第17話 一偵、状況開始――王都へ その三
電撃的とも言えるウェイバーの登場によって、零司が引っかき回した一件はあっけないほどに幕を下ろした。
いや、彼を前にしては当事者たちが下ろさざるを得なかった……そう言った方が良いかもしれない。
突如として、目の前に元老議員―――自分たちの世界感で言うところの閣僚が現れるというインパクトは、牽制で張りつめた場の空気を霧散させるに足るものだった。
クリストにトドメを刺せなかったのは心残りだが、これはこれで、自分が向かわせようとしていたエンディングより良い終わり方を迎えられたと思う。
ウェイバーはその後、クリストに重い処罰を言い渡すわけでもなく、フランクに一言二言話して「追って指示を出す」と告げて締め括った。 次にティアたちと軽い会話をした後、困惑する零司たちに振り向むくや、
「それでは行きましょうか。 先ほど使い魔を送らせましたので、今頃は国王陛下も貴方がたを迎え入れる準備に入られているでしょうから」
見ている方が安心するような笑みを浮かべて、彼はそう言い放ったのであった。
◆ ◆ ◆
それから30分と少し。
無事に城門の関所を抜けた零司たちは、先を行く騎士の背後を追って大きな通りを徐行していた。
幅が30メートルはあろうかという大通りの両脇には多様な商店が所狭しと並び、行き交うトレンスタの住人達で活気づいている。
日を鈍色に反射する工芸品を売る雑貨屋、香ばしい香りを周囲一帯に漂わせるパン屋、割腹の良い男が店主の肉屋などなど。 数えはじめたらキリがないそれらは、この巨大な街を築いているピースだ。
また道を歩く人々の格好は様々で、それがこの場所が人と物の行き交う都市である事を物語っていた。
ただ彼らは共通して、何か珍しい物でも見るかのような好奇の視線をこちらに向けては、指を指したり何か話たりしている。
その理由は……言わずもがな。 自分たちの存在だ。
現代でも、公道を装甲車が走っていたら人々は興味をそそられる。
つまりはそういう事。
自動車という存在が確認されていない(少なくとも自分たちの知る範囲では)この世界ならば、馬に曳かれない車というものは至極珍しい光景なのだろう。
おまけに、自分たちを先導するのが白い外套に身を包んだ近衛騎士たちというのも目を引く一因だ。
「となりゃ、目立たない方が無理か」
窓枠に頬杖をついて、後方に流れていく風景を眺める零司は、ぽつりと呟いた。
高機動車が、赤レンガで舗装された街道の轍を踏んで小さく跳ねる。
頬杖をつく零司もシートの上で小さく跳ねる。
まぁ、人目につく事が全部悪いというわけではない。
どうせ後々には人心掌握や現地協力工作などもするのだ。
敵地でもない限りは目立っておく事も悪くはない選択だとは思う。
そうやって、何気なく続く問題提起と解決。
門をくぐってから20分もこれを続けていると、さすがにネタも尽きてくる。
隣の同僚たちは健気に外を眺めて喜んではいるが……
やがて零司は、後方に流れていく風景の中からこちらを攻撃しようとしている者はいないかどうか探そうとし始めて―――
「ハイシマ殿。 どうですか、この街の姿は? エストリアの顔だけあって、隅々まで手入れが行き届いているでしょう?」
せっかく思考の海に潜ろうとしていたところを、横柄な声に引きずり上げられてしまった。 しかもそれは、自分に向けられているので無視する事も出来ない。
零司は困ったように眉を寄せて声のした方―――高機動車の中席に座るウェイバーへと顔を向けた。
「……そうですね。 自分はまだこの世界に来て日が浅いので、あまり街の景色などは知らないのですが……確かにこの街の城壁や、建築物のほとんどを白で統一した景観などには驚嘆します」
「ふふ。 そうでしょうそうでしょう。 エストリアでの白色というものには、教皇より授かりし魔を払う色という意味合いがあるのです。 そのため、こうして街全体を白とすることで邪悪なるものを近寄せないという意図が折り込まれているのですよ。 それに、この付近では建築に使用する石材に白い成分が含まれているので、そういう理由でも物が白くなってしまうんですね」
丁寧に、歴史と文化的な方面から説明してくれるウェイバー。
なぜ前を走る騎士たちと共に馬に乗らなかったのかはともかく、さすがは現職議員といったところか。 知識の幅は大いに広そうである。
それにしても位の高い者から授けられる色とは……どことなく冠位十二階を思い出す。
公用語も日本語なのだし、キリル文字に似た言語も含めて元居た世界と何か関係があるのではなかろうか?
