表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/34

第9話 大隊合流――状況整理 その三

――――――A.D.2084 7月11日


日本 東京都 新宿区市ヶ谷 防衛省 第六


現地時刻 JST 1847







照明が落とされ薄闇に包まれている小会議室。


U字型の大きなテーブルが置かれている部屋の中央には空中投影型のプロジェクターが置かれ、その上に表示されている画像が、暗い室内を淡い青色で照らし出していた。


そこに居並ぶのは自衛軍の高級将官と技術研究本部(技本)の士官、そして現防衛大臣である大森寛(オオモリヒロシ)だ。


彼らは緊張した面持ちで書類を読み上げる若い技術士官の言葉にじっと耳を傾けていた。




「―――以上の調査結果から、本日1152(ヒトヒトゴーフタ)、東富士演習場にて発生したロバチェフスキー現象は、再発の可能性はないと結論付けて問題ないと考えます。 また周辺一帯の各機関に特命で問い合わせたところ、人的・物的被害はないとの返答を得ましたので、そちらでの被害も皆無であるとみなしています―――以上で報告を終わります」




報告が終わるや否や、部屋の中にはいくつもの疲れたような深いため息が漏れた。


全員が全員、こめかみや眉間を揉みほぐし次第に会議室には重々しい雰囲気が広がっていく。




「……『そちらでの被害は皆無』と貴官は言ったな? その内訳こそ今話すべき事ではないのかね」




と、顔に現れた苛立ちを隠さずに言うのは海上幕僚長だ。




「は。 実際に被害を被ったのは、東富士演習場で米軍と演習予定であった練馬の特機(特化機甲大隊のこと)一個大隊であります。 その詳細に関しては、お手元の資料に記載しておりますのでそちらをご参照いただければと……」


「貴官は随分と事を軽視している節があるのではないか? 首都防衛の一翼を担う1th.SAB(第一特機大隊)が実弾を積んだトラックと共に丸ごと消失したのだぞ? これがどれほどの事態か理解しているのかね?」


「……は。 重々理解しているつもりでしたが認識が足りませんでした。 申し訳ありませんでした」




海上幕僚長のあからさまな嫌味に対し、若い士官は謝る一手で押し通す。


そのやり取りを傍らで見ていた是枝は、目線を手元に落とした。

左手のクロノグラフを見やり、その針が指している時刻に内心で舌打ち。




(遅い……何やってるんだアイツは)




こちらは、目の前に立つ技術屋ごときに期待はしていない。


彼が行っていたオリエンテーションなど、新卒の大学生でも出来ること。

今必要なのは専門家による本格的な解決策の説明だ。


なのにその人物は予定より1時間半も遅れている。

このまま押し問答が繰り返されれば恐らく―――そう思い至ったところで、考えていたものとちょうど同じ言葉が投げかけられた。




「是枝陸上幕僚長、貴官ならこれをどう解決する」




「ほーら来たよ」と、隣の事務官に聞こえるくらいの声音で是枝は囁く。


伏していた顔を上げれば、矛先をこちらに向けた海上幕僚長と目が合った。

先ほどまで抵抗していた若い士官は困り果てた顔でこちらを見ている。




「聞けば今回の一件、富士で臨界が発生する数分前に佐渡島のコフィンでクラスⅢのロバチェフスキー現象が起こったと聞く。 あくまで推測だが、これは佐渡島の臨界がなんらかの引き金になっているのではないのかね? ……それに確か、アレを開発するに至ったのは貴官とご友人の……宗方三佐、だったかな…彼の発案が切っ掛けだったはずだが、それについてのお考えも聞きたい」




宗方という名に会議室の中がざわめく。




「宗方……なるほど、確かにそれは厄介そうですな。 ですがそれが、今回の一件とどう関係を?」


「私の調べたところによれば、彼はいま佐渡島の研究所でアレの実験と研究を行っていると聞く。 今回の臨界はその実験の影響ではないのかと思ってね」


「となるとまた彼の独断ですか……いやはや、若く血の気の多い隊員は問題を多く引きつれてくるようで」


「先の経済制裁で、朝連も少しは大人しくなったというのに……その矢先にこのような事をしでかされたとあっては、我々としてはたまったものではありませんな」




海上幕僚長を皮切りに、口々に好き勝手言う自衛軍幹部たち。

そんな身勝手な彼らの様子に苛立ちがつのる。




(コイツら……前半はともかく後半は論点がズレてるじゃねえか)




つまりアレか? 直接かかわってるのは陸自だからこっちに責任取れということか?


