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第8話 裏切りの影

 王都の夜は、昼間とはまったく違っていた。

 石畳は冷たく光り、風が吹くたびに火の灯りがゆれて、影が大きく伸びたり小さくなったりする。

 人々の声も職人の音も消えて、聞こえるのは兵士の足音と、遠くで犬が吠える声だけ。


 「……なんだか落ち着かない夜だな」


 ルカは小さくつぶやいた。

 ほんの少し前までは、墓地で草を抜いたり石を磨いたりするのが仕事だったのに。

 いまは王宮のそばで、得体の知れない「声」に追われている。

 その変化に自分でもついていけない。


 「ルカ、顔色が悪いわよ」

 横に立つミレイアが心配そうにのぞきこむ。

 白い巫女服の上に外套を羽織り、髪に結んだ飾りがかすかに光っている。夜の中では、少し神秘的に見えた。


 ルカは慌てて首を振った。

 「だ、大丈夫。でも……なんか変なんだ。街全体がざわざわしてる気がして」


 「ざわざわ?」

 「声が……いつもより強いんだ。はっきり聞こえる」


 胸に手を当てる。鼓動が早い。怖いからなのか、それとも本当に何かが近づいているからなのか。


 少し離れたところで座っていたエリシアが、マントのフードを軽く下ろしながら言った。

 「私には何も聞こえないけれど……ルカがそう感じるなら、きっと何かあるのね」


 彼女は身分を隠すために地味な服を着ている。

 でも、言葉や仕草からはどうしても王女らしい気品がにじみ出てしまう。


 ルカは言葉を選びながら口にした。

 「もし……この王宮に裏切り者がいるとしたら」


 自分で言っていて、ぞっとする言葉だった。

 エリシアの瞳がわずかに揺れる。

 「……それは、できれば冗談であってほしいわ」


 風が強く吹き、火の粉がはじけて空に舞った。

 石畳を走る影は長く伸び、まるで王都そのものが怯えているように見えた。


 「影兵のこと、まだ覚えてるでしょう?」とミレイアが声をひそめる。

 「市場を襲った夜。あの時と同じ気配が、街に広がってるの」


 「……じゃあ、やっぱり何か起きるのか」

 ルカの声は震えていた。

 墓守として死者の声を聞くことに慣れてきたつもりだったけれど、王都全体をおおうような“ざわめき”は初めてだった。


 ただの幻じゃない。誰かが、何かを仕掛けている。


 ――王宮のどこかに、影が潜んでいる。


 その考えが背筋を冷たくした。

 遠くで鐘が鳴り、夜の静けさをさらに重くする。



 その夜、ルカはどうしても落ち着かなかった。

 寝床に横になっても、胸の奥がざわざわして目を閉じられない。

 「……声が、また聞こえる」


 小さなランプを手に、彼はそっと外に出た。

 冷たい空気が肌を刺す。夜更けの王都は静まり返り、遠くで衛兵の槍が石畳を打つ音がひとつ、ふたつと響く。


 向かう先は――墓地。

 墓守の家に生まれた者にとって、夜の墓は恐怖ではなく、むしろ心を落ち着ける場所だった。

 けれど今日ばかりは違う。足を踏み入れるたびに、胸の奥が強く脈打ち、何かが待っている気がした。


 風が止み、木々のざわめきが途絶えた。

 まるで世界が一瞬、息をひそめたように。


