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墓守の少年、千年の声を聞く ― 王国最後の見届け人 ―  作者: スマイリング


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第31話 白鉄の微笑

 朝霧が王都の外れを覆っていた。

 夜明けの鐘が遠くで鳴り、空がゆっくりと白んでいく。

 焼け跡の広場を通り過ぎるたび、昨日の熱狂が嘘のように静まり返っていた。

 人々の笑顔は消え、窓には戸が閉ざされ、通りの空気はひどく冷たい。

 ルカは胸のランプを押さえ、吐く息の白さを見つめていた。


 「……光炉の制御が止まったのに、王城からまだ光が出てる」

 ミレイアが呟いた。

 空の上には、うっすらと残る白い筋――王城の塔から放たれる光の残響。

 「暴走の余波かもしれん」カイエンが険しい顔をする。「だが、完全に沈黙するまで気を抜くな」

 「ねえ……誰かいる」エリシアの声が小さく震えた。


 霧の向こう、石畳の道の真ん中に一人の影が立っていた。

 白銀の鎧――その表面はひび割れ、光を失って鈍く濁っている。

 ヴァルトだった。

 昨日、広場で消えたはずの男が、今は剣を持たずにそこに立っていた。

 「ヴァルト卿……!」

 エリシアが思わず声を上げる。

 彼はゆっくりと顔を上げた。

 瞳の色は淡い灰。

 あの冷たい光ではない――けれど、まだ何かが揺らめいている。


 「……姫君か。無事で何より」

 その声はかすれていた。

 ルカたちは身構えた。カイエンが前に出て、剣の柄に手を置く。

 「待って、敵意はないみたい」ミレイアが小さく首を振った。「……でも、何かがおかしい」

 ルカは一歩前に進んだ。

 「ヴァルト卿、あなたは……どうしてここに」

 「墓守。おまえの“光”を確かめに来た」

 淡い声。けれど、その奥に金属を擦るような音が混じっていた。


 霧の中、風が止む。

 ヴァルトはゆっくりと歩き出した。鎧の接合部が軋む音が、耳に刺さる。

 「私はまだ、王の光を捨てきれぬ。……だが、あの祈りの声が離れない」

 足もとに、灰が散っている。昨日焼かれた祈りの残滓。

 ヴァルトは膝をつき、その灰を手に取った。

 「この国を守るために、私はどれだけの祈りを焼いたのだろうな」

 その言葉に、エリシアの瞳が揺れた。

 「……やっぱり、あなたも苦しんでいたのね」

 「苦しみなど、英雄に必要はない」ヴァルトは自嘲気味に笑う。

 「だが……“光”が見せた夢の中で、私は人の声を忘れていた」


 ルカはその姿をまっすぐ見つめた。

 「じゃあ、今のあなたは“人間”なんですか? それとも――まだ“光の影”ですか?」

 ヴァルトの瞳が静かに細められる。

 霧の向こうから、朝日が差し込む。

 白銀の鎧がかすかに光り、その中で黒い揺らぎが脈打った。

 「……その答えを、見せてやろう。墓守」


 ヴァルトが一歩踏み出した。

 次の瞬間、霧の中で光が弾けた。

 白と橙――二つの光が再び、ぶつかり合う。


 光と光がぶつかる音が、耳を裂いた。

 衝撃で地面の砂が舞い上がり、霧が一瞬で吹き飛ぶ。

 ヴァルトは剣を抜いていなかった。

 それなのに、その足もとから白光の波が広がり、僕の炎を押し返す。

 「……手加減をしている?」

 「試しているのだ」ヴァルトが静かに言う。「おまえの光が、どれほどの“祈り”でできているのか」


 彼の声は穏やかだ。

 怒気も憎しみもない。けれど、それが逆に恐ろしかった。

 「なぜ、祈りを焼くんですか」

 僕の声が響く。

 「人の願いは、生きるためにある。焼いて消すなんて――」

 「焼くのではない」ヴァルトが遮った。

