リュックサックの怪
駅のシャッターはまだ閉っていた。始発までにはまだ1時間程もある。「やれ、ここで待つしかないか」と佐野隆は独り言を言い、ふと辺りを見渡して、少し離れた位置に、馬鹿でかいリュックサックがふらふら揺れているのに気が付いた。大人でも入れるのじゃないかと思えるほどのサイズだ。つまり、それを背負った何者かがいるという事になる。背丈からいって恐らくは子供だろう。しかし、子供がこんな時間にこんな場所で一体何をしているのだろう?
その日終電を逃してしまった佐野隆は、一晩を過ごそうと漫画喫茶に入ったのだが、その店内の効き過ぎた冷房に耐え切れず外に出て、しばらくぶらついた後、何もやる事がなかったものだから、結局はそうして始発前の駅にまでやって来てしまっていたのだ。
彼はその子供が何をやっているのか尋ねに行こうかと考えた。もしかしたら、迷子かもしれない。しかし、そこで彼はこの駅で時折行方不明者が出るという噂話を思い出したのだった。お化けに食われるとかなんとかかんとか。くだらない都市伝説の類で、本気にするのも馬鹿馬鹿しいとは思ったが、彼にはそう思い切れない事情があった。実は彼はそういった都市伝説の一つに、ここ最近、ずっと纏わり憑かれているのである。
「もしかしたら、今も“ひそ美”は近くにいるのかな?」
そう呟く。
あるいは、あのリュックサックの中にでもひそんでいるのかもしれない……
ひそ美に初めて会ったのは、ある飲み屋での事だった。佐野は友達と一緒に飲み屋で飲んでいたのだが、酩酊し、起きたと思ったらそこは自宅のベッドで、傍にはひそ美がいた。おぼろげな記憶の中で女と知り合ったような気はしたが、それが彼女であるかどうかは分からない。
“もしかして、こいつと寝たのか?”
彼はそう不安になる。
ひそ美の外見は決して悪くはなかったが、目が少々ギョロリとしており、好みは分かれるだろうが、少なくとも佐野には受け付けられなかった。いや、本当はそれ以前の問題だったのかもしれない。何かしら不気味な印象を彼は彼女から感じていたのだ。そして彼女は、明らかに彼に好意を向けていた。
「あの、悪いけど、何があったかよく覚えていないんだ。その、酔った上での事だからさ。ノーカンにしてくれないかな?」
我ながらクズだとは思ったが、彼は思い切ってそう言ってみた。するとひそ美はにっこりと笑った。佐野はその笑顔に安心をしかけたのだが、それから彼女はこんな事を言ったのだった。
「ごめんなさいね。わたし、そんな簡単な女じゃないのよ。なにしろ、都市伝説の中の女だから」
“都市伝説の中の女?”
その時、佐野には彼女が何を言っているのかよく分からなかった。それで面白くない冗談の類か何かではないかと解釈した。しかし彼女の言葉はそのままの意味だったのだ。
それからひそ美は様々な場所に現れた。彼の会社だとか、遊びに行った先だとか。自宅にですら平気で現れる。鍵をかけても無駄で、彼女はいつのまにかそこにいるのだ。
「わたしはね、ちょっとした暗いスペースがあれば、何処にでも現れる事ができるのよ。わたしが入れる大きさがあれば、それで充分」
というのは彼女の弁。
つまり彼女は妖物の類だったのだ。狭く暗いスペースさえあれば、何処にでも現れる事ができる妖怪。その彼の話を誰も信じなかった。当然かもしれない。何しろ、彼自身にすら信じられていなかったのだ。しかし、実際に、彼女は少しのスペースさえあれば、何処にでも現れる。
「どうして、わたしじゃいけないの?」
ある日、そう尋ねて来た彼女に、彼は「好きな女の子がいるんだ」とそう返した。するとその時、なんと彼女は包丁で彼を脅しまでしたのだ。「どうせ、相手にされていないじゃない」とそう言って。なんとか無事に宥められたが、佐野はいよいよ彼女に恐怖するようになった。
佐野隆はリュックサックの子供に近付かないように気を付けながら、駅前を歩き回っていた。暇だったし、落ち着かなかったからだ。ところがある時に気が付いたのだ。どうもリュックサックの子供は、常に方角を変えて自分に背を見せているように思える。それを彼は不思議に感じる。どうしてそんな事をしているのかも分からなかったし、どうやって自分の場所を知っているのかも分からない。子供の目は反対側にあるはずだ。
もしかしたら、本当に妖怪の類かもしれないと不安になりながらも、彼は何処かに鏡でもあるのかと子供の周囲を探ってみた。すると鏡はなかったが、代わりに近くの店にガラス戸があって、それが光を反射しているのを見つけた。
「なんだ。あれで僕の姿が見えていたんだな」
そう独り言を言いながら、佐野は安堵の息を吐き出す。しかし、その瞬間に彼は我が目を疑ったのだった。
“え? 顔がない?”
