なお誘いだ!!
ウィリアムは心の中で絶叫した。
先の会話で時間潰しと言ってしまっし、忙しいという理由で断ることは不自然だ。
他に断る理由を探すが、見当たらなくてウィリアムは渋々承諾した。
「やりましょう。よろしくお願いします、クリスティーヌ嬢」
「あっ、ありがとうございます!! それとこの際、わたしのことはクリスティーヌとお呼びになってください! クリスティーヌ嬢と言われるのが恥ずかしいので」
クリスティーヌは赤くなりながら、近くにあったもう一本の剣をウィリアムに渡す。
ウィリアムはクリスティーヌから剣を受け取りつつ、今後どうするかを考えた。
━━落ち着け、ウィリアム。相手はまだ五歳。怪我さえ注意すれば、僕にとっては取るに足らない子供だ!! パパッと終わらせて父の元に帰ろう
クリスティーヌが、おとな三人横に入れるくらい離れる。剣を構えたので、どうやらこの距離から勝負を始めるようだ。
ウィリアムも剣をきっちり握り構える。
下手に手加減をすれば、相手に怪我をさせかねないので本気でやるつもりだ。
「ウィリアム様! 準備は良いですか? わたしの開始の合図から五秒後経ってから、動いて良いと言うことで始めますね! じゃあ、始め!」
ウィリアムは心の中で正確に五秒後を数える。早めに勝負を決めるつもりで、動いた直後に踏むステップ、剣技も同時に判断していく。
━━5、4、3、2、今だ!
ウィリアムが動くと同時にクリスティーヌも動いた。
クリスティーヌの構えから横払いだと予測して、ウィリアムは後退しながら剣を受け止め、力比べする作戦にする。
剣が交わって離れなかったら、そのまま力づくで体を押せば、所詮軽い幼女の体だ、後ろに倒れて尻もちをつくだろう。
━━よし! これで僕の勝ちだ!!
予想通りクリスティーヌが剣を横に払ったので、ウィリアムは受け止めようした。
スッポーーーン! ザクッ
剣が重なったとき、そんな効果音が聞こえてきそうなくらいに、ウィリアムの手からすんなりと剣が抜け、近くの金木犀の木に浅く刺さった。
「へっ?」
クリスティーヌの横払いはウィリアムの想像を超えて重く、手が耐え切れなかった。
同世代と剣を交わしたときでさえ、剣が手から離れるなんてなかったのに、五歳のそれも女の子にやられて、ウィリアムは軽くショックを受けた。
クリスティーヌは将軍の子だが、その小さな体のどこに、大の大人みたいな力が眠っているんだ、と思った。
━━小さい体だが、体の筋肉の質は、将軍の遺伝子で変異してるということか!? くそ、盲点だった
落ち込むウィリアムとは逆に、クリスティーヌは嬉しそうだった。
「わたしの勝ちですね! わたしウィリアム様の剣の型を見たときからこうなるんじゃないかって予想してたんです!」
「よ、予想??」
「はい! ウィリアム様が剣を嗜んでいるのは型を見て分かったのですが、剣の握る位置、体の重心移動、見える範囲ですが筋肉のつき具合等で、抜けると思いました」
自分が予想していたことより、クリスティーヌは一枚も二枚も上手で、ウィリアムに残っていた僅かな誇りも木っ端微塵になる。
━━彼女は、僕よりも賢いのかもしれない! 剣だって強い………!! 僕と同じ存在………っ!?
そのとき、ウィリアムの体に電撃が走った。
つまらないと思っていた世界に、自分と同じか、それ以上に聡くて強くて可憐な女の子がいた。
その事実は、ある意味孤独だったウィリアムの白黒の世界を一瞬で鮮やかな世界に変えた。
━━この子は、僕の運命の子なんだ!
思えば、最初からこの子を見たときから自分の心臓がいつもとおかしかった。他の令嬢には感じないはずなのに、胸が高鳴って仕方がなかった。
自分の気持ちに認識したら、心臓が驚くほど高く鳴っていく。
息苦しくなるのを我慢して、ウィリアムはクリスティーヌに自分の気持ちを告白した。
「ク、クリスティーヌ! 僕は………僕は君が好きだ!! だから君の将来を僕にくれないか?」
ウィリアムは片膝をついて、子供ながら愛の告白をした。
唐突過ぎて、クリスティーヌは驚いていた。
でも、ウィリアムにこの気持ちを抑えられなかった。
確証もないのに、彼女も僕と同様同じ考えを抱いていてくれて、応えてくれる思っていた。
「あの、ウィリアム様。申し訳無いのですが、わたし弱い方が嫌いです。自分より強い人としか結婚しませんの。だからすみません」
ペコッと頭を下げて、逃げるようにクリスティーヌは走って行った。
━━ぼ、僕は振られたのか??