 「光に変えるのだ。痛みも、嘆きも、罪も。人が苦しみから逃れる唯一の術。それが“浄化”だ」


 「……救いのつもり、ですか」

 「そうだ。救済の光。それを信じたから、私は戦えた」

 彼の足もとで光が螺旋を描く。

 その輝きは、昨日の英雄祭と同じ――白すぎて、眩しすぎる光。

 「苦しみを終わらせるには、燃やすしかない。

  人の心は弱い。忘れることでしか立ち上がれぬ者もいる。

  ならば、光がその痛みを引き受ければいい」


 「違う!」僕は叫んだ。

 「痛みを消すことが救いじゃない! 痛みを抱えて、それでも祈るから、人は強くなれるんだ!」

 炎が一気に広がる。橙の光が霧を押しのけ、白光の中で赤く脈を打つ。

 ヴァルトは目を細めた。

 「その祈りは、どれだけの命を救った?」

 「救うためにあるんじゃない。――つなぐためにある!」

 「つなぐ?」


 僕はうなずいた。

 「祈りは命の痕跡だ。たとえ届かなくても、誰かの心に残る。それが“絆”になる。

  でも焼いたら、残らない。何も」

 ヴァルトの手が止まった。

 その指先で光が揺らぎ、少しだけ暗くなった気がした。

 「絆……。そんなもの、戦場では無力だ」

 「無力でも、無意味じゃない!」

 僕は前へ出る。炎の輪が僕の足を包む。

 「あなたは、誰かを救いたくて剣を取ったんでしょう? それなら、焼くんじゃなく――生かす側に戻ってください!」


 ヴァルトの表情がわずかに揺れた。

 しかし、次の瞬間、白光が再び膨張した。

 「……甘いな、墓守」

 声が低く響く。

 「人は希望を求め、光を信じた。私はただ、それを“形”にしただけだ。

  陛下の祈りを裏切ることはできぬ」


 彼の背で、黒い靄がうっすらと立ち上がる。

 ミレイアが息を呑んだ。「ルカ、あれ……!」

 僕は頷く。

 「やっぱり……あの光は、祈りを焼いた残りだ」

 ヴァルトの瞳が細まり、かすかに笑った。

 「ならば見せてやろう。祈りを焼いて“救う”光を」

 次の瞬間、彼の足もとに白光が爆ぜた。

 地面が震え、僕たちの影が遠くまで伸びる。


 爆風が吹き抜け、足もとにひびが走った。

 ヴァルトの白光が収束し、腕の中に形を取る。

 現れたのは一本の剣――まるで光そのものを鍛えて作ったかのような刃。

 眩しすぎて、目を細めないと見ていられない。

 「これが……“祈りを焼く剣”」

 僕は思わず呟いた。

 ヴァルトは静かに構える。「光は裁き、影を断つためにある」


 次の瞬間、彼の姿が消えた。

 ――速い!

 空気を切る音が耳を裂く。反射的に身を低くすると、背後の石壁が真っ二つに割れた。

 白光の斬撃が、まるで流星のように通り過ぎていく。

 「ルカっ!」ミレイアの声が響く。

 「大丈夫!」僕は炎を掲げた。

 ランプの火が広がり、橙の光が結界のように僕を包む。

 白と橙。ふたつの光が激しくぶつかり合い、霧の中で音を立てた。


 剣が振り下ろされるたび、白光が地面を焼き、祈りの残滓が煙のように舞い上がる。

 僕の炎がそれに反応し、赤く脈を打った。

 「……泣いてる」

 ミレイアが震える声で言った。

 「この光、焼かれた祈りの声を吸ってる」

 「声を……?」エリシアが息をのむ。

 「そうよ。だから止めないと!」


 ヴァルトが一歩踏み出す。

 「墓守。祈りは儚い。燃やすことで永遠になる。

  ――その光が、この国を支えてきた」

 「永遠なんていらない!」僕は叫んだ。

 「祈りは生きてる間に交わすものだ。死んだ祈りを“光”にして、何になる!」


 剣と炎がぶつかる。

 金属の音ではない。

 “声”のような響き――

 焼かれた祈りと、生きている祈りが、互いに呼応する音。

 耳の奥で、何十人もの囁きが重なった。

 “もうやめて”“痛い”“まだ、終わっていない”

