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とある王女の恋物語・番外編

騎士と乙女と木苺のパイ

作者: 藍田 恵

 ひとつ年下の私の妹は、国で一番美味しい木苺のパイを作る。

 同じ材料で、同じ道具で、同じ方法で作っているのに、妹が焼くパイは格別に美味しい。

 一体、何が違うのだろう。

 美味しさは愛情、と言う人達もいるけれど、愛情だけで味がどうにかなるものなら…と思っている女性は多い筈。

 ちなみに、木苺のパイは彼女ジェスが初めて一人で作ったお菓子だ。

 それまでは母さんや私達が作る焼き菓子を少し手伝っていたくらいで、パイ作りは完全に見よう見まね。

 でも、いつも母さんの手元をじっと見ていたから手順は完璧に頭の中に入っていたのだろう。

 あまり期待せずに味見をした私達は、その美味しさに夢中になって、つい父さんの分まで平らげてしまい、泣き出したジェスを宥めるのに苦労した。

 実は父さんに褒めて貰いたくてパイを焼こうと思い立ったらしい。

 長姉ケイトは賢く、次姉の私は母さんに瓜二つで(父さんはとにかく母さんにべた惚れなのだ)、二人の妹達はやんちゃながらもまばゆいばかりに美しい。そんな中、ジェスはどうやら自分には何の取り柄も無いと思い込んでいたようだった。

 くるくると巻く愛らしい髪の毛や、しっとりとした艶やかな肌は私達でさえ見惚れていたし、控え目だけれど芯は強くて安心感を与えてくれるその性格は他の誰よりも母さんに似ていて、実は父さんの心を一番摑んでいるなんて夢にも思わずに。


 今日もジェスは可愛い巻き毛を引っ詰め髪に纏めて、何かの新しい焼き菓子作りに没頭していた。

「ジェス? ジェースー。エリーに何か頼まれたの? それとも料理長に? もしかしたら王様からのご命令かしら?」

「違うわ。ケイトによ」

「ケイト? 珍しいわね」

「ええ。正確には頼まれた訳じゃないの。ケイトったら、本のお礼に何を返すか考え過ぎて頭痛がし出したって言うから、騎士の皆さんのお茶菓子でも焼いてみましょうか、って言ったら大喜びされちゃって」

 そういえばケイトにせっせと本を贈っている騎士がいたような。

 ケイトがお礼の内容をジェスの提案に任せたということは、ケイトに恋い焦がれているあの騎士には愛の女神は微笑んでくれないみたいだ。可哀想に。

 でも。

 騎士の皆さんに、ねぇ…。

「ケイトの為とはいえ、ずいぶん凝ったものを作るのね」

「だって皆さん、お城で素敵なお茶菓子を振舞われているでしょう? お城で出されるお菓子に見劣りするのは分かっているけど、作るのなら出来るだけ見栄えの良いものを渡したいと思って」

 これはもしかして…と言うべきか、やっぱり、と言うべきか。

「ジェス。あなたの作るお菓子は最高に美味しいわよ」

「ありがとう、セレナ」

「お世辞じゃなくて、本当にそうなのよ。でももし、あなたのお菓子を特定の誰かに食べさせたいと思っているのなら…新作のお菓子よりも木苺のパイを作った方がいいんじゃない? クレイやデラも、あなたのパイが大好きだったでしょう? リブシャ王国よりもお菓子を食べる機会が少ないワイルダー公国の人には、凝ったお菓子よりも素朴なお菓子の方がいいんじゃないかしら」

