【創作論】掌編書きの語る「面白い」という機能
面白いとは何か。
恐らく様々な意見が噴出することだろう。評価軸も十や二十で済まないかもしれない。
そこでボクはショートショートを書く上で面白いとは、「そう感じさせるための技法」であると仮定することにした。
まずエッセイでなら、どうすれば面白くなるかは明確だ。
何個かの条件がある。すなわち、新しいこと、他にない珍しさ、個人的な体験、といった辺りか。
ここらの条件を満たした文章を書いておけば、たいていは面白くなってくれる。
ただしエッセイと小説とは、読まれ方が違う。
エッセイは、目的があって読者の方から来てくれる場合が多い。
料理について、観光地について知りたいといったように。
エッセイの面白さを小説に、そのまま当てはめるのは無理な話だろう。
そこで「面白さ」について、もっと抽象化された、根本のところを探ってみる。
するとシャノンの情報理論が参考になった。
例えば未来からタイムトラベラーが来て予言を残す。
「明日は晴れだ」
天気予報でも確かに明日は晴れと言っている。
この情報に価値はあるだろうか。あまり意味はない。普通に当たったね、というだけだ。
しかし天気予報では台風で嵐だと言っているのに、晴れだと予言されたらどうだろう。きっと貴重な情報となるはずだ。
このように情報の価値というのは、送り手と受け手で状況が変われば、同じ情報からでも得られる「情報量」は変わってくる。
ならば小説において情報量を決定づける条件とは何か。高い情報量を作るにはどうするか。
いくつか手段はあるが。ボクは特に大きな二つの技法を挙げることにしよう。
すなわち「謎」と「期待に応える」ことだ。
小説の面白さとしての「謎」は皆も理解しやすいだろう。
パンはパンでも食べられないパンはなーんだ。フライパン以外で。
と問われてしまったら、思わず答えを求めてしまうのが人間の習性だ。人間は好奇心の塊で、謎解きが大好きなものだ。
(余談だが上記のなぞなぞは、特に答えとか考えずに作りました)
さらに謎の答えに意外性があれば、より面白くなる。
謎はそう簡単に解けないくらいの方が面白いし。当たり前の解答では情報量が少なくなる。
謎と意外性は、情報量を作り出す大きな武器だ。
これに対して「期待に応える」とは、どのようなものか。
読者は先の展開を予想しながら物語を読む。ボールを投げると、ちょうどこの辺りに落ちるというのが想像できるように。物語もこの辺に落着するという想像ができる。これを「期待の放物線」という。
ならば、読者の欲しくなる情報を単に出してやれば構わないのかというと、塩梅が難しい。
当たり前のことを書いただけでは、情報量が少なくなる、つまりは面白くない。読者に情報を欲しくさせなければならない。
そのために例えば欠乏感を煽る。期待と欠乏で行き来させる。顕著な例がポルノだ。
例えば、美女が最初からエッチな格好をして仁王立ちでは、欠乏感が煽れない。可愛い美少女が恥ずかしがるのだけど……と期待させる。
エッチだけでは情報量が少ない。情報量の多くなるエッチを作ってやる。
ポルノも実は高等技術によって作られている。
また「サスペンスとクリフハンガー」も「期待に応える」の一種かもしれない。
キャラクターが崖から落ちそうだ。次どうなる。生き残るに決まっている。そこを展開がどうなるか、分からなくさせる。ハラハラドキドキさせる。途中に意外性があっても、情報量が増えて良い。
以上を踏まえて、期待させ、問いかけ、意外性で驚かせるといった種々の手練手管を使い、「面白い」の機能だけを短い中へ詰め込んだのが、ショートショートということになるだろう。
だからショートショートは小説練習にとっては最適となる。
もちろん他の「面白さ」は存在する。ここで紹介したのは、あくまでボクの考えた原理としての「面白さ」に過ぎない。
例えば謎は謎でも、自分はミスリードこそ面白さの根幹だ、なんて主張する人もいるだろう。
ボクはそれを否定しない。どんどん「面白さ」のバリエーションは増やしてくれ。世の中が豊かになる。
ただ、長年練り込んだ設定も、天啓のようなアイデアも、鮮烈な個人的体験も、全ては情報の出し方ひとつ。
語り方を間違えれば駄作となるし。どこかで見たテンプレートなアイデアも、名作になってしまうもの。
果たして自分が語ることは読者にどう受け止められているのか。想像し配慮する癖を身につけるのが、よき小説書きへの唯一の道じゃなかろうか。