「てめえだって一枚噛んでただろうが!」是枝は目の前の海上幕僚長を腹の底で罵った。


開発には全軍が関わっていたというのに、こういう時だけ〝こっち〟(陸自)に責任転嫁するなど随分と都合が良いことだ。


そもそもこの場の議題は『誰が』ではなく『どうやって』問題を解決するかということなのだが、彼はそれを理解しているのだろうか。


是枝は立ちあがるなり咳払いをひとつ。




「確かに、佐渡島のコフィンで発生した臨界が今回の一件に関わっている可能性は大いにあります。 それについては目下調査中であり、明日までには詳細をお伝えできると思いますが……今回の臨界は、あくまで自然現象として起こったことです。 宗方三佐が独自に実験を行い臨界を誘発させたという事実はありません。 付け加えて、この計画は本来全軍共同のものであり、我々が率先してアレの開発を行ったとはいえ、今回の責任全てがこちらにあるわけではない。 何より、宗方三佐が関係している事が必ずしも問題に直接関係するという憶測自体が、私には理解し難いのですが?」


「つまり、貴官はこれが不幸にも偶然起きた〝災害〟で自分たちは1th.SABを失った被害者だとでも?」




海上幕僚長の問いに是枝は「ええ」と即答。

それが癪に障ったのか彼は一瞬眉をひそめたが、是枝は気にせず言葉を紡ぐ。




「我々は、首都防衛の基盤である第一師団第一特機大隊を失いました。 先ほどそちらが仰ったとおり、これはあってはならない惨事です。 被害は甚大ですが、この問題解決のためには我々は出し惜しみをするつもりは一切ありません。 それは、既に富士を隔離した御殿場の部隊と、現在対応中の佐渡島のチームをご覧になれば理解されると思いますが」




あくまで被害者を装いつつ、打撃を受けた状態から何とか事態収拾を行っているという事実を突き付けると、彼は渋々といった様子で黙り込んだ。


こういう時、適正に動いておく事ほど保険になるものはない。

それが正規の手続きを踏んだものならなおさらだ。


トドメとばかりに、是枝は海上幕僚長にむかって薄い笑みを浮かべると、




「御心配なさらずとも、事態が無事に収拾したのちには〝そちらにも〟有益な結果をもたらすこの研究を今まで通り安全に継続させ、最終的にはアレを完成させますのでご安心を」




先ほどの嫌味を返してやるつもりで言うと、彼は唸って完全に押し黙った。


この計画が完成すれば物資輸送や兵站の面での苦労を減らせる―――補給を艦内備蓄で(まかな)わなければならない彼らにとって、これは喉から手が出るほど魅力的なものであるようだ。




「それで是枝陸幕長、君らの内輪揉めはもう終わったかい? 私はこのような話を聞くために呼ばれたわけではないのだが」




不意に静かな……だがよく通る声が聞こえ、是枝ら一同は反射的に背筋を伸ばした。


声の出所(でどころ)はテーブルの真ん中にいる黒いスーツの男。


手元の資料を読み終え、先ほどからこちらのやり取りを黙って傍観していた大森防衛大臣は、人差し指で机を叩きながら、




「諸君らにも思うところはあるだろうが、今は非常事態だ。 それぞれが自らの主張をぶつけているだけ時間の無駄なのでね……悪いが仕切らせてもらうよ。 結論だけ言ってくれ。 この臨界は今後、どこかで再発生するのか?」


「断言は出来かねますが、国内で臨界が再発する可能性はほぼ無いでしょう」




大森の言葉に、是枝は面と向かって答える。




「先ほども申しました通り、富士で臨界が起きたのは佐渡島で原因不明の臨界が起き、それによる共鳴のようなものが起こったからだと我々は考えております。 ですが、これはあくまで理論的な推測であり確証はありません。 ここで無いと申し上げるのは、そもそもゼノニウムの臨界は自然現象で起こり得ないからであります。 そのため、より正確に申し上げるなら富士で臨界が起こった原因を突き止めない限りは、日本国内のゼノニウム埋蔵地点で臨界が再発生する可能性はあります」