 その声がヴァルトの光に吸い込まれ、刃が震える。


 「……わかるか、墓守。これが祈りの重みだ」

 ヴァルトの声が低く響く。

 「この国の人々が積み重ねた願い――それを光に変えた。

  私は、それを背負っている」

 「違う! 背負ってるんじゃない、縛られてるんだ!」

 僕は炎を放った。

 赤と白の衝撃波がぶつかり合い、地面が抉れる。

 轟音と共に、白い剣の光がわずかに弾かれた。


 ヴァルトが顔を上げた。

 その瞳が、わずかに迷っていた。

 「……なぜ、その光は燃えぬ」

 「祈りは、燃やすものじゃないからだ!」

 橙の炎が渦を描き、ヴァルトの胸に反射する。

 その瞬間、彼の背から黒い靄が立ちのぼった。


 ミレイアが声を上げる。「ルカ! あれ……!」

 「見える……! あれが、祈りを焼いた“影”だ!」

 黒と白が絡み合い、ヴァルトの背でうねる。

 白鉄の鎧が音を立てて軋み、亀裂が走った。

 「――やめろ!」ヴァルトの叫びが響く。

 だが、光の中からこぼれた黒い靄は、もう止まらなかった。


 黒い靄が、ヴァルトの背中から噴き出した。

 それは煙ではなく、影のような流体だった。

 光を吸い込みながら形を変え、まるで生き物のように蠢く。

 鎧の隙間から溢れ出たそれが、腕や肩を這い、剣の根元に絡みついた。

 「……やめろ!」ヴァルトが叫ぶ。

 声には苦しみと、どこか懇願のような響きがあった。

 「私は……王の光を裏切れぬ!」

 だが黒は止まらない。

 白い鎧の継ぎ目がきしみ、金属音とともにひび割れが走る。

 その音は、まるで祈りが軋むように悲しかった。


 「ルカ、もう彼の中で光と影が混ざってる!」ミレイアが叫ぶ。

 「影が出ようとしてるのよ!」

 「止めないと――!」僕は炎を広げた。

 だがヴァルトはそれを拒むように一歩前に出た。

 「来るな! これは……私の罰だ!」

 その叫びのあと、白い剣が赤黒く染まった。

 光と影がせめぎ合い、剣の刃が揺らめく。

 「……この苦しみこそが正義。陛下が望まれた救いだ!」


 「違う!」エリシアの声が響く。

 彼女は一歩前へ出て、震える手で彼を見上げた。

 「父上が本当に望んだのは、こんな苦しみじゃない!」

 ヴァルトの瞳が一瞬だけ揺れた。

 だが次の瞬間、剣が彼女の方へ振り下ろされる。

 カイエンが飛び込み、刃を受け止めた。

 白光と鋼がぶつかり、火花が散る。

 「退け! この光に耐えられる者などいない!」ヴァルトが叫ぶ。

 「光はすべてを清める!」


 「清めるんじゃない、奪ってるんだ!」僕は炎を放った。

 赤い火が白光を貫き、爆音が響く。

 ヴァルトが吹き飛び、地面にひざをついた。

 鎧の表面が剥がれ、白銀の下から黒い紋様が浮かび上がる。

 それは祈りの文様をねじったような形――“光炉”の紋。

 「……それが、あなたの本当の姿なの?」

 ミレイアの声が震えた。

 「人を焼く光を背負いながら、笑っていたの?」


 ヴァルトが顔を上げた。

 その口元には、痛みと誇りの入り混じった微笑が浮かんでいた。

 「笑うしか、なかったのだ」

 彼の目が遠くを見つめる。

 「焼かれる祈りを見たくなかった。だから光に変えた。……そうすれば、誰も悲しまないと信じた」

 エリシアの目から涙がこぼれる。

 「そんなの、悲しみを消しただけよ……!」

 「……わかっている。だがもう、止まらん」


 ヴァルトの背の影が一層濃くなる。

 ミレイアの祈りが響く。「願わくば、この光があなたを包みますように……!」

 橙の光が彼を覆うが、影はそれを焼き払おうと暴れる。

 白と黒、光と影が衝突し、空気が鳴った。

 「ルカ!」ミレイアが叫ぶ。

 僕は炎を高く掲げた。

 「……あなたの祈り、まだ消えてない。だから――返すよ!」