 その時――。


 『……王宮に、影あり』


 声が、耳の奥に直接響いた。

 低くも高くもない、不思議な響き。男か女かもわからない。

 ただ確かに言葉だけがはっきりと刻まれた。


 「……っ!」

 ルカは思わず後ずさる。

 石碑が夜露に光り、その表面からじわりと黒い影がにじみ出してくるように見えた。


 『忠義を装う、裏切りの剣。

  血はまだ乾かず、嘘は王座に座る』


 「な、なんだよそれ……! 誰のことを言ってるんだ!」


 返事はない。

 ただ幾つもの声が重なり合い、囁きとなって墓地を満たす。

 兵士、老女、子ども……死者たちの記憶が一斉にさざめき、ルカの頭に押し寄せてきた。


 「やめろ……っ、そんなに一度に言うな!」

 耳をふさいでも、声は止まらない。

 心臓が跳ね、膝が震えた。


 その時、一つの声が他よりも鮮明に響いた。


 『墓守の子よ。影はすぐそばにいる。

  王宮の光の下、もっとも近い者こそ……闇を呼ぶ者』


 ルカの喉がひきつった。

 「もっとも近い者……って……まさか……」


 思わずエリシアの顔が浮かんでしまう。

 いや、違う。そんなはずはない。

 でも――声がそう告げるのなら?


 「信じちゃいけない。声が本当のことばかり言うとは限らない」

 自分に言い聞かせても、震えは止まらなかった。


 その時、墓石の影が動いた気がした。

 黒い靄のようなものが、石と石のあいだからふっと立ち上り、すぐに消える。

 目をこすったが、もう何もない。


 「……怖がらせたいだけか? それとも、本当に……」


 どちらにせよ、無視はできない。

 ルカはランプを強く握りしめ、必死に呼吸を整えた。

 墓守として、逃げるわけにはいかないのだ。



 墓地から戻ったルカの足取りは、ひどく重かった。

 冷たい石畳を歩くたびに、さっき聞いた囁きが胸の奥で反響する。


 『王宮に影あり』

 『もっとも近い者こそ、闇を呼ぶ』


 「……本当に、そうなのか?」


 小さく声に出すと、余計に心が揺れる。

 誰を指しているのか、声は教えてくれない。

 ただ曖昧なまま、不安だけを押しつけてくる。


 王宮に近い者……。

 真っ先に思い浮かぶのは、王女エリシア。

 次に、ずっとそばにいてくれるミレイア。

 「いや……違う、そんなはずない」


 もし本当に彼女たちだったら――。

 その考えだけで胃がきゅっと縮んだ。


 「やめろ……考えるな」

 ルカは頭を振った。

 声に振り回されてはいけない。墓守として教えられた大事な掟の一つだ。


 けれど今夜の囁きは、あまりにも鮮明すぎた。

 信じるなと言われても、耳に焼き付いて離れない。


 滞在している小さな宿に戻ると、灯りの下でミレイアが祈りを捧げていた。

 静かな声で呪文を唱え、両手を胸の前で組む。

 その姿を見て、ルカは思わず立ち止まった。


 「……ルカ?」

 祈りを終えたミレイアが顔を上げ、心配そうに近づいてくる。

 「遅かったわね。外に出ていたの?」


 「……ああ、ちょっと墓地に」

 言いかけて、喉が詰まる。

 伝えるべきか、黙っているべきか。


 “王宮に影あり”

 “もっとも近い者こそ闇を呼ぶ”