逃げていく金髪が見えなくなったとき、ウィリアムの世界が一瞬で真っ黒に染まった。
◇◆◆◇◆◆◇
それから、ウィリアムは父に連れられ馬車にのった。帰路の途中ずっと、目から涙が溢れて、父に泣きついた。
父のクラウドは、今まで泣いたことがなかった息子が、馬車に乗るや否や大泣きして、どうしていいか分からなくてアタフタしている。
「どうしたんだ、ウィリアム。あれから何があったんだ? 話してくれないと分からないよ」
「ゔっ、ひぐっ………ぼく………好き、な子が………できだんだ、でも………弱いぼく………は嫌いって………っゔっ」
「弱い子が嫌い? ウィリアムの好きな子って、もしや、クリスティーヌ嬢かっ?!」
「ゔん………」
「はぁぁぁ」
クラウドは額に手を当て溜息ついた。
何にも関心を示さなかったウィリアムが、誰かを好きになったと言うのは嬉しいことだが、何分相手が悪い。
クリスティーヌは、剣好きの将軍の娘で幼いながら強いし、頭もよいことで有名だ。
出来た話だと疑っていたが、将軍との談笑中、クリスティーヌのことを聞いて、クラウドは真実だと思った。
話の中では、父の背中を見てきたせいか、クリスティーヌは強い男性に憧れを抱いているとも聞いた。
ウィリアム同様、告白するも儚く散っていったご子息が多い、と。
でも、誰にも興味を持たなかった息子が、偶然好きになった女の子に振られて悲しみにくれているのが可哀想で、何とかしたくなった。
「ウィリアム、お前はまだクリスティーヌ嬢が好きか?」
「うぐっ、好きだけど、僕は、弱い………もう、駄目なんだ」
「別に今は弱くたっていいんだ。今から頑張って、強くなればいい。運良く、お前は環境に恵まれている」
「?」
「家に帰ったら、教えてあげるよ」
ニッコリ笑うと、何が何だか理解できないウィリアムが首を傾げた。
◇◆◆◇◆◆◇
家に帰ると、父のクラウドは昔から仕えている老執事のジャジソンを呼んだ。
ジャジソンはウィリアムが産まれる前からジークス家に仕えている人で、すでに七十歳のお爺ちゃんだ。
ウィリアムには、父がどうしてジャジソンを呼んだのか分からなかった。
「お呼びでしょうか? クラウド様」
「あぁ、すまないが、ジャジソン。
ウィリアムに剣を教えてくれないか?」
ウィリアムは父がなんのためにジャジソンを呼んだのか理解した。
しかしジャジソンはすでにご高齢だし、優しい執事だ。剣を振り回すことなんて出来るはずがない。
「ちょっと何を言ってるの? 父上。 ジャジソンはお爺ちゃんなんだよ? この前も腰が痛いって言ってたのに、体を動かしたりしたら、死んじゃうかもしれないじゃん!!」
ウィリアムが言葉を言いきると、何故か空気が冷たくなるのを感じた。
「………失礼ですが、クラウド様。よろしいですか?」
「あぁ、構わない。やれ」
ジャジソンが近くまで来ると、何が起きたのか分からないが、ウィリアムは地に転んでいた。
「へ?」
痛いところは無いが、自分の身に何が起きたのか分からなくてウィリアムは混乱した。
ただ、老人だと馬鹿にされ、怒ってこめかみに血管が浮かべているジャジソンが、自分に何かしたと言うことだけは分かった。
「ウィリアム様。私はまだまだウィリアム様を転ばすことができるほど、体力があります。腰が痛いのは、歳ゆえについつい口に出していってしまうのです」
「ジャ、ジャジソン? なんかいつもより背筋がピンってしてる」
ジャジソンの腰はいつも曲がっていたはずなのに、今の彼は、背中に棒を入れたくらいに真っ直ぐだった。
「ふっふふ。ウィリアムよ、驚いたか? 実はな、ジャジソンは私の執事だが、もとは国一番の騎士だ。格闘術もできるし、剣術だけで言うなら今でも右に並ぶ者はいない」
「えっ?」
「クラウド様、それは言い過ぎです。強く若い者には、どうなるか分かりませんよ」
