とあるマフラーの話1
一月も中旬。冬の深まる季節だ。待ち合わせの場所として有名な駅前の抽象的なオブジェの前で、私は手を擦り合わせた。息も白く、寒さを実感する。
高校生の時に比べ、自由度も増えたが、それでも過保護な家庭に生まれた私は、行動の制限が多い。お母さんは相変わらず心配性だし、お父さんなんて今日の待ち合わせの相手を知らせたら卒倒するだろう。というのも、私が男の子の友達の話をすることなんて、ほとんどないからだ。
そう、今日の待ち合わせの相手は男の子なのである。高校時代、実質ひとりで手芸部を切り盛りしていた私は、趣味の延長線上で被服系の学校へと進学した。元々、友達が多くはない私だったから、同じ学校へ進んだ知り合いなんていなかったけど、なんとかやっていけていると思う。自分の好きなことを学べるのは幸せなことだし、周りみんな被服が好きっていうのが新鮮だった。それと同時に、自分の至らなさを痛感させられて凹むこともしばしばあるんだけれど。
待ち合わせ相手は高校時代、生徒会長をしていた主席の男の子。誰もが知っている有名人だった彼と私は住む世界が違うし、関わることもないんだろうな、って思っていたけれど、部活関係のひょんなことからお知り合いになった。私は彼のことが人間的に好きだったし、関係を途切れさせたくないと思っていたから、連絡を受けて嬉しかった。けれど、卒業以来会っていないのだ。ほとんど一年ぶりである。気まずくて仕方がない。
『えっ、会長と付き合ってるんだと思ってた』
卒業式の日、クラスメイトに言われたその一言が、今でも私を蝕んでいる。人間的には大好きだ。だけど、彼女が言うように、恋愛含めて会長さんのことが好きなのかどうか、私にはいまいち断言出来ない。だいたい、好きだったとして実る訳がないのだ。会長さんは私よりも随分と顔が広いし、顔立ちも整っている。女の子には事欠かないだろう。その上、彼は硬派で有名である。そもそも、恋愛には興味がないタイプの男の子だ。
物思いに耽っているうちに、待ち合わせの時間が近づいていた。そろそろやってくるだろう、会長さんは待ち合わせの時間ピッタリに到着するタイプだ。
そもそも、今日の用件を私は知らない。周囲にはカップルの片割れだろう人々が、晴れやかな顔で立っている。みんながみんな、待ち人が来るのを楽しみにしているようだ。だけど、私はといえば当然そんな気分にはなれず、そわそわとした気分になる。下を向いてぼーっとしていた私の肩が、トンッと叩かれる。
「悪い、待たせた」
聞き覚えのあるテノールボイスで、そう謝られた。待ち合わせ時間よりも一分ほど早くやってきたらしい会長さんが、少しだけ息を切らせてそこに立っていた。相変わらず、目元はキツそうで、だけれどその瞳にはキツいだけではないと思わせる色が宿っている。雰囲気からか佇まいからか、ただでさえしっかりとした印象を抱かせる会長さんだったが、彼の着ているきっちりとした灰色のコートと、四角い黒斑の眼鏡が彼のフォーマルな印象を更に引き上げる。
「あ、会長さん……」
私の呟きに、もう一度「悪い」と詫びを入れて、会長さんは私を見た。
「相変わらずだな、お前は」
そんな会長さんも相変わらずの格好良さだった。苦笑まじりに「会長さんこそ」と返す。会長さんはふっと笑って、「そうだな」と頷いた。
「でも、今日はどうしたんですか?」
手を擦ったり白い息を吐いたりしながら私が問いかけると、会長さんは言いづらそうに顔を背けた後、近くにあったコーヒーチェーン店を指差した。
「とりあえず、店に入らないか?」
寒さにもそろそろ耐え切れなくなってきたところだ。私はそれを反対する理由も特になかったので、会長さんの提案に頷く。ほっとした様子の会長さんに続いて、私は店へと入っていった。
頷いたは良いけれど、実は私はコーヒーが飲めない。正確には飲めないこともないけれど、特に好きではない。というわけで、せっかくのコーヒーチェーン店にも関わらず、ミルクティーを注文して席へとついた。エスプレッソを頼んだ会長さんは、当然のようにブラックのままで飲んでいる。これが、私と会長さんの器の差か。違うか。