ポーカーフェイスで受け答えする零司の傍ら、
「あ、そういえば。 ちょっとニュアンス違うんですけど、魔を払うって言うと零司……ハイシマの背中に現れた紋章にも、何か意味があるんスか? たとえば、召還者だけの特別な意味とか。 さすがに、ひねくれ者のコイツに魔を払うなんてご大層な力はなさそうですけど」
「……悪かったな、ひねくれてて」
自分とウェイバーが話しているところに、隣に座っていた手塚が割って入ってきた。
口の悪さは相変わらずだが、言われてみれば確かにそうだ。
古来より壁画やマークには何かしらの意味合いが含まれているものだ。
ファンタジー物の小説やゲームでも、決まって主人公に現れる(自分が主人公だとは冗談でも言いたくないが)刻印には『勇者なんとか』や『エターナルどうたら』のような、いわゆる聖なる部分が盛り込まれているものである。
ならば自分の背中に現れたコレにも、何かしらの意味はあるのではないだろうか。
数日の激動でティアたちには訊きそびれていたが、今ならばタイミングも悪くない。
それにウェイバーは過去の召還にも関わっている。
知らないという事はないだろう。
手塚の質問に便乗する形で、零司も前席に座るウェイバーに注目した。
「ふむ……そうですね。 クリフォードさんから、何かお話を聞かされてはいないのですか?」
「えぇ、まぁ。 何と言いますか、ちと色々と問題があったもんで」
「おや、それはそれは。 ならば僭越ながら私がご説明しましょう。 と、普段ならば意気込んでお相手したいのですが……実は、貴方がたの期待を損なうようで正直申し上げにくいのです」
ウェイバーが切り出した言葉に、手塚と揃って顔を見合わせた。
「いやま、どうせ傷つくのってコイツだけですし言っちゃっていいですよ? むしろ泣かしてやってください」
「………貴様」
「あはは……では、お話しましょうか。 ハイシマ殿に現れた召還者としての印、これには少し気になるところがありまして……私が見る限り、貴方に現れたルーンの紋章は少々特殊なのです」
困り顔でそう告げたウェイバーに、思わず二重の意味で片眉をつり上げてしまった。
異世界にドラゴン、騎士にお姫様で自分の背中に現れた物がルーンときた。
(以前ゲームをしていた手塚の言っていた事が正しいなら)ますますもってファンタジー臭い感じだ。
まぁ現実的に話せば、元の世界でのルーンはゲルマン語の表記に利用された文字体系である。
その特殊な形や伝承などで、多くの人々に神秘的な文字と思われがちだが、これは過去の日常でも多く使用されていた何の変哲もない文字なのだ。
今でこそ様々な意味を付与され、占いを始めとした使用の幅は広いものの……所詮、言葉に意味なんてない。
しかし根本的に異なりつつ、どこか共通点のあるこの世界においてのルーンはどんな意味を持つのか……
何にしても、自分の後輩と隣人が泣いて喜びそうな展開である事は確かだ。
零司は話がこじれそうなので手塚の代わりに尋ねると同時、いつ爆弾発言が飛び出してもいいように工藤と無線を繋いでおく。
「特殊……とは? 何か普通では無い部分が含まれているのですか? それ以前にルーンという言葉を我々は知らないのですが」
「おや、ルーンをご存じないと?」
「はい、というわけでもないですが……我々の世界でのルーンとは、古代の言語体系のひとつとして認識されています。 ですが、この世界でも同様の意味を持っているとは言い切れないので」
「そうでしたか……いや、そうですね。 貴方がたは異世界から来られたのですから、我々の常識で話すわけにもいきませんでした。 この世界のルーンも様々な意味を宿すという点では同じですが、単体の羅列では言葉を成さず、複数のルーンが一纏まりになった結合形態を取ることでひとつの意味を持ちます。 例えば、十字のルーンと矢印形のルーンがあり、これらを重ねて組み合わせると武人の意味を持つ、といったようなものです」
ウェイバーは身ぶり手ぶりも交えて、ルーン文字について説明をしていく。
そのおかげで曖昧な理解ではあるが、なんとなく分かったような気がする。
つまりこの世界でのルーン文字とは、自分たちが知る漢字の作りと同じようなものという事か。
高機動車が道を曲がり路面状態が変わったのか、車体がやや小刻みに揺れ始めた。
