第5話 非常事態――現状、不明 その四
―――――――年号 日時ともに不明
現在地 不明
現地時刻 JST 1820
……歳を取るとよく感じるだろう。
時間というものは意識しない限り経過するのが早いもので、あれからもう4時間が経っていた。
「あー……疲れた」
ぽつりと漏れる、ため息。
空が紺色と金のグラデーションを奏でる黄昏時。
零司は乗っていたクーガーの脇に積まれた木箱に腰かけていた。
辺りは、森も山も夕焼けのオレンジ色一色に染め上げられていて、幻想的という言葉がよく似合う風情を飾っている。
鉄筋コンクリート製高層ビルだらけの都会じゃ、なかなかお目にかかれない光景だ。
そもそも、狭い日本じゃこんな光景はまず見られないのではなかろうか?
「ダリィ、メンドい、しんどい、疲れた、ツイてない」
ぽつりともらした言葉の、『しんどい』と『疲れた』の意味が少し被ってしまっているが、零司はそれに気づかない。 それだけ疲労が溜まっているのだ。
現在、自分たちは〝ドラゴン〟と戦闘を繰り広げた丘から8キロほど移動した場所に駐留し、他の部隊と合流すべく野営していた。
野営と言っても、実質は上空からの再攻撃に対して車輌などを偽装し、周囲を警戒しつつ待機しているだけのものだが。
それでも、仲間と合流できるといのは本当に安心できるもので、零司としては一安心。
内心で胸をなで下ろしている。
状況が落ち着くことで、途絶していた通信システムもなんとか一部を回復させることができ、散り散りになっていた他の隊との連絡も一応はついている。
仲間から聞いた話によれば第二中隊、第三中隊ともに例の現象に巻き込まれた後、独立して現状の理解に努めて奔走していたようだ。
その際、第二中隊が近くに集落を発見したとのことで、大隊長がそこに部隊を集結させることを指示したらしい。
とりあえず自分たちは今夜はここで一晩過ごし、翌日、第三中隊と合流してその村へと向かう手はずだ。
(それにしても……忙しいというかなんというか、激動しかなかったな。 今日は)
50式を傍に立てかけ、山岳の合い間に沈みゆく夕陽を見つめてしみじみ息をつく。
本当に―――今日は疲れた。
暴風吹き荒れる軍事演習から帰ることから始まり、突然の第1種配備。
そのあとはわけの分からない世界に迷い込み、ゲームの主人公よろしくドラゴン退治だ。
人生を10回繰り返してもここまで異常な経験は出来ないだろう。
「幸なんだか不幸なんだか…」
そう呟いて首をばきりと鳴らす。
しばしののち、「ぜってぇ不幸だ」と漏らした呟きは優しく吹いた風のせせらぎに消された。
「よぉ。 ここにいたか灰島。 いやー、隊からお前だけ消えた時は死んだなと思ってたが……見かけ通りしぶといな」
不意に声がした。
両膝に肘をついた体勢のまま頭だけを動かして振り向く。
工藤だった。
最初に見た野戦服姿のまま、ズボンのポケットに手を突っ込んで歩いて来る。
本来なら立ちあがって敬礼するところだが、零司は気力なく左手を上げるだけでこれに応じた。
「御挨拶ですね。 生きていただの死んでいただの……でも、あえて何も言いませんよ二尉。 俺、今すげぇ疲れてるんで。 ……これが現実か夢か理解するのもやっとなんですから」
「言い草だな。 ま、とにかく生きて帰ったことは褒めてやる。 民間人を助けたこともな。 だから今は少し休め」
無駄も素っ気もない褒め言葉を寄越し、ぽんぽんとこちらの頭を叩く工藤に「了解」とだけ短く応じる。
それから零司はしばしの間をおいて、
「………二尉、自分が救助した二人は今どうしてますか?」
「ん? あの二人なら今、篠原と衛生の奴が面倒を看てる。 バイタルは少し低めらしいが大丈夫だろう、心配せんでもどっちも無事だ。 それに、懸念していた言語の問題も、日本語も通じるようだしコミュニケーションが取れんわけでもない」
「そうですか……って、ッ!? 日本語が通じる!?」
さらりと言われた思わぬ事実に立ち上がった。
隣でクーガーにもたれていた工藤に、変な生き物でも見るかのような目つきで見られたが、それどころではない。 そんな話は初耳だ。
「ちょ、どういう事ですか! 日本語が通じるって……わけ分かんないですよ!」
「あー、待て待て。 落ち着け」
何が落ち着けだ、悠長に構えやがって! 自分が言ったことがどれだけ重要か分かっているのか!