「そうか。 現場での対策案は検討しているのか?」


「はい。 既に佐渡島のチーム数名を富士の現場に送りました。 彼らによって、閉鎖を行っている部隊に正確な情報が伝えられ適正な隔離措置が実施されています」


「ふむ……なるほど」




こちらの返事に大森は親指の頭を噛んで考えこむ。


一見すれば、日常のちょっとした考え事をしている場面に見えなくもないこの光景だが、机の端に向けられた切れ長の瞳はそこにある物を捉えてはいない。


その目は、まるで虚空を見つめるかのように焦点が合わず、じっと思考の海の中へと深く潜り進んでいる。


この男が何を考えているのか……恐らくはすべてだ、と是枝は思う。


5年前に起こった佐渡島防衛戦の後、以前から自民党によってとなえられていた自衛隊を自衛軍に改変する法案が成立したのち、五代目の防衛大臣となったのが大森だ。


自衛隊幹部から政界に進出し、防衛大臣補佐官を経て防衛大臣となった彼は、歴代の大臣に比べても知識と手腕が圧倒的に秀でている。


『柔軟かつ徹底』、この元自衛官らしい心意気と働きが評価され今や国民に信頼される政治家No1とお呼びだとか。


だがそれは表向き。


実際の彼は、ひたすらに何かを考えて結果を重んじる現実主義者だ。




「……このことは、まだ国外に漏れてはいないのだったな?」


「はい。 情報統制は徹底しております。 演習に参加予定だった米軍にも感づかれておりません。 ですが……時間の問題かと」


「そうだな、マスコミや海外の各関係者がこの事態に気付くのは早くて明日だろうが……それから動くのでは遅すぎる。 こっちはこの後にでも総理に話を通しておく」




言って、大森は隣の秘書官にいくつか耳打ちをした。

恐らくは今言った内容に補足を付け加えたのだろう。




「それで是枝陸幕長、本題だ。 単刀直入に聞く。 第一特機大隊は連れ戻せる(・・・・・)のか?」




きた。


つい先ほど考えていた懸案が持ち上がってしまい、我知らず身体が強張った。


ここは何か答えるべきだろうか?

だが今の自分が知っていることを話しても、恐らく内容は先ほどの若い士官と同じものになるだろう。




「その事についてですが……」




その場の全員の視線を浴びながら是枝は言い淀む。


どうする? この議題に的確に答えられる人物はまだ――――――そうやって、大森の問いかけに是枝が返答をどうすべきか迷っている時だった。




「あぁーれぇー? もう始まってんですかァ対策会議。 いやー遅れてすみませんでしたね~、実は乗ってたヘリが不調でしてぇ~」




場に似つかわしくない言葉と共に、これまた場に似つかわしくない格好の男がずかずかと会議室へと入ってきた。


その男は、陸自が冬服指定としているシャツの上に少し皺のよった白衣を羽織り、右手にはアルミ製の小さなアタッシュケースを持っていた。


短い髪の毛をオールバックにまとめ、顎先には無精髭と、自衛官らしさが微塵も感じられない出で立ちだが、目だけはレンジャー課程を終了したばかりの隊員に似た異様な輝きがあった。


なにより首からさげられているIDカードに三佐の階級が記されている事が、彼が現役の自衛官であることを示していた。




「どーも。 佐渡島から呼ばれました、宗方三佐です。 以後、お見知りおきを~」




彼―――宗方将晃(ムナカタマサアキ)三等陸佐はそう言って、屈託のない笑みを浮かべた。




「「……………」」




一方、会議室に集まっていた面々は完全に言葉を失っていた。

皆一様に、信じられない物でも見たかのように目を丸くし、間の抜けた顔を晒している。


無理もないだろう。

初対面で、そのうえ指定された時刻に遅れてやって来る者がこんな態度を取ることなど、常識的にあり得ない。


だが是枝は知っていた。

悲しいかな、その常識が通用しないのがこの宗方という男なのだ。


開けた口の閉じ方が分からないらしい面々の中で唯一、是枝だけは眉間を指で揉みほぐしながら深いため息をついた。


それから、ジロリと目の前の男を見つめて、



「遅い……何をやっていた貴様」


「ん? あーごめんごめん剛ちゃん。 コフィンで発生してるドームのデータ整理と解析が大変でさァ、呼ばれてたの分かってたんだけど遅れちゃったわけよ。 いや、悪気はないからね」