「なんとなく、この世界のルーンがどういうものかは分かりました。 ですが、それが特殊というのはどういう意味ですか? ルーンの組み合わせに何か問題でも?」
「いえ、そうではなくルーンの現れ方が変わっているのです。 先ほど、こっそりとクリスト隊長との会話を拝見させて頂いた時にハイシマ殿の紋章を見ましたが……アレは、一つの意味にもう一つの何かが重なって描かれていたので…」
「っつーとなんだ? ダブりか?」などと手塚がぼやいたので、零司は肘で小突いて黙らせる。 取りつくろうように咳払いをひとつ交えて、
「重なっている……ルーンさえ現れているのであれば、召還者として問題ないのでは? それとも重なっていると何か不都合が…」
「不都合……と言えば不都合かもしれませんね。 ルーンは、異世界から呼び出された者や私的な契約を結ばされた者にしか現れません……そして、意味を持つ場合の形紋章は限られています。 記号が混ざり合って形作られるルーンの紋章ですが、それが同時に二つの意味や形状を崩すと言う事は絶対にあり得ないものなのです。 それに、二つ重なる事や紋章の形が崩れるような事があれば、本人には悪影響が現れ、最悪……契約を結んだ者にも…」
困り顔でウェイバーは言う。
つまりこの場合は何が一番マズイのか。
彼の言わんとしている事を読みとるべく、零司は思案する。
思いつく限りで考えた結果―――恐らく、召還で呼ばれた自分にハッキリとしたルーンが現れていないため召還者という確定戦力として使えるかどうか怪しい、という推論に至る。
確かに自分の知る限り、エストリアは藁にも縋る思いで召還者がもたらす力に期待している節がある。 今回の召喚は、その感情が積もり積もって実行されたのだろう。
しかしその召喚が、妙な奴が現れただけで魔王軍に打撃も与えられず、肩透かしで終われば色々とマズイ。
自分たちの予定しているトレードも、ティアの立場も、ティアに召還を任せた王の威信も。 この一件に関わった全ての者の立場が危うくなり、予定されていた未来が書きかえられる。
それらはあくまで素人なりの予測でしかないが、筋は通っているような気がした。
もうひとつ。
契約がどうこうと言う部分。
たぶんこれは召喚者と、召喚者を呼び出した人物が結ぶもので、召喚者を使役するために用いるのだと思う。
が、自分とティアはそれらしい話は全くしていない。
彼女は素人目にも人が良すぎるため、使役するための契約ならばその旨を伝えてくるはずだ。 しかしその動きが無いのならば、契約などと言う物は結んでいないと考えても問題はない。
これらを頭で整理して、零司は口を開く。
「つまり話を纏めると、召還者として絶対にあり得ないはずの事が起きている俺が、本当に使えるかどうか分からない。 だから国王や議員たちが、何かこちらに都合の良くないことを言うかもしれない……という事ですか?」
「言いづらいですが……その通りです」
苦々しげなウェイバーの答えに、苦い物を噛んだ顔をした。
早速、雲行きが怪しくなってきた。
今回の作戦の肝は、自分が使える人間であることを国王達に見せつけることだ。
それをルーンで証明出来ないとなれば、作戦の根本を練り直さねばならなくなる。
だが、所謂『よそもの』である自分たちの立場ではチャンスは今回の一度きりしかない。
畜生。 少しはトラブルも休暇を取ればいい、と思う。
予想だにしていなかった問題のせいで、状況は思っていたより厳しい物へと変化しつつある。 会話を通していた無線からも、レシーバー越しに『キツイな……』という工藤の呟く声が聞こえた。
零司は、ヘッドセットのストラップで覆われている顎に手をやって思案顔で足下を見つめた。
個人的な考えだが、この世界に人間たちに魔王側の兵を倒せるのならば、自分たちも同様に敵と戦えると思う。 未だ敵の情報は入手していないが、相手がドラゴンのように実体を持ち、切られて血を流すのであれば間違いなく殺せるだろう。
そこで問題回帰。
今回の論点は、召還者がエストリアの戦力の一部を担って魔王側に打撃を与えることにある。
要は敵を殺せるだけ殺して、エストリア軍の橋頭保を築けばいいという事だ。
単純な話、それだけであれば自分たちは悪鬼の如し獰猛さと、陣風のような俊敏さで戦場を蹂躙することが出来るはず。
