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墓守の少年、千年の声を聞く ― 王国最後の見届け人 ―  作者: スマイリング


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第28話 影狩りの英雄

 玉座の間に朝の光が差し込んでいた。

 高い窓から白い帯が床に伸び、磨かれた大理石を照らしている。金の装飾がまぶしく反射し、まるでこの国の光そのものがここに集まっているようだった。けれど、ルカの胸の奥は妙に冷たかった。


 「謁見を始める」

 執事の声が響くと、重臣たちが一斉に列を正す。空気が張り詰め、誰もが息を潜めた。ルカは隣に立つエリシアの手がわずかに震えているのを見た。彼女は小さく頷き、まっすぐ前を見据える。


 王が入場する。

 その足取りは堂々としていたが、目の奥には疲れと影が見えた。玉座に座った王が口を開く。「白鉄の騎士、前へ」そのひと声で、場の空気が一変した。


 鎧の音が鳴り、白銀の騎士が歩み出る。

 長いマント、傷ひとつない胸甲、光を宿した剣の鍔――完璧すぎる姿。彼の名は、王国の英雄“白鉄の騎士ヴァルト”。彼が進むたび、床の光が増した気がした。


 「灰の森に巣くう影を討ち、王都に平穏をもたらした英雄――ヴァルト卿!」

 老臣が朗々と宣言し、兵士たちが槍を掲げて称える。整然とした足音が重なり、玉座の間が拍手と歓声に満たされた。


 (……僕たちが戦った場所のことだ)

 ルカは息を呑む。横でカイエンの表情が固まる。彼はゆっくりと膝をつき、礼をとったが、王から言葉はない。功績の報告は、すべてヴァルトの手柄として処理されていく。


 ヴァルトは膝をつき、穏やかに言った。

 「すべては陛下のご威光と祈りの御加護の賜物です。私はただ剣を振るっただけ」

 言葉も姿も、完璧。だがその完璧さが、ルカにはひどく無機質に思えた。


 ランプの炎が揺れ、耳の奥で微かなざわめきが生まれる。

 (この光……静かすぎる。まるで何かを隠しているみたいだ)

 ルカは手を胸に当てた。炎は白いのに、奥の芯が赤く滲んでいた。


 「将軍カイエン、報告を」

 王の声が響く。

 「はい。影の鎮静は――」カイエンが口を開いた瞬間、老臣がそれを遮った。

 「詳細はヴァルト卿が掌握しておられます。以後、影討伐は白鉄隊の管轄とする」


 わずかに空気がざわめいた。

 カイエンは何も言わず、深く頭を垂れる。エリシアが小さく息を呑む。「父上……」その声は王には届かず、玉座の上で吸い込まれていった。


 ヴァルトが立ち上がり、ルカのほうを見た。

 「君が墓守の少年か。影の囁きを聞いたと聞く。見事だ」

 その声はやわらかいが、どこか冷たい。

 ルカは軽く頷いた。「僕は……ただ、声を伝えただけです」


 「声は、ときに人を惑わす」

 ヴァルトは淡々と告げる。「惑いは光で断たねばならぬ。王都は光で守られる」

 その“光”という言葉に、ルカの胸が少しだけ痛んだ。


 王が立ち上がる。「本日の昼、広場で英雄祭を開く」

 老臣が声を張る。「民に平穏を告げよ。恐れを焼き払い、祈りを正すのだ」

 玉座の間に再び拍手が響く。整いすぎた音が、ルカには不気味に聞こえた。


 (焼き払う……それがこの国の“正義”なのか)

 ルカは唇を噛む。ランプの炎は揺れもせず、ただ静かに白い光を放っていた。


 退室の合図が出され、重い扉が開く。

 ヴァルトは最後に振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。だがその笑みは、光ではなく鏡のように冷たい。


 エリシアが小声で問う。「ルカ……どう感じた?」

 「きれいすぎるものには、いつも影がある」

 ルカは答えた。その言葉に、ランプの炎がほんの少しだけ赤く揺れた。


 王都の鐘が昼を告げた。

 広場には旗が掲げられ、人々の歓声が波のように広がっていく。白銀の鎧をまとった兵士たちが整列し、中心には“白鉄の騎士ヴァルト”が立っていた。

 その姿は、まるで神話から抜け出した英雄のようだった。


 「……すごい人だかりね」

 エリシアがつぶやく。

 屋上から見下ろすルカの目に映るのは、喜びと陶酔に染まった民の顔。影討伐の犠牲者を悼む気配はなく、ただ「英雄」の名を讃える声だけが響いていた。


 カイエンが腕を組んでいた。

 「影を討ったのは彼じゃない。だが、王国は“英雄”を必要としている」

 ルカはその横顔を見つめた。

 「……影を恐れる人が多いほど、誰かを信じてすがりたくなる。たとえそれが嘘でも」


 壇上のヴァルトが剣を掲げた。

 「この光こそ、影を祓う正義である!」

 鋭い声が空を切ると、群衆が一斉に歓声を上げた。白い鳩が放たれ、空に舞い上がる。だがその羽音の下、ルカの耳には別の音が混じっていた。


 ――光の裏で、泣いている声がある。


 (やっぱり……この“光”は何かを隠してる)