零司は噛みつくようにして言う。
「落ち着いてられないでしょうッ、言葉が通じてるんですよ!? それじゃ、ここが日本ってことになるじゃないですか!? なのに、あんな神話に出てくるような生物がいて……だいたい、今は夏のはずなのにこんなに涼しいし、俺たちは富士にいたはずなのに駐屯地も演習場も見当たらない! 一緒にいた部隊も散り時りになってる!」
それまで頭の堤防に引っかかっていた考えが、堰を切って溢れだす。
その最中も、自分なりに考えをまとめようとしてさらに混乱。
ある程度吐き出したところでようやく、
「……失礼しました。 取り乱してしまって」
「別にいい。 俺らだってまだ混乱してんだ、気にすんな」
立ち上がって頭を下げる零司を、工藤はぐいと頭を押さえつけて座らた。
それでもなお平静を装いつつ、現状の説明を要求しそうな部下の様子にため息。
気だるげにタバコを取り出して、さて何から話そうかと言わんばかりに火を点す。
大きく煙を吸いこみ一拍置いて吐き出される紫煙。
目線を零司から遠くに連なる山へと移した工藤は、
「そうだな。 お前なら……大丈夫か。 でも何から話してやろうかね」
そう切り出して咥え煙草のまま顎をなでる。
やがて、すこしの間をおいたあと、
「これから言うのは、まだ推測の域の話だ。 正確性もクソもねえ戯言だと聞いてくれて構わん。 だから黙って聞くなり聞き流すなりしろ」
零司は頷くこともなく、ただ目線を向けるだけで返事を返した。
「まったく信じられねえ話だろうが……いやま、こんな状況に置かれてるんだ…嫌でも信じるかもしれねえわな。 んーとだ、灰島。 俺らの置かれているこの状況なんだが、ひょっとしたら、どっか別の世界に何かの影響で飛ばされたのかも知れん。 部隊ごとな」
この言葉に零司は――――――固まった。
身体も思考も完全に固まった。
今、この男は何と言った?
「………は?」
「あ、やっぱそうなるか。 そうだよなー、こんな突拍子もない事を上官から言われて、信じろっていう方が間違ってるわ」
「い、いえ。 続けてください」
「ん? そう? まあ正直、詳しいことは分からんのだわ。 確かめようもないし。 こういうので似た話って言ったらタイムトラベルやらパラレルワールドやらだが、その手の事に関係してくる量子物理学の応用……物質転送やワームホールの理論、タイムトラベルの原理なんざ俺もMITにいたころ趣味でかじってた程度しか知らん。 ロナルド・L・マレットやらジョン・タイターやらの書籍でも読んだら分かるかも知れんが……ただ、分かってる限りじゃ今回のはちょっと似てんだよ」
「いや、あの……色々と言いたいことはありますが無視します。 似てるって何がですか?」
自分の知らない工藤の経歴が次々に暴露されていくことは無視して、零司は訊ねる。
「119番目の元素、知ってるだろ?」
それは知っている。
「えーと……たしかゼノ二ウムでしたか? 佐渡島防衛戦の原因ともされた元素ですよね」
当時、世界中のニュースでやっていたから覚えている。
これが発見されたのは2078年の冬。
その年に起きた地震の震源調査のためにボーリングを行っていた際、たまたま佐渡島沖の海底で採取されたのがきっかけだ。
政府がこれを公表した直後、朝鮮連邦がその海域を自国の経済水域だと主張。
当然ながら、半島の目と鼻の先にある竹島や五島列島ならまだしも佐渡島の沖は世界が認める日本の経済水域である。 そこが朝鮮連邦領であるなど冗談でもあり得ない話であり、日本はこれに抗議。
こちらが外交で話をつけようとしたところ、既に領海付近に展開していた連邦の艦隊が一方的に軍事進攻を開始した。
これが、後に佐渡島防衛戦と呼ばれる戦後日本が初めて経験する戦争である。
「ああ。 15年前に見つかったレアアース鉱脈から発見された新元素だ。 ま、コイツのせいで日本は色々と手痛い被害を被ったわけだが……そいつの持ってる特性は知ってるか? って知らねえよな、公開されてない情報だしよ」
