とある儲け話
体が重いのは、濡れているからだ。
痛みはない。死んでいるから感覚が存在しないとも思ったが、その感覚は濡れているという感覚がある時点で矛盾している。背中の感覚はじゃりじゃりしていて、水とは似ても似つかない。それが砂粒だと分かるまでに体感数時間はかかった。意識がまだ自分が生きている事に気づいていないのだろうか。
「…………」
いや、やっぱり体は痛いかもしれない。あんな高い所から海に叩きつけられて生きている方がおかしいのかもしれないが、とにかく幸運だった。全身がバラバラに引きちぎれそうな痛みを除けばこれ以上ない結果だ。
「よお、まだ生きてるか?」
「…………誰だ?」
「声で分かれよ! まあここは明るさがなんもねえからな。でも音で大体の場所は分かるだろ。ここはどこぞの海岸で、俺達は砂浜に流れ着いた運のいい死にぞこないさ。緊急着陸、無謀だったな」
「……名前」
「あ?」
「名前を聞いてなかった」
正体は分かっている。記憶のない俺を親切にも案内してくれた囚人だ。しかし記憶喪失に始まり王都の火災、飛行船の墜落と慌ただしくなる事ばかり続いた。お互い名前を紹介する暇はなかった。まあ俺は、自分の名前も分からないけど。
波打つ潮の音の中、暗闇で青年が声に出して相槌を打つ。
「そういやそうだったな。こういう時は互いに自己紹介するもんだ。俺の名はリンドウ。お互い罪人だ、名前だけ分かれば十分だろ」
「……俺は」
「待て待て。名前が思い出せないんだろ。にしても名前がないのは不便だからな、俺が名付けてやる。ロストだ。思い出すまでは勝手にそう呼ばせてもらうぜ」
「ああ、それでいい。思い出したら真っ先に教えるよ」
隣に座り込む音。雲に隠れていた月が僅かに姿を現わし、青年の顔を照らした。俺を見て笑っている。裏がないかと言われたら怪しいが、どんな理由があれ俺を助けてくれたのには感謝しなければ。
「早速だけど教えて欲しい。俺が記憶を取り戻すにはどうすればいい?」
「おー、そんな話もしたな。だけど簡単な話だ。儲け話を追えばいい」
「?」
「俺達囚人があの飛行船に行ったのは、ある儲け話に乗ったからだ。詳しい話はまたおいおいするが、俺に手を貸してくれりゃそれでいいよ。言っとくが騙してなんかないぜ? 俺がお前を連れて行ったのはお前も同じ囚人だから―――つまり元々お前もその話には乗ってた筈なんだ。何で乗ったかまでは知らねえけどさ、追ってた方が思い出す可能性も高そうだろ。適当にほっつき歩くよりはマシだと思うけどな」
俺が……儲け話に乗った?
そこまで言われても記憶は一欠片も戻ってこないが、つまり俺は何か。貧困に喘いでいたか、何か欲しい物でもあったか。今欲しい物を挙げるならまずは記憶なのだけど、儲け話とやらの特典に記憶はついてくるのだろうか。
「俺に家族は居たのかな」
「居たとしても縁は切ってる筈だ。あそこに収監されてる奴は俺も含めて大罪人だからな。ま、とにかく俺とお前は当初の予定通り仲間だ! よろしくな!」
そろそろ体の痛みも引いてきた。いつまでも体を濡らしていると体温を奪われて身動きが取れなくなりそうなので立ち上がって……よろめいた。服が水を吸い過ぎている。歩くのは絞ってからだ。
「他の奴はどうする? 死んだなんて言わないよな」
「まあ生きてるだろうな。むしろ一番死んでる可能性があったのはお前だ。何だ? まさか探しに行くなんて言わないよな? 冗談きついぜロスト。俺達にこれ以上仲間は要らない」
「何? でも同じ儲け話に乗ったんだろ? なら仲間じゃないか」
「俺達を誘ったのはあの船長だが、飛行船があの様じゃリーダーとしちゃ不適任だろ。それに―――」
「いやあああああああああああああああ! 助けてえええええええええええ!」
少女の声が闇の中を劈いて会話を中断させる。声からして距離はそう遠くない。問題は光源が見当たらず歩くのも不安になる事だったが、晴れた雲は中々戻らず、月が顔を出し続けている今が唯一の好機だ。後続の雲は分厚く、一度月を隠させたら今日は何も期待出来ない。気が付けば砂を蹴って声の方向へ駆け出していた。
「あ、おい! 待てよ!」
「駄目だ! 手遅れになったら後悔する!」
