第30話 影の芽は、王の足もとに
夜明け前の王都は、息をひそめていた。
露に濡れた石畳を踏むたび、靴の底で小さく音がする。東区の外れ、王立資料庫は塀に囲まれ、窓はすべて厚い格子で守られていた。閉館時刻はとうに過ぎている――はずなのに、玄関の脇で、かすかな灯が揺れている。
「……誰かいる」
ミレイアが囁く。
カイエンは手で合図を送り、僕らを門影に下げた。息を止めて様子をうかがうと、扉の内側で蝋燭の匂いがした。聖堂の聖油とは違う、もっと乾いた、紙と火の匂いだ。
ギィ、と古い蝶番が鳴る。
扉が指一本ぶんだけ開き、そのすき間から、やせた手が現れた。しわだらけの指が合図する――「入れ」。
僕らは視線を交わし、短くうなずく。危険はある。けれど、引き返しても何も変わらない。
中は静かだった。
高い書架が並び、巻物と帳面が匂いの層を作っている。蝋燭を掲げた老人が、机の前に立っていた。灰色の外套、金具で閉じた古い帳簿。細い目が、僕たちを一人ずつ測るように流れていく。
「墓守の少年……待っていたよ」
低い声は、紙をめくる音みたいに乾いていた。
カイエンが一歩出る。「待っていたとは?」
老人は首を振る。「待っていたのは“わし”ではない。この国の“記録”だ」
彼は机の引き出しから包みを取り出した。
封蝋で留められた厚紙。表には、王家の紋――二重の輪に三日月。見た瞬間、胸の奥で炎がかすかに震えた。
「王立水道の創設図。地下の古図を写した写しじゃ」老人は包みを僕へ押しやる。「聖堂の名が消され始めた頃、わしは書記官として祈りの写本を作っていた。……名を刈り取る手を、何度も見た」
ミレイアが息を呑む。「やっぱり、名前は意図的に……」
「話は後だ」エルドが周囲を確認しつつ低く言う。「ここに長居はできない」
老人はうなずき、蝋燭を少し下げた。「封は王印。破れば罪に問われる。だが、封の下にあるのは“真実”だ。どちらを選ぶかは、おぬしらの役目」
僕は包みを胸に抱え、熱を確かめる。
封蝋は固く、触れるだけで冷たさが指に刺さった。
王の紋が、こちらを見ているように思えた。開けば戻れない。けれど、開かなければ、昨日の“光”はまた誰かの祈りを焼く。
「……行こう」
カイエンが扉の方を顎で示す。「裏口から出る。夜が明ける前に距離を取る」
老人は最後にもう一度だけ僕を見た。「墓守。“名”は刃にも盾にもなる。決まりを忘れるな」
「ありがとう」
頭を下げると、炎が小さく揺れて応えた。
外に出ると、空は白み始めていた。
封蝋の重みが腕に残る。僕は深く息を吸い、胸の中で作法をそっと置く――“真実に触れる前に、返す道を用意する”。
ランプの橙が、一瞬だけ強く灯った。これは、祈りを守るための選択だ。ここから先は、僕らの番だ。
資料庫を出てから、僕たちは裏路地を抜けて古い鐘楼の影に身を潜めた。
空はまだ薄暗く、東の空にだけ白い筋が伸びている。夜明け前――この王都で最も静かな時間帯。
僕は包みを膝に置き、深呼吸した。
封蝋の紋章は、赤ではなく金色。王家が直々に使う“第一印”だった。
カイエンが眉を寄せる。「……これを破れば、反逆と見なされる」
「でも、この中に“祈りを焼く光”の秘密があるのよね」エリシアの声が震える。
王女としての立場と、一人の人間としての良心。その狭間で、彼女の瞳が迷っていた。
僕は手袋を外し、指先で封蝋をなぞった。
冷たい。なのに、指先に静電のような感触が走る。
「……生きてる」
「蝋が?」エルドが眉を上げた。
「違う、印そのもの。中に“祈りの封”がある。光の力で閉じてあるんだ」
その言葉に、ミレイアが小さく頷く。「感じるわ。これは単なる封印じゃない。――“祈りを拒む祈り”」
胸の奥で炎が小さく揺れた。
聞こえる。
封印の向こうで、かすかな声が囁いている。
――墓守よ、開け。
――祈りは、まだ閉じられている。