そう言った瞬間、工藤の目つきが急に鋭くなった。
まるで、ここから先の話を聞くことに対しての戒めをするように。
零司は一瞬だけ眉間に皺を寄せ、目の前の上官を見つめる。
「ま、お前も巻き込まれたクチだ。 ちょっと教えといてやるけど、秘密にしとけよ? ……ある種の臨界時における特異的時空間圧縮作用。 それがゼノ二ウムの持ってる特性だわ」
「……時空間、圧縮?」
「そう。 理論はEFE…えーとアインシュタイン方程式に帰順するらしい。 聞いた話じゃ確か、ある場所『A』の指定した空間とある場所『B』の空間、これをくっ付けて長さを短くできるって感じだな。 これを使用すれば、既存の最先端技術が100年前のアンティークみたいに思えるぞ? 通信、物流、交通、この世のありとあらゆるものが、一瞬で別の場所へ移動可能になるかも知れないんだからよ。 考えようによっちゃ、もっと他の事にも使えるだろう」
「……あえて言いますけど、その他のものって軍事も含まれてますよね」
「ああ…もちろんな」、と工藤は答えてタバコをくゆらす。
夕陽に照らされ淡い紺色に染まった煙が、宙を流れて霧散した。
風が周囲の草をなびかせ、二人の間に沈黙が流れる。 先に口火を切ったのは零司だ。
「それで……似てるって言うのは? それの特性はなんとなく理解できましたが、本題が分かりません。 何なんです?」
「放電現象、電子機器の一時的故障、白い霧状の物質……ゼノ二ウムの臨界実験中で確認できたものだ。 そして3度にわたる実験で分かったことは、さっきも言ったようにコイツは臨界状態になると、空間と空間をくっつけて物質を移動させることが可能ということ……もう分かるだろ」
零司は苦虫を噛みつぶしたような顔で工藤を見つめた。
まったく言っている意味が分からない。
つまりあれか? 自分たちは、ゼノ二ウムが何らかの原因で臨界に達したことで別の世界に飛ばされたとでもいうのか?
アタマおかしいんじゃないかコイツ、と思う。
まあ確かに、並行世界やタイムトラベルなどは昔から映画やアニメなどで聞いたことがある。
だがそんなものは未なお物理現象として解明されていないし、理論すら論文でしかない状況。 言ってみれば机上の空論だ。
そんな夢物語のようなことが現実に起こるわけ―――
「冗談だと思うか?」
気がつけば、工藤が真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「空想や絵空事を語ってると思うか? 俺がイッちまってるって? 別に冗談だと笑ってもかまわんが……そうしたらお前、この状況をどう説明する。 ここは明らかに俺たちがいた世界じゃないぜ?」
その迫力に思わずたじろぐ。
嫌でも目で分かった。 この上官が真実を語っている事に。
「あ、いえ……そういうわけではないです。 あまりに話が突飛してて混乱してしまって…」
身をもって体験しているが故に否定できない言葉に、零司は戸惑った。
確かに工藤の言うとおりだ。
ここは自分たちがもと居た世界じゃない。
これまで通りの理屈は通用しない世界なのだ。
空を飛び火を吐くトカゲもどきに、中世を想わせる鎧を纏った騎士。
たぶん、これから先もこのようなものに度々遭遇するのだろう。
それは仕方ない事だと割り切ってしまえ、信じられないが信じるしかないのだ。
少なくとも自分たちが生きていくためにはこれに順応する必要がある。
ただ、それとは別に気になることがひとつ。
――――――なぜこの男は自分にこんな話をするのか?
部下を励まし、落ち着かせる為というわりには詳しく話しすぎている節がある。
ゼノ二ウム然り、臨界実験然り、類似性然り。
どれも一般公開されていない以上は防衛機密だろうに。
しかも政府内部門や市ヶ谷務めの背広組でもなく、戦闘職種の士官である工藤が、なぜこの情報を?