「冗談を抜かすな。この前も屋敷に侵入した若い暗殺者を一撃で仕留めていたではないか。あやつ、闇世界でも有名な暗殺者だったぞ」
「そうなのですか? では、暗殺者の質も落ちたものです」
ジャジソンが首をポキポキと鳴らす。
そこに、いつものほほんとしていて優しい老執事はいない。いるのは、好戦的な笑みを浮かべる戦闘狂の老執事だった。
「ほら分かったか、ウィリアム。これが本当の姿のジャジソンだ。優しい爺さんのカケラもない」
父は笑って話しているが、ウィリアムは驚きを隠せなかった。
政敵も多いジークス家だが、未だかつて暗殺者による被害がない。
父が優秀な護衛を雇っているのかと思っていたが、どうやら凄かったのは老執事のジャジソンのようだった。
「なぁ、ジャジソンよ。それで、ウィリアムに剣を教えてくれないか? ウィリアムは今まで剣に興味がある訳ではなかったし、お前が忙しくなるのが分かってたから頼まなかったが、どうしてもお前の力がウィリアムには必要だ」
「身に余る光栄ですが、理由をお聞きしても?」
「ふっ………これだ」
小指を立てて、意味ありげにクラウドは笑う。ジャジソンは直ぐに意味を理解したらしく笑った。
「これはこれは愉快ですね、旦那様。同世代のご令嬢を馬鹿にしていたウィリアム様が強くなりたいのは、好きな女の子のためなのですね。
良いでしょう。このジャジソン、ウィリアム様の恋を応援します」
「本当に面白いだろ? ジャジソン。ウィリアムも良かったな。死ぬ気で頑張って強くなれ」
「は、はい」
恋を知って、振られて、大泣きをしていたのを父とジャジソンが笑うので、ウィリアムは素直に嬉しいとは思えなかったが、心の底では強い意志で固まっていた………
◇◆◆◇◆◆◇
あれから、十二年後。ウィリアムは二十七歳になった………
ウィリアムはジャジソンと毎日剣を交わし、更に死ぬもの狂いで努力を重ねたせいか、学園を卒業するときは、武術と座学共に主席だった。
さらに、宰相としての器も、剣術にも優れていることも評価され、ウィリアムは王太子の近衛となった。
「なぁ、ウィリアム。学園の生徒と剣を交えないか?」
父の仕事を少しずつこなしながら、重要な夜会や会議に護衛としても出席する日々を過ごしていた頃、学園の生徒とやる試合に出ないか、とクリスティーヌの兄ニコラウスに誘われた。
ニコラウスが言うには、そろそろ将軍も娘の結婚を考えているらしく、領地から無理やり呼び出したらしい。
クリスティーヌ自身は今回の試合に出ないが、学園にいるので、成長した彼女見れるかもしれないと言われた。
ウィリアムは試合の参加をもちろん快諾した。
━━試合当日
試合は八人制で、勝ったら続けて戦い、負けたら味方の次の選手と交代し、どちらかの八人目の騎士が負けたら勝負ありというものだった。
「………俺は八人目か」
近衛の仲間と順番を話していたら、結果ウィリアムは八人目となった。
最初にウィリアムが出たら、自分たちに出番がなくなるという意見が満場一致だったので、抗議も出来なかった。
「へぇ、なかなかやるなぁ。でも、俺には順番がまわってこないかな?」
ウィリアムは生徒と仲間の近衛が戦っているのを、分析しながら観察していた。
こちらがストレート勝ちするかと見ていたら、生徒側の七人目が近衛の四人目に勝利をおさめるという結果だった。
と言ってもこちらの五人目はニコラウスだ。
力が強いし学園の生徒では、役者不足だろうと思った。
「俺があと二人抜いてやるぜ」
本人もウキウキしながら、相手の元に向かっていった。案の定、七人目の生徒は、ニコラウスに苦戦するも力及ばずで負けていた。
━━まぁ、俺の本当の目的はクリスティーヌだ。試合が終わったら、どこにいるか探してみようかな?