「俺は今、ヘリの不調で遅れたと聞いたんだが?」


「あれ……そうだっけ? アッハハハ!」




呆れて物も言えない。

この男、全く悪びれないどころか更に開き直って笑うとはどういう了見か。


ケラケラと笑いつつ宗方はこちらの隣に座ると、持ち込んだアタッシュケースからパソコンを取り出して起動した。




「……防衛大臣。 以後、彼がこの事態について正確な報告と解説を行いますので。 ご質問は遠慮なく彼に」


「あ、あぁ……わかった」




さすがの大森も完全に動揺した様子で宗方を見ているが、そっと声をかけて我に帰らせる。


他の幕僚や将官たちが息を吹き返せば、罵詈雑言の嵐で会議が立ち行かなくなるのは確実だ。


大森はひとつ咳払いをして口を開く。




「んんッ……宗方三佐、ひとつ尋ねていいか?」


「はいはい。 何なりとお尋ねください防衛大臣」


「なら訊くが……富士で消失した練馬の第一特機大隊は帰還させられるか? まずはそれについて知りたいのだが」




先ほどと同じ、事の核心を突く言葉に是枝は息を呑んだ。

が、宗方は、




「ええ。 可能です。 というか、既に対策取り始めてますよ僕ら」




あっけらかんと言い放ってしまう宗方に、会議室全体が小さくざわめいた。




「どういう事だ? 詳しく説明してくれ」




大森の問いに答えるべく、彼は手元のパソコンをいくつか操作すると、中央の立体プロジェクターにその画面に映っているであろう映像を流した。




「まず今回の一件についての説明から始めましょう。 事の前兆は佐渡島のコフィン内でロバチェフスキー現象が起こった事から始まりました。 その後、富士の演習場でも何かが発生し第一大隊が跡方もなく消えた……これは御存じですよね?」


「ああ」


「んでこっからが重要なんですがぁ……ぶっちゃけ実はこれ、ロバチェフスキー現象なんて関係ないんですよ」




大きくどよめく会議室。




「ま、待て! どういう事だ!? 報告では大隊は臨界によって消失したのではなかったのか!」




慌てた様子で空自の一佐が食いつく。

ほかの面々も混乱した様子で、正直こっちも同じ心境だった。


是枝は手元の書類に再び目を通す。

流しで文章を読んでみても、そこには『第一大隊が消失した理由はロバチェフスキー現象による多次元相転移』と書いてあった。


つまり臨界によって別の世界に飛ばされたという事だ。

それが異なるというのはどういう事か?


宗方は、やれやれと言いたげに小さく首を振って、




「はいはい、これからちゃんと説明するんで静かにしましょうねぃ? 焦んのは分かるけど、組織の指揮をするヤツが、この程度でいちいち動揺してんじゃねえよみっともねぇ」


「なッ!? 貴様……ッ! 出鱈目な報告書をまとめてきておいて、何だその口のきき方は!」


「だァから、いちいち食いついてくんなこのバカ。 っつーかこのデータ、あんたらが勝手に書き上げたもんだろうが。 テキトーな推測にガキみたいな考察混ぜて勝手な結論に纏めてよ。 自分のウソに自分で引っかかっておいて何逆ギレしてんだ、あァ? ちょっと計画の概要知ってるからって、その知識だけで好き勝手思いこんでんじゃねぇぞ」




そう言われると、噛みついていた一佐は沈黙した。

好き勝手思いこんで、と言う事が図星だったようだ。




「宗方三佐、いいか?」




そんな外野を差し置いて、大森が尋ねる。




「はいはーい? なんですか、大臣」


「貴官の言う好き勝手な思い込みについては、我々は認めざるを得ない。 今までコレはそういうものだと認識してきたからな……だが、それが異なるというのはどういうことだ?」


「あー、そのまんまの意味ですわ。 つまり、第一大隊は臨界の発生した地域にいたけどロバチェフスキー現象には巻き込まれていないってこと」


「……ますます意味が分からんのだが」




そう言うと、宗方は腕を組んで何かを考え込む。


やがて短く手元のパソコンを操作すると、プロジェクタで投影されていた映像に変化が現れた。


それまで、いくつかの写真付きページを重ねるようにして表示していたホログラフィック映像が本でもめくるかのようにパラパラと移っていき、あるページで止まる。


そこには折れ線で何かのグラフが作成してあり、周囲にこまかな数値が記載されていた。 図の下には測定対象の分類だろう、『UT/AL-315』と記入されている。


何のデータなのだろうか?