「そうなの…?」

 急に表情を曇らせたジェスを見て、セレナは慌てて付け加える。

「クレイがいい例だけど、甘いものは少ししか食べられない男の人もいるってこと。でもクレイは木苺のパイならいくらでも食べられるって言っていたわよ」

「そう言えばクレイはお城で出されていたお菓子も、あまり食べていなかったわね…」

 ジェスの表情が不安そうなものから何かの考え事に移ったことを確認して、セレナはほっと胸を撫で下ろす。

 それからセレナはにんまりと笑った。

 ふふふふふ…。しっかりと確認したわよ。ジェスの想い人がワイルダー公国から派遣された騎士達の中にいることを。


「あっ、その一切れ大きすぎるだろ!」

「大丈夫だって。5つも差し入れして貰ったんだから」

「お前らに分けてやるのは4つだけだからな。一個は全部俺のだ。焼いたのはジェスさんだけど、くれたのはケイトさんなんだ…」

「泣くなって。くじけるの早いぞ。ケイトさんは俺達の分まで気を遣ってくれたんだよ」

「俺、ケイトさんは城の図書館の司書をしている若い男と…もがっ」

「ホラ、お前の分だ。黙って食え。あ、その話は単なる噂だからな、噂。気にしなくていいって。あれ? お前はどうして食わないんだ?」

「この木苺…このお陰で、今日俺達がどれだけ苦労したか…」

「あー…そうだな。サラさん、また忽然と消えたよな〜。なのに両手いっぱいに木苺持って帰って来てさ。短時間にどうやってあれだけ集めたんだろ?」

「俺、マイリを追ってたら撒かれたぞ」

「俺はそのマイリに捕まって、大量の木苺運ぶの手伝わされたぞ」

「え? 俺は非番だったけど、外でふらふらしてたらセレナさんから木苺を集めてきてくれ、って直接頼まれたぜ。騎士の皆さん全員に頼んで集めてもらっているって言ってたけど…違ったのか?」

「いや…。結果的に俺達全員が木苺を集めて顔を出したことになってると思う」

「俺は普通にサラさんの警護をしていたつもりだったのに…おさに遊んでいると思われてたらどうしよう」

「今日のおさは、なんか機嫌悪そうだったな…」

「マイリに森の奥まで行かせたと思われたんじゃないか?」

「そうかもな…。あれ、お前、甘い物苦手じゃなかったっけ?」

「このパイだけは別だ」

「ふーん…。お前にしては珍しいな。ま、美味いもんな。デラ隊長から話だけ聞いていた時は、こんなに美味いなんて夢にも思わなかったし」

「それはそうと、なんだか今日は嵌められたような気分なんだけど…気のせいか?」

「それを言い始めたら、毎日がそうだろう?」

「まあまあまあ。こんなに美味いパイが食べられるんだ。木苺狩りなんて、サラさんの警護に比べたら楽勝じゃないか」

「そうだそうだ」

「食べようぜ」

「だから、その一切れ大きいだろ!」

「うるせーなー…」

「お前、どさくさに紛れてそれ二切れ目だろ!」

「……」


「あれ? それって、ジェスが作った新しいお菓子? たくさんあるのね。少しエリーの所に持って行ってもいい?」

 パイ作りの後片付けを終えたジェスは、サラに声をかけられて微笑んだ。

「いいわよ。最初はこのお菓子をお礼に使うつもりだったんだけど、セレナが木苺のパイの方が良いって言うからそうしたの」

「で、こんなに余っちゃったのね。私達が食べてもいいの?」

「もちろんよ。感想を聞かせてくれる?」

「いただきます。…ん♡ 美味しい」

 幸せそうなサラの表情を見てほっとしたジェスは、今度は真剣な表情でサラに尋ねる。

「これ、甘い物が苦手な人にも食べられるようにと思って作ってみたんだけど、どうかしら?」

 ひたと見詰められて、サラはうーん、と考え込んだ。

「お城で出されるお菓子よりも甘くないから大丈夫だと思うけど…。ワイルダー公国の人達は甘い食べ物には少し好き嫌いがあるみたいだから、今回はセレナの提案を受け入れて良かったかも。他国の人達にとって、木苺って憧れの食べ物みたいだし」

 サラにそう言われて、ジェスはハーヴィス王国の王女がエリーにお茶を勧めた時の話を思い出した。

「…そうね。今日はたくさん木苺をありがとう、サラ」

「ジェスこそお疲れ様。私にとってはこのくらい何でもないわよ。マイリも充分に楽しんでたみたいだったし。でも、どうして今日はセレナがあんなに張り切っていたのかしら?」