なんて呑気に考えていたら、八人目の生徒が出てきて、ハッとした。
綺麗な金髪を高い位置で一つ結びにし、軍服を模した白い制服を着た生徒。
輝くような金髪が、クリスティーヌみたいで、ウィリアムの心臓が高鳴ってしまう。
━━クリスティーヌは、この試合に出ない。あの生徒は赤の他人だ
彼女に会いたくて、会いたくて、過剰に反応しているだけだ、と言い聞かせれば、心臓の鼓動はおさまった。
「あれ? 試合が終わってる??」
会いたい想いと一人葛藤していたら、いつの間にか試合が終わっていた。
ニコラウスが勝ったのかと思ったら、悔しそうに帰ってきたので、どうやら負けたようだった。
さらにこちら側の六人目、七人目の仲間が行っては、次々に負けて帰ってきた。
「くそっ! なんだあの生徒!」
「仮面の死角を狙うのに、つけいる隙がないぞ」
八人目の生徒に負けて悔しいのか、仲間が悪態をついて帰ってくるので、出番なしと思われていたウィリアムに順番が回ってきた。
「………気になるな」
ウィリアムよりは弱いが、選ばれた仲間の近衛は強いし、一生徒に遅れを取るのは不自然である。
銀の仮面をつける生徒を、ウィリアムは遠くから観察しながら近づいてく。そして納得した。
━━こいつ、できるな。役者不足はこちら側だったかな?
ウィリアムは苦笑した。
師匠のジャジソンに、模擬戦でも勝てるようになった彼は、相手のもつ雰囲気、佇まいから実力がわかる心眼まで身につけていた。
もとよりウィリアムの洞察力は突出していて、剣を磨くことによって自然と身についた心眼は、相手が隠す力までも見通す。
━━力もかなり強いな。それに俊敏さも。俺以外の近衛では足も手も出ないはずだ
ここまで強いと、いくらウィリアムが強くなったからといって、手加減も出来ない。
本気で挑まないと、下手したら自分が負けてしまう。
「はぁ、これで八人目も弱かったら、この国の近衛のレベル問題になりそ」
「え? 俺が弱いだって? 聞き捨てにならないセリフだなぁ」
あっさりと倒していたので、生徒には不満があったようだ。
ウィリアムは笑いながら話しかける。
「……っ?!」
気配を消して近づいたウィリアムにいま気付いたのか、仮面の生徒は驚いていた。
━━君の実力じゃ、確かにつまらなかったかもしれないけど、俺が出てきたんだ。余裕なんてすぐに消してあげる
ジャジソン以外に強い剣使いと戦うのは久しぶりで、ウィリアムの口は弧を描いて笑った。
仮面の生徒もウィリアムの強さに気づいて、戦えるのが楽しみなのか笑った気配がした。
「仮面をつけているからはっきりとはわからないけど、今笑った?」
「えぇ、あなたのいう通り、わたしは闘う前で不謹慎ですが笑ってしまいました」
━━この子は俺と同じ部類の人間だ。強い相手になればなるほど興奮する純粋な戦闘狂
「俺もですよ。強者と戦えるとなるとどうしても身体の興奮が抑えきれなくて」
そう言って、ウィリアムは剣を構える。
仮面の生徒も剣を構えるのだが、金髪のせいか、クリスティーヌの影がちらついて、どうしようもなく笑みが浮かんでしまう。
━━集中、集中。相手は仮面をつけている。仮面の死角が弱点だ
「二人とも準備ができたか? では、始め!!」
審判の合図で距離を詰め、ウィリアムは仮面の死角になるように剣を繰り出す。
別にこれは卑怯なことなんかじゃない。相手の実力を分かっているからこそ、弱点をつくのは当たり前のことだ。
「くっ?!」
弱点を突かなくてもいい相手なら、面白くなくなるからやらないが、少しでも危険と思う相手なら狙う。
これも、師匠ジャジソンの教えの一つだ。
仮面の生徒の剣筋に焦りが見えてきた。やはり死角を突かれるのが嫌いなようで、ステップで素早く後退していく。
ウィリアムは死角を確実に狙っているのに、なかなか隙をみせない仮面の生徒が面白くて、次はどんな手で来るのか意図的に待ってみた。追って追撃も出来るが、それではやはり面白くない。
「次から仮面を外す。もしわたしが女だったら手を抜くか?」
何の作戦で来るかなと考えていたら、いきなりの宣言に、ウィリアムはそうきたかと思った。
━━女の子なのか? クリスティーヌ以外にここまで強いなんてどんな人間なんだ
不安そう立っているので、ウィリアムは仮面の生徒に笑いながら言う。
