名前のない罪人
趣味でヒーローをやっているタイプの投稿です。
夜の町が燃えている。人々は逃げ惑い、騎士達が騒ぎを収めんとあちこち動き回っている。
目の前に人が倒れている。ぼろ布を纏ったような質素な服装の男性が横たわったまま動かない。死んでいるのは誰が見ても明らかだ。
いずれの状況も理解出来ない。だがそれらは些細な問題だ。俺にとって何より問題なのは自分がどこの誰なのか分からないという事。
―――何で、記憶がないんだ?
名前が分からないだけならまだ良かった。周囲の人にでも聞けばいい。
町が燃えているだけならまだ良かった。ここは路地裏の一角、人っ子一人現れないなら今からでも十分避難の算段が立てられる。
目の前に人が倒れているだけならまだ良かった。助けを呼ぶか、自首でもするか。いずれにしても対応を求められるだけだ。
だがこれらが同時に発生していると話は別。どこから考えればいいかもさっぱり分からないが、自分について考察したら案外正体が導き出せるかもしれない。例えば服装、ボロボロの囚人服を着ている。目の前の死体に負けず劣らずの見すぼらしさであり、動かなければどちらが死体か分かったもんじゃない。足元に落ちている片刃の武器は刀と呼ばれる代物であり、これが凶器かとも思ったが死体には外傷がない。じゃあこの死体が俺とは無関係なのかと言われたら無理があるだろう。だってこんな近くに転がっているのに。
自分についての考察が終わってしまった。死体については外傷がない事を除けば何も分からない。残るは―――燃え盛る城下町について。立っている位置からして当事者には程遠いが、俺もこの町で生活していたなら原因を思い出せる筈だ。
――――――。
――――。
――。
なにも、思い出せない。
とっかかりすら何一つ存在しないなんて妙だ。この騒動に限った話じゃないが、俺は自分の名前も、どうしてここで暮らしているかも、そもそもここがどこなのかも分からない。こんな所で突っ立っているからか?
刀を手に、自分の存在が目立ちそうな場所へと歩き出す。囚人服で歩けばどうやっても目立つし、それで誰かが反応してくれたらせめて自分の正体くらいは分かるというもの。記憶喪失ながら良い判断だと自賛しつつこの町で一番人目に付きそうな場所を探して当てもなく彷徨う。誰でもいいから俺について教えて欲しい。それだけでもまだ、救われる。自分の事すら分からないのは一番嫌だ。
「お前、何でこんなとこに居るんだ!?」
何もかもから見放され、見失った俺の前にフードを被った青年が駆け寄ってきた。どうやら知り合いが捜索していたようだ。何もかも忘れても、まだ運は捨てたもんじゃない。
「あ、君。悪いけど俺は誰だろう?」
「はあ!? 冗談きついぜお前! 早く来ねえと乗り遅れちまうぞ!」
「乗り遅れる……?」
「おいおい! 一体どんな逃走経路を使ったんだよ! なあ……本当に覚えてないのか? 自分の名前も? 何処に向かうかも?」
「ああ、申し訳ない」
「…………何があったんだよ。ったく」
「君は俺の事を知ってるんじゃないのか?」
「知らねえよ! 自分の事なんて自分が一番よく分かってるもんだ! ……マジかよ」
フードの奥から青色の髪が見え隠れする。表情こそ火災の陰に紛れて分からないが青年は激しく狼狽している。俺の事なんてさっぱり分からないのにここまで心配してくれるなんて、見た目が怪しいだけで良い人なのだろうか。
「ちっ、しょうがねえな。アンタ、俺についてこいよ! この計画は一人でも乗り遅れたらまずいんだ、行くぞ!」
「案内してくれるのか? 助かる!」
「自分の事は船長にでも聞くんだな! いいか、最初からかっ飛ばすぞ!」
青年は加減など抜きに走り出し、俺も引き離されないよう懸命に足を動かした。広場に出ると火災の対応に追われている騎士達の背中が見える。飛び出した俺達を城の方から戻ってきた騎士が目撃、声を挙げた途端に周辺に居た騎士達の視線が一斉に集まった。
「居たぞ!」
「捕まえろ! 絶対に逃がしてはならぬ! 鋼翼の騎士団の誇りにかけて!」
「俺らが殿みたいになっちまったか!? おい、そこの荷車を蹴っ飛ばせ! 道を塞ぐんだ!」
「わ、分かった!」
言われるがままに荷車を横に引き倒して進路を塞ぐ。手間取っている内に青年との距離が離れてしまった。親切は強制ではない。このままもたつくようなら俺はきっと置き去りにされる。今の妨害工作が機能したかしてないかなんて確認している暇はない。それなら少しでも青年の背中に向かって集中した方がいい。
遠くから、声が聞こえる。
「おいお前ら! 早く乗れ! もう出発するぞ!」
声のする方向には飛行場。声の主は大きく手を振ってこちらを促しており青年もまたその指示に従っている。目的地が見えたなら、後はそこに向かうだけだ。
「もう俺の案内は要らないな! 先に行ってるぜ」
青年はそれだけ言い切ると、不意に空中を踏み、まるでそこに見えない階段があるかのように飛行船めがけて駆け上がって行った。或いは本当にそれがあると信じて俺も飛び上がったが足は空を切るばかり。どうやら俺には使えない代物らしい。