そのグラフは後半に向かうほど振れ幅が大きく値も高くなっており、ある一点を境に一気に0の位置まで降下していた。




「じゃあ全員これに注目してくれます? こいつ使って説明するんで」




全員が立体映像に目を向けたところで、宗方はパソコンのカーソルを使って説明を始めた。




「これは、ある現象で発生する電磁スペクトルを測定して関係のないノイズを取り去ったもののグラフです。 横が経過時間、縦がその波長の強度を示してるんですが……これ、なにかわかります? わかった人は手を挙げて! 正解者には素敵なプレゼントがあったりなかったりします!」


「宗方、ふざけるのは後だ。 貴様は専門家だろうが、今ぐらい真面目にしろ」


「はいはい、ジョーク通じないなァ剛ちゃんは~。 んじゃ、解答前に答え教えちゃうんですが、コレはロバチェフスキー現象の臨界で発生する電磁波のスペクトルです。 2年前、富士のスポットで発生したのを佐渡島で捕まえたヤツ。 んーで知っての通り、ゼノニウムが臨界を起こすと大気中に霧状の物質が現出して、コロナ放電と電磁パルスが発生します。 このグラフはその時に発生する電磁波の波長を測定したもので、この一番大きいピークのところで現象が発生。 空間と空間をつなぐ半球状の虚数空間……通称〝ドーム〟が発現してるわけです。 で、このドームを意図的に発現させて消失させるまでの流れを測定したのが……よっと、これです」




言って宗方がキーボードのエンターキーを押すと、ページが切り替わり、前と似たようなグラフが表示された。




「このスペクトルが示すように、臨界は必ず一定のパターンをもって発生と終息が決まってます……こんな感じで徐々に大きく、徐々に小さくってね。 これについて異例は絶対にあり得ません。 テストの解答間違えたバカが、駄々こねたとこで答えが変わる事がないのと同じで」




相変わらず口が悪いが説明は悪くない。

会議室の面々は時おり不快そうに眉根を寄せる事もあるが、おおむね頷いたりして理解はできているようだ。


が、ここで是枝はあることに気付いた。




「……ん? 宗方、このゼノニウムの波長を示すグラフだが、強度はともかく形は必ず同様のものを示すんだな?」


「んふふ。 そうそう、そうだけどそれが何か?」


「じゃあ、最初のグラフは何だ? このグラフタイトルにはUT/AL-315と記載されてるが、先ほどの物にも同様の事が書かれていた…これがゼノニウムの臨界を示しているなら、これは前の臨界のグラフということにならないか?」




この違和感について尋ねると、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべていた白衣の技官はパチンと指を鳴らした。


こちらを指さすその顔には満面の笑み。




「そう! そのとおり! いやーやっぱ剛ちゃんはこっちの言いたい事によく気付くねぇ、おじさん嬉しいよぉ~」




宗方は今にも小躍りしそうな勢いで揚々とまくし立てる。

それがまた会議室に似つかわしくなく一際異常に映って見えてしまう。


しかしそんなことはどうでもいい。

今はそれよりも重大な事柄が発覚してしまったのだ。




「どういうことだ? それが事実なら最初のグラフはロバチェフスキー現象のスペクトルではなく、何か別の物ということにならないか? 一連の流れに異例はないのだろう?」


「そ。 だから言ったでしょ、富士の事故にはロバチェフスキー現象は関係してないって。 ここにいる御方らは、臨界と現象が同一の物だって理解してるみたいだけど、実際は違うんだよねぇ~……勘違いしやすいけどさ」




と、語る宗方の目が不意に鋭く細められ言葉に威圧的な重みが増した。


今まで何度か見たことのある技官としての彼の顔だ。


数分前と打って変わったその表情に、席に着いた幕僚たちすら息を呑んだのが気配で分かる。 それほどに、今の宗方からは重圧が放たれていた。




「消失した練馬の1th.SABは、ロバチェフスキー現象に巻き込まれたんじゃない。 臨界に乗じた別の何か(・・・・)に巻き込まれて消えたんですよ」




ざわ、と会議室のあちらこちらで驚愕の声が漏れる。




「別の何か……だと? 一体なんだねそれは」




あしらわれて以来、黙って事の成り行きを見守っていた海上幕僚長の問いかけに対し、宗方は小さく首を振って応えた。




「分かりません。 我々も今回のような事態は初めての経験ですので目下調査中であります。 ですが臨界は確かに発生し、その上クラスⅢのドームが発現している以上はゼノニウムの反応が関わっているのは確かです」