「仮面をつけているのは、顔に傷があるのを隠すものだと思っていたが、性別を隠すためだったのか。俺は女性の騎士を何人も知っている。心配するな、決して手は抜かない」
ウィリアムが知る女騎士は、女だからといって、手を抜かれるのを最も嫌う。
それを知っているから、例え相手が女性であろうとウィリアムは絶対に手を抜かない。
直接言葉を聞き安心したのか、生徒は仮面をつけていた後頭部の紐を解いた。
「っ?!」
カランという音を立てて、銀の仮面が落ちる。
ウィリアムは彼女の顔をみたとき、驚いて、咄嗟に顔が赤くなった。
手は抜かないと言ったものの、剣を地面に突き立てて悶絶してしまう。
「ク、クリスティーヌ?! 太陽みたいな金髪だなぁ、とは思ってたけど、まさかの本人!?」
何年会わなくたって、絶対見間違えるはずがない運命の子。
子供の頃より女性に近づいて、艶かしく美しくなっているが、爛々な水色の瞳はあの頃のままだし、面影がある。
━━綺麗だ………天使って言われても納得してしまうくらい彼女は美しい
「お、おい!! まだ勝負はついていない! 剣を握れ!!」
悲しいことに、クリスティーヌはウィリアムの顔をみても態度を変えない。
━━忘れられてるか………まぁ、あの頃の俺は、彼女の記憶に残らないくらい弱かったんだろうけど
様子から察するに、クリスティーヌは戦う気満々だ。でも、ウィリアムは完全に気持ちが乗らない。
━━クリスティーヌ、君に、きちんと気持ちを伝えてから、俺は勝負するんだ。だから………
「俺は、こんなところで君とは勝負なんて出来ない」
ウィリアムはクリスティーヌに静かに告げた。しかし、それで納得がいくほど、クリスティーヌは素直なんかじゃない。
「何を意味のわからないことを。お前が剣を握らないとしても、わたしは闘う!!」
クリスティーヌは、ウィリアムとの距離を詰めて、剣を振り落としてくる。ウィリアムに自分の剣が見えていないと思って振り落としたのだろうけど、あくまででそれはウィリアムの作戦だった。
「なっ?!」
ウィリアムは自身の剣を地から抜き、振り落とされるクリスティーヌの剣にぶつけて、軌道をそらす。
完全に油断していたクリスティーヌの手から剣が抜けるのを確認して、自身の剣も放棄する。
「きゃっ!」
「ぐはっ?!」
勝負の結果を引き分けにするのも一つの目的だったが、勢いよく突っ込んできたクリスティーヌに怪我をさせることなく受け止めるのが主だ。
━━大切な君に、怪我なんてさせない
彼女の体を両手で受け止めるものの、思った以上に勢いがあって、衝撃を和らげるために後ろに倒れる。
そのときクリスティーヌが目を瞑っていて、ほんと可愛いなぁと思ってしまった。
だから、反応が遅れてしまった。
━━ま、まずい!!
両手が塞がっているから、止めようがなくて、少しずつ近づいくる彼女の顔を見つめることしかできなかった。
………そして、自身の唇に、彼女の柔らかな唇が触れてしまった。
「っ!?」
掠るようにだけど、あまりに柔らかい感触にウィリアムはボーッとしてしまう。何年も想いを馳せてきた相手の唇だ。感触が何回も何回も繰り返されてしまう。
「わ、わたしの唇がーーっ!!」
真っ赤な顔のクリスティーヌが、悲鳴をあげて会場から走り去っていく。
その背中を、寂しく思いつつもウィリアムは愛おしそうに見ていた。
「ウィリアム〜、おまえ最後わざと剣を離しただろう?」
「容赦ねぇで有名なおまえらしくないぜ」
近衛の仲間や、学園の生徒が寄ってくる。
「っ?!」
しかしその途端、全員がウィリアムをチラチラ見ては頰を染めていた。
唇が重なったのを見たせいで顔が赤くなったのかと思ったが、違う気がした。
「ウィリアム、おまえ、そんな顔出来るんだな。なんか、ホッとした」
「顔? どんな顔だ、ニコラウス」
首を傾げていると、ニコラウスが気まずそうにしてウィリアムを見てきて言った。
「普段そんな顔しないからな。昔、おまえから妹への想いを聞いたとき、正直俺は信じられなかったんだ。沢山いる令嬢を選び放題だし、妹も遊びなんだって思った。
………でも」
ウィリアムは、心外だと言い返そうと思ったが、続く言葉を聞いて目を見開いた。
「おまえ、本気でクリスティーヌの事が好きなんだな。好きで好きで仕方がないって顔を今してる。こっちが恥ずかしくなりそうだよ。