そうすれば目の前のコブは消える。
危険を冒して敵を倒す事と引き換えに、自分たちはある程度の発言権と食住の確保を要求するのだ。
だが、それをやらないのは装備の使用を極力控えなければならない事と、この世界への軍事的干渉を避ける必要があるからで……ローリスクハイリターンを狙うには、やはり交渉のどこかで一度、大きく動く必要があるのか。
零司がそうやって頭をひねっている時、真上から声が降って来た。
「あの、灰島二曹。 なんですかねアレ?」
声の主は、ターレットに着いて50口径のグリップを握っている久坂だ。
物思いから引き戻された零司は怪訝そうに上を見上げ、
「アレって何だ? 気になるものがあったんなら具体的に報告しろ」
「あ、失礼しました灰島二曹。 報告します。 前方1時、120m先。 白い壁に黒い梁、高級そうな商店。 店先に幌付き馬車。 その前にいる人が……何でしょうか? ロープみたいな物を振り回しています。 脅威度はなさそうですが、一応報告として」
「はぁ?」
訂正後もいまいち要領を得ない久坂の報告に、零司は明け放ったサイドウィンドウから頭を出した。
途端に、今まで気にならなかった街の喧騒が鼓膜を揺らす。
雑踏溢れるその中を零司は目を凝らして見つめた。
街道を騎馬に導かれ、ディーゼルエンジンの音を響かせて進む高機動車。
その進行方向には、確かに久坂の指摘したものと一致する商店の姿が確認できた。
傍目にもその店はかなり高価な商品を取り扱っている事が見てとれ、店の前に掲げられた看板は、端々に銀細工のような豪奢な装飾が施されている。
そして確かに、軒先に止まる荷馬車の前に何かを振り回している男がいた。
暴れているわけではないのか、憲兵の姿はない。
さすがに自慢の2.0の視力と動体視力をもってしても、手前を行き交う人々で合い間合い間しか見えないが―――
「こっちは見えてきました……アレは、……ぇ?」
久坂の声音に、何か信じられない物を見たかのような音が混じる。
なぜ疑問の声を上げたのか初めは分からなかったが、高機動車が商店に接近し、こちらもその光景を目の当たりにして納得した。
「………おいおいおい、何やってんだアレ。 冗談だろ」
「…………」
呻くような手塚の言葉に答える者はいない。
視線の先―――そこでは、女性が男に鞭打たれていた。
男は身なりも整っていて上流階級の身分か何かだと思わせる風体だが、対する女は酷い。
身にまとっているものと言えば、薄汚れて破けたガウンのような布のみで、洒落や冗談でもまともな格好をしているとは言えなかった。
破けている箇所からは本来隠すべき場所が露出しているうえ、手足には擦りむいて出来た傷が赤々としている。 首には金属製の首輪がはめられ、両足にも枷が掛けられていた。
人が持つべき人権など欠片も存在しないかのように扱われる女性。
彼女が一体なにをしたのかは知らないが、なんとなく状況は理解できる。
以前、人権学習の時に写真で見たから分かる。
アレは、
「奴隷商ですねぇ」
こちらの考えを読みとったかのようなウェイバーの呟きに、目の隅がヒクついた。
彼は同じように窓から身を乗り出し、さもどうでもいい事のように言った。
「こんな白昼から奴隷の販売に来るなど……どこの田舎から上京してきたのかは知りませんが、後で憲兵隊に注意をしておかなければ。 あれほど時間帯と場所を考えろと申し立てたと言うのに……お目汚ししてしまって申し訳ありませんね、皆さま」
先ほどと同じ、悪意のない涼しい顔であっけらかんと言い放たれる謝罪に、零司は無表情に言葉を返す。
「……お気になさらず。 ところで……ひとつ伺いたいのですが、この国には奴隷制が?」
「ええ、そうですよ。 この国と言わず北方―――ノーザニアの諸国はどこも、奴隷制が認められています。 なにせ彼らは便利ですから。 知性をもって動く事が出来る道具があれば、誰しも労働力や嗜好品として欲しがるものなのですよね? つまりはそういう事ですよ。 それに、奴隷制は過去よりずっと続いている事ですし」
この時ばかりは、本気で目の前の男の正気を疑った。
人が嗜好品?
あり得ない単語の組み合わせに脳みそが一瞬フリーズする。
人をアクセサリーや物として見て、違和感や抵抗感は感じないのか?