「だが、観測上ではそれが起きた形跡がない……ということか?」


「はい。 ですので、今回の一件はゼノニウムについて未だ判明していない、未知の領域での反応が起こったのではないか……と我々は推測しております」




再びざわめく会議室。

こちらも正直なところ、想像以上に事態が深刻であることに困惑していた。


『未知の新発見』というと聞こえこそ良いが、その第一線で今回のような事故が起こればそれの美麗さは一転する。


これまで新資源と持て囃されていたゼノニウムには、人類に未だ制御不能な領域が存在した。


それを知らずに自分たちは計画を推し進めていた…そう考えるとぞっとした。

下手をすれば、今回のような事故がさらに大きな規模で起きていたかもしれないのだ。


発明というものは研究と実験、そして失敗と改良で完成するものだが、今回はそれに関係なく大きな失敗が起きてしまった。


大隊を失うという痛手を被った上に、さらに懸案事項が浮き彫りになるとは……


苦虫を噛んだような表情を浮かべる是枝の隣で、宗方はこの場の議長役でもある大森へと向くと、ひたと彼を見据えて言った。




「大森防衛大臣、先ほどのご質問のお返事を改めてお返しします。 消失した練馬の第一大隊は、我々が総力を上げて必ず帰還させます。 今申し上げた通り、事態は極めて深刻で多くの危険性を孕んでいますが、我々は既に専門の部隊を展開させ、最良の結末を迎えられるよう各方で行動を開始しております。 ですが、装備が十分ではないため一定以上の活動が出来ない状態にあります。 そこで現場を預かる指揮官として具申致します。 大隊救出のために、佐渡島の研究所を完全稼働させる許可をいただきたく願います」



そう告げて頭を下げる宗方。


これまでと一転した宗像の態度に皆が唖然としてその光景を見つめるなか、大森だけはじっと伏した技官の姿を見つめ――――――




「具体策はあるのかね、宗方三佐。 あるのならばこの場で説明してほしいのだが」


「大隊救出に関するプランは既に計画済みです。 しかし、佐渡島の研究所で閉鎖されている区画の機材が使用できなければその実証は出来かねますので、この場では確実に成功するとは断言できません。 なのでこの場で説明をするとなれば、それは可能性の話で時間をつぶすという事になります」




宗方の物言いに大森が眉根を寄せたのが見えた。

こいつマズったか!?と内心で冷や汗をかくが、本人は微動だにせず直立不動で立ち続けていた。 


それからどれほど経った頃だろうか。


じっと黙り込んで何かを考え続けていた大森が、薄く口を開いて息をついた次の瞬間、




「……宗方三佐、具体策については分かった。 だが最後にひとつだけ答えてくれ」


「は。 何でありましょうか」


「承知の事だと思うが、今回の事故は非常に高度な政治的問題も多く含んでいる。 多くの犠牲を払った佐渡島防衛戦で守り抜いたこのゼノニウムは、今や日本が世界に対して出せる切り札でもあり、今後の結果次第ではアメリカや欧州との根強い協力関係を一層強く結ぶための楔にもなりうるものだ。 ……技術開発と言う点では、かねてより睨みあっている朝連や中国、ロシアといった近隣諸国への圧力になり、共同研究の面では先進国との交渉材料にもなるだろう。 今回の一件は、自衛軍という組織内だけの問題ではない…ひとつの小さなミスが、国の行く末を左右しかねない重大な要因となっているわけだが……それを君に任せても良いのか?」