でも俺は、そんなおまえになら、大切な妹を、安心して預けられる」
クリスティーヌと同じ水色の瞳が優しく笑っていて、ウィリアムも笑顔になった。
「当たり前だ。俺の想いは、十二年間分の想いだぞ。
初めて会った瞬間から、クリスティーヌ以外の女なんて、俺には価値がない。
俺はもう一度、クリスティーヌと真剣に勝負して、勝って、正々堂々求婚する」
周りにいた人は、そのとき、ウィリアムの瞳に幻影をみた。漆黒の瞳のはずなのに、彼の瞳は、
灼熱の炎に染まる紅色だった……
◇◆◆◇◆◆◇
その夜、ウィリアムはサンドリア家に来ていた。
サンドリア家では、将軍主催のパーティが開かれていて、父のクラウドとウィリアムは招待をされていた。
会場に着くや否や、ウィリアムはクリスティーヌを探した。
ニコラウスは、将軍が娘の結婚で焦っていると言っていた。
ならばこのパーティは、表向きは普通の夜会であるが、本来の目的はクリスティーヌの花婿探しだろう。
絶対にここにいるという確信があって探していると、ある一角に将軍とクリスティーヌがいた。
━━クリスティーヌ………
彼女は昼間のように金髪を結ばず、腰まで流していた。動くたびに金髪がサラサラと揺れている。
水色の瞳は憂鬱そうにしているが、それさえも彼女の魅力をひき立たせる。
「おい、ウィリアム。生きているか? ったく、何を見惚れているのだ。わたしは先に行っているぞ」
父に目の前で手を振られ、ウィリアムは我に帰った。呆れたのか、先に挨拶に行ってしまった。
ウィリアムも直ぐに行こうかと思ったが、まずこの高鳴る鼓動を、落ち着かせてから行こうと思った。
「はぁ」
数分経って、彼女の美しい姿にやっと慣れた。そろそろ挨拶に行こうと思ったら、父に名前を呼ばれた。
父をの元へいくと、何年も会っていなかったので、あの頃のように名前を紹介をしてくれた。
「息子のウィリアム・ジークスだ。ウィリアム、将軍と、娘さんのクリスティーヌだ」
「久しぶりでございます。ウィリアム・ジークスです」
「ほぉ、これはいい男ではないか」
「なっ!」
将軍が感嘆の声を漏らした。好印象だったようなので、ウィリアムは嬉しくて唇が弧を描く。
珍しかったのか、将軍の態度に対しクリスティーヌは驚愕していた。
♪〜♪
タイミングよく曲が流れ始め、会場の真ん中で、若い異性がワルツを踊り始めるのが見えた。
「曲が始まりましたね。一緒に踊りませんか? 将軍、娘さんを借りても?」
クリスティーヌを見てから、将軍の方も伺う。クリスティーヌだけだと、誘いを断られかねない。
「あぁ、若い者同士、楽しんでまいれ。ただ一曲だけで頼むぞ。クリスティーヌはこれからピアノを弾きたいそうだ」
「ありがとうございます、将軍。
ではお手を」
クリスティーヌに手を差し伸べると、悩んでいる素ぶりがあったが、手を重ねてくれる。
「よ、よろしくお願いします」
クリスティーヌはウィリアムの顔を見ようとしない。しかし、昼間の件を思い出しているのだろうか、クリスティーヌの顔は真っ赤だ。
━━彼女は、いま、なにを思ってるんだろう? 俺のことを考えてるのだろうか?
彼女が自分を意識しているような気がして、ウィリアムは嬉しくなる。
彼女の手を強く掴んで、人々の間をするすると避けて、会場の真ん中に移動する。
美しい彼女に見惚れる男性に見せびらかすつもりで、ウィリアムは彼女の体を引き寄せて踊る。
踊りやすいようにリードをするが、慣れていない彼女に合わせるのも忘れない。
最初は困惑していたけれど、少しずつ楽しいそうに踊り始める彼女をじっと見つめていたら、視線があった。
小さな事だけど、心の底から嬉しさを感じて、自然と笑みが浮かんでしまう。
━━どんな些細なことだって、彼女は俺に幸せをくれる
一回だけのワルツはみじかく、ウィリアムはクリスティーヌの手を取って、手袋越しに名残惜しいと伝わるようにキスの真似をした。
ウィリアムの行動は目立っていたようで、周りにいた令嬢たちから視線を感じたが、気にも留めなかった。
━━愛しいって思う気持ちが、彼女にも伝染すればいいのに
そう思わずにはいられない。
「私はピアノを弾きに父の元に戻ります」
クリスティーヌが、踵を返して戻って行ってしまう。途中男性にダンスを誘われていて苛ついたが、彼女は断っていた。