そう。ガラス戸に反射して見えたリュックサックを背負った子供の顔は、なんと目も口も鼻もないのっぺらぼうだったのだ。
“なんだあれ? 絶対におかしいぞ”
そう思った彼は後退りをする。すると、それに合せてリュックサックの子供も近付いて来た。何故か、彼に背を向けたまま。
“やっぱり、おかしい!!”
そう思うと、彼はそれから全速力で駆けて逃げ出した。首だけ振り返ってみると、それに合わせてリュックサックの子供も駆け出して来たのが分かった。相変わらずに、彼に背を向けたまま。しかも、後ろ向きであるはずなのに、かなりの速度だ。バックで進んでいる速さではない。
彼は叫んだ。
「もしかして、あれ、“前”なのか!? “前”なのか?」
リュックサックを背負っている子供であるかのように見えるあの姿は擬態で、リュックサックの背の方に本当の“顔”がある。そうとしか思えなかった。つまりは、あのリュックサックに見える何かは、ずっと佐野の事を見ていたのだ。だから、佐野が移動するのに合わせて向きを変える事ができたのだろう。
“もしかして、子供だと思って近付いて来た人を襲って食うとか、そういう化け物なのか、あれは?”
全速力で逃げながら、彼はそんな事を考えた。リュックサックの進む速度は異常な程に速かった。足音がどんどんと彼に近付いて来るのが分かる。
「誰か、助けてくれ!」
恐怖に駆られた彼はそう叫んだ。しかし辺りには誰もいない。リュックサックの足音は直ぐそこにまで迫っていた。そのタイミングで彼は転んでしまった。後ろを振り返る。目の前には、リュックサックがいた。口が大きく開かれていく。そこにはリュックサックには似つかわしくない凶暴な尖った歯がびっしりと生えていた。
それを見て、彼は思わずこう叫んだ。
「助けてくれ、ひそ美ー!」
その次の瞬間だった。
「仕方ないわねー」
そうひび割れるような声が聞こえたかと思うと、リュックサックの真ん中を破って包丁が突き出て来たのだ。その包丁はリュックサックを上側に引き裂いて、半分にしてしまう。バタリと倒れる。大量の血が噴き出、そして、それから、その中からはあの“ひそ美”が現れたのだった。
リュックサックの血と体液でずぶ濡れになった姿のひそ美は笑う。
「このリュックサックの中であなたを待っても良かったけど、死体になっちゃったら、つまらないからね」
暗く狭いスペースがあれば、ひそ美は何処にでも現れる。このリュックサックの中はその条件を満たしていたのだ。
相変わらずに転んだままの姿勢でいる佐野に近付きながら彼女は言った。
「どう? 少しは感謝して、わたしと付き合ってみる気になった?」
恐怖の余韻の所為で振るえたままの佐野は強がってこう言った。
「包丁を持ち歩くような危ない女と付き合えるか」
ひそ美はそれを聞くと笑う。
「あら? そのお蔭で助かったのじゃない。恩知らず」
しかし、そう言った彼女は何故か上機嫌だった。そしてそんな彼女を、佐野は少しだけ、綺麗だとそう思ってしまっていたのだった。
ここ最近、ストイックなホラーばかりを目指していたような気がしたのですが、そういや僕はB級ホラー映画が大好きだったと思いだしたので、そんなような話を書いてみました。