 橙の炎が白光を包み込み、祈りの声が再び響いた。


 ――どうか、救って。


 その声に、ヴァルトの剣が止まった。

 鎧の中で、彼の心が微かに震えた気がした。


 橙の光に包まれたヴァルトの剣が、かすかに震えていた。

 握る手が迷いを映し、白光の刃先が定まらない。

 その様子を見つめながら、エリシアが一歩、ゆっくりと前に出た。

 「ヴァルト卿……もうやめて」

 声は震えていたが、真っ直ぐだった。

 ヴァルトの肩がわずかに動く。

 「……姫君、下がりなさい。これは王命だ」

 「命令より、あなた自身の声を聞いて!」

 エリシアの瞳に涙が滲む。「あなたは、私の知ってる英雄だったはずです!」


 ヴァルトの呼吸が止まった。

 彼の中で、何かが小さく軋む音がした。

 「……英雄?」

 「ええ。私が子どもの頃、あなたは“祈りを守る剣”だと教えてくれた。

  光は、誰かを焼くためじゃなく――照らすためにあるって」

 「……そんなことを、言ったか」

 「言いました。あの日のあなたは、本当に笑ってた。

  だから、お願い。あの人に戻って……!」


 ヴァルトの目が大きく見開かれる。

 胸の奥で何かが砕けたような音が響いた。

 「……私は……戻れぬ」

 彼の声が震える。「陛下の祈りが、私を“光炉”と結んだ。

  この身はもう、人ではない」

 「違う!」エリシアの叫びが重なる。

 「父上がどう命じても、あなたの心までは奪えない!」

 ヴァルトの表情が苦しげに歪んだ。

 その瞬間、空気が変わった。


 ――“焼け”。

 低く、重い声が響く。

 その声は、ヴァルトの喉からではなかった。

 鎧の奥、胸の奥から直接響いていた。

 ルカは息を呑む。「……今の声、王だ」

 ミレイアが顔を上げる。「ヴァルドリス陛下の“祈り”……光炉を通して繋がってる!」

 「陛下……!」エリシアの顔が真っ青になる。

 ヴァルトの瞳が再び白く濁った。

 「……姫君。陛下は言われた。“迷うな。祈りを焼け”と」

 剣が再び輝きを取り戻す。


 「やめて! 父上の言葉は“祈り”じゃない! 命令よ!」

 エリシアが叫ぶ。

 「その光は救いじゃない、誰かの涙を焼いてる!」

 ヴァルトの体がびくりと震えた。

 白光と影が背で揺れ、彼の輪郭が歪む。

 「……姫君、私は……何を信じればいい」

 「あなた自身の心を!」エリシアは涙を流しながら言った。

 「英雄は、命令じゃなく信念で動くものよ!」


 その言葉が届いた瞬間、ヴァルトの剣が止まった。

 手から白光が離れ、地面に落ちる。

 かすかに、金属音が響く。

 彼はその場に膝をつき、息を荒げた。

 「……姫君、私は……陛下を裏切ることになる」

 「それでもいい。――私はあなたを信じる」

 エリシアの言葉に、ヴァルトの瞳が初めて人間の色を取り戻した。


 だが、同時に鎧の継ぎ目から黒い光が迸る。

 「駄目、陛下が……!」ミレイアの声が響く。

 黒い靄がヴァルトの背から立ち上がり、空を覆った。

 王の祈りが、“命令”として逆流してくる。

 白光と黒の波が交錯し、世界が震える。

 ルカは胸の炎を掲げた。

 「――だったら、僕がその祈りを“人の声”に戻す!」


 胸の炎が、爆ぜた。

 橙と白が混ざり、空気が震える。

 ルカの足もとに祈りの紋が広がり、地面の灰が浮かび上がる。

 その一つ一つが、かつて焼かれた“祈りの声”だった。

 「……届いて」

 ルカは目を閉じる。

 炎が波のように広がり、ヴァルトの鎧を包んでいく。

 「この炎は、罪を裁くためのものじゃない。願いを返すための光だ!」


 ヴァルトが叫んだ。

 「やめろ……! それでは王の祈りが……!」

 「祈りは命令じゃない!」

 ルカの声が響く。

 「誰かを従わせるためのものでも、燃料でもない! 