大森は不自然なまでに『それ』という箇所を強調した。


それが指すことは言わずとも分かる。

信用しても良いのか―――という事だ。


現在、日本は周辺諸国と厳しい拮抗状態にあり国際社会で優位性を築くことに持てる力を注いでいる。


特に、佐渡島の防衛戦で撃退した朝連とは経済制裁後も睨みあいの状態が続いており、今は外交的手段で過去のような友好を結ぶことが急務とされている。


その際、事の切っ掛けとなったゼノニウムをその交渉材料とするのは非常に有効だ。


それだけ重要なファクターを、同胞の奪還に急くあまり判断を誤る可能性がある者たちに託すことはトレードオフに値するか―――大森が良い含めた事はそういうことだ。




「正直なところ、ゼノニウムの研究は国の専門機関に任せ、貴官には大隊の奪還だけを任せたい……というのが私の正直な考えなのだが」




ずいぶん痛い事を言ってくる―――是枝は大森の言葉に歯噛みする。


防衛大臣がその配下である自衛官を信用しないことほど、現職にとって辛いものはない。


しかし今回は、それだけ慎重に物事を進めなければならないということだろう。

この言葉は自分と宗方だけでなく、この場に居合わせた全員に深く突き刺さったようだった。


しかし宗方だけは顔色ひとつ変える事はなく、




「大臣のお考えには同意しますが……そのようなことをせずとも、私は今回の一件を最も良い形で修復させることができると自負しております。 これは伊達や酔狂などではなく、佐渡島防衛戦の最中も研究所で戦った経験からくる自信であります。 どうか、小官にこの任務を任せては頂けないでしょうか」


「………そこまで言うからには信用しても良いのだな、宗方三佐」


「はい」


「これの答えは二つとない。 成功しか認められない。 それでもやるかね」




しっかりとした意思のこもった瞳を向け、宗方は頷く。


会議室を包むしばしの沈黙。

やがて大森は大きく息を吐くと、背もたれに寄りかかりながら口を開いた。




「分かった。 ならば持てる力をすべて駆使して、早急にこの事態を回復させたまえ。 そのためには佐渡島のラボで封鎖している区画の使用も認める。 総理には私からそう進言しておこう」




その瞬間、是枝には隣の白衣の男の口元がふっと緩んだように見えた。




「ありがとうございます、大森防衛大臣」


「ただし、失敗という解答がない事は肝に銘じておくように。 どのような形であれ必ず大隊の救出は行え、いいな三佐?」


「は。 拝命します。 宗方将晃三等陸佐、これより第一特機大隊の救出作戦の指揮を執ります」


「よし。 ならば以上でこの議題は終了だ。 各方面に働きかける必要があるが、各々にそれは任せるとする」




言って立ち上がる大森に、その場の全員が頭を下げる45°の敬礼をした。







◆ ◆ ◆




「――――――宗方!」




先ほどの会議の後、事務官に今後の予定を短く告げ部屋を出た是枝は、一足先に退散していた宗方の後を追った。


ちょうど廊下の角を曲がろうとしていた男は、こちらの声に気付くや否や白衣の裾を翻して片手を上げ、自分とその背後に小走りで付いて来ていた事務官に手を振ってきた。




「お、どしたん剛ちゃん? ひょっとして、死地に赴く兵士に労いの言葉でも掛けに来てくれたとか? って、おやおや! 後ろにいるのは結(ユウ)ちゃんじゃないの~(ひっさ)しぶりィ! 元気してたァ~?」




毎日を生きていることが嬉しくてたまらないような笑みを浮かべるその顔からは、つい先ほど、防衛大臣と掛け合いを行っていたという事実は到底うかがえない。


是枝は宗方の元まで速足で辿りつくと、やや怒り顔で相手を睨みつけた。




「なにサラッと物騒なこと言っとるんだこのバカ。 まったく貴様と言うヤツは緊急召集だというのに遅刻してきた挙句、会議そのものをひっかき回しやがって……お前ほんっとバカだな」


「うわ、バカとか言いますかアナタ様は。 せっかくそっちの首繋いであげたってのに酷くない? ねー、結ちゃーん」




話を振った先、こちらの隣に立つ馴染みの事務官は、掛けていたメガネをついと持ちあげると、冷ややかな声で相手を一蹴する。




「私に話を振られても困ります、宗方三佐。 それに是枝陸幕長の首は繋がれておりません、恐らくは未だ皮一枚で繋がっている事でしょう……あなたも含めて」


「「うっそマジでッ!?」」




衝撃の事実に思わず宗方と声が調和してしまった。

が、彼女はそれを目の当たりにして更にため息までついた。




「ハァ……ほんとにお二人とも仲がよろしいのですね。 それは良い事ですが、ただでさえあなた方は敵を作りやすい性格なのですから、共倒れするにしても私を巻き込まないでくださいね」


「「……」」




まさか部下にここまで辛辣な事を言われるとは思ってもみなかった。

それに、よりにもよって相手が女性だけあり、言葉の棘はかなり鋭く深くこちらの胸に突き刺さってくる。


上司と部下の関係ありきでも、こういう場面ではどうしてもへこんでしまうのは男の悲しい性だろうか?