一気に頭の中が冴え渡り、思考がクリアになっていくのが分かる。
「ん? どうされましたハイシマ殿」
それはこっちのセリフだ。
常に柔らかな物腰で穏やかに感じていた彼の雰囲気も、笑窪をつくるシニカルな笑みも、今となっては得体の知れない仮面か何かとしか見られない。
胸の中がすっと冷たくなり、人を物としてしか考えていないウェイバーへの反感が熱となって腹の底を熱くし始める。
決してその片鱗を表情に出さないが、代わりに車内の空気が一気に張りつめた物へと変わった。 その原因の主たるものは、となりの手塚と冴木。
零司は彼らの代わりに静かに口を開いた。
「嗜好品ですか……この世界では、人の命は消耗品と同じものなのですか」
「いえいえ、人の命は儚いものですよ。 生命とは、唯一神が我らに与えてくださった至高の器ですゆえ、断じて粗末に扱う事はいたしません。 ただし奴隷はその枠に当てはまらないのです。 彼らは奴隷商人が売る商品なのですから」
瞬間、手塚が小さく「コイツ……」と呟いたのが聞こえた。
言いたい事は分かる。
零司自身、今すぐにでも怒鳴って反論したいところなのだ。
ただ今は、先ほど考えていた内容を思い出して歯を食いしばって耐える。
「……奴隷制を疑問に思った事はないのですか? 彼らも同じ人間ですよ」
「面白い事を仰りますねハイシマ殿は! いやいや、奴隷制のどこに疑問を抱けばいいのです? 便利で良い物ではないですか。 奴隷は我々の身の回りの世話をする良い労働力です。 彼らは鉱山で魔力結晶を掘り出し、家事の手伝いをし、時に戦力として戦場を駆ける。 確かに彼らも人間ではありますが、それ以前に人として在る事を捨てた者たちがほとんどです。 確かに、中には奴隷に身を落とさなければならなかった者も多いですが……奴隷は奴隷でしかないもの。 どのような事情があれ、物は物なのです」
あまりに淡々と語られる、元の世界ではあり得ない考え。
人が道具として扱われて当然……どのような常識で物事をとらえれば、そんな歪んだ思考に行きつくのか。
この世界に元の世界の常識は通用しないのは知っていた。
だが、道徳観すら異なるものであるとは思いもよらなかった。
目の前では奴隷の女性が何度も〝商品に傷がつかない程度の力加減で〟鞭打たれている。
肌を叩かれる音が響くたび彼女の悲鳴が周囲にこだまするが、通りを行く人々は不快そうな顔をするばかりで何もしない。
まるで、言う事を聞かない犬が主人に躾られているようにしか思っていないのか、彼らはそれを当たり前の事として受け入れているようだった。
ただ、奴隷商の隣に止まっている幌付きの荷馬車の中からは、怯えた目で外の光景を伺うまだ若い奴隷たちの姿がある。
その一人と目が合った時、一瞬だけ過去の自分が憎んだ情景が目の前によみがえって消えた。
熱の色が、赤から青に変わる。
「……なるほど、そういう考えですか。 ですがあの男、随分と女性に鞭を打っているようですが止めなくても? 市民にもアレを快く思わない者がいると思いますが」
「後ほど警邏の憲兵が来るでしょうから、わざわざ止めに入る必要などないですよ。 それに鞭打たれると言う事は、恐らくあの女奴隷は途中で逃げようとしたのでしょう。 大方、路地が多いこの辺りならば逃げ切れると思ったようですが、運悪く商人に見つかってしまったのでしょうね。 何にしても、主の言う事を聞かない奴隷は躾けられて当然ですよ」
零司は大きく目を見開いた後、すっと目を細めてウェイバーから視線を外した。
途中まではこの男を説得して商人に声を掛けさせようと思っていたが、無理だ。
ロジカルな話をしようにも、この世界とは考え方が根本から違う。
だったらこうして話すこと自体が無意味だ。
そう考えた零司は、ドライバーシートに座る隊員に向って一言。
「車を止めろ」
冷めた声で告げた瞬間、ヘッドセットから声がした。
『止めろ灰島。 勝手な行動はするな』
工藤だった。
零司は眉間に皺を寄せ、ヘルメット側面のPTTスイッチを押しこみマイクに話しかけた。
「工藤二尉、これが一身上の身勝手な行動だとは理解しています。 これによって国王の元へ向かう時間が少し遅れる事も、最悪、この世界に人間たちの自分たちへの不信感を抱かせる可能性がある事も重々承知です。 しかし、自分はアレを見過ごす真似はしたくありません」