それを安心して見ていたら、ウィリアムも令嬢に囲まれて、腕を強くに引かれた。
自分の腕を取るのがクリスティーヌじゃないだけで、嫌悪すら感じる。
ピアノを弾きに戻った彼女を離さず、側にいれば良かったと後悔した。
そしてクリスティーヌが弾くピアノの音色を側で聴きながら、彼女とのワルツの余韻に浸っていれば良かった。
━━俺としたことが、迂闊だった
ワルツの相手にしつこく誘われて、ウィリアムは仕方なく一人の少女とワルツを踊った。
胸元が開いた大胆なドレスなのに、令嬢自ら身体を押しつけて踊ろうとするのが不快で、ウィリアムは顔に出さないように必死に堪えた。
「あぁ、演奏が終わってしまいましたね、ウィリアム様。もう一度踊りたかったです」
これからクリスティーヌがピアノを弾くので、ワルツの演奏が止まった。
ダンスが終わっても離れない令嬢の話に適当に相槌をする。クリスティーヌがピアノを弾きはじめても、煩いのでとりあえず黙らせた。
「まぁ、将軍の娘さんのことだけあるわ。綺麗ね」
「あぁ、でも、何故こんなに荒々しい曲なんだ? もっと違う曲もあるだろうに」
「確かに。でも、情熱的で素晴らしいわ。こう言ったらよくないかもしれないけど、抑えきれない自分の気持ちをどうしたらよいか分からなくて弾いてるって感じだわ。まるで私の若い頃を見てるよう」
周りから感嘆の声が聞こえてくる。
━━激しい旋律だけど綺麗だ。でも、どうしてこんなに胸が締め付けられるのだ
激しい旋律の曲を弾くクリスティーヌの姿は、今まで感じた余裕さがなかった。
先程の招待客の女性が言ったように、気持ちを抑えきれなくて、激しい旋律の曲を弾いたような気がする。
クリスティーヌの演奏が終わると、会場の端から大歓声が湧く。
そんな中、クリスティーヌとウィリアムは目があった。
「?!」
瞬時、ウィリアムは体が固まった。
一瞬だが、クリスティーヌがウィリアムを睨んだのだ。
さらにその視線はウィリアムを囲む令嬢たちにも向けられ、明らかに怒っているように見えた。
「く、クリスティーヌ!」
テラスへ出て行くクリスティーヌを追いかけたいが、令嬢たちが邪魔で身動きが取れない。
「ねぇ、ウィリアム様。私と踊ってくれませんか?」
「なに、言ってんのよ。私がウィリアム様と踊るのよ」
「はぁ? 私が先よ!!」
「………」
ウィリアムの焦りをなどそっちのけで、令嬢たちが争う。しかし、ウィリアムの頭はクリスティーヌのことでいっぱいであった。
━━クリスティーヌが俺を睨んだ? 彼女と踊ったあとに、何か睨まれることなんて………もしや………俺が他の女性と踊ったのが気に入らなかったのか?
自分でも信じられないと思ったが、もしそうならばクリスティーヌの行動に納得がいった。
激しい旋律の曲は、抱いたこともない嫉妬の気持ち。睨んだのは、自分ではない異性とダンスをし、話していたウィリアムに対しての怒り。
━━もし、俺の考えが正しいなら、クリスティーヌは俺の事を好きになっているはずだ。今すぐ確かめたい。彼女の気持ちを………
ウィリアムは、今まで顔に貼り付けていた笑顔を捨てた。恐怖すら覚える冷徹な顔で令嬢たちに冷たく言葉を言い放った。
「どけてくれないかな? 俺は誰とも踊らない」
令嬢たちの顔が青ざめるのを見たが、人の壁を手で掻き分けて、テラスへ出る。
クリスティーヌの姿を探すけれど、既にいなかった。となると、庭園に行ったのだろう。
庭園に繋がる階段を駆け下りて、彼女を探すが、月明かりだけでは暗い。
でも、彼女がどこにいるのか、ウィリアムには不思議と分かった。
━━きっとあの金木犀のところに、彼女はいる
ウィリアムは走って、金木犀の木の場所を目指す。
近づけば、金木犀の香りが漂ってきて、月明かりに照らされて輝く金髪が見えた。
見間違えるはずがない、クリスティーヌ本人だ。
「はぁはぁ、やっと見つけた。少し暗くて、君がどこにいるのか分からなかった」
クリスティーヌを見つけたとき、ウィリアムは心の底からホッとした。どこにいるのか予想はついていたが、実際に見ると見ないとでは安心感は全然違う。
「………」
無言のクリスティーヌは、やはりウィリアムに対し怒っているような気がした。
「ねぇ、クリスティーヌ、俺を見たときピアノの旋律が変わったけど、どうして。もしかして嫉妬でもした?」