佐渡島戦以降、全面的にこのニュースを隠蔽してきている政府が情報を漏らすはずがない。 なのになぜ、この男はゼノ二ウムに関するデータを知っているのか。
零司は目の前でじっとこちらを見つめる男の瞳を見返す。
深く、どこまで潜っても答えの読みとれない黒い瞳……闇に閉ざされた深海のようなその中から相手の真意を見透かそうとする。
が、昔からの得意技であるこれをもってしても、工藤の底は見えてこない。
この男の心はそれほどに深い。 それはまるで――――――
「なんてな。 飽きたわ」
「ぇ、は? ……って、痛ッたあ!?」
いきなり工藤はそう言うと、こちらの額に「べしっ」とデコピンを食らわせてきた。
不測の事態に、かわすこともままならず間の抜けた声を漏らしてしまう。
そのせいで一瞬、瞼の裏にある光景が浮かんだが、それを邂逅するより先に文句が口をついて出た。
「何するんすか!? 思わせぶりなこと散々言っときながら!」
「だから飽きたつったろ。 お前とにらめっこしてもつまらん」
うっわひっでえ、と額をさすりつつ睨んだ。
『にらめっこの後のデコピン』
それを女の子にされたら嬉しいが、40前の男にこんなことされても全然嬉しくない。
そんなこちらを鼻で笑った工藤は、吸っていたタバコを指でもみ消すと吸殻をポケットに突っ込み踵を返す。
「ただな、俺らがどこか別の場所に移動したことは事実だ。 理由はともかくな」
途中で振り向いて、後ろ歩きしつつこちらを指さした工藤は言った。
「どう戻るのかも、そもそも戻れるのかもわからん。 ここが並行世界なんて所なのかも微妙だ。 俺らは命令がない以上はまともに動けんし、指示を仰ごうにも市ヶ谷と連絡できん。 完全に現場の状況判断に指揮が一任されちまってヤバいってのに、孤立無援だ。 これから最悪の状況で実戦に置かれる以上は、今日ぐらいの気苦労でへこたれんなよ灰島。 シャキっとしろシャキっと」
「了解、留意しておきます。 ……それと、さっきの話は? アレ全部ウソだったんです?」
その問いかけには「さぁな」とばかりに肩をすくめる返事が返された。
相変わらず飄々としていて本音を読めない上官に、思わず薄く笑みが漏れる。
この男は、こんな状況下でも全く懲りていないようだった。
「にしても孤立無援か……完全にワンマンフォースになっちまったけど、どうなるんだ?」
ふたたび一人になった零司はポツリと呟く。
呟くことで、孤立したという事がふたたび実感となって身に降りかかってくる
敵地かもしれない場所で孤立することの恐怖は、レンジャー工程で身に染みている。
それにさっきの工藤の話も気になる。
『時空間圧縮』―――そんなSFまがいの特性をもつ元素が存在するなどお世辞にも信じられないが、人間の心理というものは不思議で「信じられない」と頭で考えていても自らが体験するとそれを事実として認識してしまいそうになる。
現に零司自身もゼノニウムにはそんな性質があるのでは、と工藤の話を聞くうちに信じかけていた。
「なんてね……素人が考えても仕方ないか」
事情はどうであれ自分たちのリアルは完全に壊れてしまった、それだけは間違いないのだ。 それに対して理屈を求めても仕方ない。
いま重要なのは現状を理解し、認識し、適切に行動することだ。
つまる話、実戦をしろということ。
今までの訓練の成果を発揮しろという事だ。
「ま。 ツイてない分は、暴れるなり寝るなりしてストレス解消といきますかね」
零司は手元の50式を手に取り立ち上がる。
夕陽に照らされたその顔に、不安な様子はみられなかった。
――――――A.D.2084 7月11日
日本 東京都 新宿区市ヶ谷 防衛省
現地時刻 JST 1147
白く無機質な壁に反響するいくつもの靴音。
ひっきりなしに鳴り響く携帯電話の着信音。
ざわめきに混じり、遠くで聞こえる怒鳴り声。
普段はもの静かなはずの通路が、今は無数の人間でごったがえしていた。
書類の束を抱いたり携帯を耳に押しあてた彼らは、皆一様に焦り顔で行き交い慌ただしさが目立つ。
中には、その焦りゆえだろう。