「今、声が……」
「まさか、“あの聖堂”の続き?」ミレイアの顔色が変わる。
僕は頷いた。「たぶん、同じ系統の声だ。これは王都全体を覆ってる“祈りの網”の一部なんだ」
エリシアが唇を噛む。「……だったら、開けるしかないわね。
でも、これを破ることは、王家の“光”を疑うことになる」
「疑わなきゃ、誰も救えない」僕は答えた。
「昨日の光の下で、どれだけの祈りが焼かれたか、見ただろ?」
言葉に反論できず、空気が重くなる。
しばしの沈黙のあと、ミレイアが膝をついた。
「ルカ。わたしが祈りの光で封を溶かす。あなたは“決まり”を置いて」
「……わかった」
僕は目を閉じ、作法を唱える。
――“開く鍵は、閉じたままの音を出す”。
ミレイアが指先に光を宿し、封蝋へ触れる。
じゅっと音がして、金の印が光の粒に変わった。
風が一瞬だけ巻き起こり、紙の端がひらりと揺れる。
その下から現れたのは、一枚の古い設計図だった。
地図の中央に描かれていたのは、見覚えのある形――三日月。
その曲線は、王都の中心をなぞっていた。
「……王城の真下」
僕の声が震える。
ミレイアが指でなぞる。「ここが、“第二の聖堂”」
カイエンが低く呟いた。「三日月の角……王城の水路と一致するな」
エルドが息を詰める。「つまり、王は最初から“影の芽”の場所を知っていたということか」
沈黙が落ちる。
東の空が赤く染まり始め、街の屋根に光が流れ込む。
だが、その光はなぜか冷たく見えた。
僕は地図を握りしめ、胸の奥で小さく誓う。
「真実を閉じ込めたままの“光”なら、僕が開ける」
その瞬間、封蝋の破片がひとりでに燃え上がり、灰のように風へ散った。
――祈りの封が、解けた。
風が止んだ。
地図の上に落ちた灰が、ひとりでに舞い上がり、もう一枚の紙の端をめくった。
それは古地図に重ねて貼られていた薄い羊皮紙だった。
表面は焦げている。けれど、まだ読める。
線の一部が二重になっており、その下に奇妙な記号がいくつも並んでいた。
「……なにこれ」
エリシアが紙を押さえる。
ミレイアが光を近づけ、目を細めた。「祈りの式文じゃないわ。これは……技術書の文字」
カイエンが眉をしかめる。「まさか、装置の設計か?」
僕は指で焦げ跡をなぞる。
円の中心に描かれた文字を読むと、それが口を開いたように感じた。
“光炉”――そう刻まれていた。
「光炉……」
ミレイアがその言葉を繰り返す。
「祈りを焼く“炉”のことよ。聖堂で行われていた儀式……あれは、これを使っていたのかも」
「つまり……」カイエンが低く続ける。「あの“白い光”は、魔力や奇跡じゃない。作られた“装置の光”だ」
その瞬間、空気が変わった。
胸の奥がぎゅっと冷たくなり、炎が小さく震えた。
王都を照らしていたあの美しい光――英雄祭の白い輝き。
あれが“祈りを燃料にした光”だったなんて。
エルドが紙の端を指さした。
「ここを見ろ。署名がある」
金のインクで書かれた、たった二文字の名。
――“ヴァルドリス・セオ・イグナート”。
エリシアの表情が一瞬で凍りつく。
「……それ、陛下の署名」
誰も声を出せなかった。
沈黙が重く落ちる。
カイエンがかすれた声で言う。「王が……光炉を造らせたのか」
「王は、祈りを焼いて“光”を生んだ」僕は呟いた。
「だから、影を恐れない。焼け残った祈りがどんなに叫んでも、光で覆い隠せると思ってる」
エリシアの手が震えた。
「そんな……そんなこと、ありえない。父上が……」
ミレイアがそっと寄り添い、肩に手を置く。
「信じたいなら、信じていい。でも、見たものから目をそらしちゃだめ」
「……わかってる。だけど……」
僕は設計図を握りしめた。紙が指の熱で少しだけ歪む。
光炉の図面は緻密だった。
祈りを燃やす“導管”、信徒の記録を刻む“祭盤”、そして中央には――“声を吸い上げる核”。