  “誰かを想う”心こそが、本当の祈りなんだ!」


 炎がさらに明るさを増す。

 白光と橙光が衝突し、空間が歪む。

 ミレイアの祈りが重なる。「願わくば、この光が悲しみを溶かしますように――」

 その声が鍵のように響き、ヴァルトの剣が崩れた。

 白光が砕け、散った光の粒が彼の鎧の中に吸い込まれていく。

 ヴァルトの膝が折れた。

 「なぜ……燃えぬ……」

 「燃やさない。照らすんだ」

 ルカが答えた。


 その瞬間、空に残っていた王城の光柱が震えた。

 塔の上で何かが砕け、白光が消える。

 ――“光炉”が一時的に停止したのだ。

 ヴァルトの体を包んでいた光も、ゆっくりと薄れていく。

 彼の呼吸が荒くなり、鎧の継ぎ目から黒い靄が抜けていった。

 靄は夜明けの風に溶け、消えた。


 「……私は、何をしていたのだろう」

 ヴァルトの声は、もう金属ではなく人の声だった。

 ルカが歩み寄り、膝をつく。

 「戦っていたんです。――信じるもののために」

 ヴァルトが目を伏せ、微かに笑った。

 「信じたものが、間違いであってもか」

 「信じる力そのものは、間違いじゃない」

 ルカの炎が彼の胸に触れ、かすかな光を灯す。

 「それを正しく使えるようにするのが、僕たちです」


 ヴァルトの指先が微かに震える。

 「……墓守よ。陛下の“祈り”を……止めてくれ」

 その手が、何かを握っていた。

 白銀の鎧の胸部が開き、そこから小さな金属片が転がり出る。

 月のような曲線と、王家の紋が刻まれた円形の鍵。

 「“光炉”の……制御鍵だ」

 ヴァルトの声が、風に溶けて消えた。


 白銀の鎧が静かに崩れ落ちる。

 金属片が風に舞い、朝の光に溶けていく。

 そこには、ただ一人の男の姿が残った。

 鎧を失ったヴァルトは、人間の姿で膝をつき、穏やかに息をしていた。

 「……やっと、祈りの光が温かいと感じられる」

 そう呟くと、彼の目に涙が滲んだ。

 ルカは鍵を手に取り、胸の前で握りしめた。

 「この鍵で、王の“光”を止める」


 夜明けが、ゆっくりと王都を包み始めていた。

 長い戦いの跡に漂っていた白い靄が薄れ、街の屋根の上を柔らかな光が滑っていく。

 さっきまで暴れていた風も止み、空気が静かだった。

 ――まるで、祈りそのものが息を整えているみたいに。


 ヴァルトは地面に片膝をついたまま、東の空を見上げていた。

 鎧を失った彼の姿は、もう“英雄”ではなかった。

 ただ、一人の男が、朝の光の中で静かに息をしている。

 その顔には、初めて人間の温度が戻っていた。


 「……墓守」

 呼ばれて、僕は彼のそばに膝をつく。

 ヴァルトの手がかすかに震えていた。

 「陛下の祈りを……王城の光炉を……止めてくれ。

  私には、もう剣を振るう力がない」

 「……わかりました」

 僕は頷き、鍵を胸に抱いた。

 ヴァルトの目が細くなり、微笑が浮かぶ。

 それは、昨日までの冷たい“英雄の笑み”とは違っていた。

 どこか、懐かしさすら感じる笑顔だった。


 「姫君……」

 ヴァルトは視線をエリシアに向ける。

 「陛下に……伝えてください。私は、光のためではなく――

  人の祈りのために、剣を捧げたと」

 エリシアの頬に涙が伝う。

「……はい。必ず」

 「ありがとう」

 ヴァルトのまぶたがゆっくりと閉じる。

 胸の上に淡い光が灯り、それが橙に変わった。

 まるで、彼の祈りが灯火に戻ったようだった。


 ミレイアがそっと祈りの印を切る。

 「……安らかに。あなたの光が、これからは誰かを照らしますように」

 風が吹いた。

 白い花びらが一枚、ヴァルトの肩に落ちる。

 その瞬間、彼の身体は淡く光り、細かな粒になって空に溶けた。

 残ったのは、彼が最後まで守ろうとした剣の鍔と、祈りの鍵だけ。


 「……行こう」

 ルカは立ち上がり、王城を見上げる。

 朝の光に照らされた城の塔は静かで、けれど不気味なほど無表情だった。

 その足もとには、“影の芽”が眠っている。

 「彼が託した想いを、無駄にはしない」

 ミレイアが頷く。「うん。ヴァルト卿の光を、本当の祈りに変えよう」

 カイエンが剣を握り直し、エリシアが涙を拭った。


 王都の上に、鐘が鳴る。

 その音は、昨日の英雄祭の喧騒とはまるで違っていた。

 静かで、優しい音。

 ――まるで、祈りの鐘。


 僕たちは振り返らずに歩き出した。

 白鉄の微笑は消えたけれど、その温もりだけが胸の奥に残っている。

 それは、焼かれた祈りの中に咲いた、たった一つの希望だった。


 夜が明ける前、僕たちは王城の影へと歩き出した。

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