 ルカは胸のランプを握りしめた。炎が小さく震える。ミレイアがその様子に気づく。「ルカ、また聞こえるの?」

 「……うん。だけど、みんなには聞こえないみたいだ」


 ヴァルトが群衆に向けて叫ぶ。

 「影を恐れるな! 影を焼け! 王の光が我らを導く!」

 熱狂が爆発した。拍手と叫びが渦になり、王都全体が揺れる。ルカは息を呑み、思わず後ずさった。


 「これが……“正義”なの?」エリシアが小さくつぶやく。

 その声は風にかき消された。群衆の歓声はあまりにも大きく、どんな言葉も届かない。

 「……父上は、この光を正しいと思っているのね」彼女の目に影が落ちる。


 ルカは拳を握りしめた。

 (違う……この光は、誰かの祈りを踏みにじっている)

 声が重なる。

 ――祈りを焼く光は、影よりも深い闇を生む。


 「……ミレイア」

 「わかってる」彼女は頷く。「この国は、“光”を信じすぎてる。まるで、影を悪に仕立てなきゃ自分を保てないみたい」

 ルカはうなずき、胸の炎を見た。白い光の中心で、赤い芯がゆらりと揺れていた。


 そのとき、ヴァルトがふいにこちらを見上げた。

 距離があるのに、目が合った気がした。彼は微笑んだ――けれど、その笑みは冷たい刃のようだった。

 (気づかれた……?)ルカの背中を冷たい汗が流れる。


 ミレイアが息を呑む。「今の……」

 「見てた。あの人、僕たちの場所がわかってる」

 ルカは即座にランプを隠した。炎がかすかに明滅し、白光と影が交錯する。


 英雄の名のもとに、王国がひとつにまとまっていく。

 その光景を見ながら、ルカは理解していた。

 (この国を覆っているのは“影”じゃない。――“正義”という名の闇だ)


 英雄祭が終わったあと、王都の空は異様なほど静かだった。

 昼間の熱気が嘘のように消え、遠くで鳴る鐘の音だけが冷たい風に流れている。

 ルカたちは人の少ない裏通りを歩いていた。さっきまで響いていた歓声が、いまはまるで幻のように感じられる。


 「……あの人、笑ってたね」

 エリシアがぽつりと言った。

 「ヴァルト卿のこと?」ミレイアが振り返る。

 「ええ。でも、笑っているのに……どうしてか、怖かったの」

 ルカは足を止めた。胸のランプが、風もないのにふっと揺れた。


 (怖い――それは、正しい感覚かもしれない)