「これが……祈りを焼く仕組み」
ミレイアが息を詰めた。「“声を吸う”って……」
「声を“燃料”に変えてる」
僕の言葉に、誰も返せなかった。
沈黙を破ったのは、遠くの鐘の音だった。
ドォン――と低い音が、王都の方向から響く。
「……警鐘?」エルドが顔を上げる。
「まだ夜明け前だぞ」カイエンが窓の外をのぞく。
東の空が赤く染まり、光が資料庫の棚を照らす。
その光が、妙に白い。
「……まさか」僕は息を呑んだ。
外の空に、また“あの光”が灯り始めていた。
光炉が、動いている。
窓の外が白く染まっていく。
夜明けにはまだ早いのに、王都の空がまるで昼間のように明るかった。
光が屋根を舐め、尖塔を包み、街全体を“清める”ように広がっていく。
その眩しさは、温かさではなく、刺すような冷たさを持っていた。
まるで罪を暴くために放たれた“審判の光”のように。
「……また、光炉が起動したのね」
ミレイアの声は震えていた。
彼女の手の中の祈り石が淡く反応し、脈を打つように光っている。
「街の祈りを、吸ってる」
「どういう意味だ」カイエンが問う。
「祈りを捧げた人の想いが、この光に“変換”されてるの。……つまり、奪われてるのよ」
エルドの顔が青ざめる。「このままでは、王都そのものが……」
「やめて……」
小さな声が聞こえた。
振り向くと、エリシアが立ち尽くしていた。
両手で口を押さえ、肩が小刻みに震えている。
彼女の目は、光る王城の塔を見つめていた。
「嘘……そんなはず、ない。父上が、こんなものを……!」
声が途切れ、膝が折れる。
ミレイアが駆け寄って抱きとめた。
「落ち着いて。今は――」
「落ち着けるわけない!」
エリシアが叫んだ。
「父上は……ずっと民のために祈ってきたのよ! どうして、祈りを焼くなんてことができるの!?」
その叫びは、資料庫の石壁に響き、すぐに吸い込まれていった。
誰も言葉を返せなかった。
カイエンでさえ、沈黙を選んだ。
“王の正義”を信じてきた彼の瞳にも、迷いがあった。
僕は胸のランプを見つめ、言葉を探した。
「……きっと、最初は違ったんだと思う」
「違った?」
「誰かを救いたい、ただそれだけだった。けれど、光は強くなりすぎた。祈りを燃やしてでも“清める”光へと変わってしまった」
ミレイアがうなずく。「救いと支配は、紙一重……」
その時――。
ドォン、と地面が震えた。
窓の外で巨大な影が動く。
白光の中心、王城の塔の上に、白銀の鎧が立っていた。
「ヴァルト……」
エリシアが呟く。
白鉄の騎士は剣を掲げ、光を天へと放っていた。
声が届かないほどの距離なのに、あの冷たい笑みが見えた気がした。
「“影狩り”が始まる」カイエンが剣に手をかける。
「王都全域を焼く気だ」エルドが低く言う。
僕は立ち上がり、設計図を握りしめた。
紙の中の線が、炎のように赤く染まっていく。
「止めなきゃ」
「どうやって!?」エリシアが叫ぶ。
「影の芽を見つけるんだ」僕は答えた。
「この光の根を断たない限り、誰も救えない!」
光が強まり、部屋全体が真昼のように白くなる。
エリシアの涙が光に照らされ、溶けるように消えた。
王都のすべてが“救い”という名の光で包まれていく。
けれど僕たちは知っていた。
その光の下で、祈りの声が――また、焼かれていることを。
外の光がさらに強くなった。
壁の隙間から差し込む白い筋が、まるで刃のように床を切り裂く。
その光の中で、何かが“動いた”。
金属の靴音――甲冑の群れが迫ってくる。
「……来たな」カイエンが窓際から身を引く。
次の瞬間、扉を叩く音が響いた。
「王立守備隊である! 不審な灯を確認、開門せよ!」
声は冷たく、感情がなかった。まるで機械が喋っているように。
「まずい、完全に包囲された」エルドが低く言う。
資料庫の壁の向こうから、複数の足音が近づいてくる。