「さぁ…どうしてかなぁ。それより、父さんがなんだか不機嫌じゃなかった?」

「ジェスの新作のお菓子を食べたら機嫌なんかすぐに直るわよ。みんなのお茶の準備をしましょう」

「ええ、そうね。みんな用の木苺のパイも焼いてあるの」

「あ、それも楽しみ。何だかんだ言って、父さんが一番好きなのは木苺のパイだしね」

 サラの言葉にジェスはくすりと笑う。

「そうね。残りの木苺は明日母さんに頼んで、ジャムにしてもらうわ。それで父さんのご機嫌は完全に直るわね」


「…あなた、そろそろその仏頂面を何とかして下さいな。ジェスが家族以外の人の為にパイを焼くのは、そう珍しいことではないでしょう?」

「村の人間は別だ」

「王様やお城の人達の為にだって焼いていましたよ」

「彼等はエリーの家族だ」

 ベルはふうっと溜息を吐く。

「同じことでしょう? あの騎士達はワイルダー公国王家の…サラにとっては家族同然になる方々です。確かにいずれはこの村を去ってしまいますが、サラの護衛でまたこの村を訪れる機会はあるでしょう。…あら。ということは、サラが村に来た時の警護の為に一人くらいはここに留まることも可能かもしれないわね。それならジェスを他国に嫁がせる心配がないわ」

「ベル!」

「ダン。セレナの言葉を真に受ける訳ではないけれど、あなたの威嚇の度が過ぎるとジェスはいつまでも独り身のままになってしまいます。ケイトとセレナは決めてしまえば行動は早いから心配していませんけど、ジェスの場合はあなたが全力で邪魔をしそうで心配だわ。エリーも無事に戴冠して、サラも将来を共にする相手を見つけて…あなたがどんなに嫌がったとしても、次は誰が結婚を決めてもおかしくない状況なんですよ」

「何を…っ。邪魔などするわけがないだろう。ただジェスは自分の気持ちをはっきりと主張しないことがあるから、変な男に引っ掛からないようにと…」

「その意気込みのことを言っているのです」

 ぴしゃりと妻に言われ、おさはしゅんとなる。その様子を見て気の毒に思ったベルは、優しい口調に戻った。

「ジェスが自分以外の殿方の為にパイを焼くことが、そんなにしゃくに障りますか?」

「あれは…ジェスが生まれて初めて俺の為に焼いてくれた菓子だ。それを、他の男の為になど」

 そう白状したダンに幼い頃の彼の姿と思い出を重ね合わせたベルは、ふふっ、と微笑む。

「あなたのお気持ちは分かりました。でも私は母親として、ジェスの気持ちを大切にしてやりたいと思っています。ジェスがあの騎士達の中の誰かに恋をしているのなら、応援してあげたいわ。あの子はしっかりしているし、家事も得意だし、馬の扱いにも慣れています。村長むらおさの妻の次に、騎士の妻にぴったりだと思いませんか?」

「ジェスがそう決めたのなら、俺は口出しするつもりはない」

「そんな情けない顔をなさらないで。お茶の準備をしているみたいですから、そろそろ誰かが呼びに来ますよ。ジェスとサラは誤魔化せても、ケイトとセレナとマイリは直ぐに見抜いてしまいますからね」

「ああ…分かったよ」

 苦笑いしたダンは、自分を抱き締めに来た妻の肩に甘えるように頭を預ける。

「…泣くのはまだ早いですよ。これからが長いんですから」

「馬鹿な事を」

「騎士達に意地悪をしては駄目ですよ」

 ぽんぽん、と妻に背中を優しく叩かれたダンは、ふっと力を抜いて溜息を吐く。

「それは…場合によるな」

「もう」

っ!」

 耳をぎゅっと引っ張られて、ダンは慌ててベルから身を離した。

「父さん、母さん! お茶の準備が出来たわよ」

 その次の瞬間に扉を開けたケイトは首を傾げる。

「どうしたの? 父さん、泣いてる?」

「これは母さんにつねられて…」

「何でもないわ、ケイト。今日のお菓子はジェスが?」

「ええ。新作と、木苺のパイよ。あら、マイリはここじゃなかったの?」

「セレナと一緒に部屋にいるはずよ」

「じゃあ二人を呼んで来るわ」

 ばたばたと慌ただしく扉の向こうに消えたケイトを見送ると、ダンは恨めしそうにベルをちらりと見る。

「…ひどいじゃないか」

 しかしベルはにっこりとダンに微笑んだ。

「あなたの大好きな木苺のパイですって。私は新作が楽しみだわ。さ、行きましょう」


やはりベルは最強。この資質を一番受け継いでいるのは、やっぱり母親似のセレナです。

村での任務を終えたワイルダー公国の騎士達は、帰国したらさぞモテるようになっていることでしょう…。

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