記憶はなく、立場はなく、友達もおらず、家族も居ない。けれど助けを求める声を無視するのは道理に反する。どうやら俺は犯罪者らしいけど、それと人助けは別の問題だ。犯罪者が人を助けてはいけないというルールはない。王都では切迫した状況だっただけで、今とは違う。
浜に流されても刀を持ち続けた自分には感謝しないといけないか。柄に手をかけて勢いよく引き抜―――けない。どれだけ力を込めても抜ける気がしなかった。
いや、もういい。
最悪殴るつもりで刀を順手に持って走り続ける。声が街道から続いていると知って飛び込んだ先には、木に片足を吊るされ妙ちきりんな生物にいたぶられている少女が居た。
「痛、いたい! ぎゃっ、くぅ……や、やめて!」
気持ち悪い鳴き声を上げて少女をこん棒で殴る生物は全部で五体。こちらの存在には全く気付いた様子がなく、少女を稽古台の棒よろしく叩きまわしている。俺の手前には樫の木の杖が落ちており、恐らく彼女の持ち物なのだろう。先端が丸まっているから鈍器としても使えそうだが、落としてしまって為す術がなくなったのか。
「あー、やっぱこうなったか」
「……リンドウ?」
引き離したと思ったが、リンドウはぴったりついてきていたらしい。隣に並んで呆れたように鼻で笑う。
「お前、本当に何して捕まったんだ? 随分お人よしなんだな」
「あの子、もしかして飛行船に……」
「良く気づいたな。まー宙づりになってりゃあの囚人服も見えるか。そうだ、一緒に居た。単に足でも引っかかってるならともかく、クラガリゴブリンが囲んでんのか。どうせ記憶がないとか言うんだから教えてやるが、あの魔物は相当曲者だぜ。それでも助けるのか?」
「数の差で恐れてたまるか。助けを求めてるんだぞ!」
「そうじゃねえんだけどな……まあでも? お前のその命器を使えば解決出来るんじゃないか? 能力とか知らねえけど」
「刀の事を言ってるのか? 試したけど抜けなかった」
「………………記憶喪失の奴とはさっぱり会話出来ねえな! あれも出来ねえこれも出来ねえ……分かったよ! 俺があの女の子を助けるからお前が全部やれ! 全員倒して来いよ! 隠れてるからな!」
魔物の数は五体で俺の身体は一つ。数的不利は明らかだが、不意を突けるというアドバンテージが確かにある。鞘がついたままの刀身を構えてゆっくりと歩いた。助けたい気持ちから足が早まるような事があってはならない、気づかれる。失敗するような事もあってはならない、死んでしまう。実行は一発、殴るのは一撃。躊躇いはない。相手が誰だろうと、助けられる立場にあるのなら力を尽くすのが人の在り方だ。
少女の動きが緩慢になり次第に棍棒で打ちのめされる回数も増えている。魔物? が調子に乗り始めているならこれ以上はない前提条件だ。俺は失敗しない。記憶がなくても、技術は身体が覚えている。
「ギャガバ!」
一発。ゴブリンの側頭部を振り抜き、勢いを残したまま隣の個体の背骨を叩く。
「ガバガガ!」
二発。異変に気付いた魔物達の視線が少女から逸れる。次の瞬間、闇から飛び出してきた影が逆さづりにしていた紐を切って少女を救出。草むらの中へと紛れて消える。リンドウの仕事は完璧だったが武器を落としたようだ。足元のナイフを前に蹴り上げて魔物の額にぶち当てる。
「グギ……!」
三発。鞘の先で額を突くと、棍棒を振り上げていた魔物は草むらまで吹き飛ばされた。最期に残っていた一体は形勢不利を悟ったのだろう、虫のような鳴き声を上げて逃げていく。追撃に行く必要はないだろう。求められた仕事はこれで終わった。
「……やっぱ、お前が必要だ。ロスト」
「あ、ありがとうございます…………お陰で、助かりました」
助けられたからと言って警戒心は解かれないようだ。少女は取り戻した杖を構えたまま俺達と向き合っていた。行動と発言があまり一致していないが、どちらにしても身動きが取れない事に変わりはない。今日はこれ以上月が顔を見せないだろうから、野宿で一夜を明かさないと。
「まあそう警戒すんなよ。同じ飛行船に乗ってた仲だろ? 俺達のやり取りも見てたじゃねえか」
「…………そう、ですけど。でも貴方達は囚人で」
「お互い様だろうがッ。なあ、本当に助けて良かったのかよ。こいつを助けたら儲け話の取り分が減るんだぞ? 今からでもなかった事にしないか?」