熱かったそれぞれの飲み物がぬるくなってきた頃、会長さんがポツリと話し始めた。
「なあ、手芸部」
もう私は手芸部の部員ではない。にも関わらず、私が未だ彼を『会長さん』と呼ぶように、彼も私のことを『手芸部』と呼んだ。お互い、名前も呼ばないような関係。それを改めて突きつけられて、つきんと何処かが痛んだ。
それには当然、気付いていないのだろう。会長さんは私の少しの変化など気に求めないで、話を続けた。
「女の人って、どういうものを欲しがるんだ?」
(ああ、やっぱり……)
どこかで予想はしていたんだろう、私の最初の感想はそれだった。彼は、私自身に興味があるのではない。次に、会長さんがプレゼントをする相手は、どんな方なんだろうと思った。考えても栓のないこと。
「えと、そのお相手のタイプにもよりますよー?」
私のゆっくりとした促しに、会長さんは考え込むように、手をあごに持って行った。
「二十代前半の女性だ。そうだな、しっかりとして独立しているタイプ。酷く可愛らしいものを身につけている印象はない」
「って、ことは……ピンクよりもブルーって感じの人ですかね?」
「まあね。で、それよりはモノトーンって感じだな」
つまり、私と正反対。それなら、どうして会長さんは私を呼んだんだろう? それならば、もっと適当な人材がいるだろうに。私みたいに、飛び抜けてセンスが良い訳でもなく、さして親しい訳でもないような人間ではなく。
だけど、それはおくびにも出さずに私は言う。
「うーん……シンプルなものが良いですかね。お相手さんとの中にも寄りますけど、ちょこっと身につけるくらいのあっさりしたものが良いかもです。それか、食べちゃえば無くなっちゃうお菓子系統」
私がそう言うと、会長さんは納得がいかないように首を傾げる。どうやら、お菓子という提案はしっくり来ないようだった。
「残らないっていうのは寂しいんですが、逆に言うと負担にもなりにくいってことなんですよね。だから、気を使う相手であれば、そういうのの方が無難な場合も……」
「ああ、それは大丈夫だ」
きょとん、としながら会長さんの様子を窺うと、彼は微笑んだ。どうやら、私が思っていた以上に会長さんとお相手さんは近しい関係らしい。
既に温くなったミルクティーを覗き込む。中途半端に混ざりきっていない茶色とミルクがなかなかに不安定な気持ちを刺激した。
私の行動を真似した訳ではないだろうが、会長さんもエスプレッソを口に運んだ。そして、まずそうに顔をしかめる。先ほどまでは普通に飲んでいたから、ブラックの苦さが原因だと言う訳ではないだろう。となると、やはり冷めたコーヒーは美味しくないと言うことだろうか。酸味も増すだろうし、当然か。
「それなら、写真立てとか、小物入れとかは如何でしょう? 年上の女性に変に大人ぶったものをあげるよりかは、学生である身なんですから、そういった手軽なものの方が……」
「なるほどな…」
会長さんが納得いったように頷いたので、私はホッとした。チクリ、と何処かで痛んだような気はしたが、そんなのは気にしない。こんなに高見の存在だと思っていた会長さんのお世話になれたのなら、それは光栄なことだ。
他のお客さんが出入りした拍子に、入口の方から冬の冷たい風が吹き込んできた。ぶるっと身震いすると、会長さんはこっちを見て苦笑した。
「寒い中、わざわざ悪かったな」
「いえ……でも、どうして私なんか呼び出したんですか?」
会長さんなら、よりどりみどりでしょうに。という心情を隠しもせずに言うと、会長さんは苦笑の表情のままに、そっと一言。
「さァな。秘密だ」
一瞬だけ瞳の奥に現れた、今まで見たことのないような柔らかい光と、茶目っ気を含んだ声色。ドキリ——固くないもので刺されたような妙な感覚が、心に走った。
主催していた、文芸部OBOG中心の絵描き文字書き混合冊子企画に提出したもの。
大学一回生の頃に書いたおはなし。