 あの白銀の鎧。完璧な笑み。まるで“人間の形をした信念”のようだった。

 けれど、その背後にまとわりついていた黒い揺らぎを、ルカははっきり見ていた。


 「……あの人の“光”は、まっすぐすぎる」

 「まっすぐ?」ミレイアが首をかしげる。

 「うん。まっすぐすぎて、影を作ってるんだ」

 ルカの声は低かった。「光が強くなればなるほど、影は濃くなる。ヴァルト卿の背には……その影があった」


 エリシアが唇を噛んだ。「まるで……父上の光と同じね」

 彼女の言葉に、ルカは目を伏せる。

 「きっと、誰かが言わなきゃいけないんだ。光はすべてを救うわけじゃないって」

 「でも、王国はそれを正義だと信じてるのよ」ミレイアが静かに返す。「それを否定したら……全部が崩れちゃう」


 風が吹いた。

 屋根瓦の間から舞い落ちた花びらが、足もとを転がる。

 ルカはそれを見つめながら、胸の奥で誰かの声を聞いた。


 ――見たな、墓守。

 ――光の影に触れる者は、裁かれる。


 「……っ!」

 頭の奥に響く低い囁き。冷たい指が心臓を掴むような感覚。

 ランプの炎が一瞬だけ赤に染まった。


 「ルカ!?」ミレイアが慌てて支える。

 「平気……ちょっと、頭が……」

 「また声が?」エリシアが覗き込む。

 「うん。でも、今までと違う。あれは“警告”だ」


 ルカは額の汗をぬぐい、空を見上げた。

 夜空の上には満月が浮かび、白い光をまっすぐに降らせている。

 その光が地面に落ちたとき、影が妙に濃く見えた。まるで地面の下に“もう一つの王都”が眠っているように。


 「影の下に影がある……」

 小さくつぶやくと、エリシアが息をのんだ。「それって――」

 「たぶん、“声”が言ってた場所。王宮の下だよ」

 ルカは炎を見つめた。「あそこに、本当の影がいる」


 沈黙が落ちた。

 夜風が三人の髪を揺らし、遠くで犬の遠吠えが響いた。

 ルカはそっと炎を胸に寄せた。白い光が彼の瞳に反射し、その中にほんの少しの赤が混じっていた。


 翌朝、王都の空には金色の旗が揺れていた。

 通りには露店が並び、人々の笑い声が響く。昨日の熱狂が冷めぬまま、街全体が「英雄祭」の続きに浮かれているようだった。だが、ルカの胸は重かった。


 「……あんなに笑ってるのに、どこか違う」

 エリシアがつぶやく。

 彼女の視線の先では、子どもたちが“白鉄の騎士”を模した木の剣を振って遊んでいた。

 「英雄ごっこ、だね」ミレイアが苦笑する。「でも、その“影狩り”が本当は……」

 言葉を飲み込み、彼女は黙った。


 広場に近づくと、王の使者が大声で叫んでいた。

 「これより――“光の儀”を行う!」

 群衆が一斉に歓声を上げる。壇上にはヴァルト卿が立ち、剣を高く掲げた。その刃先から放たれる白い光が、まるで太陽の欠片のように輝いている。


 「この光は、影を祓い、穢れを焼く!」

 ヴァルトの声が響く。

 兵士たちが並べた檻の中には、震える男女の姿があった。目隠しをされ、縄で縛られたまま、祭壇の前にひざまずかされている。


 「……あれ、何?」

 エリシアが息を呑んだ。

 老臣が前に出て告げる。「影に取り憑かれし者ども。光による“浄化”をもって、安寧へと導く」

 その言葉に、群衆が拍手を送った。歓声と笑いが交じり、祝福の声が空に舞う。


 「浄化……?」ミレイアが顔をしかめる。

 「違う、あれは……処刑だ」ルカが低く言った。

 胸の炎がざわめく。声が流れ込む。

 ――光は救いではない。祈りを焼く刃だ。


 ヴァルトが剣を振り下ろした。

 瞬間、眩しい閃光が檻を包む。悲鳴は上がらなかった。ただ、白い光の中で人々の影が消えていく。

 風が吹き抜け、灰のような粒が空に舞った。


 「……なんで、誰も止めないの?」

 エリシアの声が震える。

 「民は“正義”を信じてるからよ」ミレイアが答える。「罪も痛みも、光に変えられるって……」

 ルカは拳を握りしめた。「違う、それは……祈りを奪ってるだけだ!」


 群衆は笑っていた。子どもが拍手をし、大人が涙を拭いながら「光の勝利だ」と叫ぶ。

 その中で、ルカたちの立つ場所だけが冷たく沈んでいた。

 「この光が、王国の正義なら……僕は、そんな正義を信じない」ルカの声は小さかったが、炎のように熱を帯びていた。


 そのとき、ヴァルトが剣を下ろし、ふいに観衆のほうを向いた。

 彼の目が、真っすぐルカを捉える。距離があるのに、まるで目の前に立たれたような圧を感じた。

 「――“影を導く者”」

 唇の動きで、ルカにはそう読めた。次の瞬間、ランプの炎が大きく揺れた。


 「……ルカ、今の……」

 「わかった、気づかれてる」

 ルカは急いでランプを覆い隠す。光が消えると同時に、鼓動が早くなる。

 (ヴァルト卿……あの人はただの騎士じゃない。光を操る者……いや、“影を支配する者”だ)


 群衆の歓声が続く中、ヴァルトは静かに微笑んだ。

 白銀の鎧が太陽を受けて光る。その輝きはあまりに美しく、そして、残酷だった。


 広場の熱気はまだ続いていた。

 人々は涙を流して笑い、処刑の後の空を見上げて「これで平和が戻る」と言い合っていた。風に乗って鐘が鳴り、白い花びらが舞う。まるで祝福のように――けれどルカには、それが灰にしか見えなかった。