 もしこのことを口にすれば、彼女たちはどう思うだろう。

 疑われるかもしれない。

 信じてもらえないかもしれない。


 「……いや、なんでもない」

 そう言ってごまかした瞬間、胸が痛んだ。

 本当のことを言えない自分が情けない。


 窓際ではエリシアが本を読んでいた。

 質素な旅装束に身を包んでいるが、姿勢の正しさや言葉の選び方がどうしても隠せない。

 彼女が目を上げると、ルカは視線をそらしてしまった。


 「どうしたの、ルカ。顔色が悪いわ」

 「な、なんでもない」


 その答えは、自分でも薄っぺらく聞こえた。

 エリシアは首をかしげたが、それ以上は追及しなかった。


 ――言えない。

 本当は伝えなければならないのに。

 声が告げる未来は、たいてい避けられない。

 だから墓守はそれを「見届けよ」と教えられてきた。


 でも、今回だけはどうしても口にできなかった。

 仲間の誰かを疑うような真似はしたくない。


 ベッドに横になっても、眠気は訪れなかった。

 ランプの灯りを消すと、闇が一気に押し寄せる。

 その暗闇の中に、さっきの囁きが浮かんでくる。


 『影はすぐそばにいる』


 「やめろ……もうやめてくれ……」


 枕に顔を押しつけても、声は頭の中で響き続けた。

 胸の奥が冷たくなり、涙がにじむ。

 墓守の家に生まれた以上、逃げられないことはわかっている。


 でも――孤独だった。

 誰にも言えず、一人で抱えるしかないことが、たまらなく重かった。



 朝になっても、ルカの顔色はすぐれなかった。

 鏡に映る自分の顔を見て、ため息が出る。目の下にはくっきりとしたクマ。ほとんど眠れなかった証拠だ。


 「ルカ、やっぱり何か隠してるわよね?」

 背後から声がして、心臓が跳ねた。

 振り返ると、ミレイアが腕を組んでこちらを見ていた。


 「な、なんでそう思うんだよ」

 「だって、昨日からずっと落ち着かない顔してる。寝不足だけじゃない。何か大事なことを一人で抱え込んでる顔」


 ぐさりと心に刺さる。

 図星すぎて、言い訳が出てこなかった。


 ミレイアは近づいてきて、声を落とす。

 「墓守の声……聞いたんでしょう?」


 ルカの体がびくりと震えた。

 「……なんでわかるんだ」

 「顔を見ればわかるわ。私も神殿で修行してたから。人が何かを隠してる時って、瞳に曇りが出るの」


 そう言って、彼女はまっすぐに見つめてくる。

 その視線は不思議とやさしくて、逃げ出したいのに逃げられなかった。


 「……昨夜、墓地で声を聞いた」

 ついにルカは打ち明けた。

 「『王宮に影あり』って。……それに『もっとも近い者が闇を呼ぶ』って」


 言葉にした瞬間、胸の奥にあった重りが少しだけ軽くなる気がした。

 だが、同時にミレイアの反応が怖かった。

 疑われるか、笑われるか。


 けれど彼女はすぐにうなずいた。

 「やっぱりそう……私も感じてたの。不穏な気配が広がってるのを」


 「……信じるのか?」

 「信じるわよ。あなたが声を聞けるのは本当のことだもの。昨日の市場での襲撃だって、あなたの言葉がなければもっと多くの人が死んでた」


 その言葉に、ルカの胸が熱くなった。

 初めてだった。声のことを疑わずに、まっすぐ信じてくれる人がいるなんて。


 ミレイアは少し視線を落とし、静かに言葉を続けた。

 「でも……『もっとも近い者が闇を呼ぶ』っていうのは気になるわね」

 「……ああ」

 「きっと“誰かを疑え”って意味じゃないと思う。むしろ、近しい存在が狙われる……とか」


 「狙われる……?」

 「そう。敵は嘘を混ぜてくるもの。影兵たちが使う闇の力も、相手を惑わして恐怖を広げるのが目的。だったら、その声も同じ。全部を真に受ける必要はないわ」


 ルカは目を見開いた。

 今まで「声=真実」と思い込んでいた。

 けれどミレイアは、真実の中に“罠”がある可能性を示してくれた。


 「……そうか。信じすぎても、ダメなんだな」

 「ええ。声を聞けるのはあなたの強み。でも使い方を間違えれば、命取りになる」


 彼女は真剣な表情で言い切った。

 その横顔を見て、ルカは少し安心した。

 ひとりで抱え込む必要はない。

 ミレイアがそばにいる。そう思えただけで、肩の力が抜けた。