原理はさっぱりだがとにかく飛行船まではもうすぐだ。飛び込め。駆け込め。自分が何者かを知る為に。
飛行船が浮き上がり、燃え盛る王都から逃げるように飛び立つ。窓から下の景色を見ると飛行船の存在に気が付いた騎士達が何か騒ぎながらこちらを見上げているような気がする。また別の場所では崩れた家屋に足をやられたのか助けを求めている人もおり―――すでに飛び立った状況では助けられない。罪悪感が足枷の重くのしかかった。仮に逃げる道中であの人を見かけても俺は助けられなかっただろう。この服を見て騎士達は追いかけてきた……記憶はないが、つまり悪人という事だ。そんな男が手を差し伸べたら同類と思われるに決まっている。
このような正当化をしないととてもとても、気にかかって仕方ない。
「ふ~! いやあ危ない所だったな! アンタがあんまり遅かったら俺らも巻き添え食ってたし、足が速くて助かったよ」
「君はどうして空中を歩けたんだ? 試したんだが、俺は歩けなかったぞ」
「あ? そりゃそうだろ。俺の命器をアンタが持ってる訳ないんだから。ていうか試したって……まさかと思うが、共振の事も覚えてねえのか?」
「……共振。………………」
「お、流石に覚えてるか?」
「覚えてないな」
「何だったんだよ今の間は! ああ~めんどくせえ! 逆に聞くぞ! 何を覚えてる!? さっきの町が燃えてる理由? 罪状? 体重? 身長? なんかあんだろ!」
「すまない。本当に何も覚えてないんだ。この乗り物が飛行船という事と、服装から俺は囚人だったんだろうなという事くらいは分かる」
「覚えてるって言わねえよ、それは見たまんまだってんだ! まさかガキの頃に誰でも教えられるようなモンを今更教える事になるとはな。まあいいや、説明は一発で終わるからな」
青年がフードを脱ぐと、深い青に染められた髪が露わになる。長い囚人生活で身だしなみを整える暇もなかったのだろう、髪が少し動くだけで被さっていた砂が周囲に振りまかれる。長い髪が目にかかるのを防ぐ為か羽のような髪飾りが前髪を留めていた。
「おい、何処見てんだ」
視線を戻すと、青年がロケットペンダントをこちらに差し出していた。
「これ、開けてみろよ」
「……? 分かった」
蓋を開けると、小さな鏡が嵌め込まれていた。
「あ?」
「え。すまない。何かしてしまったか?」
「お前―――」
青年が何か言いかけたその時、船室全体が大きく揺れた。中に乗り込んでいた人間は漏れなく体勢を崩して船内の端に追い詰められる。
「ロクデナシ共! 緊急事態だ! 王都から離れようとする飛行船全部に砲撃命令が出たらしい! そこらじゅうを見ろ、関係ねエ奴らまで撃墜されてる!」
操舵室から姿も見せずに叫んでいる男は先程俺達を誘導していた者だろう。この飛行船の船長で―――恐らく囚人達の脱走を手引きした人物。何故そう思うかって、俺も含めてこの船に乗っている人間は同じ囚人服を着ていたからだ。殆どは顔を隠しているが服装は皆同じだから隠す必要がないという事だろうか。それなら俺も何か隠せる服装を選ぶべきだった
「これから当飛行船は緊急着陸する! もし放り出される様な事があったら、あれだ! その大陸で一番でかい町で再集合だ! ここまで来たんだ、台無しにされてたまるかよ!」
状況は刻一刻と悪化していく。度重なる揺れは次第に不規則な回転を生み、床と天井が曖昧になった。それが砲撃による破損というよりも突如出現した竜巻によって制御不能になっていると気づいたのは囚人の一人が窓から外に放り出された時だ。
「うあ! うわあああああ!」
「おい、大丈夫か!?」
右に左に揺さぶられ、壁に身体が当てもなくぶつかり続ける。鈍い痛みが鎧のように体を覆って次第に動きを鈍らせる頃、あの青年だけは振り回される事なく壁に張り付き、俺の様子を窺っていた。
髪飾りが、僅かに光を放って震えている。
もしかして、あれのお陰か?
「何が……起きて! まだ何も思い出せないのに!」
「ああ、俺もまだ全然説明してないし、聞きたい事も聞けてねえ! とりあえずだな、このままだと全員振り落とされる!」
言っている内に三人も振り落とされた。飛行船は完全に制御不能だ。落とされたらまず命はないが、落とされなくても飛行船が爆発して死ぬだろう。
「アンタ、すぐ横のでかい窓が分かるな! 俺が合図したら身を任せて飛び下りろ!」
「ば、馬鹿じゃないのか!? 死ぬ! 死ぬのは嫌だ!」
「記憶を取り戻したいんだろ!? 俺はその方法を知ってる! いいから言う通りにしろ!」
―――賭けるしか、ないのか。
自分が悪人にしろ善人にしろ、何も分からないまま人生に幕を下ろしたいとは思えない。仮に悪人だとしてもせめて、因果応報を感じながら死にたい。そうでなければこの生には、俺という人間には一体どんな価値があるというのか。
「…………返事はいい! 行くぞ、3,2、1―――飛べ!」
「くっそおおおおおおおおおおおお!」
言われるがままに身を投げ出した。これが単なる自殺に終わらない事を願う。殆ど同時に青年も飛び出してきて―――残る囚人達がどうなったかなど知る由もない。
気を、失ったのだから。
下書きが消えるまでは早め更新。