ほとんど勢いで喋っていた。
かなり馬鹿な事を言っている事もわかっていた。
顔が熱く、背中もこもったような熱を帯びている。
はっきりと分かるくらいに頭に血が上っているが、脳は論理的に働いていて、今から商人に怒鳴り込む事がいかに問題のある行動であるかもしっかりと認識している。
だが、いつになく元気な視床下部が論理的思考を押し退けて、動け動け、と視床に命令を出していた。
工藤は、そんなこちらの言葉に小さくため息をついて、
『うるせえよ。 こちとらガキの戯言に付き合ってるヒマねぇんだ。 お前さ、ただでさえさっきの憲兵との会話で地雷踏んでるってのに、ここで更に面倒引き起こす気か?』
「先ほどはそちらから現場での権限を一任されたので最善の行動を取ったまでです。 それに、今回も問題は起こしはしません。 あの商人に早急にこの場から立ち去るように話を付けるだけです」
『あぁ? 最善じゃねえよ、俺が黙って見てやってただけだ。 まぁ確かに、さっきは俺もお前に現場での判断を任せた。 だがお前のとった行動は、隊を危険に晒しかねん軽率な行動だったろうが。 一方的に主義主張を相手に押しつけて黙らせる……それってイジメじゃん? ナンセンスだよ、灰島。 お前らしくない』
嘲るような声音に苛立ちが増す。
知ったような口を聞くな。 零司は内心で工藤を罵る。
だが言われてみれば彼の言う通りであるのも事実だ。
自分も〝良識ある〟人間である以上、奴隷などと聞いて心中穏やかで済むはずはない。
しかしここまで苛立ち、神経をささくれ立たせる事は数日前までなかったように思う。
感情を燃やしても常に理論的に動くのが灰島零司ではなかったか?
そう頭の端で考える零司の鼓膜を、工藤の声が揺らした。
『俺たちは大隊の意向を任されてココに来てんだ。 それを無碍に扱う気か、お前』
静かに告げられて、ようやく熱くなっていた頭から熱が引いていった。
零司はそれでも工藤に反論しようとして、瞬間、門の前で自分自身に言い聞かせた言葉を思い出す。
『何としてでも成功させる』
これは自分だけの問題では無い。
隊の300を超える隊員たちの命が課せられている任務。
普段ならしっかりと物事の根底に据えて理解しているはずの事を、今さらになって思い出した。
「…………」
黙り込んだこちらの意図を読み取ってか、工藤は『それでいい』と告げた。
ちょうど、高機動車が奴隷商人の荷馬車の隣を走り過ぎ、開けた窓から聞こえていた鞭の音と女の悲鳴が背後に流れていく。
隣の手塚が懐疑と非難の目でこちらを見やり、ハンドルを握る隊員が「どうします?」と尋ねてきた。
どうするもこうするも、やるべき事は決まっている……割り切って容認したくはないが、変えようがない事実だ。
零司は下唇を噛みしめて、
「止まらなくていい。 このまま騎士隊に続け」
「お、おい零司!? いいのかよッ!?」
驚きを隠せない様子の手塚に、小さく頷く。
「見過ごす真似はしたくない……だが、今助けに行く事は出来ない。 先頭車が止まれば後続も止まる事になる……そんな危険は冒せない」
「危険だ!? んなわけねえだろッ! 虐げられる奴を助けて、それを訝しんで手ぇ出してくる奴がいるわけない! だいたいお前だって―――」
「―――手塚」
怒りを露わにして怒鳴る同僚に、零司は静かに目配せした。
それが含む意を汲み取ってか、手塚は勢い余って腰を浮かせた体勢のまま止まる。
しばしの間そのままで時間が過ぎ、やがて乱暴にシートに座りなおした。
相変わらず人の良い仲間だ、と思う。
こちらの過去を知る彼ならば、何を思ってどうしたいのか僅かな動作でも分かってしまうのだろう。
しかし、工藤も言ったようにこの場に私情は持ち込めない。
それが客観的に見て人道的に正しい事でも、公務の中で動けない事もあるのだ。 過去の自衛隊のイラク派遣や海賊問題の対処のように、法的な許可があっても出来ること出来ない事がある。
たぶん……今がそれだ。
車内には気まずい沈黙が流れ、それでも白衣の騎士たちに導かれる自衛軍車輌の列は、レンガで舗装された道を行く。
事情を読み込めない様子のウェイバーは小首をかしげて零司らを見回し、奴隷の悲鳴は後方から微かに聞こえるのみとなっていた。