ミレイアがランプを抱え、「ルカ、どうするの?」
「出口を探す。裏手の書庫に通気口があったはずだ」
カイエンが頷く。「よし、俺が先に行く。何かあれば時間を稼ぐ」
「待って」エリシアが制した。「彼らは王の命令で動いてる。戦えば、王国全体を敵に回すわ」
「もうとっくに敵だよ」僕は言った。
「祈りを焼く国なんて、守る理由がない」
そのとき、扉の外から低い声が響いた。
「墓守よ――禁を破ったな」
僕の心臓がひときわ強く跳ねた。
この声を、忘れるはずがない。
ヴァルト。
英雄祭で民衆を導いた“白鉄の騎士”。
彼が、ここにいる。
「資料庫を包囲した。出てこい。さもなくば、光ごと焼く」
声が静かに落ちる。
脅しではない。本当にやるつもりの声だった。
ミレイアが祈り石を握りしめる。「……時間がない」
「裏口に回れ」カイエンが指示を出す。
僕たちは書架の間を抜け、狭い通路を駆けた。
足音を殺す余裕もない。背後で、扉が破られる音が響く。
光が雪崩のように流れ込み、木の棚が一瞬で白く燃えた。
「光で……燃えてる……」エリシアが息を呑む。
「祈りの燃料を使ってるからだ。炎じゃなく、“命”で燃やしてる」僕は答えた。
出口の先は、低い通気口。
外はまだ夜の名残が残っていて、地上の喧騒はない。
ミレイアが小声で呪文を唱えると、手の中の光が霧に変わり、僕たちの姿を包み込んだ。
「幻光で数秒、目を誤魔化せるわ。走って!」
僕らは一斉に外へ飛び出す。
石畳の上を踏みしめる音が、夜気に混ざって響いた。
白光の中から、ヴァルトの声が再び降る。
「逃げても無駄だ、墓守。影の芽は、王が摘む。おまえたちは、ただの残滓だ」
「それは違う!」
思わず叫んでいた。
「祈りは、焼いても消えない!」
答えはなかった。
ただ、王都の上空で白い光が爆ぜた。
街全体がその閃光に包まれ、僕たちは一瞬、何も見えなくなった。
次に視界が戻ったとき、空は赤く染まっていた。
「……光が暴走してる!」ミレイアが叫ぶ。
カイエンが僕を引っ張った。「今は逃げるぞ!」
僕たちは路地を駆け抜け、燃える光の街を背に走った。
そのとき、胸の炎が再び赤く脈を打った。
――聞け。影の芽は、王の足もとにある。
耳の奥で声が響き終わると同時に、足もとがぐらりと揺れた。
地面の下から低い唸りが上がり、石畳の隙間から光が漏れ出す。
「ルカ、急いで!」ミレイアが腕を引く。
僕たちは崩れかけた路地を駆け抜けた。
背後では白光が渦を巻き、建物の影が吸い込まれるようにねじれていく。
“光が、影を飲み込んでる――!”
それはまるで、王都そのものが生き物のように蠢いているようだった。
角を曲がった先に、古い水路の入口があった。
僕たちはそこに飛び込み、ひんやりとした空気の中で息を整えた。
天井から水滴が落ち、足もとは薄く流れる水。
白い光はここまで届かず、わずかな橙の炎だけが頼りだった。
「……ここまで来れば、少しは安全だ」カイエンが肩で息をする。
「でも、王城はもう完全に光炉の制御下にあるわ」ミレイアが壁を見つめる。
その目に、細い線が映っていた。
「これ、見て」
壁の石に刻まれた模様――三日月の印。
水路の曲がり角ごとに、それが一定の間隔で刻まれていた。
「これ、王都地図と同じ形……」僕は炎をかざす。
光が揺れ、印の縁がわずかに赤く輝いた。
「“影の芽”……ここだ」
「王の足もと……つまり、王城の地下が中心?」エルドの声が低く響く。
「そう。三日月の中心が、王城の直下にある」僕は呟いた。
炎がその言葉に応えるように、ふっと強くなった。
その瞬間、また声が届く。
――聞く者よ。そこに、祈りの根がある。
――名を焼かれた者たちの、最後の願いが眠る場所。
音ではなく、心に直接届く声。
僕は胸を押さえ、目を閉じた。
光炉の白い輝きとは違う、やわらかい赤の感覚。
「ルカ?」ミレイアがのぞき込む。