 「ありがとう、ミレイア」

 「どういたしまして。……でも、エリシアには伝えないの?」


 その名を聞いた瞬間、ルカの胸が再びざわついた。

 「……伝えるべきだよな」

 「もちろん。王女としてじゃなくて、仲間としてね」


 ミレイアの言葉が、まっすぐ心に刺さった。

 逃げてばかりではいられない。

 声がどうであれ、信じるべき相手を疑いたくない。


 ルカは深呼吸をひとつして、心を決めた。

 ――エリシアに、伝えよう。



 エリシアは王宮から持ち出した本を閉じ、深く息をついた。

 ルカとミレイアが小声で何かを話しているのは気づいていた。

 だが彼女はあえて聞かないふりをしていた。


 ――けれど。


 「エリシア、ちょっといい?」

 ルカが決意をにじませた声で近づいてきた。

 エリシアは姿勢を正し、彼を見つめる。


 「……何か、聞いたのね」

 「うん。墓地で声が囁いたんだ」

 ルカの唇はかすかに震えていた。

 「王宮に影があるって。それに……『もっとも近い者が闇を呼ぶ』って」


 その言葉を聞いた瞬間、エリシアの胸が冷たくなった。

 心臓の鼓動が強く打ち、手にしていた本が膝の上から落ちた。


 「……もっとも近い者?」

 自分の声が震えているのがわかる。

 王宮に近い者――それは自分だ。

 王女という立場上、常に王のそばにいる。


 「まさか……私が……?」


 思わずつぶやいた言葉に、ルカは慌てて首を振った。

 「ち、違う! 僕はそんなふうに思ってない!」

 「でも、声はそう告げたのでしょう?」


 沈黙が落ちる。

 火の灯りが揺れ、三人の影が壁に伸びた。

 影――その言葉だけで、胸が締めつけられる。


 「私は……父のそばで多くのことを見てきた。

  貴族たちの争いも、兵士たちの苦悩も。

  でも……本当に王宮に裏切り者がいるなんて、考えたこともなかった」


 エリシアは唇をかみ、視線を伏せた。

 思い出すのは、父王の厳しい横顔。

 民の前では毅然としているが、時に誰よりも弱さをにじませる姿を、自分は知っている。


 「もし父が裏切られていたとしたら……私は王女として、何をしてきたのだろう」


 その問いが胸をえぐる。

 自分が信じてきたものが足元から崩れていくような恐怖。

 そして、もっとも近い存在――自分自身が疑われている現実。


 ミレイアが静かに口を開いた。

 「エリシア。声の言葉をそのまま受け止める必要はないわ。

  声は真実を映すけれど、ときに人を惑わせることもある。昨日もルカと話したの」


 「……惑わせる?」

 「ええ。だから大事なのは、あなたがどうしたいか。

  王女としてではなく、一人の人間として」


 ミレイアの目は真剣だった。

 エリシアはその言葉に、かすかに息をのんだ。


 ――一人の人間として。


 そんなふうに言われたのは初めてだった。

 王女としての務め、民のため、父のため。

 ずっと「誰かのため」にしか考えてこなかった。


 「……私は、どうしたいのか」

 声に出した瞬間、胸が苦しくなった。


 ルカが強い声で言った。

 「僕は、エリシアを疑ってない。

  王女だからとか、近いからとか、そんなの関係ない。

  君は……僕らの仲間だ」


 その言葉に、視界がにじんだ。

 王女としてではなく、一人の人間として求められる。

 そのことが、何よりも救いだった。


 「……ありがとう、ルカ」

 エリシアは小さく微笑んだ。

 けれど心の奥底には、まだ大きな迷いが渦巻いている。


 声は嘘かもしれない。

 けれどもし、それが真実だったら――。


 その恐怖が、眠れぬ夜の始まりを告げていた。



 その夜、王都の片隅にある裏路地は、昼間とはまるで別の顔を見せていた。

 日中は荷車が行き交い、子どもたちが走り回る賑やかな通り。

 だが夜になると人影は消え、軒先のランプも消され、石畳の上には闇だけが残る。


 「……来たか」


 かすれた声が闇に溶ける。

 そこに立っていたのは、王宮の紋章を肩に刻んだ衛兵だった。

 普通なら巡回路を歩いているはずの男が、今は周囲を気にしながら裏路地に潜んでいる。

 鎧を外し、顔を覆う布をつけ、誰にも気づかれぬように。


