Workaholic(会長サイド)
凍っている空気の中、グレーの上着からはみ出ているむき出しの指先を擦り合わせて、はあっと息を吐きかけた。白い空気が若干の温かみを与えてくれるが、手は赤く染まったままだ。本来きれいな桃色でなければならない爪も、マニキュアを塗ったみたいに紫色である。
俺はズレてきた眼鏡の位置を正しながら、ぼんやりと遠くを見た。黒いアルミのフレームは外気に晒されているせいで、やたらと冷たい。
(早く帰りたい……)
内心ではそう思っていても、役割を果たさずに帰るわけには行かない。俺は、早足で校舎裏にある部活棟へと向かった。
下校時刻はとっくに過ぎていて、それでも明かりが付いている部屋がひとつだけある。
やっぱりと思いながら、その部室へと足を進める。なぜだかその部屋は3階建ての建物の最上階、しかも一番奥にあって、俺がわざわざ行くたびに面倒な思いをしなければならない。何かの策略だろうか。
寒さで苛立っていたせいで、いつもより若干激しく扉を開け、こちらに気付いて振り向いた少女に脅すように低い声で言った。
「おい、手芸部」
「あ、会長さんだ」
こんな状況下でものほほんと「こんにちはー」なんていうコイツが、いつものことながら俺には理解できない。
他に部員さえいれば話が通じるだろうにといつも思うが、他は全部名前だけの部員だ。当然ここにはいない。
「お前、今何時だと思ってんだ」
慌てて時計を見た手芸部は、ごめんなさいと頭を下げる。言い訳もせず、素直に謝れるってところはすごいと思うけど。俺は絶対あんな風に素直にはなれないから。
「お前、なんでいつも遅れるんだ。下校時刻の放送、入ってるはずだけど?」
「ここ、放送入らないんです。……暖房もですけど」
言われてみて気が付いた。この部屋は、そういえばまったく暖かくない。室内のはずなのに、外と同じような温度だ。
「ストーブとか、無いのか?」
「私一人のために持ってくるのもなんだかなーって」
えへへ、と笑うけれど、こんなんじゃ風邪でも引きかねない。って、なんで俺はこんなわけのわからないやつを心配してるんだ。
「あ、別に心配しないでくださいよ。私より、会長さんは大丈夫なんですか。いっつも、忙しそう……」
この期に及んで、俺の心配か。心配なら下校時刻に、とっとと帰ってくれと思ったけれど、そうか放送が入っていなかったんだっけ。
こんな寒さの中、誰も好きこのんで学校に残りたいなんて思うまい。
「お前さ。こんな寒い中で出来るのか、作業」
「へへっ。大丈夫なんです。ホラ」
珍しくも心配した俺に、手芸部はそう言ってポケットから使い捨てのカイロを取り出す。
その無邪気な様は置いておいて……この寒い部屋を暖房もなしに手芸だと。冬の寒さを舐めんじゃねえよ!
「まあ、いい。とっとと帰るぞ。手芸部」
少し考えるところがあったが、誤魔化すようにして促した。俺の脳内なんてまったく知らずに、手芸部は頷いて帰り支度を終える。
先に出た俺に続いて部屋を出たあれは、部室に鍵を掛けて、ふわふわとした髪の毛を揺らすようにして、てくてくと俺の後を付いてくる。
「なんでお前、わざわざ学校で作業するわけ? 家でやった方がはかどるんじゃねえの? この寒さじゃ」
言ってから少し嫌な気分になったことに、自分で驚いた。別にこいつと会えなくなったって、俺に何の損害もないというのに。
どうしてだろう。面倒くさいと思いつつ、こういった無駄な時間は嫌いじゃない。
気が付いてしまったら、その真っ白な笑顔をなんとなく直視できなくなって、視線をそらす。真っ暗になった空には、少し欠けた月が綺麗に輝きながら浮いている。
「だって、部活だし。そうだなあ……あ、会長さんが迎えにきてくれるから、じゃダメかな?」
「バッ……!」
まったく他意も何も無さそうに、ゆっくりと言うあれに俺は動揺する。
(わざとか!)
そう思って慌てて振り向くも、やっぱりいつも通りの顔だ。なんかむかつく。
何か、意表をつけるような話題はないか。考えて、ひとつ妙案を思いついた。
にやけないように注意しながらクールぶって、いかにもどうでもよさそうに口を開いた。
「じゃあさ、お前。明日から生徒会室に来ればいいよ。知ってるか、何故だかこの学校は会長様専用の個室があるんだぜ?」
「あ、本当? 私、会長専用の部屋って一度入ってみたかったんだ! 近所のお兄ちゃんがね、会長だったんですよ」
その反応。期待したのとは、何かが違う。
けれど、『わあ、楽しみー』なんて、くしゃりと破顔したあれに、そんなこと言えるはずがない。
それに、この手芸部の口から違う男の話が出たことに驚いて、妙にムシャクシャした。どう考えても、女友達しかいない雰囲気の少女だったからだろう。
そ ういえば、俺はこいつのことを何も知らない。
何も知らないのに、こうして隣に立っている。
それがすごく気持ち悪くて、俺はらしくないとはわかっていたが、自分からあれのことを尋ようと思った。
「なあ」
「なあに、会長さん」
さすがに、無神経な俺といえど少しだけ躊躇って、それでもやっぱり聞こうと決心。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だったっけ?
「お前、そういえばなんて名前だっけ」