自分と同じように歩いていた通行人に肩をぶつけてしまい、手にした荷物をぶちまける者もいる始末だ。
彼らはほぼ全員が黒やグレーの背広姿で、一見すれば、年末年始の激務でひっきりなしに職員が駆けまわる会社の社内風景に見えなくもない。
だが、中には深緑を基調とした斑模様のBDUを着た人間もチラチラと見られるあたりが、ここが自衛隊の総本山『防衛省』であることを示していた。
「まったく……まるで有事だ。 首都が核攻撃されたわけでもあるまいし……いや、似たような状況ではあるか」
通路を埋める職員たちの喧騒に混じり、低く通る声がした。
その発生源は行き交う防衛省事務官たちに混じり速足で歩く初老の男だ。
濃紺の背広には金の肩章が付けられ胸には多数の略章、階級章は桜星が4つ。
皺の刻まれた顔からは厳とした雰囲気が漂い、彼がくぐってきた往年の苦難を感じさせた。
是枝剛史陸上幕僚長―――陸上幕僚監部の長であり、陸上自衛官の最高位に位置する男である。
「んで? とりあえず今、分かっていることは他に何がある」
是枝は引き連れて歩く数人の事務官うち、後ろを歩いていた女性に向かい訊ねる。
彼女は手にしたタブレットPCに表示された項目に目をやり、
「はい。 兆候が現れたのは本日1121、佐渡島の研究所にて対象の観測中にです。 報告によれば、まだ確認段階の情報ではありますが、佐渡島防衛戦の際に生じたロバチェフスキー現象とよく似た波形が観測されており……」
「待て待て待て。 そんなどうでもいい話は頭の固い学者にでも任せとけ。 俺が欲しいのは現状報告」
「失礼しました。 手短にまとめますと事故発生は1152。 佐渡島の『コフィン』内で起こったクラスⅢのロバチェフスキー現象を皮切りに、富士演習場で臨界が発生。 これによる被害は既にご存知のとおりです。 かねてより報告されていた、富士周辺に点在するスポットに埋蔵されていたゼノニウムが、なんらかの影響で高いエネルギーをもって活性化したのが原因かと思われます。 なお、当該地域は御殿場から出動した普通科一個大隊が封鎖を敢行し、現在警戒が行われています」
「そうか、わかった。 富士に発生した『ドーム』のレベルは?」
「発現当初はクラスⅢでしたが、今後は沈静化の傾向に向かうかと」
「だといいがな……」
是枝は苦々しげに呻く。
発現水準が最大のⅢであったということは富士の平野の一部は今も『向こう』と完全に繋がっているのだろう。
自分は佐渡島でクラスⅠの物しか見たことが無いが、いま発生しているドーム越しには、まるでテレビでも見るかのように向こうの世界が映っているのかもしれない。
機会があればぜひともそれを見てみたいものだが……残念ながら、状況はそれどころではない。
日本の二か所でゼノニウムの臨界現象が起きてしまった。
これは、国内で局地的に大災害が発生してしまったようなものだ。
例えるなら原発の放射能漏れや未知のウィルスによるバイオハザードに似ている。
発生すれば現場には隔離措置が必要だし、自然消失が望めないのなら人為的に鎮静化する必要がある。
ただこの現象が他の災害と決定的に違うのは、発生の際に生じるドームと呼ばれる半球状の物体の発現レベルが高いと、起こるのが災害ではなく『戦闘』となる可能性があるということだ。
その危険性ゆえに状況が鎮静化に向かっていても軽視はできない。
まずはデフコン(防衛準備体制)の引き上げが行われるはず。
いくら平時下の日和主義で頭が緩んだ官僚たちも、5年前の教訓から事態の緊急性を身をもって理解しているはずだからだ。
国会の満場一致とはいかなくとも、大多数が今起こっているアクションへの対策を講じることは目に見えている。
それにこちらも、日本海と半島に目を向けている部隊の警戒レベルを引き上げなくてはならない。
最悪、朝鮮連邦とロシアをはじめとした敵勢力が侵攻してきた場合は、自衛軍の防衛出動もありえるためである。
というより、臨界によるロバチェフスキー現象が起きてしまった時点で既に状況的には最悪なのだが。
(チッ…まったく、ツイてない)
是枝は内心毒づく。
ゼノニウム発見とその研究が開始されてから早5年。