 路地の奥から、黒い靄がふっと現れた。

 やがて、それは人の形をとる。

 目のない影の兵――影兵だ。


 衛兵は膝をつき、頭を下げた。

 「次の命令を……」


 影兵の口元らしき場所がわずかに歪み、低い声が響いた。

 『王宮の心臓を突け。光の近くに潜む者ほど、闇はよく映える』


 衛兵の背筋がぞくりと震える。

 「……王宮を、内部から……」


 その言葉を繰り返すと、影兵はゆらゆらと揺れ、再び靄に溶けて消えていった。

 残されたのは、夜風に吹かれる衛兵の荒い息だけ。


 一方その頃。

 ルカは宿の窓辺に立ち、夜空を見上げていた。

 満天の星が瞬いているのに、胸のざわめきは収まらない。

 「……嫌な予感がする」


 彼の耳に、ふっと声が忍び込んできた。


 『血が流れる。すぐ近くで』


 「……っ!」

 ルカは反射的に振り向いたが、部屋には誰もいない。

 ミレイアは祈りを終えて眠りについている。エリシアも布団にくるまっていた。


 ――なのに、声だけが確かに耳に届いた。


 「やめろ……。これ以上、不安を煽るなよ……」

 小さくつぶやいても、胸の鼓動は早くなるばかりだ。

 声は止まらない。


 『裏切りの刃は、光をも切り裂く』


 冷たい囁きが、ルカの心を凍らせた。


 夜明け前の王都は、不気味な静けさに包まれていた。

 市場へ向かう商人たちの足音もまだなく、石畳に響くのは巡回兵の足音だけ。

 だがその中のひとり――さっき影兵と会っていた衛兵が、王宮の方向へ歩みを進めていた。


 彼の手の中には、短く黒い刃が隠されている。

 王家の紋章を背に守るはずの男が、その刃をどこに向けようとしているのか。

 それを知る者は、まだいなかった。



 夜が深まるにつれ、ルカの胸のざわめきは強くなっていった。

 布団に横になっても目は冴え、瞼の裏にあの言葉が何度もよみがえる。


 『血が流れる。すぐ近くで』


 あの声は嘘か、それとも真実か。

 墓守として生まれた以上、声を無視できないことはわかっている。

 けれど――信じるたびに恐怖が増す。


 「僕が聞かなければ……こんなに苦しまなくてすむのかもしれない」

 小さな声でそうつぶやいた時、隣で眠っていたミレイアが身じろぎした。

 その静かな寝息に救われる。彼女がいる限り、孤独じゃない。

 そう思いながらも、不安は消えなかった。


 やがて、ルカは決心したように立ち上がった。

 ランプを手に取り、音を立てないように扉を開ける。

 夜の王都の空気は冷たく、吐く息が白く広がった。


 「声が示すものを……確かめないと」


 墓地へ向かう足取りは重い。

 けれど逃げ出すよりはずっとましだ。


 石碑の列に入った瞬間、空気が変わった。

 ひんやりとした風が吹き抜け、草がざわめく。

 耳の奥で、再び声が響いた。


 『裏切りはすぐそこに。

  血は城壁の内で流れる。

  王家の光は影に染まる』


 「やめろ……やめてくれ!」

 思わず叫んでいた。

 けれど声は止まらない。


 『次の夜明けが、その時』


 ルカの手からランプが落ち、石畳にガチャンと音を立てて割れた。

 炎が一瞬だけ明るく燃え、すぐに消える。

 暗闇の中で、ルカは膝をついた。


 そのころ。

 王宮の裏門の近くでは、一人の衛兵が足早に歩いていた。

 鎧の下に隠した短剣を強く握りしめ、唇を噛む。


 「……主の命に従うまでだ」


 彼の目は虚ろで、まるで影に操られているようだった。

 衛兵は王宮の奥へと消えていく。

 その刃が誰を狙うのか、まだ誰も知らない。


 宿に戻ったルカは、全身に冷や汗をかいていた。

 ミレイアとエリシアはまだ眠っている。

 彼女たちの穏やかな寝顔を見ていると、胸の奥に冷たい不安が広がった。


 「二人を守らなきゃ……でも、どうやって?」


 その問いに答える声はない。

 ただ、あの不気味な囁きだけが残っていた。


 『血が流れる。避けられぬ夜明けが来る』


 ルカは唇を噛み、震える手を握りしめた。

 ――明日、必ず何かが起こる。

 そう確信せざるを得なかった。

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