などと考えた是枝は、




「……じゃない! そうじゃないんだ俺が言いたかった事は! 宗方、てめぇ大見栄切ってたがほんとに大隊引っ張り戻せるのか?」


「是枝陸幕長、声が大きいです。 それに言いたかったことと仰られましても何も言われていません」


「あ……はい」




思わず大きくなってしまった声を小さくして宗方に詰め寄る。

すると彼は空いている方の手で頭をポリポリと掻き、




「大隊の救出自体は出来るよ……っていうかさァ、やらないといけないんだよねー俺としては。 国や御上の損得勘定とか抜きでさ」


「……待て、どういう事だ?」




投げやりに告げられた言葉に是枝は首をかしげる。


この男だったら損得勘定抜きと言うのは分かる。

自分に関係ない事には微塵も興味を抱かないのが宗方という男だ。


しかしそれが『やらないといけない』と言うのは如何様なものか?




「だってさァ、ぶっちゃけ興味あるでしょ? 人間が……それも数百の隊員と百トン超える物資が、同時に別の次元に飛んでいくなんざ史上初めてだぜ? こちとらようやく、数グラムの無機物を100km離れた場所に転送するくらいの成果しか出せてねえってのに、今回のは桁が違う! 尋常じゃねえって。 おまけに飛んでった連中連れ戻せば別の世界が存在する事や、そこで生きていく事が可能ってことが立証されるだろ? だから絶対取り戻さないといけないじゃんか」


「あー……待て。 待て待て待て。 それはつまりアレか? お前は、大隊に実験の被検体や観察対象として興味があるからこの世界に連れ戻す、ということか?」


「そーそー。 まァさすがに隊員が生きてりゃ、バラして観察ってわけにゃいかないだろうけど……それ以外なら…とは考えておりますよ? ええ」




返ってきた答えを聞いて頭が痛くなってきた。

宗方のこの考え方は相変わらずなのだが、その内容はあまりにも常軌を逸している。


いや、ゼノニウムなどという物質が世の物理法則を歪めてしまった以上、この世界の常識と言うものも徐々に曲がっていってしまっているのかも知れないが、同胞を実験対象としか見ないというのは甚だ人間性を疑いたくなる。




「それに、消えた大隊には少し気になる人もいるからさァ……これまた研究の為だからアレなんだけど、彼には死んでもらっちゃこまるんだよねぇ」


「はぁ? 誰だそれ。 お前に気に入られるなど随分と哀れな隊員がいるのだな、あの部隊には」


「いるよ~、まぁ誰とは言わないけどね。 俺の知る限りで哀れな隊員ってったら灰島クンだったかな、こないだ暇潰しで話してた、将来有望なイエーガーの子。 彼の経歴調べたけどもずいぶん悲惨だったわ、俺もう涙出ちゃうとこだったもん」


「話を逸らすな。 ……まあいい、貴様が誰に興味をもっていようが俺には関係ない。 とにかく、大隊が連れ戻せることははっきりした。 それだけで十分だ」




是枝はそう告げると宗方の肩を軽く叩いて足を踏み出した。


背後をついてくる結が一礼するのを気配で感じた。




「んじゃ~ね~剛ちゃん。 とりあえず研究所の稼働を開始した段階でメール送るから、目ぇ通しといてねぃ」




呑気に投げかけられてきた宗方の声には、肩越しに手を振って応えた。


※訂正箇所が複数あったので、誤字脱字と行の修正をしました。


本日、3月21日に総ユニークアクセスが1000を越えました!

この数は他の王道ファンタジー作品に比べれば足元にも及ばないですし、たかだか1000で何を…と思われるかもしれませんが、色々と悩んで書いてる自分にとっては己が評価されてるのだなと思えて凄くうれしいです。

毎度読んでくださってる読者の方々、本当にありがとうございます!

これからも読んで頂けるよう鋭意作成いたしますので、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