技術的な応用方法も見つかり、それの実証実験が開始されてようやく軌道に乗り始めたこの頃だ。
一般社会に普及可能な技術を探しつつ、防衛力への転用を企画していた矢先にこの有様である。
頭の固い政治屋たちに尻をつつかれ、調査もままならない状況で計画も早まり、その最中に臨界で〝あの〟練馬の第一大隊が巻き込まれるとは……運が良いのか悪いのか。
もしかしたら、この事件は神様だのなんだのに仕組まれていたんじゃないかと思えるほどタイミングが良い。
(おかげで市ヶ谷は上から下まで大騒ぎだ)
そんな中で第一大隊の救助をしなければならないのならば、やはり、方法はひとつだろう。
「消失した第一大隊とその後連絡はついたか?」
「いえ……富士演習場で消息を絶って以降、第一大隊との連絡はとれておりません。 捜索に出た部隊が、ドームに向かう車輌の軌跡を発見していることから……恐らくは…」
「やはり巻き込まれた、か。 うまく飛んでいればあっちで生きているだろうが……とりあえず『コフィン』の技研にいる宗方に連絡してくれ。 佐渡島のドームから第一大隊の救助は可能か、ってな。 それとオリエンタルシールドで共同するはずだった米陸の部隊はどうなった?」
頭を悩ませる問題のうち、下手をすれば外交にも響く物の現状を尋ねる。
知っての通り、オリエンタルシールドは自衛軍と米軍の実働部隊演習だ。
第一大隊がまるごと消失したのなら、あの場所にいる海兵隊にも何かしら影響が出ていてもおかしくない。
そうなればますます事態は混乱するため、問題ないという返事が欲しいところだが……
「問題ありません。 参加予定であったアメリカ陸軍第141歩兵連隊第三大隊は、中止勧告が出た段階で既にキャンプフジまで帰還しています。 御殿場の話をうかがう限り、当時の気象状況であれば彼らが第一大隊の消失とゼノニウムの臨界を目撃した可能性は、極めて低いとのことです」
隣を歩く女性事務官は、タブレットの画面に目を落としてパネルを操作して答えた。
是枝は内心でガッツポーズを取る。
米軍が被害に巻き込まれていないとなると、まず懸案のひとつは解消されたわけだ。
「よし。 以降、富士のドームは決定ありきまで24時間体制で警備する。 どうせ中国や朝連がしゃしゃり出てくるのは目に見えてんだ、さっさと手を打っちまおう。 それと大森防衛大臣は?」
「現在、議事堂に向かっておられる最中です」
「分かった。 なら俺らも後を追うぞ。 野党がしゃしゃり出てくる前に話を付ける必要がある」
「分かりました」
それだけ言って早足で歩きながら、是枝はやれやれといったように頭をくしゃくしゃと掻いた。
「せっかくの休暇がパーだ。 今日は息子夫婦の家で久しぶりに羽目をはずして過そうと考えていたのに……まったくどうしてこうも運が無いかな、俺は」
「心中、お察しします」
あくまで事務的に引き腰で答える女性に向かって、是枝は振り返りざま「ウソつけ」と言った。
それを聞いて、従えていた数人の事務官たちも薄い笑みを浮かべる。
階級や立場の関係なくこうして話せるのは是枝が持つ人柄と人徳、そして結果論を重んじ階級にこだわらないという思想ゆえだ。
そのため是枝の周りに集まる人間は自然とエリミネートされ、現在の構成となっていた。
彼、彼女らの多くは国防という同じ思想の元に是枝の元に下り職務を共にしている。
戦闘職種の自衛官たちが自分の隊を家族のように想うのと同じように、彼らも家族のような結束力をもってこの『チーム』に属している。
「非常事態だ、仕方ない。 休暇は返上、気合入れていくぞ」
力の入った是枝のその言葉に、引きつれていた事務官たちは威勢よく返事をした。
第5話、いかがでしたでしょうか?
作者としては、話がトントン拍子で進みすぎていないかと気が気でないです。
おまけに構文や設定が甘すぎやしないかと…ホントに心配で仕方ない状況でして…
皆様は読んでみてどうでしたでしょう?
最近、ちょっとは文の作り方がうまくなったか? と思ったこともありましたが、儚いかな、ひと時の思い上がりでした…
次話も持てる力を総動員して書きますので、よろしくお願いします。