「っ?!」
クリスティーヌからは返事がない。気持ちに素直な彼女が否定しないと言うことは、肯定ととっていいだろう。
ずっと片想いだと思っていたクリスティーヌから嫉妬されているのかもしれないと思ったら、ウィリアムは嬉しくて笑みが浮かんしまった。
「あなたは、わたしを笑いにきたのですか?」
クリスティーヌが静かにたずねてきた。
「否定をしないんだね」
確認のために聞くと、クリスティーヌは黙った。ウィリアムはこれで、彼女が自分に嫉妬したと確信した。
「クリスティーヌ、君が五歳のとき、ここで俺と会ったのを覚えてる?」
「………」
黙る彼女にウィリアムは優しい問いかける。
自身の気持ちを彼女に伝えるのは、親密な関係になってからにしようと思っていた。でも、彼女が自分に嫉妬しているなら、今伝えたっていいと思った。
「うーん、覚えてないかな? まだ君は五歳だったからね。でも、その時から君は強かった」
ウィリアムは幼い頃の思い出をポツポツと話していく。いきなり気持ちを伝えたって、彼女はきっと信じないだろから。
━━昔、子供だった俺が彼女に言ったことを思い出したら、信じてくれるはずだ
ウィリアムは彼女の側で構える金木犀の木の元まで行くと、そっと指を指した。そこには剣が浅く刺さった跡がある。
「この跡はね、俺が初めて君に剣を飛ばされたときに刺さった跡だ。小さくて可愛い女の子にいきなり剣を飛ばされたから、ビックリしたんだ」
近くいる人間を馬鹿にしていた自分を変えてくれた出来事の痕跡は、ウィリアムにとってかけがえのないものだ。そっと撫でると、抱き続けてきた彼女への想いが、胸いっぱいに溢れるのを感じる。
「あのときから、俺は君に一目惚れだった。将来結婚して欲しくて、膝まづいて、君に愛を語ったんだよ。そしたら、君は間いれないで、弱い男は嫌いだって言ったよ」
「っ?!」
クリスティーヌがハッとしたのが分かった。
信じれないといった顔つきでウィリアムを見上げてくる。
「あ、あなたが、弱かったあの青年なの?」
「そうだよ」
ウィリアムは驚くクリスティーヌにゆっくりと近付き、真剣な表情で想いを伝えた。
「君に婚約を申し込むために、俺は強くなった」
ウィリアムはしゃがみ込み、片膝を立てて、胸に手を置く。
子供だったときに咄嗟にやってしまった行動の意味の重さと、今のそれは全く異なる。
━━あの頃の俺なら、どんなに頑張ったって彼女の足元にも及ばなかった。自分を過信して、思い上がっていたから………でも、今は違う
ジャジソンとの辛い剣の鍛錬だって、消すことのできない彼女への強い想いがあったから乗り越えられた。
「クリスティーヌ・サンドリア。
俺と真剣に勝負して貰えますか?」
十二年間の想いを伝えると、クリスティーヌは唖然としていた。ウィリアムは、彼女の言葉を待った。
一瞬とも、長い時間とも思える時間がウィリアムの中で流れた。
「………えぇ、喜んで承りますわ。
ウィリアム・ジークス」
静寂な世界を破るようにして、彼女の言葉が響く。
彼女の返事に、ウィリアムは、十二年間満たされることがなかった胸の隙間が満たされるのを感じた。
◆◇◇◆◇◇◆
後日、ウィリアムとクリスティーヌは、父や将軍のいる前で激しい戦いを繰り広げた。
長い戦いの時間の末、勝負の結果はウィリアムの勝利に終わり、直後クリスティーヌに結婚を申し込み、受け入れられた。
もちろん彼女の父である将軍にも了承を貰い、父からは笑って祝福された。
そして数年後
ウィリアムは、微笑むクリスティーヌと鍛錬に勤しむ自身の息子を見て、幸せを噛み締めていた。
五年前に生まれた息子は、自分とクリスティーヌの血を濃く引いたせいか、頭がいいものの剣の鬼とまで言われる鬼才だったりした。
そんな三人仲良く暮らす生活は、ウィリアムに想像以上の幸せをくれた。
「強くなってクリスティーヌにもう一度求婚するのが、俺の前の人生だった。でも今は、二人の笑顔を守っていくのが、俺の残りの人生だ」
ウィリアムの心の底からの小さな囁きは、広大な蒼穹の空に吸い込まれるようにきえた。
(終)
※訂正1/6
この話は、『将軍の娘の恋闘録』の男性視点で書いたものです。
ただ作者としては、男性視点と言っても、別の物語のように感じて読んでいただけたら、幸いです。
お読みいただきありがとうございました