「意味が分からないな。記憶はないけど、俺も二人も同じ話に乗ってたんだろ? 取り分が減るも何も元々……えっと、乗船してたのは俺達含めて十人だったかな。十等分はされるじゃないか」
「…………はぁ。しょうがない。種明かしはしたくなかったんだが、これから一々説明しなきゃいけないと思うと今のうちに解消しとくべき疑問なんだろうな」
リンドウはナイフを取り出すと、少女に向けて柄の方を差し出した。
「ちょっとさ、俺を刺してみてくれよ」
「……はい」
「えっ」
少女は存外躊躇いもなく逆手で振り被り、リンドウの首筋に向かって刃を振り下ろした。その勢いのままでは間違いなく突き刺さると思っていたが……実際のところ、そうはならなかった。刃は確かに当たっているが肌を軽く押しているだけで傷一つ付けられていない。リンドウの指示に合わせて少女が地面や雑草に向けても突き刺すが、やはりナイフは役目を果たせていない。
「この世界には共振っつう祝福がある。早い話が持ち主の認証だ。このナイフには持ち主が俺だって言い聞かせてあるから、俺が使わなきゃ何の機能も使えないんだよ」
今度は飛行船でも出したペンダントを少女に手渡す。すんなりと開けられた筈のロケット部分が、どれだけ力を込めても開けられる様子がない。
「な?」
「……これは世界中のあらゆる物質がそうなのか?」
「いいや? 世界中のどっかに大抵居る神務官にやってもらわないと共振は存在しねえ。誰かに使ってほしくないもんに共振を繋ぐんだよ。そうすりゃ悪用も出来ねえからな。命器ってのはまあ特別な共振で繋がってるモンだと思ってくれ。詳しい話は俺も知らねえんだ。ただ儲け話に乗った囚人は全員命器を所持してる筈だ。俺なら髪飾り、そこのお嬢ちゃんなら杖? お前なら刀……なんだよな?」
「記憶喪失だからって、そこまで忘れているのですか?」
「申し訳ない…………俺も好きで記憶を失った訳じゃないんだ。失った原因も分からないだけで、思い出せるならすぐに思い出したいよ。それで……そのナイフだけど」
「おう」
ナイフを受け取り、地面に向かって振り下ろした。刺そうと思って刺したから、何の問題もなく突き刺さる。横目で少女を見ると彼女は目を丸くしていて、リンドウは察したか? と言わんばかりに両手を広げた。
「そうだロスト。お前はどういう訳か他人の共振をすり抜けられる。さっきも言ったが、儲け話に乗った囚人は全員命器を持っていてな。船長はその命器がお宝を手にする為に必要なんだって言ってたぜ。だから本来はアイツら全員と合流しなきゃいけないんだが―――」
「……この人が居れば、必要、ない?」
「そうだ! アイツらぶっ倒して命器を奪ってやりゃいい。そうすりゃお宝は俺達だけのモンだ!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 幾ら共振を無効化出来ても、命共振はまた別の話では……?」
少女は構えていた杖を俺に押し付けるように渡す。
「使ってみてください」
「使うって…………杖の使い道って体を支える事だろ。それくらい別に」
「そうではなくて、掲げるんです」
「掲げる……」
言われるがままに杖を闇夜に掲げたその直後。
世界が、真っ白に輝き――――――。
「うわあああああああああああ! 目が!」
手を離した途端、黒く染まる。急激な光の変化に目が追い付いていかない。ぼんやり見えていた二人の顔が一瞬で見えなくなった。
「あークソ眩し。ま、お陰様で証明出来たな。コイツに共振は意味がない。そしてそれを知ってるのは俺達だけだ。この条件を活かさない理由はないだろ?」
「…………仲間に、入れてくれるんですか?」
「助けちまったからには仕方ねえだろ。それに、お前は俺達のやり取りを見てる。この秘密を洩らされたら面倒だ。入れるっつうか決定だ。俺はリンドウ、こっちはロスト。俺が名付けた」
「よろしく」
少女はフードを外し、杖を軽く立てた。眩過ぎた明星が今度はランタンのように淡い光となって彼女の顔を照らし、その銀髪銀眼を温かく輝かせる。
「シトゥンです。先程は敵意を見せる様な真似をして申し訳ございませんでした。改めて宜しくお願いします……取り分は、これ以上減りませんよね?」