「……聞こえた。“祈りの根”があるって。王城の下に」
エリシアが顔を上げる。「じゃあ、父上が……その上に王座を築いたってこと?」
カイエンが短く頷く。「祈りの上に立つ王――いや、“祈りを封じた王”だ」
エリシアは拳を握りしめた。
「……父上、あなたは何を信じてるの」
その声は震えていたが、泣き声ではなかった。
ミレイアがそっと灯を掲げる。「ルカ、行こう。もう“道”は見えた」
「うん。でも――」僕は炎を見た。「これ、道だけじゃない。“合図”だ」
壁の印がひとつずつ明滅を始める。
まるで、誰かが僕たちの進む方向を導いているように。
「……祈りが、道を作ってるんだ」
僕はそう呟き、前を向いた。
遠くで水の流れが音を立てる。
その奥――王城へ続く暗い通路。
「ここが、“影の芽”への入口だ」
ミレイアがうなずく。「なら、行くしかないわね」
エリシアが涙を拭き、微笑んだ。「父上の真実を、自分の目で確かめる」
僕はランプを掲げ、静かに言った。
「祈りを焼く光が、この国の正義なら――僕が、祈りの声でそれを止める」
水路を抜けると、東の空がうっすらと明るんでいた。
夜と朝の境目――白い靄が街の屋根を包み、風が冷たく頬を撫でる。
僕たちは古井戸の蓋を押し上げ、ひとりずつ地上へと出た。
見上げれば、王城の塔が遠くにそびえている。
その頂から流れる光はまだ続いていた。だが、さっきよりも弱く、どこか不安定だった。
「……暴走が収まりつつある」カイエンが息をつく。
「でも、このまま放っておけば、また起動するわ」ミレイアが冷たい風の中で言った。
「そうね」エリシアが王城を見上げた。「父上は、これを“正義”だと信じている。だから止められない」
その横顔は、光のようにまっすぐで、それでも影を抱いていた。
通りはまだ静かだった。
朝の市場も開かず、ただ遠くで鐘が一度鳴った。
王都の人々は、昨日の“英雄祭”の延長線を夢に見ているのかもしれない。
だが、その下で燃やされた祈りの声は、まだ空に漂っている。
僕は胸のランプを見つめた。
炎は穏やかで、橙の中に淡い赤が宿っている。
あの聖堂で出会った“声”が、まだこの火の奥にいる気がした。
「……ルカ、これからどうするの?」
ミレイアの問いに、僕は少しだけ空を見上げた。
「“影の芽”を見つける。祈りを封じた根っこを断ち切らない限り、この国はまた同じ光に焼かれる」
「王城の地下、だな」カイエンが地図を開き、確認する。
エルドが周囲を見渡しながら低く言った。「侵入は容易じゃない。王宮の護衛は倍増しているだろう」
「それでも行くしかない」僕は答える。
「祈りを聞く者として――聞かなきゃいけない声が、まだあるから」
エリシアが静かに立ち上がった。
「だったら、私も行く。王女としてじゃなく、一人の人間として。
父上の信じる光が、本当に正しいのか、自分で確かめたい」
ミレイアが微笑む。「あなたらしいわ」
「ええ。怖いけどね」
その笑顔は少し震えていたが、確かな強さがあった。
東の空が朱に染まっていく。
白い光と赤い炎が交わり、街の屋根に長い影を落とす。
僕は王城の影を見つめながら、胸の中で作法を置いた。
“聞く前に、返す道を用意する”。
――もう、祈りを焼かせない。
「これが、僕たちの戦いの始まりだ」
声に合わせて、ランプの炎がふっと明るくなる。
その光が、仲間たちの顔を照らした。
カイエンは無言で頷き、剣の柄に手をかける。
エルドは背を伸ばし、護衛としての決意を宿す。
ミレイアは小さく祈りの印を切り、エリシアの肩に手を置いた。
風が吹いた。
朝日が完全に昇り、王城の塔の影が長く伸びていく。
その影の中心――王の足もと。
そこに、“影の芽”が眠っている。
僕たちは顔を見合わせ、うなずいた。
「行こう。祈りを取り戻しに」
白い光の国で、最初の反逆の朝が始まった。