 「……みんな、何も感じないの?」

 エリシアの声は震えていた。

 ミレイアがうつむいたまま答える。「感じてるわ。でも、怖くて言えないの。誰もが“光”の側にいなきゃ、生きていけない」

 ルカはその言葉に唇を噛んだ。「光の側って……それは人を焼く場所なのに」


 壇上のヴァルトが人々に手を上げた。

 「恐れるな! 影は消えた! この国は、光によって清められた!」

 群衆が歓声を上げる。

 その音の中に、ルカの耳は別の音を聞いていた。


 ――祈りを奪われた声が、泣いている。

 ――その涙は、誰の罪を洗うのか。


 (まただ……聞こえる)

 ルカは胸のランプを押さえる。白い炎の中に、赤黒い揺らぎが生まれていた。

 「ルカ?」ミレイアが焦る。

 「……この声、止まらない。“祈りが焼かれるたびに、叫んでる”」


 その瞬間、広場の端で小さな騒ぎが起きた。

 少年が一人、泣きながら叫んでいた。「母さんを返してよ! 母さんは悪くない!」

 兵士が近づき、乱暴に少年を引き離す。周りの大人たちは顔を背け、誰も助けようとしなかった。


 「やめろ!」ルカが叫んだ。

 走り出そうとする彼の腕を、カイエンが押さえた。「ルカ、待て。下手に動くな」

 「でも――!」

 「いまは民が敵だ。ここで暴れたら、“影の使徒”にされるぞ」


 その言葉で、ルカは一瞬だけ足を止めた。だが、少年の泣き声が風に消えると同時に、体の奥で何かが弾けた。

 「……もう我慢できない」

 ランプの炎がぱっと明るくなり、周囲が白い光に包まれる。


 ヴァルトの視線がこちらを向いた。

 彼は壇上からルカを見下ろし、薄く笑う。「墓守……光を穢す者か」

 「違う!」ルカは叫んだ。「僕は穢してなんかいない! この光が間違ってるだけだ!」


 群衆がざわめいた。

 「影の少年だ!」「あいつのせいで祈りが乱れた!」

 ルカは歯を食いしばる。(みんな……僕の言葉、聞こえないのか!)

 ――声は届かない。だが、それでも叫ぶしかなかった。


 「祈りは焼くものじゃない! 生かすためにあるんだ!」

 その叫びは、歓声と罵声にかき消された。兵士たちが近づき、槍を構える。

 ミレイアが前に出た。「やめて! 彼は――!」

 カイエンが剣を抜く。「退け! この場で手を出すな!」


 王の使者が壇上から怒鳴る。「不敬である! “影の声持ち”を拘束せよ!」

 兵たちが走り出す。

 ルカは一歩も引かなかった。炎を胸の前に掲げ、真っすぐにヴァルトを見上げる。


 「僕は墓守だ。祈りを伝えるためにここにいる。たとえこの国が、祈りを“罪”と呼んでも!」

 風が吹き抜け、炎が白く揺れた。

 その光がヴァルトの鎧を照らす。眩しいほどの白の中で、ルカは確かに見た。


 ――白銀の背に、黒い影が蠢いていた。


 群衆の喧騒の中で、ひときわ高い声が響いた。

 「やめなさい!」

 その声に、人々の動きが止まった。ルカの前に立ったのは、王女エリシア。黄金の髪が光を受けて揺れる。だがその瞳は、涙をこらえるように震えていた。


 「父上の名のもとに――これ以上の“浄化”は許しません!」

 広場が静まり返る。

 ヴァルトがゆっくりと剣を下ろした。「姫君、それは陛下の決定に逆らうということですよ」

 「陛下の決定でも、人を焼くことは“祈り”ではありません!」エリシアの声が広場に響いた。「あなたたちの光は、人々の祈りを奪っている!」


 民衆の間からどよめきが起きる。

 「王女様が……陛下に逆らうのか?」「あの方まで影に……?」

 ヴァルトはわずかに微笑んだ。「お気の毒ですが、姫君。影に惑わされた者は、例外ではありません」

 「違う!」ルカが叫ぶ。「彼女は惑ってなんかいない! 本当の“光”を見ようとしてるんだ!」


 ヴァルトの目が細くなる。「……ならば、その光とやらを、我らに示してみせよ」

 白銀の剣がゆっくりと掲げられた。周囲の兵士が一斉に動く。

 ルカは炎を胸に構え、エリシアの前に立った。「触れるな!」


 「ルカ……」

 「僕は墓守だ。祈りを焼かせるわけにはいかない!」

 炎が揺れ、周囲の光がわずかに霞む。ヴァルトの鎧に白と赤が交錯し、その背で影が脈打った。


 そのとき、ミレイアが祈りの言葉を唱え始めた。

 「我らの光は、誰かを救うために……」

 その声に呼応するように、ルカの炎がふっと柔らかく広がる。熱ではなく、暖かさを持った光。人々が息をのんだ。


 「これが……本当の光?」

 誰かが呟いた。

 その瞬間、ルカの耳に“声”が届く。

 ――忘れられた祈り、いま再び目覚める。


 光が地面を包み、処刑台の灰が空へ舞い上がる。

 ヴァルトが剣を構える。「偽りの光だ!」

 「違う!」エリシアが叫ぶ。「光は、焼くためじゃなく、照らすためにあるの!」


 その声は風を切り、群衆の心に届いた。

 ほんの一瞬、沈黙。次の瞬間、誰かが泣き出した。「妻を……返してくれ……!」

 波のように感情が広がり、ヴァルトの顔から笑みが消えた。


 「姫君……あなたは愚かだ」

 ヴァルトが剣を下ろし、背を向ける。「その愚かさが、この国を滅ぼす」

 彼の背に宿る影がゆらめき、やがて白光に溶けて消えた。


 風が吹き抜けた。

 エリシアは静かに剣を握りしめ、顔を上げる。

 「なら……私はその“愚かさ”で、この国を救ってみせます」

 その言葉に、ルカの炎が一段と明るくなった。


 広場に残る光が、ゆっくりと色を変えていった。

 さっきまで白く輝いていたはずの光が、今は赤みを帯びて揺れている。まるで街全体が息を潜めているようだった。


 ヴァルトは群衆の背を向けたまま、静かに立っていた。

 その背中から、黒い煙のようなものがゆらりと立ちのぼる。

 ルカの炎が反応した。

 「……見える。あれが、影だ」


 「ヴァルト卿……?」

 エリシアが一歩踏み出す。

 振り返ったヴァルトの瞳には、さっきまでの光がなかった。そこにあるのは、深く濁った闇。

 「姫君。あなたは光を信じすぎた。影はいつだって、光の中に潜んでいる」


 その声は静かで、なのに恐ろしかった。

 白銀の鎧の継ぎ目から、黒い靄が滲み出していく。まるで鎧の中に、もう一人の“何か”がいるようだった。

 「……おまえも、影に取り込まれていたのか」

 ルカが言うと、ヴァルトは微笑んだ。


 「取り込まれた? 違う。私は“光の影”だ。

  王が求めた正義の形――祈りを焼く刃そのものだ」


 ルカは息を呑んだ。

 (やっぱり……この国の“光”は、誰かの祈りを犠牲にして成り立っている)

 炎が揺れ、声が流れ込む。

 ――墓守よ。影を断てば、祈りも消える。選べ。


 「……選べ、って?」ルカは歯を食いしばる。

 ヴァルトが一歩踏み出すたびに、地面が軋む。鎧の光と影が入り混じり、まるで夜と昼がぶつかるようだった。

 「おまえの“光”は、何を守る? 祈りか、秩序か」


 「僕は――祈りを守る!」

 ルカは叫び、炎を高く掲げた。

 白い光が赤く染まり、やがて柔らかな橙に変わる。それは熱を持たない炎。人を焼かず、ただ照らす光。


 ミレイアが祈りを紡ぐ。「願わくば、この光が影を照らしますように」

 その声が重なり、ヴァルトの足が一瞬止まった。鎧の隙間から漏れる黒が、まるで迷っているように揺れる。


 「おまえ……何をした……!」

 ヴァルトが苦しそうに顔を歪める。

 「祈りを返しただけだよ」ルカの声は静かだった。「焼かれた願いを、光に戻したんだ」


 ヴァルトの影が爆ぜるように広がり、空を覆う。

 だがその瞬間、ルカの炎が白く弾けた。

 影と光がぶつかり、広場全体が眩しい閃光に包まれる。


 やがて、光が消えたあとには――ヴァルトの姿だけが、静かにひざまずいていた。

 鎧の輝きは失われ、ただ灰色の金属片が風に散る。

 「……光の影、か」ルカが小さく呟いた。


 エリシアが彼の横に立つ。「ルカ、これで……」

 「ううん、まだ終わってない」

 ルカは胸の炎を見つめた。「この影の根は、もっと深い。王宮の下――“祈りを封じた場所”にある」


 風が吹き抜け、焦げた花びらが空に舞う。

 その中で、ルカの炎は穏やかに揺れた。

 光でも影でもない、第三の色――“祈りの灯”。それが、静かに王都を照らしていた。

 光と影の境界に立たされたルカは、初めて“祈りの光”を掴みました。

 英雄ヴァルトの崩壊は、王国の正義の崩れ始め。

 次回、王都の地下で封印された“真の影”が目を覚まします。

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